2 responses

  1. るうこ
    2019年5月5日

    天皇制に反対だから、女系天皇を推す、
    という共産党と同じ理屈ですか?

    返信

    • 秀吉
      2019年5月6日

      私の記事のどこが女系を推しているのでしょうか?

      特に女系も男系も推してはいません。

      天皇家にそれほど関心がありません。


      天皇のような絶対的権威を崇拝する日本の大衆のマインドに問題があると思っています。

      日本の大衆の献身し、崇拝するマインドが自立を妨げていると思います。

      自分自らの内に光を見出すべきであり、魂の導きに従って自ら判断し、自立して生きるべきなのです。


      結局、献身する対象を求めるマインドが未熟なマインドだと思っています。

      そして献身する対象を必要とするマインドは、献身する対象の自由を束縛していると思います。

      天皇制に対する議論は、天皇その人を除外して勝手に行われている議論であり、天皇の自由意志や意見を尊重していないようです。

      天皇は幸せに生きるべきであり、人は天皇に過剰に関心を持つべきではないのです。

      自分の為すべきことを行ない、自立して生きればよいのです。

      天皇を見るために皇居に何十万人も集まってどうするのでしょうか。

      それは偉い人からの威光をもらいたい、ご利益をもらいたいという欲しがる未熟さがあると思います。


      天皇の自由のない不遇な境遇に同情し、自由に幸せに生きて欲しいと思う自然な思いやりが必要です。

      とは言え、私たちは自分たちのリーダーが立派な人間であるとそれを誇りに思い、うれしくなり、そのことに自信を持ったりします。

      諸外国のリーダーたちと対等に渡り合い、あるいは、畏敬の念さえも起こさせるような人物が、私たちのリーダーの立場にあることはうれしいことです。

      然し、そうしたリーダーとか偉大な人物に過度に同一化(同一視)するマインドは未熟なマインドであり、自由なマインドとは言えません。


      人を過度に崇拝するようなそうしたマインドだから勝ち目のない戦争に突入していったと思います。

      もう少し一人一人が自分の頭で何が正しいかを冷静に考えられることが必要であり、国民の自立していて冷静で成熟した判断能力が必要です。


      血縁や民族など血の議論というものは、物質的発想であり、偉大な魂というのは、馬小屋の中で、身分の低い貧しい人間の子供として転生するかもしれません。

      そして、そうして生まれた偉大な魂は、生育していく過程で、周囲の環境に影響を及ぼして、やがて、頭角を現して、人類を霊的、文化的に指導する人物になっていくかもしれません。

      そうしたことが大事なのです。

      制度としての天皇制は、天皇を政治利用する為に作られたシステムで、例えば、天皇家に娘を嫁がせて、実権を握った平安時代の藤原道長とか、そうした例からも推測できます。

      天皇制は残れるのであれば、残って行けばいいのですが、男系で生まれた天皇が必ずしも偉大な魂であったり、立派な人物であるとは限りません。

      天皇とは、昔のアトランティス時代から大多数の大衆を指導した霊的指導者の名残りなのです。

      天皇とは宗教的指導者なのです。


      ですから、インドのカースト制度でいえば、バラモンであるということです。

      本来は、霊的に偉大であるからこそ、バラモンであり、また霊的指導者であるのですが、然し、形骸化して、血のつながりによる階級制度に堕落したということです。

      カーストとは、実は霊的な進化段階の違いを指していただけですが、それが制度として形骸化し、血縁による階級制度に堕落しました。


      その結果、現在では、カースト制度とは、人の身分を固定し、大衆を支配する為のシステムとなりました。


      おそらく天皇制も既に大昔の霊的なリアリティーを反映するものではなくなり、既に形式化しているのです。


      天皇は無理やり国民の幸せを祈るという役目を政治権力によって、やらされているのです。


      国民の幸せを祈るという役目をやりたくないのにやっているとしたらそれは不幸な話です。


      天皇は自分の趣味や興味関心に従って好きな仕事を行なって生きるべきなのです。


      それが人間に与えられている当然の権利ですが、天皇にはその権利がなく、無理やり国民の幸せを祈るという役目をやらされているのです。


      歌舞伎俳優の子供がやりたくないのに歌舞伎の跡継ぎにさせられるのと似ています。


      アトランティス時代の霊的指導者は、大衆の福祉に自発的に関心を持つような霊的に優れた人物が務めていたのです。


      あらゆる伝統というものが、形式化し、形骸化して、その元々あった命(魂)はそこにはないのです。


      相撲協会とか歌舞伎などの伝統芸能もそうかもしれません。


      血縁による世襲制というものは、大体、命(魂)は失われて、外部の形だけ残っているといった例が沢山あります。



      天皇制が男系で続いていくというのはいいのですが、特に精神的に優れたリーダーが誕生するとは限りません。


      もしかすると、誕生して来た子孫は、皇室の祭りごとに携わり、国民の幸せを祈る公務に全く関心がないのかもしれないのです。


      然し、それでも政治権力によって無理やりやらされるケースも出てくるかもしれません。



      血の議論というのは、結局の所、外部の形態だけを扱っている議論であって、中身や本質、魂といった価値について論じてはいません。



      例えば、チベットのダライラマの場合、ダライラマが亡くなると、ダライラマが輪廻転生した子ども探しが始まります。


      次のダライラマが輪廻転生してくるのは、別に血縁者に限りません。


      見つけられた少年が本当に前世でダライラマだったその人なのかは分かりませんが、そのような伝統が続いています。


      チベットの価値観では、輪廻転生が、当然であるため、血縁や血にはこだわらないということです。



      血縁や血の議論というものは、霊的リアリティーにとっては、それ程、本質的に重要なものではないということです。


      むしろ、血縁や血の議論というものは、物質的価値観なのです。



      私は選挙によって自分たちの王を決めるアメリカの大統領制が最も優れたシステムではないかと思います。


      但し、現在のような選挙人の総取り方式ではなく、国民の直接投票による大統領制が良いと考えています。


      直接投票による選挙は衆愚政治になりやすい為、大衆が成熟し判断力の醸成や知的な啓発が必要ですが、輪廻転生した偉大な魂が生育の過程で示した業績や能力によって頭角を表わし、大衆から自発的に選ばれるというプロセスがよいと思います。



      因みに共産主義ですが、共産主義は唯物主義で、魂や輪廻転生などが理解出来ず、霊的価値や霊的洞察にも疎く、視野が狭いため、支持しません。


      特に共産主義者の暴力的傾向や、恐怖政治や粛清など、また義理人情に欠け、イデオロギーなどの理論に凝り固まっている偏狭さなども好みません。



      私が論じていたのは、西洋から発し、近代合理主義を世界に広めた理性の光により、その歴史法則の中で、天皇制が時代にそぐわないものになっていくかどうかといった議論です。



      私自身は、天皇制は、女系でも男系でもかまいません。


      但し、女系が採用されると血の議論、血の重みは失われるかもしれません。


      男系にこだわり過ぎると天皇制自体が自然消滅して失われるかもしれません。


      もし男系を存続させようとするなら、一夫多妻制度を天皇家にだけ認めなければならないかもしれません。


      江戸時代の側室制度に逆戻りです。



      愛子親王と悠仁親王のチャートを検討すれば、今後の皇室典範の行方や女系や男系のどちらが採用されるかといった未来の情勢が分かると思ったのです。


      そのような試みとしての記事でした。


      純粋的に運命学的、科学的な関心からの記事ということです。


      然し、実際の所、それらははっきりとは分からなかったという結論になっています。



      然し、本来、血の議論や血というものは、魂や輪廻転生、霊性といった価値観からすれば本質的なものではありません。



      血液、民族、国家といったものは、霊的な観点からみれば、物質的で自己中心的で利己的なものです。



      それらを過度に強調しすぎる場合、優生学的な発想から民族浄化作戦が起こったり、戦争になったりします。



      ですからそういう発想なので、私は女系もありだと思います。



      というよりも春分点が水瓶座に入室することで新しくやってくる水瓶座の時代の価値観は、性別や国籍、人種、民族、年齢などにこだわらないで、万人と付き合っていくという国際感覚をもたらします。



      ですから血の議論、血へのこだわりは今後は、廃れていくのです。



      それが占星学的な観点を元にした世界の歴史法則です。



      水瓶座の時代への移行の中で、男系を維持していくというのは占星学的な歴史法則に逆らう行為になるため、極めて困難であり、実行が難しいのです。


      困難を究める作業になっていくと思います。


      天皇家にだけ一夫多妻制度を導入すること一つとっても歴史の流れに逆行しているということです。



      然し、女系になることで、日本の伝統の重みというものは失われるかもしれません。



      西洋近代合理主義の価値を日本が受け入れていくというプロセスは、日本の伝統を失わせ、弱体化を招くプロセスでもあるのです。



      ですからバランス感覚で、良い伝統は残して維持していくという態度も重要かと思います。



      天皇を自然に慕う心はいいのですが、狂信的になったりしないようにするべきです。




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