5-1 世界の管理者 Ⅰ

 魔王アルヴィナとの朝食後、僕はたった一人でアルヴィナの部屋に取り残されてしまった。

 と言うのも、どうやらアルヴィナは魔王としての仕事があるのだとかで、さっさと部屋を後にしてしまったのである。


 魔王と言えど王、という事らしい。

 ただただ恐怖の象徴として祀られていたり崇められたり、そういう暮らしをしているのかと思っていたけれど、それはどうやら違ったらしい。

まつりごとをしっかりとこなさなくてはいけない」、と億劫そうにぼやいていた魔王アルヴィナの姿に、なんだか違和感さえ覚えたのは記憶に新しい。


 魔王が政、ね……。

 あらゆるライトノベルやアニメに漫画、小説といったものを網羅してきて、それらの中には確かに魔王がしっかりと国王らしいようなものだってあったけれど、正直に言えば僕には意外だったというのが本音だ。


 しっかりとした国を作っているぐらいならば、ラティクスやフォーニアにあんな攻め込み方をせずとも、他にも何か手段はあったのではないか、と思わずにはいられなかった。


 一度思考を整理しつつ、部屋の窓に歩み寄っていく。


「……なるほど。魔界の魔王城、ってわけだね」


 まず目に入ったのは、いかにもお城といった様相の建物や塔。

 石造りの城はファルム王国の王城で見たものと同じように、地球でも今なお残る西欧の城なんかと似たような代物だ。


 そこから遠くを望めば、空は赤黒い雲に覆われていて、城の外には城下町どころか、建物らしい建物も見えない深い樹海が広がっている。

 完全に枯れ果てた大地という訳ではないようだけれど、これはこれで確かに魔界らしさがあるというか、いかにもって感じだ。


 窓に鉄柵が取り付けられている訳でもないし、当然ながらに窓は普通に開く。

 けれど、ステータスが幼女にも劣る僕には飛び出して脱出できるはずもなく、こんな窓から出ても普通に死ねる。


 ――今頃、エルナさんやみんなはどうしているんだろうか。


 僕の記憶はファルム王国の王都フォーニアにある、ディートフリート劇場の地下で完全に途切れてしまっている。攫われただけなら兎も角、フォーニアに魔族が攻め込んだりとかはしていないんだろうか。


 アルヴィナは何故僕を攫った?

 あの瞳に灯された情は、ただの演技には見えないけれど――ならば何故、自分を殺してくれなんて物騒な言葉が出てくる?

 そもそも魔族は何故、人族と呼ばれるこの世界の人々を目の敵にするかのように戦っているんだろうか。


 何より――さっきも言っていた、「『世界の敵』という宿命を背負わされた」という言葉は一体、誰に、何の為にそんなものを背負わされたというのか。


 浮かぶ疑問に対して幾つか考えは浮かぶけれども、それらはまだ推測の域を脱しない。


「……分からない事だらけだ」


 思わず独り言が出てしまう程度に、僕にも判断は難しい。

 あまりにも情報が不足していて、判断を下せるだけの材料がなさ過ぎる。


 ――――そもそも、だ。


 召喚された当初は気にせずにいられた。

 もしも魔族や魔王なんかと対峙したりさえしていなければ、きっと気になったりもしなかったのかもしれないけれど――こんな状況になると、今更ながらに疑問が浮かぶ。


 そう――「勇者召喚が似合わない僕らのクラスが、何故召喚なんていう事態に陥ったのか」、だ。


 例えば勇者らしい勇者が僕らのクラスにいるのだと言うのなら、まぁ話は分かる。

 けれど、僕らのクラスにそれらしい存在はいない。


 ただの偶然、ただタイミングが合ったから――?

 勇者として戦えとも言われなかった僕らが、ただ偶然が合っただけで、こうにもこの世界に起こっている騒動の中心とも言えるような、魔族と人の戦争の真っ只中に首を突っ込むような事態に陥っているだけ?


 ……百歩譲って、偶然と必然が噛み合っただけだったにしても――些か話が出来過ぎているような気がする。


「……はぁ、だめだ」


 考えれば考える程に、分からない事だらけの情報が浮かんできてしまう。


 アルヴィナを前に極力は冷静に振る舞ってみせたものの、こうして一人になってみるとそれができていなかった事にようやく気付かされる。

 あの様子だったのなら、もう少しぐらい情報を得ようと試みれば、あっさりと答えてくれたかもしれないのに。


 せめて、王都で何があったのか、とか。

 僕をここに連れて来て、どうするつもりだ、とか。


 気が付けば眉間に皺を寄せていて、拳まで握っていたらしい。

 これはあまりにも、僕らしくない。

 袋小路に嵌ってるのが自分でも分かる。


 このまま深みに嵌ってしまわないよう一度深く深呼吸して、気持ちを切り替える。 


 とりあえず僕がするべき事と言えば、エルナさん達やみんなに無事を伝える事。

 それに加えて、アルヴィナが言った言葉の数々や、真意を探る事、だろうか。


 でも、どうも僕が西川さん――西川にしかわ かえで――に頼んで作ってもらった、魔導具化した服やその他一式は、部屋にはなかった。没収された、と考えるのが妥当だろう。

 今の僕はただの黒いズボンと白いシャツしか身に着けていない。


 ――いずれにせよ、ここで大人しく待っているだけじゃ何も好転してくれない。


 椅子から立ち上がって、アルヴィナが出て行った扉に手をかけてドアノブを動かしてみると――あっさりと扉が開いた。


 ……いや、見張りの人とかいれば話を聞こうと思っただけなんだよ。

 中からドアノブをガチャガチャ鳴らして、怒られつつも見張りの人と話そうと思っただけなのに、なんで鍵開いてんのさ……。


 これ、出て行ったら危険な気がするのは気のせいかな。

 もし脱走しようとしてるなんて思われたりして追いかけられたりしたら、まず間違いなく僕じゃ捕まるんだけども。


 一旦扉を閉め、顎に手を当てながらどうしたものかと考えていると、不意にノックもなく扉が開かれた。


「邪魔するぞ」


 入ってきた人物の顔を見て、僕は思わず後方へと後退り、身構えた。


 そこに立っていたのは、かつてラティクスで出会った時と同じように、黒い外套を纏っている人物。

 さすがに城内でまではフードを被っている訳ではないらしく、ウェーブがかった桃色の髪を揺らしている女。


「――アイリス、でしたか」


 そう、目の前に現れたのはアイリス。

 つい先程も話題に出てきた、かつてラティクスで僕と対峙した相手だ。


 もしも襲ってこようものなら、何も用意できていないこの状況じゃ太刀打ちなんてできるはずもない。

 思わず身構えてみたものの、できる事はあまりに限られている。


 警戒する僕。

 しかし一方で、アイリスは何やら苦虫を噛み潰したような表情を浮かべてみせた。

 僕の事を「旦那様」なんて呼び方をしている魔王アルヴィナがいる以上、ちょっとやそっとの事じゃ手を出して来ないだろうと高を括ってはいるけれど、どうやら本当に何かができる訳ではないらしい。


「……チッ、陛下の命令がなけりゃ今この場で殺してやったってのに」

「ハッ、負け惜しみですか?」

「はぁっ!? 誰がいつテメェに負けたってんだ!? 磔にすっぞ、コラ!」


 鼻で笑ってみせつつ小馬鹿にしてみると、案の定あっさりと激昂してみせる。

 やっぱり単純というか、扱いやすい性格をしている。


「チィッ、マジでムカつく野郎だ」

「お互い様でしょうに」

「ハッ、オレはテメーに嫌われるのは歓迎だがな」

「そうですか。美人にそう言われると、ちょっと傷つきますね」

「――んなっ!? び、美人だとか、知ってるしっ!」


 ……まさかのアイゼンさん以来のツンデレ属性なのかとカマをかけてみたら、思った以上にあっさりと反応してくれたよ。

 耳まで真っ赤にしているアイリスのあまりのちょろさに軽く引いていると、赤みがかかった桃色の瞳で睨みつけてきた。


「付いてこい」

「えー」

「……テメェ」

「冗談ですよ。で、どこに行くんです?」

「〈星詠み〉んトコだ」


 ――〈星詠み〉、ね。

 何かを知っていそうなあの女性なら、情報を得られるかもしれない。

 当然ながら否やはなく、僕はアイリスに連れられて魔王城の中を進む事になった。






 ファルム王国の王城と魔王城の大きな違いは、何しろ人の数が対照的という点にあるらしい。

 ファルム王国内なら使用人であったり行き交う人であったりとすれ違うのは当たり前だったのに対して、魔王城内をかれこれ十分程は歩いているけれども、誰かとすれ違う事さえない。


 人の気配がしない王城なんて、ただの廃墟かテーマパークのホラー系のアトラクションにしか思えないけれども、それでも王城内は清潔さを保っているようだ。


「随分と綺麗なんですね」

「あん? あぁ、王城の中はスライム共がゴミや塵を食うからな」

「スライム、ですか……。なかなか強いですよね、あれ」

「はぁ? スライムなんて雑魚代表みてぇなモンだろうが。速い動きで動ける訳じゃねぇし、動けない相手じゃないと捕食もできねぇだろーが」

「え? そうなんですか?」


 クラスメイトの小島さん――小島こじま 美癒みゆ――が連れている不定形粘液生命体とでも言うべきスライムの「ぷりんちゃん」は、なんでも容赦なく食べていたような気がするんだけども。


 それどころか、そもそも凄まじい速さで自分から敵を捕食しに行ってたんだけど……。


「スライムってこう、ちょっと円筒形っぽい感じで、ギョロッとした目があるようなヤツじゃなかったでしたっけ?」

「なんだそりゃ。スライムっつったら、アレだぞ」


 そう言いながらアイリスが指差す方向に目を向ければ、そこにはなんだかアメーバを思わせるような液状っぽい何かがゆっくりと動いている。


「……あれってなんですか?」

「だからスライムだっつの」

「……僕が知ってるスライムとは違うんですけど」


 いやいやいや、どう見ても別物なんですけど……!


 そういえば僕、小島さんがテイムしてるスライム以外でスライムを見るのは初めてだったし、他のみんなからもスライムを見たなんていう情報、聞いた事もなかったような……。


 えっと、小島さん……?

 小島さんがテイムして連れてるのってスライム、だよね……?


「あれって触手伸ばしたり、生きた魔物をそのまま捕食して溶かしたりとかします、よね?」

「そんな事できるわけねーだろ」

「……じゃあ質問変えますけど、できるような魔物っていたりするんですかね?」

「んな魔物、聞いた事ねーな。特殊個体なんて言われる魔物なら話は別だろうが、スライムじゃたかが知れる。頭も悪いからな、そんな知恵もねぇよ」


 ……僕は何も聞かなかった、そういう事にしておこう。

 小島さんが飼ってるのは、スライム……だよ、うん。


 それにしても随分と親切に質問に答えてくれるというか。

 ぶっきらぼうで男勝りの口調だし、そこいらのチンピラみたいな口の悪さをしている割に、アイリスはなんだかんだでしっかりと答えてくれるらしい。


 ……やっぱり、アイゼンさんを凌ぐツンデレなのかもしれない。

 いや、見た目敵に髭が生えてるドワーフのアイゼンさんに比べるとツンデレが似合っているのは確かだけれども、ツンの態度のまま殴られたりしたら死ねる以上、あまりからかい過ぎるのが自殺行為だというのが悔やまれる。


 くっ……!

 ここに来てレベルが上がらない、ステータスが上がらない僕の境遇が悔やまれる。

 思いっきりからかってニヤニヤしたいのに。


 ――なんて事を考えている内に、目的の場所に着いたらしい。


 立ち止まったアイリスにぶつからないように足を止めると、アイリスは僕の方をちらりとも見ようとせず、相変わらずノックをする事もなく扉を開けて部屋の中へと入って行く。

 誰に対してもこれなのかと半ば呆れ気味に置いて行かれないよう後ろをついて行くと、アイリスが気軽な様子で声を発した。


「よう、テオドラ」

「アイリス。思ったよりも早かったのですね」

「あぁ、ちったぁ抵抗してくれりゃ良かったんだけどよ。あっさりと着いてきやがったからな。つまんねぇ」


 どうやらアイリスもテオドラ――〈星詠み〉と呼ばれていたはずの彼女も、僕がもう少し抵抗したりついて行かなかったりといった形になるのではないかと考えていたようだ。

 まぁ確かに素直について行ったのは事実だけれども、だからってつまらないとまで言われる筋合いはないよね。


 テオドラはファルム王国の王都フォーニアで会った時とは違い、頭に被っていたショールとでも言うか、目元だけを露わにしていた頭巾のような代物は外しているらしい。

 瞳と同じ真っ白で長い髪を揺らしながら、テオドラは腑に落ちない気分で話を聞いている僕を見るなり、眩しいものを見るかのように目を細めたかと思えば、ゆっくりと腰を折った。


「――先日の無礼、ご容赦くださいませ、ユウ様」


 王都フォーニアで出会った際のやり取りを指したものだろう。

 テオドラはゆっくりと顔をあげると、目の前にあった椅子へと着席するように促した。


「どうぞ、ユウ様」

「おう、オレも邪魔するぜ」

「あなたは帰って結構ですよ、アイリス」

「おいっ! なんでだよっ!」

「――ここから先、ユウ様に話す内容を聞きたいのなら、アルヴィナ様に許可をいただいてくださいな」


 先程までの柔らかな空気とは一変して、テオドラからは冷たく剣呑な空気が放たれる。同時にアイリスもぴくりと額に青筋を立てて、一触即発の空気が流れ始めた。


 なんていうか、ほら。

 仮にも僕って、二人からしたら敵な訳でさ。


 そんな僕がこの状況って、なんていうか――


《――ますたー、置いてけぼりだね?》

「……いきなり出て来て的確過ぎるツッコミをありがとう、ミミル」


 ――突然僕の胸元から光を放って姿を現した、僕が生み出した精霊であるミミルのあまりにも的確過ぎる指摘に、僕は僅かに引き攣った表情のままツッコミを入れた。

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