「けものフレンズ」1期と2期の物語構造の違いを真面目に考察してみた(2万文字記事)【物語論】
- 2019/04/08
- 19:00
目次
- 1、けものフレンズ1期と2期の物語的な違い
- 2、いかに「説明くさい台詞をなくし自然に分からせるか」が難しい
- 3、昨今の物語は「勧善懲悪」を越えたものを描くために苦心している
- 4、「悪役」「敵」「のけもの」を作らない面白い物語をつくる難しさ
- 5、「世界観」「設定」をきっちり構築する事で説得力を持たせ伏線をきれいに回収する
- 6、「設定」を体感レベルにまで落とし込み、台詞以外で視聴者に共感させる
- 7、「これまでに売れたテンプレ」を全部やって最悪の作品が出来上がる不思議
- 8、何年かに1度、時代を変えるクリエイターがあらわれて基準を上げていく
- 9、資料「けものフレンズ2期の概要」
- 10、余談1「けものフレンズ2は萌え解釈が古いような気がする」
- 11、余談2「やさしい世界」と「厳しい世界」の両立こそが1期の価値である
- 12、余談3:物語における「悪」と「悪役」の描き方の系譜
- 13、終わりに
- 14、商品
この記事は2万文字オーバーの長文で、真面目に「けものフレンズ2は
どこが物語・シナリオ的に問題があったのか」を考えたい人向けです。
けものフレンズ1期と2期の物語的な違い
「けものフレンズ2がいかにひどいか」についてはさんざん語られ尽くして
いるので、「けものフレンズ2がいかに古いタイプの物語でアニメ作りか」
という点と、「物語の善悪の対立の系譜」「悪者(のけもの)を生まない」
「動物とヒト」「伏線回収ブーム」と「けものフレンズ2」というテーマで
書いてみたいと思います。
まず1期と2期の違いですが
1期:どうぶつファーストな世界 2期:まず人間ありきの世界
1期:けものはいてものけものはいない 2期:のけものがいる
1期:誰も喧嘩しない 2期:喧嘩多いギスギス
1期:巧妙な世界観構築と伏線回収 2期:続編があるので伏線ぶん投げ終了
順番に書いてみると、1期はヒトとけものが完全に対等であり、そこに上下も
悪意も何もなく、のけものなしに仲良くなれる世界を構築していました。
これを構築するのが超難しい、という事は後述します。
1期には「ヘイト引き受け役」「悪役」はいませんでした。
これも超難しいです。後述します。
そこが物語づくりとして新しい部分なのですが、2期ではそれが20~30年前
ぐらいの「安易に悪を引き受ける存在を作って解決する」という、
物語づくりのトレンドとしては相当昔まで後退した、懐かしくて
凡庸なものになっていました。後で詳しく書きます。
喧嘩するしないというのも同じ。これは「世代」もあるのかなあと。
ほら、昔のテレビドラマや映画ってすぐ人を殴るじゃないですか。
現代だと馴染まないんですよね。だって誰も暴力ふるわないから。
そういえば00年代ぐらいまでは美少女がわちゃわちゃ喧嘩したりする
アニメがウケてたし、1900年代は殴り合いで分かり合うのが
スタンダードだったような気がします。これは単純に、1期と比べて
作り手が一回り以上年齢が上になったので、自分の世代の価値観として
「喧嘩しなきゃダメだろう。人間的成長が得られない」などと考えて
入れた古いスタンダードのような気がします。
伏線回収についても後述しますが、そういえば00年代ぐらいまでは
「続きは劇場版で(やるので謎は何も明かさない)」という終わり方が
アニメやドラマで流行っていて、視聴者には結構不評でした。
最近最初から激情版や続編が決まっているほど予算や人気がある作品が
減ったので、伏線は回収しきって当たり前になっていたのです。
そういえば10年前のアニメは「続きは劇場版」だった。BLOOD-Cとか。
自分が一番「よくない」と思うのは、「沢山の人が集まって誰もかじ取りせず
必要な議論も十分に重ねずに出しているようにしか見えない」事。
これ、考えに考えて台詞の1つまで議論し尽くした結果でてきたものじゃ
ないよね?という点。
さらには、「誰も売る事を考えていない三方悪し」な点。
そもそも「売ろう」と思ったら最終回はああいう展開にはしないですよね。
売上下がる、視聴者怒る、しかも「どうぶつファースト」じゃなくなってるから
コラボする動物園などにもマイナスだし、かかわる人全員で下がっていく
誰得な内容。
「何でもっと売れるものを作ろうとしなかったんだ」という事だけは
すごくすごく怒られていいと思う。誰かが「これじゃ売れないよ」って
言うべきだったのに。
そこらへんもひと昔前の「甘え」が見えていやなんですよね。
「グッズつきなら売れるから」とか「ゲームキャラのDLコード」とか
「前作が売れてるから無条件である程度売れるはず」とか、
そういう甘えが透けて見える仕上がりだった。
何だか全てが悪いように悪いように転がったとしか思えない。
では物語・シナリオの話に移っていきます。
いかに「説明くさい台詞をなくし自然に分からせるか」が難しい
まずこれを観て欲しい。
たつき監督けものフレンズに見られる吉崎版からの“トゲ抜き”(トゲ抜きの無いけもフレ2との比較)
https://togetter.com/li/1325641
これは「吉崎案」と言われるけものフレンズの原案者が考えたシナリオを
テロップで出したもの。
これはすごい。力量差がありすぎてひどい。
これ、「普通に考えたらこう書いてしまいそうなシナリオ」だと思う。
動物がヒトを見て変な生き物だという、ヒトは動物を見て変だと言う。
この対立事項は2の基本だが、「普通の反応」だからそうしているだけで、
対立する事の着地点を深く考えていないのは2の最終回を見れば明らかだ。
現実にそうだからこうだよね?というだけで、物語として全然ひねってない。
視聴者がこれを見てどう思うかも全然考えてない、ダメなシナリオだと思う。
それをちょこちょこっと削ったり場面を足しただけで魔法のように
「神シナリオ」になっている。
まず、原案は説明くさい。
2期はこの「吉崎案」にかなり近い形で全面的に進む。
そのため全体的に台詞が説明くさく、新たなフレンズが出てきたり
何か起こるたびに誰かがいちいち「説明」するので、会話が不自然で
間延びしてしまう。
「いかに説明臭い台詞をなくすか(自然にするか)」という工夫は
実写でも漫画でもアニメでも延々と続けられ研究されている。
話の途中で急に説明し始める不自然なキャラクターがネタになるように、
説明は物語への没頭をぶった切り、とても不自然に、退屈になりがちだ。
それをいかに面白く見せるか、会話の中で自然に理解させるか。
しかしそれは難しい事なのだ。ドラマを見ていても、アニメも漫画も
そういう意味で「説明パート」「不自然」な部分は出てきてしまう。
たつき監督はこれが神がかり的にうまい。うまいというか天才。
やばい。こんなに「説明」をしないで視聴者に理解させるシナリオが
書ける人なんてほとんどいないだろう。
さらには吉崎案は「トゲがある」と言われる台詞がちょいちょい出てくるが、
トゲがあるというより、普通に考えるとこの台詞になるかも、という
もので、そこもたつき監督の言葉のチョイスや感度が異常なんだと思う。
これ、アニメの脚本家養成所でサンプルにされてしまいそうな違い。
普通に出てきそうな言葉や展開の持っていき方を越えるものを
出せないと「神シナリオ」にならない。
もし小説家やシナリオライター志望の方がいたら、是非1期と2期を
脚本に的を絞って集中して比べてみて欲しい。多分「あー自分だったら
こう書いちゃうかも…」という人は多いはず。
昨今の物語は「勧善懲悪」を越えたものを描くために苦心している
「善悪を越える」というのはとても難しい。「けものフレンズ1」でも
「ケムリクサ」でもあっさり実現しているが、これを越えるために
今までの物語がいかに苦戦し苦心してきたか。
ジャンプで「勧善懲悪」に疑問を呈するような作品は「るろうに剣心」からで
いいのだろうか。これが30年近く前である。ガンダムでも「敵も人間だ」
というテーマがある。これは40年ぐらい前だ。
「魔法少女まどか☆マギカ」や「PSYCHO-PASS」は善悪を越えた「正しさ」や
その選択を問う物語である。「叛逆」では善(全)に対する悪(個)、
という形で終わっている。続きはどうなるのだろう。また、「Fate/Zero」
もそのような物語であるし、「Fate/SN」などもそうだ。
つまり、昨今のトレンドの1つとして、そして世の風潮として、
「世の中には分かりやすい善と悪があるわけではない」のだ。
テロリストにはテロリストの言い分があり、相手から見ればこちらが
「悪」かもしれない、正義に正義をぶつけ合っているから終わらない、
では正しさとは何か?という社会的テーマと物語的なテーマがある。
例えば今放送中の「どろろ」も原作から動機やテーマが置き換えられ、
分かりやすい私利私欲から「個人の生きようとする意志と国全体のために
犠牲を強いる事の対立事項」になっている。これは「叛逆」と同じ
テーマであり、トレンドである。
けものフレンズ1ではそれが最新最先端だったのに、2では「手塚以前」
ぐらいまでに戻っている。
「悪役」「敵」「のけもの」を作らない面白い物語をつくる難しさ
さらには「物語に悪人、悪役、のけものを作る作らない」という問題がある。
勧善懲悪を越えるには、「悪人」はいない。ところが「悪人を作らずに
戦闘や主人公の困難、成長を促す物語を作るのが手法として難しい」
という問題がある。悪役というのは便利なのだ。そいつをやっつければ
問題が解決するし、主人公は正義のヒーローになれるし、みんなが
褒めてくれるし、悪に立ち向かう過程で成長していくから物語として
描きやすい。
この問題にずっと取り組んでいるのが幾原邦彦監督作品だと思う。
自分は少女革命ウテナ、輪るピングドラム、ユリ熊嵐と見てきて、
「ケムリクサ」を見て、「次世代が来た」と正直思った。
越えちゃったよ!と。「のけものを作らない」を解決するのがいかに
大変か、善悪を越える、敵味方を越えるのがいかに大変かというのは
「ユリ熊嵐」を見れば分かるが、「けものフレンズ」ではあっさり
解決している。いや「あっさり」じゃないんだけど。
逆にエヴァ以前、むしろガンダム以前に逆戻りしているのが「けものフレンズ2」
である。シナリオ、物語づくりとしてはめちゃくちゃ逆行している。
そういう目で「けものフレンズ2」を見直すと、「懐かしい」物語である
事がわかる。現在の社会の葛藤やアニメ界隈のトレンドからはずれている。
悪い奴がいて、やっつければ解決して、そいつの事なんか忘れたように
みんなで喜んで…そんな単純な物語、最近見かけないですよね…。
プリキュアとかだってもっと難しいのに。
同じ理由で「喧嘩させる」というのも「ラク」なんですよね。
喧嘩すれば盛り上がるし、視聴者はショック受けるし、仲直りすれば
「ごめんね」で感動するから。「子供向け」にしたかったのかも
しれないけど、変に「こういうのがリアルなんだよ」を盛りこんで
失敗したような印象がある。最近の子供、喧嘩しないですしね…。
「アナと雪の女王」は原作では悪役の「女王」を救う話に変わっている。
そして王子以外は「敵」が出てこない。社会的状況を鑑みて、
物語はつくられる。古い物語が悪いわけではないが、少なくとも
30年以上は後退していると思う。作り手が手法としてラクな方に
「だって現実がそうだから」という思い込みで逃げているのではないか。
例えば「ジョジョの奇妙な冒険」のように「悪とは何か、正義とは何か」
という事を考え抜いた結果、出てきたシナリオとは到底思えないのだ。
「世界観」「設定」をきっちり構築する事で説得力を持たせ伏線をきれいに回収する
伏線回収が重要視され始めたのは、アニメが1クールになったから。
そして「虚淵玄」が大きいのではないかと自分は思っている。
ようは「魔法少女まどか☆マギカ」以前と以後という分け方があると思う。
1クールしかないのに壮大な世界観と多くの伏線をしっかり回収しきって
それぞれのキャラクターのドラマや掘り下げもしっかりやりきったのは
この作品が初だったのかもしれない。それ以後、これが基準になっていった
ような気がする。同じ年にシュタインズゲートもあったが、あれは2クール
なのだ。「輪るピングドラム」も2クール。
1クールというのは視聴者にとっても作り手にとっても「短い」ため、
壮大に話を広げてしまった作品は視聴者に「伏線を回収しきれるのか」と
心配されてしまう。しきれない事もあるのだが、「する気がない」作品は
久々に見た。00年代以降、見ていないと思う。
伏線をきれいに回収するには、当然物語や世界観のきっちりしっかりした
構築が必要になる。最初からここはこういう世界でああでこうで~と
ガチガチに固めておく。こういう「世界観・コンセプト重視の物語」も
昨今の流行りで、「Fate/SN」が代表格だろうか。世界観や設定がガチガチに
固めてあると、メディアミックス展開しやすいという利点もある。
けものフレンズ1期は、この「世界観と設定」がしっかりしていた。
そして「けものとヒトが仲良くできる世界」というかなり不自然な状況を
「そもそもヒトと動物が仲良くするために意図してつくられたパークだから」
というSF設定をしっかりさせる事で、その不自然な状況に説得力を持たせ、
人は人として、動物は動物のままで人間に合わせる事なく、人間も
動物に無理やり合わせる事もなく、お互いに違う生き物のままで
絆が生まれた。
「ユリ熊嵐」で「私をヒトの女の子にして下さい!」というくだりがあるが、
どちらにも寄らなくていいわけである。幾原邦彦監督は「越える難しさ」を
描くが、たつき監督は現実や異物はそのままで、お互い許容しあう世界を
SFとして高度に構築する。ああこうすれば善悪や決定的な「違い」って
越えられてしまうのか。これは物語づくりとしては脅威である。
いまだになんだかんだと「善悪」「二項対立」を越えるのは難しいのだ。
「設定」を体感レベルにまで落とし込み、台詞以外で視聴者に共感させる
たつき監督は「現実を無視したユートピア」を作っているわけではない。
けものはけもののままで人と仲良くするから尊いのである。少なくとも
「けものフレンズ」では。
「ケムリクサ」では姉妹同士はお互いに同じ感覚を持たない。
一人は聴力に優れ、一人は視覚に優れ、といった感じで、それぞれが
特化しているが、自分が特化しているもの以外はとても弱い。
聴力が強ければ視覚などの他4つは弱い。だから誰もお互いの感覚が
分からない。でもお互いの領域をとても大切にしている。
実際、それってすごく「難しい」と思う。自分に視覚しかほぼなかったら、
聴覚しかほぼなかったら、他の人の事を分かるかな?配慮できるかな?
「何で分かってくれないの!」って一人になってしまわないかな?と。
さらには、それを徹底して描くのが難しい。「聴力しかないってどういう
感じだ?」と理解するのが難しいのだが、「ケムリクサ」ではちゃんと
「見えてない」「触覚がない前提での動作や会話」になっている。
↑で書いた「悪者をつくらずに敵対や戦闘要素を盛りこみ、主人公の
成長を促す」というのも「ケムリクサ」では実現している。
誰も悪い人、悪い存在はいなかった。
正直、ほとんどの人は「赤い木」を「偶然地球にやってきてしまった
人類に有害な生命体」とか「悪の科学者が作り出した」とか
「地球の有毒物質の影響で突然変異」などと考えていたのではないか。
自分はそうだった。しかしたつき監督は違った。うなるしかない。
誰もどこにも「悪」なんてなかった。
わかばとの交流、りりの記憶を通して、最初は憎んでいた「敵」である
赤い木、ムシを「大事なものを守るため」「自分の”好き”のため」
「始末をつける」「決着をつける」に何の台詞的な説明もなしに
自然と心情として転換していく「成長」の見せ方も見事だ。
ギスギスしまくって喧嘩してあれこれあって成長せずに終わった
「けものフレンズ2」とは対照的である。じゃあ何のためにギスギス
したんですか…。
2のだめなところは、「こうだからこうなる」がなさすぎるのである。
ギスギスしたり喧嘩するならそれを通して成長するとか、何かが
解決するとか、そういう結果がないか薄いので視聴者のヘイトだけが
たまっていく。起こる事に結果や意味を持たせないので伏線も回収
しないのである。
「これまでに売れたテンプレ」を全部やって最悪の作品が出来上がる不思議
実のところ、けものフレンズ2の制作者たちに悪意はないか自覚がない
のかもしれない。ただ単に古いコンテンツ作っちゃったら時代が過ぎてて
ウケなかった、というだけの話かもしれない。全てが懐かしいのだ。
そういえば昔は美少女が集まってわちゃわちゃしてるだけで売れてたし、
作画がかわいければそこそこ売上出たし、人気作の続編は続編というだけで
売れてたし…つまり、アニメのだめなところの総決算みたいな感じがする。
もうそれが売れなくなって10年以上経ってるのにやっちゃった、
という感じ。
「才能に嫉妬して」と言われているが、実のところ「自分が負けてる」
と思ってないのかもしれない。監督は分からないけど、それ以外の人は
自分が劣っているなんて思っておらず、「これが正しいけものフレンズだ!
1よりいいだろう!」と案外本気で思っているんじゃないだろうか。
ダメだよもめ事がなくちゃあ、リアルじゃないよとか、動物と人が
仲良くするなんて嘘だよね、とか、そういう考えで作ると2ができる
ような気がする。そっちの方がいいって考え。
だけどそれを誰も求めてないし、喧嘩すればリアルだとか、ギスギスすれば
生生しいとか、それって安易な思考停止の「逃げ」でもある。
そういえば「ギスギスしとけばリアル」みたいなトレンドもあった。
やっぱり10年ぐらい前に。でもギスギスや喧嘩の必然性も必要性も
シナリオ上ないのだ。ただテンプレだから入れてるだけ、という
安易さしか感じない。
2では「努力」の要素も取り除かれた。良くも悪くも昨今流行りの
「努力なしで異世界転生したらすっごーい!」な世界になっていた。
1ではヒトであるかばんは動物であるフレンズと比べて力もなく、
体力もない事に負い目を感じて、そのぶん知恵を絞り、相手の話を
聞いて課題に取り組み解決してきた。
そういう意味では、悪い方向に「売れようとして」失敗したのかも
しれない。視聴者は努力が嫌いだからチートものに、とか、
たつき監督の見せ方では子供には分かりづらいよね、とか、
売れるアニメのセオリーやテンプレに近づけて分かりやすくしようと
した結果、出来上がったものが2だったのかもしれない。
そう、2は「昔売れたアニメの要素てんこ盛りなのになぜか最悪」
なのだ。
そういえば「犠牲が出る」「不幸枠」みたいなものも売れる美少女アニメの
テンプレかもしれない。イエイヌやアムールトラはそうだったのかも。
例えば「艦隊これくしょん」のアニメで如月が死んだのも、
今思えば「その方が盛り上がるから」「死ぬ概念はゲーム的には入れないと」
という都合だったような気がするし、美少女が死ぬと盛り上がるというのは
「魔法少女まどか☆マギカ」から大流行した手法ではある。
テンプレ化した過去の売れた要素だけを盛りこんで繋ぎ合わせても、
決して「面白い」「いい作品」にはならないという事、そういう見方や
作り方しかしない人には、たつき監督のアニメは多分「見えない」部分が
沢山あり、その見えない部分こそが将来のテンプレであるという事、
次世代の基準に追いつかなければ需要がなくなってしまうという事。
最近のアニメは確かに「過去の売れた要素てんこ盛りで制作すれば
売れるだろう」という幻想にとらわれてきたかもしれない。
セオリーに従っておけば一定数確保、みたいな。
負けたのだ。その作り方は。
何より、1から何を削ったらいいかばかり考え過ぎて、誰も2を
どうしたいかを主体的に考えなかったのでは?とも思う。
何だかいろんな人が違う意見をあれこれ言って、全部盛りこんだら
ちぐはぐぐちゃぐちゃになってダメになったような感じがするな、
だめな会議みたいな感じだなと。それが2期のシナリオの率直な印象である。
何年かに1度、時代を変えるクリエイターがあらわれて基準を上げていく
「けものフレンズ1期」は面白かったし感動したし円盤もすごく売れたけど、
正直何がどう面白いのか分かりづらい作品ではあった。
多分斬新すぎたんだと思う。とてもそうは見えないのに。
要素で言えば古典なのに、表現その他が斬新すぎたのだ。
そして設定もキャラも同じ「けものフレンズ2」が出てきて、
「ケムリクサ」が同じクールだった事で多くの人が初めて
比較によって「けものフレンズ1期」のどこがどうすごかったのか、
面白かったのかを理解した。評価や理解というのは「比較」によってしか
得られない部分がある。単体ですごくても「なんか面白かった」ぐらいで
終わってしまうのだ。
たつき監督というのは、1つの基準や時代になりうるぐらいすごい。
こんなに世界観を構築できて、徹底できて、台詞の1つ1つ、背景の小さな
描きこみやキャラクターのさりげない動作や仕草まで「伏線」なアニメが
作れるのも異常だし、とにかく台詞の外で物語を自然に動かすのがうまいし、
台詞の1つ1つが生きている。「リアルな人間ってこういう言い方する」
という台詞ばかりで、それでいて自然と状況や設定を視聴者に短い言葉で
分からせるし、どこにも不自然さがない。台詞に「物語の都合や展開で
言わされたり動かされている感」が全くない。
善悪や敵対、本来は捕食する側される側という壁も簡単に消してしまう。
こんな事は並大抵の人間にできる事ではない。実際、悪役も敵対もなしに
誰も憎む事なしに敵対と戦闘要素を盛りこんで下さいとか、ヘイト役を
なくして下さいとか、それでいて主人公やキャラクターの成長は
盛りこんで下さいと言われたら、ほとんどの人はできないと思う。
できてもそれを「面白く」できないと思う。敵とか、憎むとか、やっぱり
盛り上がるのだ。悪役を作ればそいつのせいにすればいいから問題は
安易に解決する。
これは不幸なのかもしれない。同じクールに「ケムリクサ」がなければ
比較されずに済み、単なる売れる要素てんこ盛りのそこまで面白くない
アニメだったかもしれない。ケムリクサがあった事によって、
ほとんどの人に自覚がないが時代と基準が変わってしまったのかもしれない。
「ケムリクサ」は背景の小さな部分まで見ないと本当には楽しめない
アニメである。こんな事ができる人がいるなんて!それに加えて
こだわりにこだわった細部、見事な脚本と世界構築、素晴らしい音楽と音響
…と比べてしまうと、必要以上に評価が下がってしまうのかもしれない。
けものフレンズ2は3年前なら面白いとそこそこ好感を持ってもらえた
かもしれない可能性もある。ちなみにけものフレンズ1期は2年前。
たつき監督がいなければ…!!たつき前・たつき後なんでしょうか。
まどマギ以前・まどマギ以後みたいな。
ただ、たつき監督の作品は安易な部分がどこにもないために、
「美少女が殺伐と殺し合いしたらウケるんだよ」というような部分抽出が
とてもやりづらい。世界観構築とか、伏線の仕込みとか、基本的に
めんどくさい事なので、「安易に売れる要素」と対立する。
で、安易な部分だけ抜き出してつくると「けものフレンズ2」で、
評価はさんざんなのである。
たつき監督に「魔法」や「飛び道具」はほぼない。トリッキーな事や
離れ業はない。ただただ丁寧に緻密に真剣に物語を紡ぎ、構築し、
視聴者に対して考え抜いた「面白さ」を提示しているだけである。
トップのクリエイターやそれにかかわる人は、売るという事、
視聴者を楽しませるという事を真剣に、とても高いレベルで考えている
という事が作品から伝わる。
その上でビジネスも考えなければいけない。
残念ながら、「コラボ先を儲けさせる」という点でも手法としては
「ケムリクサ」の方が上回っている。きちんと「どん兵衛」が売れる
ように考えてある。けものフレンズ2を見て動物園に行きたくなる
だろうか?人間ファーストの世界を見せられて。なぜそこを考えて
物語を展開しなかったのか。
今後はこの水準でやれないといけないって事だと思う。
今できる人がほぼいないとしても、できる人間がいるのだから
対応するしかない。アニメはずっとそうやって進化し続けているから
面白い界隈なのである。「過去のテンプレ真似とけば間違いないだろう」
なんて安易さではもう視聴者に見てもらえない、という時代の転換の
出来事であるようにも見える。
資料「けものフレンズ2期の概要」
漫画家・都築和彦氏の『けものフレンズ2』批評
2019/04/07 13:54 けものフレンズちゃんねる
http://kemono-friendsch.com/archives/81223
2期が批判されるのはまず「どうぶつファースト」ではなくなった事
だと思う。2期で行われているのは「人間関係」であって
「ヒトと動物の関係」じゃない。1期で対等に仲良くしていたのに、
2期で「ヒトのがすごいし偉いから」と真逆の事言い出されても…。
そんなの急にポケモン大事にしなくなるサトシじゃん。
2019年04月03日 09:28 BLOGOS
けものフレンズ2、最終話は予想を光速でぶっちする、ぶっ飛んだ「憎悪アニメ」に
https://blogos.com/article/368283/
・前作主人公かばんちゃんは、かつての旅の仲間サーバルに完膚なきまでに
振られて泣く(サーバルは記憶喪失でかばんちゃんとの思い出がない)。
サーバルはうきうきで、今作主人公キュルルとの甘い生活に走ってゆく。
その際、前作主題歌をバックに流す。
・キュルルはかばんちゃんよりずっと前にサーバルに出会っており、
そこで仲良しだったとわかる。つまりかばんちゃんこそ「いらない子」。
・最終回、キュルルがやったのは、「ビースト化したアムールトラ(フレンズ)を
連れてきて、セルリアン(敵)と戦わせる」こと。
未視聴の方にわかりやすく書けば、ゾンビの群れにバーサーカー状態の友達を
放り込んだような感じ
この冷酷な作戦を立案実行した主人公、そして自分のために傷だらけになって
戦ってくれたイエイヌを邪険に扱った主人公が、どうして「フレンズのみんなが好きだ」
とか叫べるのか。性格ブレブレで、説得力もへったくれもない。悪党なら悪に徹して
ピカレスクロマンにすればいいのに、製作者はあくまでこの主人公を「いい奴」
として演出しようとする。
しかもその後、誰も虎のことを話題にせず、大団円的に大喜びという。
さらに虎が潰れて圧死した屋上ヘリポートで、仲間でライブして盛り上がる
という狂気。ホドロフスキーかw
仮にも商業作品(しかも大ヒット作)で、製作者内部の権力争いを脚本に取り込んで
相手を嘲るとか、正気か
これ、普通の作品ならアリな展開なんですよね。でも「けものフレンズ」は
「けものはいてものけものはいない」を1期で強烈に打ち出したために、
犠牲になった子の上でライブはありえないって事になった。
いや、普通に考えてもやっつけたラスボスの真上でライブはやらないよな…
それに1期の主人公を「いらない子」扱いもまずやらないし、やっぱり
この作品、冷静に考えてもシナリオがおかしいと思う。
2019年04月03日 12時00分 公開 ねとらぼ
「けもフレ2」最終話アンケート“とても良かった”2.6%の衝撃
何があったのか、1話からの振り返りと私見
https://nlab.itmedia.co.jp/nl/articles/1904/02/news129_2.html
最終第12話では、アムールトラの扱いについて疑問の声が上がります。
アムールトラはフレンズではなく「ビースト」と呼ばれる凶暴な状態に
なっており、第1話からフレンズを含め動くものを見境なく攻撃し続けて
いました。しかもセルリアンより圧倒的なほどに強く、パーク中を
さまよい続けるという非常に危険な存在です。
しかし最終話では、大量に現れたセルリアン撃退の最終手段として
キュルルが戦場となっていたホテルに連れ込みます。作戦は的中し
アムールトラはセルリアンを全て撃退するのですが、その後はフレンズに
対して攻撃を開始。しかし、同時にホテルが崩落し始めました。
船に乗って脱出するフレンズたちとキュルル。しかし、アムールトラは
崩落するホテルの方を向いたまま動かなくなり、そのままがれきの下に
埋もれてしまいました。状況的に助けることもできそうだったのですが……。
安否については不明ですが、1期でフレンズの犠牲者は出なかった分
ショックを受けた視聴者も多かったようです。
犠牲というより「手段」にショックを受けたのでは…。
例えば「進撃の巨人」でも「あいつどうでもいい奴だから死なせてもいいか」
とは誰も言わないじゃないですか。
2019年04月04日 18時30分 公開 ねとらぼ
「けもフレ1&2」「ケムリクサ」全て好きな人に今の心境を聞く
吹き荒れる批判に「楽しんでる人までたたくのはさすがに……」
https://nlab.itmedia.co.jp/nl/articles/1904/04/news086_2.html
―― 「けもフレ2」を見終えた感想をお願いします。
匿名:前作とはまた違うラストで良かったと思います。好きなフレンズも増えたし、
楽しかった!不満が全くないわけじゃないですが……。最後の3人の笑顔がまぶしくて
思わずにやけてました。フレンズ同士のけんかが多かったのは本当に意外です……。
フレンズが出ていれば楽しい、という人には楽しいと思う。
自分が艦隊これくしょんのTVアニメをそこそこ楽しめたのと同じで。
1期の展開を全否定すれば1期のお客さんは怒るに決まっている。
何だか「オタクを切らなければ一般化できない」とオタクを切り捨てて
最後に誰もいなくなりつつあるニコニコ動画に近いものを感じる。
余談1「けものフレンズ2は萌え解釈が古いような気がする」
余談だが、もう1つ指摘しておきたい。けものフレンズ2は「萌え」の
解釈が「古い」ような気がするのだ。ああこれ10年ぐらい前の流行りの
「オタクはこういうのやっておけば好きなんだろ?」っていう、
オタクや萌えが嫌いで馬鹿にしつつも売れるから入れておくタイプの
「萌え」だと自分は1話で感じた。
これに関しては「世代」のような気がする。単純に、たつき監督の方が
2のクリエイター軍団より一回り以上若いのだ。それが出たような気がする。
たつき監督は完全に「ネット世代」の監督であり、プロのアニメクリエイター
をしながらニコニコ動画に10年ほど同人アニメを投稿し続けていた。
「萌え」「ニコ厨」文化を理解した世代のクリエイターであり、
萌えが分かっていてナチュラルである。あざとくない。
「萌え」にもトレンドがあるのだと思う。
「あざとすぎる現実に絶対いない嘘っぽい女の子が萌え」というのは
やはり00年代までの流行りではないだろうか。2の萌えはそれで、
1の萌えはあざとくない、今時のナチュラルな性癖的な萌えだと思う。
これももしかしたらだけど、「現実の女性」が関係あるかもしれない。
自分から見て、40代後半ぐらいの女性ってまだまだ社会的に
「女である事」を求められていたからなのか、役割として作った女を
演じている感じが強い。「女はこうでなければならない」が強い。
「アニメや漫画、ドラマ上における女性の描かれ方のここ30年ぐらいの推移」
というテーマで書くとすごく長くなってしまうので割愛するが、やっぱり
漫画やラノベ、アニメにおける女性の描かれ方や立ち位置は変化していて、
それに伴い、また時代の変化によって「萌え」も移っているのではないか。
昔の「萌え」って「男性から見た記号的に抽出される萌え」だった気がするけれど、
今はもう少し内側から出てくるものを「萌え」としてとらえている気がする。
例えばエヴァの「葛城ミサト」さんは「男勝りな性格」とあるが、
自分の世代にこんなに女っぽい人はいない。これで男勝りなのか…
全然「女」じゃん!自分の世代が誰も持ってない女っぽさがありすぎて
女だだ漏れすぎて見てて苦しいぐらい女じゃん!という感想である。
そういう世代差で「萌え」の形や解釈に違いが出てくるのは
自然な事かもしれない。2のサーバルちゃんもかわいいけど、
ちょっと昭和のあざといブリッ子な匂いがする。
1のサーバルちゃんは「素」とか「子供の無邪気さ」とか「猫の奔放さ」
とか「シュッとしてスタイルがいい」が絶妙に合わさったかわいさで、
女子かわいいだけではない。狙ってないし、人間向けに
かわいいと思われようなんてところが一切ないところがかわいいのだ。
個人的な好みでいえば、2のサーバルちゃんは時々人間の都合や事情が
分かってる感があって動物っぽさが弱いので1のサーバルちゃんの方が好きだ。
かわいさや萌えが1と2では真逆に見える。
萌えの世代差って「ケムリクサのりょくちゃんがかわいい」だろうか。
記号的にとらえると「メガネっ娘」とか「セーラー服」という
要素や部分だけ抽出してしまうけど、本質はそこではない。
絶妙なオタクっぽさとか末っ子属性などがかわいいのである。
つまり「萌え」はより複雑化し、表面から見えにくい部分に
移行しているのかもしれない。
余談2「やさしい世界」と「厳しい世界」の両立こそが1期の価値である
「作品の中で厳しい現実をつきつけられないとダメだ」という強い想念は
上の世代のオタクや作り手たちに強く強く植え付けられているようで、
多分上の世代の人は「それを入れておけばリアルさが出て高尚になる」
と考えているような気がする。
ところが、たつき監督は「優しい虚構世界」にリアリティを構築する。
それは「ディテールを徹底する」「人間描写」にある。
他にも「実写映画っぽい映し方や描きこまれた背景」など色々あるのだが、
たつき監督は人間をよく見ている。一見低予算な3DCGだが、
ちょっとした動作やしぐさがぞっとするほどリアルな人間そのもので、
人をよく見ているなあと感じる。足や手にもこだわりを感じる。
という、「動きやモデルの細部を作り込みリアリティを持たせる」事と、
「現実の人間が言いそうな台詞」「自然な会話」という脚本力によって
実現させている。それができれば「現実にある嫌な事を作品に盛りこむ事で
作品にリアリティを持たせる」という手法が必要ない事の証明でもある。
これが言うのは簡単だけど、やるのは難しい。
だって、宮崎駿、手塚治虫などの「超別格級の巨匠」だって「厳しい現実」
を突きつける手法を取っている。残酷さとヒューマニズムのコントラスト、
それが少なくとも1900年代~00年代までは主流だったのだ。
そもそも上の世代には「優しい世界」が理解できない可能性がある。
「優しい世界」とは「選ばれた人にだけ優しい世界」とか「自分たちにだけ
優しい世界」ではないのだ。2は露骨にそれだと思う。そして選ばれず
涙する子がいる事、犠牲になる子がいる事を「それは現実だから」と
選ばれた側から当然のように切り捨ててしまう。そして選ばれた子だけが
喜んで終わるのが2のエンドである。
それに対して「アナ雪」の「ラスボスを救済しようとする」が物語として
新しいのは分かると思う。
「アナと雪の女王」は「雪の女王」の女王を救いに行く話である。
女王は「悪役」である。本来は女王にさらわれた少年を救う話なのだが
改変したのだ。この話やそのヒットはよくジェンダーとしてとらえられるが、
悪役を救い、赦し、最後はみんなで仲良く暮らす話なのである。
マイノリティに居場所をつくろうとする、「のけものはいない」話なのである。
「差別が社会を作っている」「選ばれる側に入る事が現実と向き合う事」
上の世代やその人たちが作ってきたコンテンツはそういうものだ。
そこを描いている。けものフレンズ1はその選別、差別、ヒエラルキーを
消し去ったところに価値があったのではないか。2では良くも悪くも
ヒエラルキーバリバリの社会的価値観に回帰してしまった。それが世代差であり
「古い」と感じる原因なのだと思う。
現実の世界を見れば、「多様性」をつくろうとしている。
そのために「切り捨てられる人がいない世界」をつくろうとしている。
一方では切り捨てがますます進み、格差が広がり、救済される人を
選別する世界にもなっているが、とにかく時代がそう動いている。
物語の作り方でいうと、今までは悪役が出てしまう事や、誰かが
のけものになったり選ばれない事を「それが現実だから」で
整合性が取れてしまっていた。それについて深く考えなくても
「だって現実は過酷だし、選ばれなければ死ぬでしょ」で済んだ。
そうじゃない世界を構築した事が「けものフレンズ」が求められた価値であり、
時代に合っていたのではないだろうか。
究極の選民系物語としては「進撃の巨人」があるが、「けものフレンズ」で
やっていい話ではない。ところが「けものフレンズ2」は物語としては
「進撃の巨人」側の話になってしまっているのだ。いいわけがない。
「他の作品でやれよ」「違うもん1がおかしいんだもん本当のけもフレは
進撃の巨人だから」というのが2である。とはいえ、毎回人が死ぬような
話ではないが。
そして「けものフレンズ1」が優れているのは、世界観としては
進撃の巨人とさして変わらないか悪いぐらいなのに、「やさしい世界」を
構築していて誰も悪くないという奇跡なのである。
それに比べて、いかに2が安易なところにシナリオを着地させているか、
というのは、2を冠する以上、批判されても仕方ないのではないか。
余談3:物語における「悪」と「悪役」の描き方の系譜
ジャンプで勧善懲悪が否定され始めたのは「るろうに剣心」から
だろうか。もう相当前である。「ただ敵をやっつければよい」
「敵をやっつければ正義」というものに対する疑問と否定。
そういう推移や系譜からすると、けものフレンズ2の物語やキャラクターの
構築は「古い」「昨今のトレンドに対して練った感じがない」と
自分は感じてしまった。
例えば「どろろ」が原作の「自らの野心のために我が子を鬼に差し出す」
から「国の繁栄と安定のために我が子を鬼に差し出す」に変更されたのが
時代を反映していると思う。昨今、そういう単純な悪役は描かれない。
例えば「ジョジョの奇妙な冒険」でもそういう推移がある。
1~3部は人類支配をもくろむ悪がいるが、4部は「静かに生活したい
異常性癖の持ち主」がラスボスで、5部は「自らの保身と安定」だけを
望んでいる存在がラスボス、7部では「世界平和のため」という
ラスボス。すごく時代に合わせて動機や悪役の描かれ方がシフトしている。
さらには「誰もが最善を尽くして結果全てが最悪に向かい全員が
不幸になる虚淵脚本」もある。悪者がいるわけではない、
スタンスの違いであると、悪役さえも生き生きと描ききり、
悪役にも悪役の理念があるというのは、単純な勧善懲悪からは
離れたものだった。
アムールトラをつくるにしても、「悪役を作らなければいけない意義」
とか「それを殺す意味や意義」を深く考え抜いたうえでそうしたのか
少し疑問に思う。単に「悪役ってのはいるもんだろ!」「暴れちゃう
ビースト化した子だって設定上いていい」という安直さを感じる。
主人公が無邪気に誰かを傷つける事にしても、犠牲を生む決断をする
事にしても「子供だから」で済ませているような安易さを感じる。
そもそも「子供にも見てもらうアニメ」を目指しているのにも
かかわらず、子供であるキュルルにアムールトラを犠牲にする
決断をさせるという事の意味や意義、意図をよく深く考えたのか?
その上でそれを子供に見せる必要があるからそうしたのか?
一体それを見た子供にどういうメッセージを送りたいのか?
そこ、あんまり考えてないんじゃないの?というように見えて
しまうのだ。
実は思想や社会学として戦後ずっと世界中で向き合ってきたのは、
「凡庸さと思考停止」である。命令なら何でもできちゃう、
深く考えずに残酷な事をして、「私は悪くありません」って言えちゃう、
という問題に対して考え、立ち向かってきたのだ。文学を見ても、
超分かりやすい悪、ただ悪い事をしたいだけの人なんて珍しい。
作り手は視聴者よりも深く多く考えているのが当たり前だと思うし、
1期にいなかった悪や「のけもの」をあえて出すというなら、
相応に納得できる理由や根拠、展開を用意できなければだめだった
のではないだろうか。
終わりに
2は「いじらめられる子がいるのはしょうがないよね現実だよね」
というタイプのメッセージを発していると思う。
これが「世代」なのである。
古い価値観では、いじめられる人がいるのはしょうがない、だから切り捨てる、
自分がいじめられない側に入ろう、犠牲が出るのはしょうがないよね、
となる。これが2の世界である。
現代の価値観は「けものはいてものけものはいない」をどうやったら
実現できるか、と苦心するフェーズである。
「誰かを犠牲にする非情な決断ができる事が大人になる事だ」
それはそうなのだろう。でもそれは苦しむ事や責任の放棄ではないだろうか?
自分の考えでは、上の世代の作り手は「現実に投げる」「悪人を絶対に作る」
「二項対立」を越える物語づくりができなければ、時代の波から外れる
と思う。
人の想像力が問われている。物語は全体としてとても難しいテーマに
向かっていて、人類の未知領域に踏み込んでいる。
2期はそういう事を一切考えず、真剣に考えた末に構築した「やさしい世界」を
安易なテンプレで否定してしまった。
考えたのなら作品で提示されているはずだ。それが一切ないというのは
そういう事だろう。
多分2期を作った人たちは、自分たちが何を壊したか、何ができて
いなかったのか、全然理解できないんだと思う。
自分は2期はたつき監督でなくてもよかった。例えばプリキュアのチームが
作ったら、もっと真剣に「社会の現状を踏まえたうえで子供に見せる
アニメ」というものを提示してきて、大人も納得するものになったはず。
自分はそれでもよかった。説得力を持たせられるのなら、喧嘩しても
ギスギスしても犠牲が出ても自分は良かったし、脚本が虚淵玄でも
小林靖子でもよかった。
単に、視聴者の真剣さに製作者が負けた、という事だと思う。
炎上怖いキモいと言われるけど、そのぐらい真剣に見ている人が
多かったという事でもある(便乗も多いにしても)。適当につくった
プリキュアなんて出たらこの比じゃないほど大炎上すると思う。
ものづくりは信頼でできている。視聴者の期待と信頼に応えなかった。
多分応える気もないと思えるようなデキだと多くの人が感じた。
それが全てだと思う。
商品
この世界のどこかにつくられた超巨大総合動物園「ジャパリパーク」。
そこでは神秘の物質「サンドスター」の力で、動物たちが次々とヒトの姿をした
「アニマルガール」へと変身--! 訪れた人々と賑やかに楽しむようになりました。
しかし、時は流れ……。 ある日、パークに困った様子の迷子の姿が。
帰路を目指すための旅路が始まるかと思いきや、アニマルガールたちも加わって、
大冒険になっちゃった!?
この世界のどこかにつくられた超巨大総合動物園「ジャパリパーク」。
そこでは動物たちがヒトの姿に変化する不思議な現象が……。
いつしか“フレンズ”と呼ばれるようになったけものたちは、パークで平和に
暮らしていました。ある日、フレンズのサーバルとカラカルは、森の中で
ヒトの子供と出会います。お腹を空かしたヒトの子供はなにやら困っているようで、
サーバルたちは一緒に旅をすることになりました。旅の途中で出会う
個性あふれるフレンズたちに、パークの秘密や美味しいもの!
そして、大地を揺るがすような大ピンチ!?
新たなるジャパリパークの物語が、今はじまる!!
赤い霧に包まれた、荒廃した建造物に囲まれた人気の無い世界を舞台に3人の姉妹が
生き抜く物語。物語の中心的人物でまとめ髪の特徴的なりん、猫耳でいつもおっとり
しているお姉さんキャラのりつ、メイド調の服に身を包み天真爛漫なムードメーカーりな。
謎多き世界でこの姉妹が目指すものは一体…
特に何も言わないので、もしクリエイター志望、特にライター志望なら
上の3つを見て、どこがよくてどこがダメなのか真剣に考察してほしい。
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1冊で一気に学べる「アニメ製作の教科書」
アニメのプロデューサーには「製作」と「制作」、2つの役割があります。
「製作」はアニメを「商品」として見る立場、「制作」はアニメを「作品」として
見る立場です。日本のアニメはクリエイティブのレベルが高く、世界中でニーズが
あります。でも、ビジネス面では発展途上です。この構造を変えられるのは、
「製作」と「制作」両方のスキルと変革の意志を持った、新時代のアニメーション
プロデューサーだけです。本書は「この先」を作るために、アニメーション
プロデューサーに必要な「今現在の常識」を一気に学べる本をめざしました。
アニメビジネスの未来のために、この本をぜひ使ってください。
*以下、本書目次から抜粋
はじめに
第1章 自己紹介 音楽のプロモーターだった私が『けものフレンズ』に至るまで
第2章 問題設定 アニメ制作会社はなぜ自転車操業を強いられ、
アニメーターは極貧から脱出できないのか?
第3章 アニメ製作の流れ
第4章 知っておきたい関連業界のビジネスモデル
第5章 知っておきたい著作権と契約の骨格
第6章 アニメーションプロデューサーになるには? プロデューサーに必要なもの
おわりに
これから読む。
集英社 (2015-04-17)
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全く人気が衰えることなく長期連載が続く『ジョジョの奇妙な冒険』の作者、荒木飛呂彦。
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ヘミングウェイに学んだストーリー作りなど、具体的な方法論からその漫画術を明らかに!
本書は、現役の漫画家である著者が自ら手の内を明かす、最初で最後の本である。
【目次】
はじめに
第一章 導入の描き方
第二章 押さえておきたい漫画の「基本四大構造」
第三章 キャラクターの作り方
第四章 ストーリーの作り方
第五章 絵がすべてを表現する
第六章 漫画の「世界観」とは何か
第七章 全ての要素は「テーマ」につながる
実践編その1 漫画が出来るまで
実践編その2 短編の描き方
おわりに
漫画の4大要素とは「キャラクター」「ストーリー」「世界観」「テーマ」、
荒木先生によれば、この4要素が全て優れる作品は非常に少なく、
どれか突出した要素で押しきる事がほとんどだとか。例えばストーリーの
整合性はいまいちだけどキャラがすごく魅力的とか、絵でもっていけるとか。
また、「世界観とキャラクターの動機や行動の一致」というのも難しい
のですが、「ケムリクサ」はとても高度にできている。
これについてはまた別記事で。
「ケムリクサ」11話はすごかった。たつき監督はやはり天才だった【物語論】
2019/03/21
http://shiratamazenzaitsubu.blog14.fc2.com/blog-entry-5840.html
【アニメ】ケムリクサ 今からでも楽しめる3話時点でのガイド【2019年1月~】
2019/01/26
http://shiratamazenzaitsubu.blog14.fc2.com/blog-entry-5816.html
【アニメ】「けものフレンズ」1~12話観ました(感想・紹介)
2017/06/04
http://shiratamazenzaitsubu.blog14.fc2.com/blog-entry-5171.html
アニメけものフレンズ2期1話時点で感じた1期と違う点
2019/01/17
http://shiratamazenzaitsubu.blog14.fc2.com/blog-entry-5814.html
物語上の「救われない一人」について~ウテナ、ピンドラ、ユリ熊~
2016/11/23
http://shiratamazenzaitsubu.blog14.fc2.com/blog-entry-5033.html
劇場版魔法少女まどか☆マギカ[新編]叛逆の物語 ほむらの「愛」「呪い」「堕天」
2017/04/18
http://shiratamazenzaitsubu.blog14.fc2.com/blog-entry-5118.html
今さらだが「魔法少女まどか☆マギカ」が面白い件 2011/3/5
http://shiratamazenzaitsubu.blog14.fc2.com/blog-entry-3312.html
作者優位、システム優位、そして快適なオタクディストピア
(けものフレンズ騒動で思った事) 2017/09/26
http://shiratamazenzaitsubu.blog14.fc2.com/blog-entry-5306.html
「工学的なものづくり」幻想は一人の天才によって壊された
~KADOKAWA・DOWANGO合併、けもフレ騒動、今後の創作について~
2019/03/23
http://shiratamazenzaitsubu.blog14.fc2.com/blog-entry-5841.html
アニメ感想記事一覧リンク
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物語論記事一覧 2017/07/31
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輪るピングドラム関連記事一覧 2017/03/21
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ユーリ!!! on ICE関連記事一覧 2017/04/30
http://shiratamazenzaitsubu.blog14.fc2.com/blog-entry-5001.html