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琵琶湖ヨット転覆事故 |
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胸騒ぎ…現実に | ||
琵琶湖、ヨット、行方不明…。テレビのニュース速報に、福岡県津屋崎町の自宅で、谷口真佐子さん(55)は胸騒ぎを覚えた。別の部屋でラジオを聞いていて報を知った夫の武彦さん(60)も、テレビの前に飛んできた。 長女で会社員の恵子さん(26)は京都市左京区に住んでいる。前日の9月14日に電話があった。「明日バーベキューパーティーに琵琶湖に行くの」。心配する母親に娘は続けた。「大丈夫、ヨットには乗らないから」。確かにそう聞いたが…。
恵子さんの携帯電話はすぐに留守番サービスにつながってしまう。思い切って堅田署に電話した。そして。真佐子さんは受話器を握ったまま、泣き崩れた。 12人が遭難した琵琶湖のヨット転覆事故でただひとり行方がわからない谷口恵子さんは、1976年に西宮市で生まれた。高校まで地元の学校に通い、京都府立大農学部に進学。途中で人間環境学部に編入した。能学や古美術研究といった会にいくつも参加し、多くの友人に囲まれた。 時だけが流れ 2001年春に卒業。就職に恵まれず、絵付けや旅館の仲居などをして働いた。今年の春、ヨットの所有者でもあった京都市上京区の河嶋義忠さん(47)=死亡=のソフトウエア会社に就職する。大学で学んだ立体画像処理技術が役立った。「今、すごく楽しいよ」。そう話していた矢先だった。 両親は翌朝一番の新幹線に乗った。滋賀県志賀町の志賀ヨットクラブは、すでに行方不明者の家族や会社関係者でいっぱいだった。黙って窓際に座る家族、何とか雰囲気を和らげようとする親戚。時間だけが流れる。 事故から4日目の18日。行方不明の人が相次いで見つかった。「準備しておいてください」と県警の担当者。しかし、娘ではなかった。 20日の昼過ぎ。県警が沈没したヨットの引き揚げを遺族に説明した。武彦さんは「ヨットの周囲30メートルをダイバーで探してからにしてほしい」と要望する。しかし、引き揚げ作業はすぐに始まった。「話が違う」。警察に詰め寄っても、返事は返ってこなかった。 助かった人から、恵子さんはヨットに同乗した母子と3人で1つの救命胴衣につかまり、1時間以上漂流していた、と聞いた。「2人を助けるために、自ら救命胴衣を手放した。あの子はそういう子でしたから」と武彦さんは信じる。 恵子さんを除く行方不明者6人全員の遺体は、23日までに親族のもとへ帰った。娘ひとりが取り残されているのに「警察やボランティアの方はとても心強く、ありがたいとしか言いようがない」と頭を下げる。 悲しみこみあげ 事故から半月たって、ようやく両親は取材にこたえてくれた。「夢を見ているよう」と感じながらも、時折、体の底からこみあげてくる悲しみに、どうしようもない現実を思い知る。「もう1度、恵子と一緒に話をしたり笑ったりしたい。恵子は私たちの最後の宝でしたから」 秋風の吹き始めた琵琶湖で、捜索は今も続く。湖のどこかに眠る娘に、父母の思いはきっと届いている。(おわり) | ||
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