琵琶湖ヨット転覆事故
<1>
レジャー、一転…水にのまれた7人

 阪神タイガースのリーグ優勝が間もなく決まろうとしていた9月15日の夕刻、滋賀県志賀町の会社員高島正信さん(60)は、孫にせがまれて琵琶湖岸に散歩に出た。

 「この人、何とかしたって!」。浜にいる人が叫んでいた。傍らで、救命胴衣姿の男性がぐったりしている。「ヨットが転覆しました。子どももいます」。自力で岸に泳ぎ着いた草津市の自営業山田善嗣さん(42)は、ずぶ濡れの身をかまう気配も見せず、日没間近の沖合を指さした。

 12人が出航前に楽しんだバーベキューの跡(9月15日、滋賀県志賀町・志賀ヨットクラブ)

 高島さんは転覆したヨット「ファルコン」の出港した志賀ヨットクラブに連絡。午後6時ごろ、第一報が関係機関に伝わった。事故発生から既に1時間が過ぎていた。

 同じころ。沖合で、東大阪市の小学1年日●夏輝君(6つ)、みゆきさん(39)母子と会社員谷口恵子さん(26)が一つの救命胴衣にしがみつき、命をつないでいた。

 <途切れた返事>
 高波が3人に襲いかかる。「しっかり!」。励まし合う口に水が入る。半時間ほどたった。谷口さんの返事が聞こえない。その事実の怖さに、みゆきさんは谷口さんの方に目を向けることが出来なかった。午後9時すぎに警備艇が漂流中の母子を見つけた。谷口さんの行方はいまだにわかっていない。

 浜では、警察や消防が交錯する情報の確認に追われた。船に乗らなかった女性2人も取り乱している。事情を聴く消防隊員。ただ名前を書くのが精いっぱいだった。

 この日のうちに5人が救助された。岸に泳ぎ着いた小学4年日●和輝君(9つ)は、しぼんだままの救命胴衣を着けていた。沖合で救助された父親の会社員正治さん(42)は後日、岸で長男を助けた男性に「息子は救命胴衣の膨らまし方を知らず、もう助からないとあきらめていた」と打ち明けた。

 <夜徹して捜索>
 懸命の捜索が続いた。ヨット所有者の京都市上京区、自営業河嶋義忠さん(47)ら7人が見つからない。捜索船から呼びかける「おーい」という声が、夜を徹して岸まで届く。

 8日後の23日までに、6人が遺体で収容された。ダイバーの北川茂蔵さん(39)=長浜市=は水中カメラのケーブルをたどり、光の届かない湖底に降りた。「眠っているように目をつぶり、胸に手を合わせていた」

 事故の当日、河嶋さんの仕事仲間とその家族計14人は連休最後の日をヨットクラブで過ごした。ファルコンで2回、近場を周遊。午後4時半ごろ、沖島を目指し、3回目の航行に出た。

 「日暮れなのに帰ってこない。河嶋さんの携帯に電話したがつながらなかった。日がたつごとに精神的にこたえる…」。ヨットクラブのオーナー阪村安次さん(66)は無念さを噛みしめる。

 ヨットクラブの一画に、バーベキューの跡が残っていた。帰港後に片付ける予定だったのだろうか、ビールの空き缶などが散乱していた。12人は再び顔を揃えることなく、冷たく、暗い湖に飲み込まれた。

◇ ◇ ◇ 

 「簡単には沈まない」といわれるヨットが、一瞬にして湖中に消えた。滋賀県志賀町の琵琶湖で起きた戦後最悪のヨット転覆事故。三連休最後の日を満喫するレジャー客12人のうち、6人が死亡、1人はいまも行方がわからない。事故当時の状況が次第に明らかになるなか、ヨットの「安全神話」への過信も浮かび上がる。事故の背景を検証した。

 (注)●は上が「立」、下が「サ」

1  2  3  4  5