4-22 Ⅳ Epilogue
「――お疲れ様でしたッ!」
私――橘 朱里――にとっての、一つの区切り。
このファルム王国という、私達が召喚されたこの国で一番有名かつ綺麗で、大舞台と呼ぶのが相応しい場所での公演は、来てくれた観客の皆さんの熱狂のおかげで成功を収めた。
万感の思いを胸に頭を下げれば、みんな温かく私に拍手で応えてくれた。
――――この世界に来て、みんなは色々な方向で活躍してきた。
それに美癒ちゃんも瑞羽ちゃんも活躍……えっと、うん。あの二人はなんとなーくちょっと私が苦手な部類の方にいっちゃってるような気がしなくもないけど……。
真治くんも昌平くんもそうだし。
でも、一番はやっぱり悠くん、かな。
だって、凄い事しちゃうんだもん、あまり率先して動く気ないとか言いながら、色々やっちゃうんだから。
そんなみんなの活躍を見てきたからこそ、私は私の弱さを、なんとか払拭したかったんだ。
――これでやっと、私はみんなに胸を張って自分も頑張っているんだって、言える気がする。
って言っても、これはあくまでも私だけの一つの区切り。
私だけが知ってる、私だけの一つの目標。
これだけうまくいったんだから、私だって胸を張ってもいい、よね?
多分私がこうして胸の内に秘めている想いまでは、きっと知らない。
ううん、知らなくていい。
だって、私は私のために、みんなと一緒に正面から笑いあっていたいからこそ、今回の公演に精一杯臨んだんだもの。
控室に向かってゆっくりと歩いているつもりだったのに、気が付けば私は早足で歩いていた。
きっとみんな優しいから、成功を一緒に喜んでくれる。
控室で待っててくれるって言ってたし。
早くみんなが喜んでくれる姿が見たくて、やっと私も一人前になれたんだよって宣言したくて、気が付けば疲れも忘れて私は駆け出していた。
扉の前で、深呼吸する。
なんだか思ったより静かだけど、サプライズ的な何かがあったりするのかな?
普通に喜んでくれるだけで、私は大満足だけどねっ。
ともあれ、扉を勢い良く開いた。
「お疲れ様ー! 終わったよ、大成功だったよっ、わた……し…………?」
そう考えて控室に戻った私を出迎えたのは――みんなの意気消沈した顔で、私が想像していたそれとはあまりにかけ離れたものだった。
「……お疲れ様、朱里」
「う、うん……。どう、したの……?」
「悠くんが、攫われたわ」
「――え……?」
ゆうなんが何を言っているのか分からなくて、私はその言葉を訊き返していた。
「……わ、私が、もうちょっと、早く動ければ……」
「いえ、あれは私のミスです」
リティさんの目は真っ赤で、さっきからずっと泣き続けていただろう事が窺えて……。エルナさんは厳しい表情を浮かべて辛そうな表情を浮かべたまま部屋の隅で立っていた。
「私があの時、魔王アルヴィナを前に動ければ……――いえ。例え動けたとしても、私ではあの魔王を相手に戦う事すらできなかったでしょう……」
――魔王、アルヴィナ……?
そういえば、悠くんからそんな名前を聞いた気がする。
「じゃ、じゃあ、悠くんを攫ったのは……」
「……はい。あの女は自らを魔王アルヴィナと名乗り、ユウ様を連れ去ったのです」
◆ ◆ ◆
「――エルナさん!」
「リティ? どうしたのです?」
ディートフリート劇場にユウ様が向かう姿を見かけて、慌てて追いかけた私。シンジ様はともかく、ユウナ様は私達程の運動能力がない事を失念してしまいましたが、何やら嫌な胸騒ぎがしていましたので、ここは大目に見てもらいます。
ともあれ、慌てて声をかけてきたリティに何かあったのかと訊ねれば、返ってきた返答はユウ様を一人にさせ、地下へと向かわせてしまっていると言うではありませんか。
「……何をやっているのです、リティ。認識が甘いと言わざるを得ませんね。ユウ様は火中の栗を拾うどころか、火薬を投げ込んでそれを拡大させた上で拾わざるを得なくなってしまうような御方です。例え町中であるとは言え、ユウ様の推測が正しければ、まず間違いなく魔族が絡んでいるのは自明の理。そんな状況であの御方を一人にさせるなど、愚の骨頂ではありませんか」
「ひぃっ、ご、ごごご、ごめんなさいっ!」
「……なんとなく悠がエルナさんにどう思われてるのか、分かるな」
「えぇ、そうね……」
シンジ様とユウナ様の御二人が何やらボソボソと話しているようでしたが、私もそれを気にしている場合ではなく、ここに至る理由をリティから聞き出していました。
リティにも言った通り、ユウ様は危険だと分かっていながらも何かをせずにはいられない。
まして、ここがアカリ様の晴れの舞台である以上、ユウ様は自らの危険など顧みずに前へと歩まれてしまうでしょう。
まったく、仕方のない御方です。
……本当に、放っておけません。
「えっと、エルナさん……? なんだか顔が赤いような……」
「なっ、なんでもありませんっ! とにかく、私は先に地下へと向かいます! リティはシンジ様とユウナ様と共に行動しつつ、他の勇者様がたに助力を願いに行きなさい」
「は、はいっ!」
リティに短く告げて、私は地下倉庫に向かって駆け出しました。
このディートフリート劇場、地下には巨大な倉庫が設けられていたはず。
恐らくユウ様はそこに何かがあると踏んで動いていらしたようですし、きっと地下倉庫に向かっている事でしょう。
幸い、私はこの劇場に何度かアシュリーお義姉様と足を運んだ事があります。
幼い頃の話ではありますし、まだ私が侯爵家の令嬢として生きていた頃以来ではありましたが、不思議と記憶はしっかりと残っていました。
やがて地下倉庫へと向かって進んでいると、前方に倒れている男の姿を発見し、私は駆け寄りました。
この男は確か、魔導技師のモーリッツと呼ばれていたはず。
ですがそれにしても、ずいぶんと血色の悪い肌と顔色をしていて、今にも息が絶えてしまいそうな程に弱々しいものでした。
そこで、私はとある物が落ちている事に気が付いたのです。
それは、ユウ様が魔石を細工し、魔術と称して使う際に使用していた
私がユウ様の作った道具を見間違えるはずもありません。
まさか、ユウ様を足止めしようとしたのはこの男なのでしょうか。
だとしたら――私にとってもこの男は敵。
この場で処分するのも吝かではありませんが、今はまずはユウ様を発見する事が大事です。
その先へと視界を向け、そこで再び私は気が付きました。
「――ッ、これは、血……?」
地面に付着している、赤黒い液体。
それは確かに黒い靄のようなものを噴き上げているように見えますが、しかしどうやら血である事は間違いありません。
それに――私はこの黒い靄を、つい最近にも一度見ています。
そう、パウロを救うべく騎士団の地下牢へと入った際、確かに私はユウ様の身体から、コレが噴き出ていた瞬間を見ていたのです。
あの時は、一体何が起こっているのかと自分の目を疑いました。
問い詰めようにも、あの場で私が騒ぎ立ててしまえばパウロに接触する事もできなくなる可能性があるため、口を噤みましたが。
……ですが確かに、ユウ様の身体から噴き出ていた代物から感じた言い知れぬ恐怖を、立ち昇る靄からも感じ取りました。
だとすれば、これは明らかにユウ様の血であるという証左なのでしょう。
私は奥へと急ぎ、駆け出しました。
「――ユウ様ッ!」
倉庫の最奥部。
そこで私は、前方に倒れたユウ様と、そのユウ様の頭を膝に載せて細い指先でユウ様の髪を掻き分ける、同じ女性である私から見ても美しいとすら思える女性の姿を発見しました。
――途端、本能が叫びました。
――「決してアレとは敵対するな」と。
ユウ様の脇腹の辺りに片手を当てて、もう片方の指は愛おしげにユウ様の額にかかった前髪をかき分けていて、優しげな表情を浮かべる女。
その姿に、ユウ様に触れる姿に胸を締め付けられるようなものを感じながらも、私の喉からは何も、声の一つすらも漏れ出る事すらありませんでした。
心が、完全に呑み込まれてしまったのだと。
漠然とそんな実感を抱き始めた頃、ようやく女が私に気が付いたかのように顔をあげたのです。
「――あら、脆弱な〈
何を言っているのかと問わずとも、私は女が言わんとしている事を理解しました。
あの女は、自らが身の内から放つこの強烈な力の奔流に気が付いていて、それを前にしながらも膝を折ったり意識を飛ばしたりもしていない私に、素直に感心しているのだ、と。
「旦那様の名を知っているみたいだし、その気迫……。そう、旦那様の事が心配で駆けつけたみたいね? ――でも、少し遅かったわね」
「……な…………にを……」
「――へぇ? 私を前にして喋る事さえできるなんて、それは素直に賞賛に値するわ。でも、旦那様にお前は相応しくないわ」
刹那、女の身体から放たれていた威圧感が、先程までの僅かな余波とは一変して、意識的に私に向けられました。
――ただそれだけで、私は動けなかったのです。
息が止まり、身動ぎ一つすらできず。
それでも私の意識が繋ぎ止められたのは、ひとえにユウ様があの場にいたから、なのでしょう。
そんな私を見るなり、女は愉しげにニタリと口角をあげました。
「……見どころはありそうね。あ、そうそう。自己紹介がまだだったわね、小娘。敬意を表して、名乗っておいてあげる。私はアルヴィナ――あなた達が魔王と呼ぶ存在よ」
女は――アルヴィナは、宣言通りに私に敬意を払ったつもりなのでしょう。
威圧を弱め、なんとか口を動かせる程度に自由を取り戻した私は、ようやく呼吸ができる事に気が付いて、静かに深呼吸してから口を開きました。
「……ファルム王国のエルナです。ユウ様を返してもらえますか?」
「それはできない相談ね。旦那様には私と一緒に魔界に来てもらわなくては困るもの」
「旦那様……?」
「そうよ。――ね、テオドラ?」
「――その通りです」
――いつからその女が私の背後にいたのか、私には分かりませんでした。
背後からゆっくりと姿を見せて近づいてくる女性。
なるほど、確かにシンジ様から聞いた通りに独特な衣装に身を包んでいるようです。
「……〈星詠み〉、ですね」
「御賢察ですね、オルム侯爵令嬢エルナ様。初めまして、〈星詠み〉の一族のテオドラと申します」
「その民族衣装は、確か東南の大陸で使われていたものであったと記憶していますが」
「おや、ご存知でしたか。その通り、我々〈星詠み〉は元はそこにいた者達であり――元々は〈
「――な……ッ!」
「テオ、話しすぎよ」
――元は〈
その言葉に思わず驚愕に目を見開く私を他所に、アルヴィナが話を遮るように再び口を開きました。
「――あなたが知る必要のない事よ、小娘」
「……私達が知らない事を、あなた達は知っているのですね……」
「えぇ、そうよ。無知なヒューマンには分からないでしょうね、この戦争が持つ本当の意味も、それがどうして必要なのかも」
「戦争が持つ、本当の意味……? 一体どういう意味です……! あなた達が私達を、人族を攻め滅ぼそうとする意味が、本当に存在しているとでも言うつもりですか!?」
「――フザけないで」
私の言葉に、魔王アルヴィナは明らかに怒りを孕んだ声をあげてきました。
「人族を滅ぼす、ですって……? 馬鹿馬鹿しい」
「え――?」
「私達を攻め滅ぼそうと最初に手を出してきたのは、あなた達だわ。管理者の指示に従うままに、私達の同胞を攻め滅ぼし、全てを奪おうとしたのは他でもないあなた達だわ」
「……な、にを……」
「……あなた達に理解してもらおうなんて思うつもりも、思った事もないわ。テオ、行きましょう」
「はい、アルヴィナ様」
未だに動けない私の隣を歩いて、〈星詠み〉は魔王アルヴィナの元へと歩み寄ると、くるりと私に向かって振り返りました。
「此度の騒動の目的は、こちらにいらっしゃいますユウ様の奪還です。これ以上の騒動を起こすつもりもありませんので、ご安心くださいませ」
「まさか旦那様ったら、私の魔力にさえ対抗できるっていうんだから驚いちゃったけど、ね。でも、こうして旦那様を迎えに来られたのだもの、もうこんな場所に用はないわ」
「ま、待ちなさい!」
「――エルナ、と言ったわね。真実を知りたければ、他の『勇者』達と一緒に魔界へ来なさいな。魔界なら管理者の目が届く事もないわ」
――まぁ、来れるものなら、ね。
短くそう告げて、魔王アルヴィナと〈星詠み〉のテオドラは私の前から姿を消したのでした。
◆ ◆ ◆
エルナさんがゆっくりと締め括るのを聞いて、私も、みんなも一様に言葉を失った。
魔族は、何かを知っている。
私達が知らなくて、この世界に生きているエルナさんでさえ知らない、何かを。
でも、今の私にある想いは――――
「――悠くんを、助けにいこ」
――ただ、それだけだった。
例え魔族が何かを知っていたとしても、そこに理由があったとしても、悠くんを攫った事を正当化させたりしない。許すつもりなんかない。
そんな私と同じような想いを抱いてくれていたのか、みんなも一つ頷いて、お互いに言葉を交わしていく。
「あぁ、もちろんだ。〈星詠み〉の予言とやらを妨げる事はできなかったけれど、話を聞く限りじゃ悠の命が狙われるなんて事はないはずだ。絶対、助ける」
「その為には、私達もレベルを上げる必要がある」
赤崎くんは、以前〈星詠み〉と遭遇した際に「私達の内の誰か一人が消え去る」と告げられたって言ってた。だから私の護衛を強化したりしてくれてたんだけれど、まさか悠くんがこんな事になるなんて思ってもみなかった。
だって、悠くんにはエルナさんとリティさんがついていてくれているし、なんだかんだで悠くんはどんなピンチでも乗り切っちゃうような、そんな気がしてたから。
咲良っちゃんの言う通り、魔族を相手にするならエルナさんでさえ動けなかったって話を聞く限り、レベルを上げなきゃダメ、なんだろうなぁ……。
「安全にレベルを上げるなら、アルヴァリッドのダンジョンを進むしかないでしょうね。その間に、リティさん。一度ラティクスに戻って、世界樹のような〈門〉の役割を果たす場所を調べてもらえないかしら?」
「そのつもりです。ユウさんを取り返す為なら、きっとアリージア様も知恵を貸してくださると思います」
――やっぱり、私だけじゃなかった。
みんな、悠くんを助けに行くために、口々に意見を出し合っている。
「悠くんから禁書の話は聞いているわね? もしかしたら、それぞれに新しいスキルを得られるかもしれないから、一度みんな王城書庫には行くようにしないとね」
ゆうなんが言葉を締め括り、私達は大きく頷いた。
――ねぇ、悠くん。
いつも私達を助けてくれていたけれど、今度という今度は私達が悠くんを華麗に救っちゃうんだから。
だから――待っていてね。
第四部 FIN
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