4-10 〈古代魔装具〉
騎士団塔に入り込んだ、その翌朝。
オルム侯爵家の屋敷を借りている僕らの予定は、橘さんと西川さん、それに二人の護衛役の細野さんは橘さんのコンサートの準備に。他のメンバーは屋敷の掃除やら家具の搬入やらと立て込む中、僕は屋敷にやってきていたアイゼンさんと顔を突き合わせていた。
「――奇妙な模様、ですか」
「あぁ。魔導陣――魔導具に刻印される陣――に似ちゃいるんだが、どうにも俺にゃ見覚えがねぇ。おめぇさんならなんか分かるかもしんねぇって思ってな」
アイゼンさんが持ってきた手書きのメモを見ながら、僕もその絵に当てはまりそうな魔導記号や言語が使われていないかを確認していく。
「……んー、見覚えないですね。ミミルは?」
ミミルに問いかけてみても、ミミルもまた首を横に振るだけであった。
魔導具に刻まれる魔導陣は、刻まれた記号が魔法的な意味合いを持っているもので、それらが円の中で繋がる事で導き出される事象を指定している、とでも言うべきものだ。
魔法的な意味合いを持つ記号以外にも、古代言語とも精霊言語とも呼ばれている言語もそれに含まれているのだけれど、どうにもアイゼンさんが書き出してきたメモには該当するようなものが見つからない。
けれども――――。
「そうか……。考え過ぎだったってんならいいんだがよ。どうにも、この落書きには悪寒がするっつーか、気味の悪さみてぇなものがありやがる」
「そうですね……。実際、ただの落書きにしては形が整い過ぎている気がしますし」
――アイゼンさんが言う通り、僕もこれがただの落書きだとは思えない理由。
それこそが、形が整い過ぎている、という点だった。
例えば、子供があやふやな記憶を頼りに絵を描いているのだとしたら、もっと思い描いたものの輪郭のようなものが生まれるし、スプレーで町中に落書きしてあったりするようなものは、大体がアルファベットの字体を崩したものだったりもする。
そういったものであれば、一体何が書きたいのかも推測できたりするのだけれども、アイゼンさんが描いてきてくれたのは、ただただ迷いもなく、まるで答えを明確に持って書かれたような、そんな整った形をしているのだ。
これを「ただの思いつきで描かれた落書き」と片付けるのは、些か早計な気がしてしまってならない。
「アイゼンさん、魔導陣に使われる記号や言語って、今使われているもの以外にはないんですか?」
「あぁ? 何言ってやがんだ――……って、そういやあおめぇさんは異界からやってきたんだったな。知らねぇのも無理はねぇか」
腕を組んで、座っていた椅子の背もたれに上体を預けたアイゼンさんが続ける。
「〈
「どういう意味です?」
「そうだな、〈
それぐらいは僕も分かっている。
昔造られた、現存する魔導具とは隔絶した能力を持った魔導具。それが〈
地球で言うのなら、骨董品でありながら現代よりも優れている電化製品が存在している、とでも言えば分かりやすいだろう。
そういった事を伝えると、アイゼンさんは頷いて肯定を示した。
「――その通りだ。それでだがな、〈
「『空白の時代』?」
「そうだ。なんの資料も残っちゃいない、まさに『空白の時代』って訳だ。その時代に大きな戦争が起きただとか、今よりも進んでいた超魔導時代とでも言うべき時代が何かの〈
「魔王が?」
「あぁ。しっかりとした歴史を記した書物は、魔王が登場し、初代勇者が活躍した時代から生まれたものばかりでな。魔王率いる魔族との戦いで書類の多くが消失したんじゃねぇかって話もない訳じゃあねぇんだが、何もハッキリしちゃいねぇ」
――んで、ここからが本題だ。
アイゼンさんがそう付け足しながら、椅子から上体を起こして机に肘をついた。
「俺達が今使っている魔導陣に刻む魔導記号や言語は、その後――つまり勇者リュート・ナツメが魔王に勝利した後の時代に造られたものだと考えられている。その理由は判るか?」
「んー……、〈
「おうよ、その通りだ。〈
「……なるほど。つまり、使われている魔導記号や言語は……」
「そうだ。今俺達が知っているそれとは全く違うからな、『空白の時代』より前に使われていたものと今のそれは違う、と考えるのが妥当だろう」
アイゼンさんが言う通りだとしたら、僕が知る魔導具の歴史は、どうやらその『空白の時代』の後に作られるに至った歴史だったんだろう。
あれ?
それなら神様からもらった【魔導の叡智】なら、その時代のものも判るはずじゃ?
「ミミル、【魔導の叡智】を持っていてもこれは分からないの?」
ミミルが首を左右に振った後、何かを考え込むような仕草をしてからログウィンドウを浮かばせた。
『多分だけど、与えられた知識の中にはないんだと思うよっ!』
「そっか。やっぱり、魔導陣の可能性は低いのかな……」
いくら歴史としての資料や伝聞には残っていないとは言っても、ルファトス様から与えられた【魔導の叡智】にないのなら、やっぱりこれは魔導陣とは別のものと考えるのが妥当なんだろう。
手詰まりを感じてアイゼンさんと唸るような声を漏らしていると、ちょうどその時に部屋の扉がノックされ、エルナさんがやってきた。
「紅茶を用意しました」
「おぉ。すまねぇな、エルナ嬢」
「もうそんな呼び方をされるような歳ではありませんよ、アイゼン様」
「歳なんざ関係ねぇさ」
そういえばアイゼンさんは以前にもシュットさんの事を坊ちゃんって言ってたし、シュットさんをそういう呼び方するんだったらエルナさんは確かにお嬢さんってところなのかな。
そんな事を頭の片隅で考えつつも、未だにアイゼンさんが持ってきてくれたメモを眺めていた僕の横から、エルナさんも覗き込むように顔を近づけた。
「これは?」
「王都を騒がせてるっつー落書きの一部でな。ユウの坊主なら何か判るんじゃねぇかって思って持って来たんだが、どうにもハズレだったみてぇだ」
「ハズレ、ですか?」
「うん。魔導陣に似ていると言えば似ているんだけれども、僕やミミルの持つ知識に該当するものはないんだよね。でも、ただの落書きだろうって片付けるには違和感があるし」
僕らが今しがた話していた内容をそのまま反芻するようにエルナさんへと説明を続けていくと、エルナさんはしばらく考え込むように顎に手を当てた後、ふと僕へと視線を向けた。
「――そういう事でしたら、ユウ様。早速報酬が役に立つのでは?」
「報酬って、屋敷のこと?」
「いえ、王城の禁書が置かれている書架の閲覧許可の方です。あちらになら、もしかしたら二人が仰る『空白の時代』の事について記述されている何かがあるのかもしれませんし」
エルナさんに言われて、今更ながらに僕も禁書が置かれているという王城内の書庫の存在を思い出した。
そういえば、アメリア陛下とジーク侯爵さんに会ったあの時、エルナさんが今後の為に何か面白いものが見つかるかもしれないと言って提案してくれたんだった。
ダメで元々だけど、何かのヒントがあるんだとしたら調べておいた方がいいかもしれない。まして、これがもし僕がアイゼンさんに却下されたものと同じく、町をそのまま使う魔導陣として何かを仕掛けられているんだとしたら、看過できる問題じゃなくなる。
元々アイゼンさんも、王都にやってくる魔導車の中で僕の話を聞いていたからこそ、そうした可能性を危惧して僕に尋ねにきたのだし。
「そういう事なら、そっちは頼めるか? 俺ぁ知り合いにコイツと同じような落書きやらが仕掛けられた場所を地図に書いてもらってる。なんらかの法則性みてぇなもんが見つかるかもしれねぇ」
「分かりました、調べてみます。エルナさん、王城には直接向かっちゃっていいかな?」
「できれば先に伝令を持たせた方が良いかと。今の内に私の方で手配しますね。私もパウロの様子が気になっていますし、同行致します」
何か、このまま放置しておくのはあまり良くない気がする。
そんな予感に突き動かされて、僕はエルナさんに手配をお願いした。
紅茶を飲み終え、僕とエルナさん、それに僕の護衛役――にしては相変わらず頼りないポンコツリティさんを連れて、僕らは再び王城へと向かった。
「まさか二日も連続で王城に足を運ぶ事になるなんて思ってもみませんでしたねぇ」
「ユウ様と行動を共にする以上、「普通に考える」というのは無謀ですよ、リティ」
「そうでしたね……」
「あはは、リティさんが普通を語ろうなんて片腹痛いけどね」
「ひどいですっ!?」
まぁ確かに僕は普通じゃないけれど、ポンコツエルフさんにまで言われるのは腑に落ちないんだよ、うん。
ともあれ、王城へとやってきた僕らは門番の人に身分証を提示した後で、エルナさんを通してジーク侯爵さんを呼び出し、僕とリティさんは案内にやってきた人と一緒に王城の一室へ。エルナさんはパウロくんの容態を確認しに、医務室へと向かうというので別れる事になった。
客間へと案内され、堂々とベッドの上にごろごろしようとしたリティさんの世話を放棄して数十分程、部屋にやってきたのはジーク侯爵さんだった。
「お待たせしてすまないな、ユウ殿」
「いえ、お忙しいところわざわざすみません。今朝の内に王城に向かう旨を伝えられれば良かったんですけど、ちょっと気になる事があったので」
「ふむ。気になる事とは?」
アイゼンさんから渡されたメモを片手に、再びの説明。僕が説明している最中、どうして僕が王城までやって来たのかもいまいち理解していなかったリティさんまでもが「ほへー」と状況を理解したようでこくこくと頷いてみせていた。
ここ最近、朝一番からエルナさんにしごかれる日々を過ごしているリティさんとは、あまりゆっくり話す時間を作ったりもしてなかったけれど、こうして真面目な顔をしている姿を見ると、やっぱりというかキリッと整った顔をしていて綺麗な人なのに、やっぱり私生活を知る僕にはポンコツぶりの方が似合っているように思える。
もっとも、そういうリティさんの方が僕としては一緒にいて気楽だったりもするんだけれども。
「――なるほど、町全体を使った大規模魔導陣という考え方。そして『空白の時代』に関する書物、か」
「って言っても、ただの考え過ぎかもしれませんし、何かのきっかけが得られればってところですけどね」
苦笑する僕とは対照的に、ジーク侯爵さんは顎に手を当てたまま何やら考え込むような素振りを見せた。
「……ふむ。ただの考え過ぎである、とは儂も思えぬな。最近おかしな者の噂も出回っておる。あながち何か関係しておるのかもしれぬ」
「おかしな者?」
「うむ。実は最近、貴族社会でよく当たると言われている有名な占い師がいると評判でな。その者とエルバム公爵が懇意にしていると耳にしておる」
「占い師、ですか」
僕はどちらかと言えば、占いといった類は信用していない。
そもそもこの世界に来るまでは完全な無神論者とまではいかなくとも、神様なんていうあやふやな存在を信じていなかったし、今だって実際に出会ったり加護をもらったりしているからこそ、ようやく信じているぐらいだ。
占い師という言葉で訝しむような僕に対し、ジーク侯爵さんもどうやら僕の胸中に気が付いたのか、苦笑を浮かべた。
「儂も占いというものはあまり信じておらぬ。だが、その的中率は凄まじいと音に聞く程だ」
「……それって、その占い師が裏で何かを手引きしているのかもしれない、って事ですか?」
「可能性だけならば、ゼロではあるまい。こういう言い方をすると誤解を招くやもしれぬが、ユウ殿――貴殿の考え方は奇抜で、異質だ。魔導陣の使い方然り、魔族との戦い方然り、それこそ異界からやってきた貴殿の物差しで見たからこその発想なのだろう。故に答えを導き出せている。だが、それは我々にとっては違う」
それは、僕にはなんとも言えない。
例えば僕らの世界に異世界人が来て、「こういう風にすればいいじゃないか」と新しい何かを、それこそ常識を打ち破るような答えを突き付けられた時、僕らはそれを「そんな方法があったのか」と、目から鱗が落ちるような気分になるだろう。
そう考えると、僕がやっている事、やり口というものはどれも受け売りや僕らにとっての常識的観点から見たものばかりなのだから、自分の小ささに苦笑が漏れる。
自惚れた覚えもないけれど、結局は育った環境や培われた常識をそのまま使っているだけなのだから、お世辞にも自分は凄いだなんて思えそうにはない。いっそむず痒いというか、恥ずかしくすら思えてくる。
話を戻そう。
ジーク侯爵さんにとっての常識とは違う考え方とされる、町全体を使った魔導陣を作るという発想。それはアルヴァリッドでもやっているのだし、それを見て気づく人だっているだろう。
けれど、今回の王都の器物損壊事件は、アルヴァリッドで僕が【敵対者に課す呪縛】――細野さん命名で言うところのデイブレイカーを設置するより前から始まっている。つまり、僕のアルヴァリッドでの行動を知らずに、最初から計画を練られ、実行されていると考えるべきだ。
そもそも、まだこの悪戯で出て来ている模様が魔導陣でない可能性もある。
けれど、常識では捕らわれていない何者かによる介入という可能性は否定できないという訳だ。
まだまだパズルのように入り組んだピースは全部揃わないけれど、今のところ僕らが持っている情報は、「点在している器物損壊箇所に描かれた奇妙な模様」と、「貴族派と懇意にしている占い師」。
前者を調べるにはアイゼンさんの助力もあるし、これから禁書を見る中で何かが見つかってくれれば有り難いところだ。
――――ならば、後者はどうだろうか。
占い、という言葉に僕も何か引っかかりを覚えているのは事実だ。
地球でも占いというものは昔から多く存在していたとされているし、今だって手相だったり姓名占いだったり、あるいは誕生日であったりと星の数程の占いが存在しているし――……ん?
そういえば、星と言えば占星術なんてものも耳にした事がある。
それに占星術って、確か最近でも何かから連想させられたような……――――
「……〈星詠み〉……」
――――それは、オルトネラさんが洗脳状態の時に告げた言葉だった。
あの時――〈エスティオの結界〉の前で対峙した時に告げられた、「〈星詠み〉は正しい」という言葉。あの後、洗脳が解けたオルトネラさんも言っていたではないか。
――〈星詠み〉とは、絶対的な的中率を誇る予言系スキルを持つ一派である、と。
「む、ユウ殿も知っておるのか?」
「はい? 知っているって、何がです?」
「お主が今言ったではないか、〈星詠み〉と。それこそ、その占い師が自らをそう名乗っている通り名だとも」
あの時はオルトネラさんの精神を揺さぶる為に使ったただのブラフの可能性も否めなかったけれど、どうやらそんな厄介な能力を持った魔族は実在していて、さらにこのファルム王国内にいるみたいだ。
全てを見透す〈星詠み〉。
そんなものを相手にどう立ち向かえばいいのか、僕は思考を巡らせる事になる。
――――それこそ、〈星詠み〉の手のひらの上であると知る由もなく。
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