意識が変わらないが故の「悪しき繰り返し」により、祓われた方々がまた似たようなモノに憑かれたとしても、
偶然にしろ“やつら”の芝居であるにしろ、祓った側の者は、「こいつはまた新しいモノを憑けてきた」、という評価をするだけで、
自分の「悪しき繰り返しへの加担」という罪に気づくことは難しいのです。
「せっかく祓ってやったのに、こいつはまたどこかのパワースポットに行ったから、変なモノに憑かれてきた」とか、
「自分が伝えたように神仏を拝まなかったから、この依頼者はまた何か憑かれてきた」とか、
色々な言い訳を探した後は、
「結局、波動が低いから引き寄せるんだ」とか、
「好き好んで憑けているんだ」とか、
憑かれてしまう方々のせいにするだけで、
祓いを行った者は、自分自身の罪を重くしていくのです…。
祓いを行った者自身としては、
かつては嫌われ者やいじめられっ子だった自分が、「霊術屋」なり、「修験行者」なり、「陰陽師」なり、「霊能占い師」なり、「霊能風水師」なり、「浄化師」なり、「ユタ」なり、なんなりを名乗ったことで、はじめて周りから頼られ、
あたかも「自分は人の役に立てた」、と妄想し、自己陶酔に浸っているのかもしれませんが、
違うのです。
実際には、変えるべき相手の意識や相手の「生き方」を何一つ変えていないのですから、
その祓いは、単に他人の学びを妨げた行為にすぎないのです。
そして、他人の学びを妨げる行為は、当然のことながら、悪しき負のカルマになるのです。
すなわち、
容易く憑かれるような状態の方の意識や生き方を変えるでもなく、単にそのまま祓いを行った者は、
有償であろうと無償であろうと、
悪しきカルマを負うことになるのです。
しかしながら、「私の得意分野は退魔や黒魔術です」とか、
「自分は修験得度を受けているから祓いができます」とか、
「私は他人のカルマ全てを解消できます」とか、
「自分には他人に憑いているモノを根こそぎ浄化できます」とか、
くだらない妄想を謳う輩の多くは、「祓いができる自分は特別である」という意識を有していたり、
「人のために頼まれてやってやっている」という自負があったりしますから、
その害に気づくのは、肉体を失った後なのかもしれませんね。
もちろん、それでは全くもって手遅れなのですが…。
もっとも、そもそも大前提として、
そういう中途半端な方々ほど、
霊を「オバケ」だの、「悪霊」だの、「色情霊」だの表現し、小馬鹿にしたような態度をとっていたり、
いたずらに霊を汚く恐く悪い存在扱いしていたりする輩だったりしますから、
そのような結果も、自業自得といえるでしょう。
そういう方々に一つ教えるならば、
「その自分が小馬鹿にしているモノが、あるいは自分達の先師尊霊であり、
あるいは死んだ後の自分たちの姿でもあると自覚なさい。」、
ということでしょうか。
続く…。