今年、46年の歴史に幕を下ろし完結した野球漫画の金字塔『ドカベン』。
主人公の捕手、山田太郎は三冠王に輝くなど、プロでも多くの実績をあげるが、彼が桁違いの実力を示していたのは高校時代。甲子園での通算打率が7割5分、20本塁打という規格外の数字を残しているのだ。
これだけの強打者ならば、普通の投手では勝負を避けるのが賢明かもしれない。実際、山田は高校2年の春の甲子園準々決勝の江川学院戦で、5連続敬遠される。
それも第4打席は1点リードされた満塁の状況で同点となる押し出し敬遠四球で勝負を避けられたのだ。
『ドカベン』で描かれた敬遠劇はその後、現実でも起こる。甲子園が割れた、と言われる'92年夏の甲子園、星稜・松井秀喜の5連続敬遠だ。
ただ、それだけではない。
あまり知られていないが、山田の4打席目のように確実に点が入る満塁の状態で敬遠された打者が日本のプロ野球にいたのだ。そして、その敬遠には、高校野球にはないプロ野球ならではの事情があった。
今から43年前の'75年シーズン、この年のセ・リーグ首位打者争いは熾烈を極めており、10月18日時点で、トップの広島の山本浩二が3割1分9厘、それを中日の井上弘昭が3割1分8厘と、わずか1厘で追う展開であった。広島は残り1試合、中日は残り2試合という状況だった。
皮肉にも広島の最終試合は中日との戦いとなる。
何とかして逃げ切りたい山本は代走で出場しただけで打席に立たなかった。これに対し、井上も山本の出方を窺い、ベンチスタート。そして、相手が嫌でも勝負しないといけない3回の無死満塁で代打出場し、逆転を狙った。
このとき、広島の古葉竹識監督が山本に「勝負するか、歩かせるかは好きなようにしてやる」と言ったところ、山本は「歩かせてください」と、返答。
かくして、満塁での敬遠という漫画のような珍事が起こったのだ。
ちなみに井上は最終試合でもヒットを打てば首位打者という打席で死球を当てられ、タイトルを逃している。(井)
『週刊現代』2018年12月29日号より