薄氷を踏む1点差。投手陣は12四死球を与え、攻撃では13残塁を積み上げた。だからこそ絶対に逃げ切り、阿知羅に勝たせなければいけない試合だった。
勝ったからできる反省と、勝ってこそ評価される決断がある。6回。2番手の谷元が珍しく乱れた。2点差に迫られてなお1死二、三塁。阿知羅のプロ初白星のろうそくが風に揺れていた。ここで中日内野陣は変則シフトを敷いた。遊撃の京田だけを定位置に置き、残り3人がバックホーム態勢に守った。
「全員下げるのも考えたんだけど、簡単に1点はやりたくない。西浦の打撃の状態と、うちの投手の心理を考えました。それなら京田だけ下げましょうかと。監督も同じ考えでした」
担当の奈良原内野守備走塁コーチと与田監督の意見が一致した。攻めながら守る。京田だけを下げたのは、保険をかけたわけではない。「二塁ランナーに簡単にスタートを切らせたくなかったんです」(奈良原コーチ)。全員が前に寄ると、同点の二塁走者のリードオフが取り放題になる。京田は二走の雄平をけん制するために置いたのだ。
正直、それでも僕は危ないと思っていた。というのも前進守備は裏目が続いていたからだ。3日は前に寄せた外野の頭上を越す、決定的な2点二塁打を浴びた。4日は内野を前に寄せてもアウトを取りきれず、1イニング7失点の遠因となった。2度あることは3度ある…。僕のようにここで引く人間は、勝負に勝てない。勝負師は3度目の正直をグッとつかむ。西浦は緩い三ゴロ。高橋がうまくさばき、三塁走者を本塁で殺した。ここで阻んだ1点が、最後にモノを言った。
「(高橋も)下がっていたらアウトにできなかったと思う。全体的に前へという意識はできたのかな」とうなずいた与田監督は、いつだって無難を選ばない。その理由を問うと、こう返された。「だって無難って難しいことが無いって書くでしょ? 有り難いはある。だからだよ」。ありがたや、ありがたや…。