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2019-05-05

糸井重里が毎日書くエッセイのようなもの今日のダーリン

・ふつうに生きている人が、
 どんなときにインタビューを受けるかと考えると、
 あんまりたくさんの場合は思いつきにくい。
 ひょっとすると、一生に一度も
 インタビューを受けないことだってあるかもしれない。

 ぼくは、インタビューをされて育ってきた気がする。
 ぼんやりと考えていたようなことを、
 もっとわかるようにしゃべってくれと言われる。
 無意識でしか考えてなかったような問題が、
 実はもっと深く考えるべきだったということも、
 インタビューで知らされることが多かった。

 上手なインタビューも、下手なインタビューもある。
 インタビューされる側は、
 なんにせよ、「訊いてもらえる存在」として、
 なんとかそこに立っているという経験をする。
 それだけでも、インタビューはされたほうがいい。

 インタビューは、相手にじぶんの顔を向ける行為だ。
 (事情によっては、あるかもしれないけれど)
 覆面をして後ろを向いている人はインタビューされない。
 ものかげにいて、あれこれ文句を言っている人でも、
 顔を出して前を向いてインタビューを受けたときには、
 「で、あなたはどうすればいいと思いますか?」と
 あたりまえのように訊かれることになる。
 その場合、「あれはイケナイこれはバカだ」ではなく、
 「これがいいのだ」について考える機会ができる。
 「わからない」も含めて、顔を見せて答えるというのは、
 なかなかたいしたことなのである。
 そして、正直でないと矛盾が生じて怪しくなってくる。
 顔を前に向けてしゃべったことは、やっぱり、
 嘘であってはいけない…そう思うことがくせになる。

 ぼくはオススメする、「インタビュー」をしようよと。
 友人や仲間たちとの「ごっこ」でいいのだ。
 問う側も答える側も、上手でなくてもかまわない。
 顔を見せて前を向いて、考え、答えるだけでいいのだ。
 きょうは「こどもの日」だね、親の皆さん、
 こどもにインタビューしてあげるのは、どうだろう?

今日も、「ほぼ日」に来てくれてありがとうございます。
自己紹介の練習よりも、友人にインタビューしてもらおう。


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