リ・エスティーゼ王国とバハルス帝国との戦争まで残り三週間を切った。
戦いが迫るに連れて、王城の中でも慌ただしい雰囲気が満ちはじめている。
しかし、普段と余り変わらない日常を過ごしている者もいた。
――モモンガ様成分が足りない。
非常に座り心地の良い椅子、表面が綺麗に磨かれた高級なテーブル、香りの良い紅茶で過ごす優雅なティータイム。
そんな誰もが憧れる状況に置かれながら、紅茶を淹れた人物は浮かない顔をしていた。
心の中で深い溜息を吐いた一人の少女――その名はラナー・ティエール・シャルドロン・ライル・ヴァイセルフ。
この王国の第三王女である。
(はぁ、最近はお見かけする事も少なくなりました……)
今まであの手この手を使って、偶然にモモンガ様とバッタリ出会うことは出来た。
王女という立場上、大っぴらに連絡を取ろうとする事は出来ないが、偶然会ってしまったのならしょうがない。
毎回キッカケを作るのは大変だが、それを何度も繰り返し行い僅かな時間の会話を楽しんだ。
(関係性を強めようとすると何故か失敗するのよね…… どうしてかしら?)
しかし、大掛かりな事を行おうとすると奇跡的な確率で問題が起こり、あと一歩のところで失敗するのだ。
自分の計算に狂いはないはずなのだが、計算を超えた何かが計画を破綻させる。
神の存在などロクに信じてもいないが、いるとすれば私は相当嫌われているようだ。
(戦争後に私が処刑される可能性は全て潰した。もうやる事も無くて暇です……)
地道に逢瀬を繰り返したい所だが、モモンガが冒険に出ていたり国外にいる時はそうもいかない。
自分で動かせる駒が無いため、新鮮な情報が集め辛い事も痛い。
メイド達の何気ない会話から、貴族などが持つ情報は簡単に抜き取れる。しかし、王城に勤める者は流浪の
如何にラナーといえど、何も無いところからは情報を得る事が出来ないのだ。
「はぁ……」
心の中の溜息が外に漏れ出す。
最後にモモンガ様とお話し出来たのが、もう随分と昔の事に思える。
「ねぇ、急に溜息なんか吐いてどうしたのよ」
そんな自分の思考を乱し、現実に引き戻してくる目の前の女。
ラキュース・アルベイン・デイル・アインドラ――計算を超えた何かを起こし、抹殺対象に見事ピックアップされた女だ。
「今の王国の現状を考えれば、溜息を吐きたくなる気持ちも分かるけどね…… でもきっと大丈夫よ。この国にはストロノーフ様もいるし、何とかなるわ」
ピンク色のドレスを身に纏った彼女は、王国でもかなり美人の部類に入る。
この姿しか知らなければ、彼女が冒険者として剣を振り回す様はとても想像出来ないだろう。
紅茶を傾けながら茶菓子を摘む姿は、まるで一枚の絵画のようだ。
「ラキュースは強いわね……」
「そんな事ないわよ、ラナー」
いつも食べ合わせの悪い紅茶と茶菓子を用意するのだが、目の前の女に変化は見られない。
そうは見えなくてもやはり冒険者――ラキュースは一般人より胃も強いのだろう。
「気晴らしに何か明るい話でもしましょ。そうそう、最近知り合いになったというか、変わった依頼をしてきた人がいてね。それが――」
この女のくだらない話よりも、モモンガ様との未来を想像する方が余程楽しくて有意義だ。
直接的な毒物はバレてしまう。いっそのこと副作用の強い栄養剤か下剤でも――
「――吟遊詩人の女の子と仮面を着けた魔法詠唱者だったのよ」
「その話、詳しく」
――意外とこの女にも良いところがあったかもしれない。
うん、次からは普通の紅茶と茶菓子を用意してあげよう。
「えっ? ええと、自分から言っておいて悪いんだけど、依頼内容の詳細とかは守秘義務があるのよ。だから依頼主の許可がないと話せないんだけど……」
「ならアポイントを取ってください。是非ともそのお二人に直接会いたいです」
「まだ何も言ってないのに…… ラナー、貴方そんなに吟遊詩人とかに興味あったの?」
「ええ。女の子の吟遊詩人、それに仮面の魔法詠唱者。とても気になります」
「仮面の魔法詠唱者ならうちのチームにもいるわよ。イビ――」
「あくまでそのお二人が気になりました。ツアレさんとモモンガ様限定です」
「そ、そうなの…… って何で名前が分かるの!?」
「戦争が始まればどうなるか分からないわ。出来るだけ急ぎましょう。依頼で会ったなら〈
巧みな弁舌で丸め込み、ラキュースと一緒に会いに行く算段をつける。
モモンガと二人きりになれるのがベストだが、この程度なら妥協範囲だろう。欲を出すとまた失敗する気がした。
勘などという曖昧なものを信じるのは癪だが、今までの事を考えれば謙虚に控えめにいくのが丁度いい。
「ふふっ。やっぱり持つべきものは友達よね」
「ラナー…… 貴方変わった?」
「何を言ってるのよラキュース。変わったのは貴方の方よ?」
「意味が分からないわ…… 本当にどうしたのよ? 元気になったなら良いんだけど……」
ラキュースは抹殺対象から使える駒にジョブチェンジした。
そう、これからもラキュースはラナーに度々付き合わされる事になるのだ。
◆
バハルス帝国の若き皇帝――ジルクニフ・ルーン・ファーロード・エル=ニクスは上機嫌な様子で仕事に励んでいた。
普段と変わらない業務だというのに、演技とは違う本心からの笑みが口元に表れている。
――もうすぐ王国が手に入る。
自分が二十歳にもならない内に一国を落とせるとは、計画当初では考えられなかった。
次はどうする。王国を手中に収めた後は竜王国か。それとも未開の地を切り拓くか。ゆくゆくは亜人種すらも纏め上げる人類史上初となる皇帝に――
「おっと、これではいかんな。過ぎた野心は身を滅ぼす」
似合わない妄想までするとは、自分は思ったより浮かれているのかもしれない。
「随分と楽しそうですな、陛下」
ジルクニフが気を引き締めていると、声をかけてきたのは長い白髪の老人。
自身が最も信頼する家臣であり、幼い頃から世話になった恩師でもあるフールーダ・パラダインだ。
「それはそうだろう。帝国を治めるものとして、我が国の繁栄に繋がるものは何よりも喜ばしいさ」
「私としては戦争に出なければならないというのは辛いのですが……」
フールーダの辛いとは戦いが嫌だという訳ではない。単に魔法の研究の時間が取られるのが嫌なだけだ。
教師として人を導く一面があるため、彼は周囲からは尊敬を集めている。
しかし、彼は魔法の深淵を覗くためなら何でもする狂人でもあるのだ。それはもう普通の人が見ればドン引きするレベルの事でも躊躇いなくやる。
「そう言うな。王国に魔法の凄さを伝えるには爺を出すのが一番だからな。魔法詠唱者の教育を進めるためにも必要なデモンストレーションだよ。そう考えれば少しはやる気も出るだろう?」
正直なところ戦争に勝つのにフールーダの力は必要ない。どう考えても過剰戦力だ。
だが、魔法の力を知らしめる事――王国に住んでいた者への意識改革には丁度いい。
「私を超える者が早く出てきて欲しいものですな。弟子の一人、若い者に私と同じ生まれながらの異能を持つ者がおりますが、彼女の才能は素晴らしい。何とですな――」
「逸脱者と呼ばれる爺を超える存在か…… ああ、待ってくれ。私に魔法の事はよく分からんよ」
熱くなり始めたフールーダの言葉を強引に切った。
フールーダは魔法の事になると周りが見えなくなり、話しが非常に長くなるのでいつもこうしている。
(魔法といえば、あの男はどうしているのだろうか)
ジルクニフの頭に浮かんだのは仮面を着けた魔法詠唱者。
厳密には魔法も使える者だろうか。
部下からの報告では時々闘技場に現れては、苦戦しつつも全戦全勝しているらしい。
――『モモン・ザ・モモン』『モモン・ザ・テイマー』『モモン・ザ・レッド』『モモン・ザ・ブルー』……
挙げればキリがない。
毎回名前と武器と戦い方を変えているにもかかわらず、いまだ無敗。
苦戦しているのも演技だろうとジルクニフは判断していた。
「毎度金貨を持っていかれるが、その程度で済むのだ。繋がりを維持出来ていると思えば安いものか……」
何故あんな分かりやすい名前にしているのか理解は出来ないが、他の国――王国などに行かれるより余程ましだ。
一応調べたが、王国に『モモン』または『モモンガ』と名のつく冒険者、ワーカーなどはいなかった。
強者の動向を多少でも掴めているのは、今後の帝国にとっても重要なことだ。一応クライムという繋がりもあるにはあるが――
「――いずれ別方向から接触させてみるか。爺よ、その若い弟子とやらはいくつくらいの者だ?」
「学院の者ですから、まだ十代半ば程でしたかな」
魔法の腕以外に興味はないのか、うろ覚えで少し曖昧に答えるフールーダ。
「同じくらいの歳の者は他にどれくらいいる?」
「学院には腐るほどおりましょうが、彼女ほどの才となるとおりませんな」
「ふむ、いずれその者を使うやもしれん。念のため気にしておいてくれ」
「畏まりました」
「戦争の準備も大詰めだ。期待しているぞ」
既に王国は手に入れたも同然である。
帝国の更なる繁栄のため、常に策を巡らすジルクニフだった。
ちなみに複数の『モモン』と『モモンガ』が同一人物であると確信している事は、一人を除いて周りには伝えていない。
目の前の老人が暴走するかもしれないネタは、自分の懐にしまっておくに限る。
◆
密会というほどのものではないが、余り騒ぎにならないような場所で不思議なお茶会が開かれていた。
参加しているのは年齢が少しずつバラけた金髪三人娘、それに加えて仮面で顔を隠した骨一人だ。
「お久しぶりですね。モモンガ様、ツアレさん」
「無理言ってごめんなさい。モモンガさん、ツアレさん」
「いや、少々驚いたが、問題ありませんよラキュースさん」
「なんて言ったらいいのか、もう分からないです」
お姫様との再びの会合により、自称極々普通の吟遊詩人であるツアレは狼狽していた。
しかし、そんな緊張感も最初だけだ。この場の空気にもやがて慣れ、四人は楽し気に笑っていた。
「ところで、以前モモンガさんは流浪の魔法詠唱者でツアレさんと旅をしてるって言ってましたけど、具体的にお仕事は何をされてるんですか? 冒険者でもないんですよね?」
和やかに会話をしていたが、ラキュースの一言がモモンガの中に潜む何かを刺激する。
――『俺は、俺は…… 今、無職だ』
――『なっ!? 本気なのか、本気で働いていないのか!?』
「――さん、モモンガさん」
「――っは!?」
「どうしたんですか? 私、何か聞いてはいけない事を……」
「い、いやなんでもありません。嫉妬マスクから変な電波を受信しただけで……」
「それはもしかして――」
「あーっ、それより、ラナー様とラキュースさんの付き合いはどれくらいになるんですか?」
モモンガは必死にごまかしたが、ラキュースからの視線はお茶会が終わるまで終始突き刺さっていた。
(モモンガさん、もしかしてあなたも闇の人格が!? そうよ、仮面で常に顔を隠しているのだって、何か組織から追われて…… いや、組織から逃げ出したツアレさんを匿っているとか? くっ、私の中のもう一人の自分が…… 駄目よラキュース、このままでは三人とも巻き込んで――)
「モモンガさん、お互いに頑張りましょう!!」
「は、はぁ、頑張ります?」
知らず知らずのうちに、モモンガはラキュースに同類判定されていた。
◆
開戦の日、戦場となるカッツェ平野にはいつも立ち込めている霧が全くない。
空は晴れ渡り、両軍共に並んだ兵士達の様子がよく見える。
帝国軍の陣営は兵士達が整然と並んでおり、何かを待っているかのように静まり返っていた。
そして、その静寂を破る声が響く。
「諸君、リ・エスティーゼ王国と我がバハルス帝国の争いはついに終わりを迎える」
「王国は腐敗し過ぎた。王は家臣をまとめきれず、貴族は平民を搾取し続けた。彼らの様子を見るがいい。戦う前から疲れ切り、何の希望も持たぬ瞳を…… もはや彼らは敵ではない。救いを求める民だ」
魔法によって声は拡散され、帝国軍の兵士達は神妙な面持ちで空に浮かぶ皇帝を見上げていた。
「此度の戦いで逃げる者には慈悲を与えよ。それは未来の帝国の民となる。敵軍の数は多い。だが、我々の勝利は揺るがない。我が帝国の誇る最強の魔法詠唱者――フールーダ・パラダイン率いる魔法部隊もこの戦いには参加する」
帝国の兵士たちの士気は最高潮に達しようとしている。
皇帝からの鼓舞に加えて、帝国の切り札であるフールーダまで参加するのだ。相手の数が自分達より多かろうが、彼らは負けるなど微塵も思っていない。
「民を導けぬ者に王たる資格は無い!! 哀れな王国の兵士たちに、我ら帝国の力を示すのだ!!」
総数約六万の兵士達が一斉に雄叫びをあげる。
空気を震わすその光景は、離れた王国軍にも伝わっているだろう。
「王国の最後だ。足掻く事すら許さぬ絶対の力の差を見せてやろう……」
遠くに見える王国軍を見下ろし、ジルクニフは笑みを浮かべて呟く。
自らの足元では兵士達が一糸乱れぬ動きを見せている。
約束された勝利に向かって、ゆっくりと進軍が始まった。
◆
王国軍の陣営は開戦直後の時点で負けムードに包まれていた。
揃えた兵士の数でいえば、王国軍は帝国軍の二倍以上を用意している。
しかし、約十五万もの人数がいるにもかかわらず、徴兵された誰もが勝てるとは考えていなかった。
春一番でまだ肌寒さを感じる今日この頃、無理やり徴兵された兵士の体調は万全とは言い難い。
そもそも前回の戦争から半年も経っておらず、民はボロボロなのだ。
「戦士長、不味いですよ。あちらの様子が聞こえてから軍全体が、特に徴兵された平民達が萎縮しきっています」
「仕方のない事だろう…… 元々練度で遥かに劣っているのは自覚していた事だ。その上こちらには士気を上げる者がいないのだからな。私がもっと強ければ……」
平民と傭兵をかき集めて、数だけ揃えた烏合の衆。王国軍に士気など皆無に等しい。
王国戦士長ガセフ・ストロノーフは遠くを見つめながら返事を返す。
自らの無力さを噛み締めながら、部下の手前溜息だけは飲み込んだ。
「ガゼフ戦士長はこの国で一番強いではありませんか!! それに五宝物を全て装備していれば帝国の騎士などには……」
「副長、その言葉は嬉しいが私は一番ではない。それ故に王も私に全てを預ける事は出来なかったのだ」
今のガゼフは王国の秘宝である五宝物の一つ『
しかし、それ以外はごく普通の装備だ。
「平民出身で、その上二番手である私に国宝を一つでも身に纏う事を許可してくださった。王には感謝しかない」
「周りの貴族連中が何と言おうと、ガゼフ戦士長は王国最強の戦士です」
「ふふっ、ありがとう。その期待には応えさせてもらおう」
直属の部下である副長は、強い目でこちらを見つめていた。
ガゼフは御前試合の時からかなり鍛えたつもりだ。あの時より確実に自分は強くなっているが、それでもあの時決勝で戦った人物に勝てるとは思わない。
しかし、部下の期待に応えるため、王国最強の看板を背負って挑む事を決意していた。
「今年も多くの犠牲が出そうだな」
そろそろ第一陣が帝国の兵士とぶつかる。
そう思っていた最中、目に映ったのは左右に分かれて逃げていく王国兵の姿だった。
「戦士長、兵士達が!!」
「不味い、帝国兵が一直線にこちらに向かってくる!!」
「狼狽えるな!! 各班はすぐに伝令を回せ!!」
兵士達の混乱は酷いものだった。
作戦では傭兵と平民の数に任せた波状攻撃――特攻によって相手を弱らせ、そこをガゼフ率いる戦士団とボウロロープ侯の精鋭兵団で迎え撃つはずだった。
しかし、囮となる兵士達は戦わずに逃げ出し、相手は無傷のままゆっくりと突き進んでくる。
「ガゼフ戦士長、伝令が……」
「どうした?」
一刻を争う自体にもかかわらず、部下は口ごもった。
「一度戦線を後退させ、迎え撃つ手はずを整える。その間、我々戦士団とここにいる兵士達で足止めせよと……」
無謀にも程がある作戦。
実質ガゼフ達を捨て駒にする作戦だったが、自分達は断る事が出来ない。
「分かった。彼らの真正面に向かうぞ。出来るだけ乱戦に持ち込んで、進行速度を落とさせる」
「了解しました」
伝令を伝えた者も理解していたのだろう。これは自分達が平民にやらせようとしていた事と何ら変わらない。だからこそ自分達にやりたくないなどと言える資格は無い。
部下は文句も言わずにただ静かに了承した。
◆
王国軍の本陣ではこの戦いで全軍の総指揮を任された男――ボウロロープ侯が荒れていた。
「くそっ!! 兵士達が逃げ出しただと!? いったいどうなっている!!」
王国軍と帝国軍がぶつかる直前、使い捨ての囮にする予定だった兵士達が逃げ出したのだ。
彼の怒気に当てられ、ビビりながらも伝令係は話し続けた。
「は、はい。傭兵達が最初に逃げ出し、それにつられて徴兵した者達も一斉に……」
これはジルクニフが仕掛けた罠だった。
傭兵に自分の手の者を紛れ込ませ、集団心理により一斉に逃げ出すように仕向けたのだ。
王国への不満が溜まり、戦う気力もなかった者達には非常に効果的だった。
「ちっ!! あいつらが足止めしている間に立て直す。予備の兵士も全て向かわ――」
――
本陣は爆炎に包まれた。