なぜこんな試合になったのかを知ってもらいたくて、こんな仮定を書く。壊れたのは5回。スコアを見れば誰でもわかる。1死二、三塁から連続野選で歯止めが利かなくなり、7点を失った。読者はきっと、こう思う。「あの野選がなければ勝っていたかも…」。その言い分は、ある意味で当たっている。
太田の遊ゴロで1点は失うが、2死。なお走者三塁で上田(実際には1死一、三塁からセーフティースクイズ)を打ち取っていれば、7点どころか1点だけで5回の攻撃に入れたことになる。なんて差だ! 本塁に投げた京田、ビシエドの判断を問いたくもなる気持ちもわかる。ただ、ここで伝えたいのが野球規則にある「野手選択」の定義である。
「フェアゴロを扱った野手が、一塁でバッターをアウトにする代わりに、先行ランナーをアウトにしようと他の塁へ送球する行為をいう」。その野手が選択した行為を指すのであって、アウトかセーフかの結果とは関係ない。つまり、スコアボードにFCのランプが点灯するのはオールセーフのときだが、先行走者を刺したときも、実は「野手選択」ということだ。
「いろんな選択肢があるだろうけど、そういう(本塁で殺す)つもりで前に出している」。内野手に前進シフトを指示した与田監督は、こう言い切った。選手はベンチの意図を酌む。五分五分なら本塁へ投げる。それがチームの勝利のためであって、ひいては投手のためだと考えるからだ。
だから打者にとっては打点つきだが凡打であって、扱った野手の守備機会には含まれず、ミス(失策)でもない。その結果、仮定の世界ではこの回1失点の柳には、すべてが自責点となって降り掛かる。理不尽かもしれないが、なぜ野手はその「選択」をしたのか…。この用語の趣旨を思えば、熱湯のごとき自責点8も飲み干していくしかない。