しかし、敗北した国民政府軍の一部兵士が軍服(ぐんぷく)を脱(ぬ)ぎ捨てて便衣隊(べんいたい)として一般市民に紛(まぎ)れてゲリラ的活動を繰(く)り返したために、南京攻略後も日本軍は便衣隊に対して徹底的(てっていてき)な掃討戦(そうとうせん)を行い、その後ようやく17日になって南京への入城式(にゅうじょうしき)を行ったのです。
南京攻略後、暴行や略奪(りゃくだつ)を繰り返していた国民政府軍がいなくなったことで、南京城内に設(もう)けられていた安全地帯(あんぜんちたい)の市民は入城した日本軍を歓迎(かんげい)しました。また、南京には日本人のほか多くの外国人ジャーナリストが残っており、当時の南京の様子を世界中に打電(だでん)しましたが、その内容には特に大きな問題もありませんでした。
ところが、現代の中国や我が国を中心として、南京攻略の際に数十万人もの人々が無惨(むざん)にも殺されたという、いわゆる「南京大虐殺(ナンキンだいぎゃくさつ)」があった、ということにされてしまっているのです。
なぜこんなことになっているのでしょうか?
(※下線を引いた事例については、リンク先もご参照下さい)
いつも応援いただきまして、本当に有難うございます。
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Kawakatu 早速やっていただけたこと感謝感激であります!
お手数をおかけしてしまいました!
今後ともよろしくお願い申し上げます。
Kawakatu ぼくは南京のことだけは日本軍はやらなければよかった、やらなくてもよかったんではないかと、感じております。これは井沢元彦氏なども言っていることですが・・・。
Kawakatuさんへ
黒田裕樹 いえいえ、ご指摘ありがとうございました。
南京攻略は結果だけを見れば確かに仰るとおりだとは思います。
ただ、早期の和平をひたすら望んでいた当時の日本軍の立場を思えば、南京を落とすことに一縷の望みを託していたことは痛いほど理解できます。
難しいですよね…。
ぴーち おはようございます!
確かに日本軍の手によって
亡くなった中国人はゼロでは無いかも知れませんが、結果ばかりを伝えるだけでは
何の意味もなさないものだと思います。
例えば、殺人事件が起きた。
世間はその結果だけを聞けば、
怖いとしか感じませんが、その事件が
無差別殺人だったのか、それとも怨恨だったのか
と言う動機の違いによって、印象が随分と
変わります。
事の発端はなんであったのか、止むに止まれぬ事情があるではないか・・・
という事を知る義務が必要になりますよね。
そういう意味でも
黒田さんが提唱する歴史を知る本当の意味が
ここで生きてくるのでは無いでしょうか。
応援凸
ぴーちさんへ
黒田裕樹 仰るとおりです。
南京攻略によって具体的にどのようなことが起きたのか。
もし不幸であったとすれば、それをもたらしたのは何だったのかなど、考えられることはそれこそ数えきれないほど存在します。
それなのに日本軍を一方的に断罪するだけであるならば、これほど他人をバカにした話はないですし、ましてやそれが「冤罪」であればまさに「何をかいわんや」の世界ではないでしょうか。
お手数をおかけしてしまいました!
今後ともよろしくお願い申し上げます。
南京攻略は結果だけを見れば確かに仰るとおりだとは思います。
ただ、早期の和平をひたすら望んでいた当時の日本軍の立場を思えば、南京を落とすことに一縷の望みを託していたことは痛いほど理解できます。
難しいですよね…。
確かに日本軍の手によって
亡くなった中国人はゼロでは無いかも知れませんが、結果ばかりを伝えるだけでは
何の意味もなさないものだと思います。
例えば、殺人事件が起きた。
世間はその結果だけを聞けば、
怖いとしか感じませんが、その事件が
無差別殺人だったのか、それとも怨恨だったのか
と言う動機の違いによって、印象が随分と
変わります。
事の発端はなんであったのか、止むに止まれぬ事情があるではないか・・・
という事を知る義務が必要になりますよね。
そういう意味でも
黒田さんが提唱する歴史を知る本当の意味が
ここで生きてくるのでは無いでしょうか。
応援凸
南京攻略によって具体的にどのようなことが起きたのか。
もし不幸であったとすれば、それをもたらしたのは何だったのかなど、考えられることはそれこそ数えきれないほど存在します。
それなのに日本軍を一方的に断罪するだけであるならば、これほど他人をバカにした話はないですし、ましてやそれが「冤罪」であればまさに「何をかいわんや」の世界ではないでしょうか。