気楽に語ろう☆ 創価学会非活のブログ☆

創価学会の元非活メンバー(現在は退会済み)による語り

見えない敵と闘う創価学会




創価学会は常に外部に敵を作って、「仏敵」という相手を想定して会員を駆り立ててきました。

自分たちの外部に敵がいることを想定し、会員内を結束させる。そういう手法をとってきました。ですから「仏敵打倒」とか銘打ってご祈念項目に相手が倒れることを願う、呪いのような(笑)祈りさえ末端組織では容認されています。



前日のブログ記事で書いた『実名告発・創価学会』では、谷川主任副会長が三人を批判する時に次のように発言したことが書かれています。


「外の敵と闘わないことから、内部に乱れが生じ、滅びが始まる。破壊は一瞬なんだ。そうした行動をしている者が、君たちの身近にいるのだ。君たちの世代の問題は、君たちで解決するんだ!」
(野口裕介他『実名告発  創価学会』132ページ、金曜日、2016年)


ここで注目したいのは谷川氏が「外の敵と闘わないから内部に乱れが生じる」と考えているところです。
創価学会は確かに昔から外部に敵を設定し、それと闘うことで、団体の結束を強めてきました。



このような思想性はどこから来たか。
根本は依拠とする日蓮でしょう。
日蓮には徹底した他宗批判という性格が存在しますが、これについては現代でどのように考えるべきか、再考が必要なことです。
ところが、戸田氏も池田氏もこの日蓮の他宗批判から先鋭的な攻撃性を見出し、他宗を常に攻撃し、教団を拡張してきました。牧口氏にもこのような攻撃性があったのかもしれませんが、筆者は寡聞にしてよくわかりません。



昭和30年代〜40年代は身延批判が大変なものでした。小樽で問答までやってしまった。現代での問答をしたら、創価学会は敗北するかもしれませんね。学会が大勝利なんて言ってるのは、司会の池田参謀室長が強引に進めて勝利を勝手に宣言しただけです。
法論ではなく対話がされればよいのでしょうが、この頃から学会は敵を論破して自分たちの真実を証明するという考え方をとってきました。


もちろんその他の宗教批判も大変なものがありました。かつての末端の組織でも「真言の家系では主人や長男が早逝するような害毒が家族に現れる」「念仏者は愚痴が多く諦念が強い」等、根拠のないカルト的他宗批判が普通にされていました。「念仏をあげると退廃的になる」とか「神社の鳥居をくぐるのは謗法である」等、今でも信じている学会員さんももしかしたらいるのではないでしょうか。
小説『人間革命』では「S教団」(生長の家とされています)を徹底的に論破して意気揚々と帰ってきた青年部に「英雄気取りはよせ」とたしなめる戸田会長の姿が描かれています。が、実態として他宗を徹底的に露骨なまでに罵詈雑言で批判していたのは事実です。



昭和54年の第一次宗門問題では、宗門僧侶が池田氏を攻撃したのだとされています(例えば今回の任用試験でもそう教えられていました)が、事実は創価学会が次第に在家中心主義に教義が変わりつつあり、それを指摘されてもなお在家が中心であると主張し続けたことが実際です。
それを「一部の急進的な宗門僧侶」の攻撃によって、池田会長が勇退に追い込まれたとする現在の創価学会の見解は、やはり外部に敵を生み出す思想から脱してない姿を露呈しています。


第二次宗門問題ではさらにエスカレートし、創価新報紙上で、悪口雑言の限りを尽くします。ここで言葉にするのも憚られるような悪口が聖教新聞紙上でも語られていました。
事実がどちらにあるせよ、この罵詈雑言の姿勢は批判されて然るべきだと思います。



敵を作り、その敵と戦うことこそが日蓮仏法であるとする、創価学会の現在の基本姿勢は戸田、池田両会長によって生まれたものですが、そろそろこれは再考した方がよいです。
果たして日蓮が念仏者を口汚く罵ったのか、立正安国論日蓮は「その布施をやめる」と説かれているわけで、原理主義的に日蓮を解釈すれば由比ヶ浜で念仏者の首を切るハメになりますよね。そんなことを日蓮が現代に生きていたら本当にするのでしょうか。



今の学会員さんもそういった敵を作る思考から抜けられないように感じます。だから自分たちの「敵」に対して平気で口汚く罵ったりできるわけです。それが正しいと考えているし、それを検証しようとなんて考えもしない。自分たちこそ正義なんですから。



困ったことなんですけど、この「自分たちの外に敵を作って攻撃する」発想は、現在の創価学会員の多くの方にも深く根ざしていまして、会員が信濃町を批判する際にも「池田先生の敵!」とか「昭和54年を忘れたのか!」と、相手を仏敵呼ばわりして批判する傾向があります。
要するに相手を仏敵呼ばわりする、その思考法からお互いに抜け出せていないのです。
例えば学会員が脱会して日蓮正宗信徒になった場合、今度は宗門側から学会を罵詈雑言で仏敵呼ばわりする、そういう思考法から抜け出せないでいる人も散見されます。
日蓮正宗妙観講などが、創価学会を敵視して批判しているようですが、このような「外部に敵を設定して攻撃する」思考法は元々から日蓮正宗に内在していた傾向なのでしょうか。


私的な見解ですが、このような「外部に敵を作る思想」は、創価学会戸田城聖に端を発すると考えています。
昭和30年代〜40年代の創価学会折伏といえば他宗の排撃でした。ほとんど同義として考えられていたと言ってもよい。
元々の日蓮正宗の教義に内在していたとも言えますが、その排他的な他宗攻撃の傾向は創価学会に始まるものでしょう。



元来、多くの創価学会員は純粋に日蓮の教えを実践しようとしたのですが、結果として「四箇の格言」をそのまま現代においてやってしまうような、極めて原理主義的なものに変貌しました。
その後、時代が変わり、現在、昔のような他宗批判はやめていますが、外部に敵を作る発想を創価学会は残しています。その証拠に未だに「仏敵」という言葉を使い、退会者や学会批判をする方々を「仏敵」と認定。敵を倒すことが正しい信仰であると考えています。
昭和54年の会長勇退の問題では未だに宗門僧侶に「攻撃」されたとしています。
つまり「敵」というわけです。



このような発想で、敵を作るのはもうやめにしてほしいと感じています。
父も生前、竹入義勝氏が「反逆」したと聞いた時に「そんなはずはない。あの竹入さんはそんなことをする人ではない。それは嘘だよ」と言下に否定していたのがとても印象的でした。父はかつて新宿で最高幹部の一人でしたから、竹入氏の人柄をよく知っていました。
父はかつて石田幸四郎氏(元公明党委員長、石田次男氏の実弟)と同じ部隊で活動していましたから、その頃の公明党の幹部になった多くの人たちとも交流がありました。
調べていくうちに、竹入氏という人物が創価学会に恨みを抱いて批判するような人でないことが私にも少しずつわかってきました。同時に竹入氏のような創価学会へのかつての功労者に対して平気で「仏敵」呼ばわりできる、創価学会の異常性にも気づくようになりました。


私は原島嵩氏、福島源次郎氏、竹入義勝氏、矢野絢也氏など多くの「反逆者」とされた人たちが、実際には創価学会への恨みというより、創価学会の問題点に関する冷静な批判という視点が存在し、自分たちがそこに加わっていたことの自己批判の姿勢も多かれ少なかれ持っていたと考えています。
ですから彼らを安易に「仏敵」とすることは、私には違和感があります。


日蓮正宗宗門も私は「仏敵」と考えているわけではありません。彼らの欺瞞教義に共感も同意も私はしませんが、阿部日顕氏も早瀬日如氏も日蓮正宗信徒の方々も別段「仏敵」とは考えていません。思想の相違があるだけですが、彼ら大石寺もまた創価学会を「仏敵」と称して非難中傷を繰り返す時点で、同じ穴の狢かと私は思っています。



思想の相違を「仏敵」と認定し、教団内部の結束のために敵を攻撃するという発想は否定されるべきです。
およそ仏教者にあるまじき態度であると思いますし、それが本当に釈迦の心でしょうか。日蓮の心でしょうか。
日蓮が果たして極楽寺良観の破滅を祈っていたのか、念仏者の首を由比ヶ浜で本当に切るべきと考えていたのか。考えていたとするなら、その通りにするのが正しいのでしょうか。



創価学会員や法華講員さんの思考法には、この仏敵の発想が深く根ざしていて、そのことを自覚することが難しい。
だから問題が起こると、今度は幹部を名指しで批判し、『実名告発』のような本が生まれてくる。ネットで騒がれると、それに対して信濃町は査問と除名で対応するという、不毛な対立構図が浮かび上がります。
お互いにお互いの思想を、客観視できていないのです。相手を「仏敵」と見る発想から一歩も抜け出せていないことを、学会員は自覚するべきです。




折伏を闘争と捉え、軍国主義的に敵と戦う、そういう創価学会を創造したのは疑いなく戸田会長でした。今の顕正会と浅井会長が理想としてイメージしているのは、間違いなく先代の戸田会長時代の国立戒壇を唱えていた頃の戦闘的な創価学会なんでしょう。
では、それが正しいのか? それが本当に真実の日蓮の教えなのか? 
そのような問いを発することが大切ではないでしょうか。



追記:
顕正会の浅井会長は、おそらくそのような戸田城聖の思考法が未だに正しいと考えていて、そこに真実の日蓮の教えがあると考えているのでしょう。彼らの会合の服装や指導内容を見ると、戸田会長時代の創価学会を彷彿とさせます。