団地を支える「高齢者と外国人労働者」の現状
「孤独死」が増え続ける限界集落が生き残る道
住宅不足に対応するための団地建設
常盤平駅(新京成線・千葉県松戸市)を起点として南側に延びる「けやき通り」は、文字どおり、けやき並木の美しい街路だ。新緑の季節ともなれば、格別の趣がある。枝葉が通りを覆い、緑のトンネルをつくる。
常盤平団地の代名詞ともいうべき風景だ。
60年前まで、このあたりは長閑(のどか)な田園風景が広がっていた。ここで住宅大規模開発事業の計画が持ち上がったのは1955年のことだ。終戦からちょうど10年、戦争の記憶も希釈され、日本社会はその後に続く高度成長に向けて、おそるおそる上昇気流に乗り始めた時代だ。この年、戦前に存在した住宅営団をモデルとして、日本住宅公団が設立された。
急増する人口、それに伴う住宅不足に対応するため、公団が最初に手掛けた都市近郊開発事業の1つが、この地区における団地建設だった。
山水が暮色に映える典型的な農村地区だが、それでも都心までの直線距離は約20キロにすぎない。ベッドタウンとしての地理的条件からすれば好適地であった。
こうして総戸数4839戸の4階建て中層公団住宅170棟のみならず、ショッピングセンター・集会所・病院・小学校の建設まで盛り込まれた大事業が進められた。
1960年から常盤平団地への入居が始まる。
入居倍率は20倍を超えた。家賃は5500円(2DKタイプ)。入居に際しては「家賃の5.5倍の月収入」なる資格が設けられていた。大卒男子の初任給が約1万6000円という時代である。それを考えると、必ずしも家賃が格段に安価というわけでもない。実際、入居者は都心の大企業に通うエリートサラリーマンの家庭が多かったという。