5月1日より、平成という時代から、令和の時代に入ります。
平成の30年間を振り返ると、販売の点で言えば平成中期までは冬の時代が続いたと言ってもいいでしょう。
昭和58年をピークにウイスキーの販売量は減っていき、平成20年には1/3以下にまで落ち込みました。
ウイスキーの大手の一つであったメルシャン(旧オーシャン、三楽)も撤退、軽井沢蒸溜所も閉鎖されました。
それ以外の中小メーカーも蒸溜所の休止、閉鎖、撤退が相次ぎました。
生き残ったメーカーも生産量を削減することでしのいでいきました。
そして平成13年、イギリスのウイスキーマガジンで行われたコンテストで、新樽原酒を使ったニッカのシングルカスク余市10年が最高得点を獲得し、日本のウイスキーが海外で評価され、海外でもジャパニーズウイスキーと、代表的なウイスキーの産地として認知されるきっかけを作りました。
そして平成21年に入り、若者を中心にハイボール人気が生まれました。
サントリーはこれまでもハイボールを軸とした販売戦略を繰り返してきましたが、提供されるグラスはタンブラーで、1:3とアルコール度数が10度を超える濃いものでした。
そこで、提供されるグラスをビールやチューハイ(サワー)と同じジョッキに変更し、安定かつ低温で強い爽快感を出すために、ハイボールタワーという専用のサーバーを開発、割合も1:4とアルコール度数を下げ、飲食店を回る、セミナーを開くなど安定品質を提供する努力を行っていきました。
その結果、食事と一緒に飲む爽やかなお酒としてハイボールが認知されることとなり、角瓶の原酒が不足するほどの急速な復活を遂げることとなりました。
このウイスキーの人気に拍車を掛けたのが、NHKで放送された連続テレビ小説「マッサン」。
主人公のモデルとなったのが、ニッカウヰスキー創業者の竹鶴政孝で、様々な苦難を乗り越えて日本のウイスキーを誕生させた物語に感動した人々が、ニッカを中心としてウイスキーを購入していきました。
この結果、平成末期に入って平成20年頃に比べて倍近い消費量にまで回復しました。平成初期の水準に近づきました。
サントリー、ニッカともに、生産量を増やしている状況ですが、潤沢に10年以上の原酒を提供出来るには、令和10年頃まで待たないといけません。
如何にして短期熟成の原酒を使って人気をつなぎ止めるのか、アイデア勝負の時代になるでしょう。
他方で、平成末期になって、海外でのジャパニーズウイスキーの評価、国内での消費増加に呼応する形で、全国各地で蒸溜所の建設、ウイスキーへの新規参入、復帰をするメーカーが増えています。
これらのメーカーが必要な熟成期間を経た原酒を提供するのは令和になってからとなりますが、ニューポット、ニューメイクを飲む限りでは、各地で個性的な香り、味わいを持つ原酒に出会えたので、既にわくわく感が止まりません。
いずれにしても、令和の時代、日本のウイスキーが更に発展するのか、それとも一過性のブームとして衰退していくか、大小関係なく試練の時を迎えることになるでしょう。
P.S. 令和は、4年ほど住んでいた名古屋で迎えます。
ウイスキー冬の時代
昭和58年をピークにウイスキーの販売量は減っていき、平成20年には1/3以下にまで落ち込みました。
ウイスキーの大手の一つであったメルシャン(旧オーシャン、三楽)も撤退、軽井沢蒸溜所も閉鎖されました。
それ以外の中小メーカーも蒸溜所の休止、閉鎖、撤退が相次ぎました。
生き残ったメーカーも生産量を削減することでしのいでいきました。
「ジャパニーズウイスキー」ブランドの誕生
それによって、半ばだぶついていた原酒が長期熟成される結果を生み、一方でウイスキー人気を復活させようと様々な試みが行われるようになりました。そして平成13年、イギリスのウイスキーマガジンで行われたコンテストで、新樽原酒を使ったニッカのシングルカスク余市10年が最高得点を獲得し、日本のウイスキーが海外で評価され、海外でもジャパニーズウイスキーと、代表的なウイスキーの産地として認知されるきっかけを作りました。
ハイボールの復権、ウイスキーの復活
サントリーはこれまでもハイボールを軸とした販売戦略を繰り返してきましたが、提供されるグラスはタンブラーで、1:3とアルコール度数が10度を超える濃いものでした。
そこで、提供されるグラスをビールやチューハイ(サワー)と同じジョッキに変更し、安定かつ低温で強い爽快感を出すために、ハイボールタワーという専用のサーバーを開発、割合も1:4とアルコール度数を下げ、飲食店を回る、セミナーを開くなど安定品質を提供する努力を行っていきました。
その結果、食事と一緒に飲む爽やかなお酒としてハイボールが認知されることとなり、角瓶の原酒が不足するほどの急速な復活を遂げることとなりました。
このウイスキーの人気に拍車を掛けたのが、NHKで放送された連続テレビ小説「マッサン」。
主人公のモデルとなったのが、ニッカウヰスキー創業者の竹鶴政孝で、様々な苦難を乗り越えて日本のウイスキーを誕生させた物語に感動した人々が、ニッカを中心としてウイスキーを購入していきました。
この結果、平成末期に入って平成20年頃に比べて倍近い消費量にまで回復しました。平成初期の水準に近づきました。
令和は日本のウイスキー試練の時代
しかし、長期熟成を必要とするウイスキーは、こうしたブームに乗ることは出来ず、各メーカーとも原酒不足に悩むこととなり、年数表記された長期熟成のボトルを中心に販売終了に追い込まれています。サントリー、ニッカともに、生産量を増やしている状況ですが、潤沢に10年以上の原酒を提供出来るには、令和10年頃まで待たないといけません。
如何にして短期熟成の原酒を使って人気をつなぎ止めるのか、アイデア勝負の時代になるでしょう。
他方で、平成末期になって、海外でのジャパニーズウイスキーの評価、国内での消費増加に呼応する形で、全国各地で蒸溜所の建設、ウイスキーへの新規参入、復帰をするメーカーが増えています。
これらのメーカーが必要な熟成期間を経た原酒を提供するのは令和になってからとなりますが、ニューポット、ニューメイクを飲む限りでは、各地で個性的な香り、味わいを持つ原酒に出会えたので、既にわくわく感が止まりません。
いずれにしても、令和の時代、日本のウイスキーが更に発展するのか、それとも一過性のブームとして衰退していくか、大小関係なく試練の時を迎えることになるでしょう。
P.S. 令和は、4年ほど住んでいた名古屋で迎えます。
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