Jリーグの歴史をみる
Japanese football history
日本サッカーの歴史
1
平成
1月
フットサル日本代表が第1回FIFA5人制室内サッカー選手権(現FIFAフットサルワールドカップ)に出場
6月
JFAにプロリーグ準備検討委員会を設置
日本サッカーリーグ(JSL)はリーグを活性化させてサッカーのレベルアップを図ろうと88年に「JSL活性化委員会」を立ち上げて議論を開始。複数回の会議を経て翌89年の3月にJSL評議会に「日本サッカーリーグの活性化案」を提出した。同評議会では賛同は得られなかったことから、議論の場を日本サッカー協会( JFA )に移す。JFAにプロリーグ準備検討委員会が設置されたことによってプロリーグ設立へと大きく動き出す。
9月9日
日本女子サッカーリーグ開幕
現在のなでしこリーグはこの年に始まった。リーグに参加したのは、読売サッカークラブ女子・ベレーザ、新光精工FCクレール、日産FCレディース、清水FCレディース、プリマハムFCくノ一、田崎真珠神戸レディースの6チーム。読売の高倉麻子(現なでしこジャパン監督)が記念すべきリーグ1点目をマークした。
11月
2002FIFAワールドカップの開催国として正式に立候補を表明
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2
平成
3月
プロリーグへの参加条件を決定
8月
プロリーグ参加希望団体(20団体)に対し、ヒアリングを実施(91年1月まで3次にわたって実施)
8月25日
三浦知良(カズ)が日本デビュー
プロ化まであと2年。「日本をワールドカップに出場させるために帰ってきた」。読売サッカークラブ(東京ヴェルディの前身)に加入する際の会見でこう語ったカズは、第15回JSLカップの住友金属工業戦でデビュー。同年、JSLの第26回大会でブラジル仕込みのテクニックを披露し、Jリーグ人気の火付け役となった。ちなみに、デビュー時の背番号は11ではなく「24」だった。
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3
平成
2月14日
プロリーグ参加10団体が決定
この日開催されたJFA理事会の承認を受け、プロリーグに参加する10団体(鹿島アントラーズ、ジェフユナイテッド市原、浦和レッドダイヤモンズ、ヴェルディ川崎、横浜マリノス、横浜フリューゲルス、清水エスパルス、名古屋グランパスエイト、ガンバ大阪、サンフレッチェ広島/名称はいずれもJリーグ開幕当時)が決定した。
6月
2002年ワールドカップ招致委員会発足
7月
プロサッカーリーグ正式リーグ名称とロゴマークを発表
11月
社団法人日本プロサッカーリーグ(Jリーグ)設立。川淵三郎がJリーグ初代チェアマンに就任
日本女子代表が第1回FIFA女子世界選手権(現FIFA女子ワールドカップ)に出場
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4
平成
3月13日
日本代表初の外国人監督にハンス・オフトが就任
「プロ選手を束ねるにはアマチュアの監督では限界がある」。JFAの川淵三郎強化本部長(Jリーグチェアマン)が白羽の矢を立てたのが、JSLのヤマハ発動機(ジュビロ磐田の前身)やマツダSC(サンフレッチェ広島の前身)のコーチを務めたハンス・オフトだった(当時はオランダのFCユトレヒトのゼネラルマネージャー)。同監督の明確な戦術とチーム力強化により、日本は急速にレベルアップ。アジアで存在感を示し始める。
5月
プロチームとプロ選手の指導資格となる公認S級コーチライセンスを創設
9月-11月
Jリーグの前哨戦となるJリーグヤマザキナビスコカップ(現JリーグYBCルヴァンカップ)開催
10月-11月
悲願のアジア初制覇
8月のダイナスティカップで優勝した日本代表は、続くアジアカップで2分けスタートからイランとのグループステージ第3戦をものにすると、決勝トーナメントで中国、サウジアラビアを立て続けに破って初優勝。地元・サンフレッチェ広島に所属する高木琢也が6万人の観衆を前に決勝点を挙げ、日本サッカーの成長を印象付けた。
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5
平成
5月15日
Jリーグ開幕。国立競技場で開会宣言
国立競技場で行われた横浜マリノス対ヴェルディ川崎との開幕戦。V川崎のマイヤーがJリーグ初ゴールを挙げた。企業スポーツからの脱却を図り、地域に根差したスポーツクラブをつくろうという理念は、それまで企業スポーツと学校体育で発展してきた日本のスポーツ界に大きな風穴を開け、日本にサッカーブームを巻き起こした
8月
日本でFIFA U -17世界選手権(現FIFA U -17ワールドカップ)を開催
10月28日
ワールドカップの切符を逃す
FIFAワールドカップアメリカ’94アジア地区最終予選、イラクとの最終戦に引き分けて3位に転落し、本大会出場を逃す。“ドーハの悲劇”と言われたこの試合の視聴率(テレビ東京)はサッカー界始まって以来の48.1%を記録。サッカーの怖さを突きつけられた試合だったが、「夢のまた夢」だったワールドカップはここから「目指すべき目標」になった。
「Jリーグ」が流行語大賞を受賞
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6
平成
9月
U -19日本代表が第29回アジアユース(U -19)選手権(現AFC U -19選手権)で準優勝。自国開催で初出場した79年大会以来のFIFAワールドユース選手権出場を決める
10月
広島で第12回アジア競技大会を開催
10月-11月
U -16日本代表が第6回アジアユース(U -16)選手権(現AFC U -16選手権)で初優勝
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7
平成
1月17日
阪神・淡路大震災発生
6月
イングランドサッカー協会の招待を受け、ブラジル、スウェーデンと共にアンブロカップに参加
6月
全ての国内大会に「フェアプレー賞」を設けることを決定
6月13日
日本女子代表、世界大会で8強入り
日本は第2回FIFA女子サッカー世界選手権(現FIFA女子ワールドカップ)で8強入りし、女子サッカーが正式種目となるアトランタオリンピックの出場権を獲得した。準々決勝ではアメリカに敗れた。
8月30日
国立競技場で阪神・淡路大震災チャリティーFIFAオールスターマッチ開催
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8
平成
2月
第1回全日本フットサル選手権(現JFA 全日本フットサル選手権大会)がスタート
5月31日
2002年のワールドカップ、日本と韓国の共催決定
2002FIFAワールドカップが日本と韓国の共催になることが決まった。アジア初、そして大会史上初の共同開催。
7月21日
アトランタオリンピック、
U-23日本代表がブラジルを破る大金星
28年ぶりのオリンピック出場を果たしたU-23日本代表はグループステージ第2戦で優勝候補のブラジルを破る“マイアミの奇跡”を起こすが、2勝1敗で8強入りならず。日本女子代表もグループステージ敗退。
7月21日
天皇杯が47都道府県代表制へ、第2種にも出場資格
9地域代表制から47都道府県代表制となって初の天皇杯全日本サッカー選手権大会。第1種登録チームが増加して天皇杯が狭き門になり、試合を開催できる会場が増えたことを受けて大幅な改革を図った。また、第2種登録チームの参加も可能になった(※)。
※第2種登録チームに出場資格があったのは第94回大会まで
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9
平成
6月
個人の能力を伸ばす新制度を策定
強化指定選手制度(現 特別指定選手制度)を策定した。当時は高校生が対象だったが、現在は所属チーム(大学または高校等)に登録したまま、受入先のJクラブの選手としてJリーグ等の公式試合に出場できる。
6月28日
井原正巳が日本人初の国際Aマッチ100試合出場
FIFAワールドカップフランス’98アジア地区1次予選のオマーン戦で井原正巳が日本人で初の国際Aマッチ100試合出場を達成した。日本は1次予選を無敗で通過。
7月20日
Jヴィレッジがオープン
日本初のサッカーナショナルトレーニングセンター、Jヴィレッジ(福島)がオープン。日本代表の合宿やJFAアカデミー福島の活動拠点として使用された。東日本大震災により、2011年3月から営業停止となったが、18年7月より部分的に再開し、19年4月20日に全面オープンした。
11月16日
“ジョホールバルの歓喜”
悲願のワールドカップ出場決定
カザフスタンとの最終戦を5-1で勝利してアジア第3代表を決するプレーオフに望みをつないだ日本は、イランを延長Vゴールで下して悲願のFIFAワールドカップ出場権を手にした。
12月
財団法人2002年ワールドカップサッカー大会日本組織委員会(JAWOC)設立
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10
平成
4月
4級審判員の資格取得条件を18歳以上から「12歳以上」に、3級審判員を「15歳以上」に引き下げ
6月26日
中山雅史がワールドカップ初ゴール
初めて立ったFIFAワールドカップ(フランス)の舞台。第3戦のジャマイカ戦、74分に中山雅史が初得点を挙げる。日本は、グループステージ3戦全敗の洗礼を浴びたが、世界のひのき舞台に大きな足跡を残した。なお、同大会で岡田正義が主審を務めた。
11月1日
ジャパンフットボールリーグ閉幕
ジャパンフットボールリーグが1998シーズンをもって閉幕。1999シーズンからのJリーグ2部制に伴い、プロとアマチュアチームが混在していたリーグは7年間の歴史に終止符が打たれた。翌年、アマチュアリーグの最高峰となる日本フットボールリーグ( JFL )がスタートした。
11月
Jヴィレッジで第1回フットボールカンファレンスを開催
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11
平成
2月
横浜マリノスと横浜フリューゲルスが合併
長引く不況のあおりを受け、横浜をホームタウンとする横浜マリノスと横浜フリューゲルスが合併。他にもヴェルディ川崎(当時)とベルマーレ平塚(現 湘南ベルマーレ)の一部出資企業が撤退し、クラブ経営の危機が叫ばれた。
3月
Jリーグ、1・2部制導入。J1リーグ16チーム、J2リーグ10チームで7年目のシーズン開幕
4月
審判員総合登録制度スタート
第1回日本フットボールリーグ(JFL)が9チームでスタート
4月24日
ワールドユースでU-20日本代表が準優勝
日本代表監督を兼任するフィリップ・トルシエ監督率いるU-20日本代表は、第10回FIFAワールドユース選手権(ナイジェリア)でカメルーンとの初戦に黒星発進もその後は2連勝して決勝トーナメントに進出。決勝トーナメント1回戦でポルトガルをPK戦で退けると、準々決勝でメキシコ、準決勝でウルグアイを破って初の決勝へ。決勝ではスペインに0-4で敗れた。
6月-7月
南米サッカー連盟の招待を受け、コパアメリカ’99に参加
12月1日
アジア各国に日本人指導者を派遣
アジア貢献事業の一環として日本人指導者の派遣がスタート。以来、延べ100人以上の指導者や審判指導者らを各国に送り出している(2019年4月1日現在)。
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12
平成
4月
シニアの登録制度開始、全国大会などを新設
9月23日
シドニーオリンピック、U-23日本代表がベスト8に
2大会連続出場となるシドニーオリンピックで南アフリカとスロバキアから勝利を挙げ、グループステージを突破。準々決勝でPK戦の末、アメリカに敗れたが、若き日本代表の活躍は2年後に迫ったワールドカップへの期待を高める結果となった。
9月28日
シドニーオリンピックの女子決勝で
吉澤久惠が副審を務める
シドニーオリンピックに唯一の日本人審判員として参加した吉澤久惠が女子サッカー決勝(ノルウェー対アメリカ)で副審を務めた。FIFA主催の世界大会の決勝に指名されるのは日本人初。決勝を含め4試合を担当した。
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13
平成
3月
toto(スポーツくじ)の全国販売がスタート
5月-6月
コンフェデレーションズカップで準優勝
FIFAコンフェデレーションズカップが日本と韓国で開催された。日本代表はグループステージで強豪ブラジルに引き分けるなど2勝1分けで突破。準決勝では中田英寿の1点を守り切り、オーストラリアを退けてFIFA主催大会で初の決勝へ。決勝ではフランスの攻撃力の前に0-1と敗れたが、2002年FIFAワールドカップを前に存在感を示した。
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14
平成
2月
審判員のプロフェショナル契約を導入
JFAはレフェリーとプロフェッショナル契約をするスペシャルレフェリー制度(現プロフェッショナルレフェリー制度)を新たに導入した。
5月31日-6月30日
2002FIFAワールドカップ日本/韓国を開催
アジア初のFIFAワールドカップを韓国と共同開催した。日本はグループステージ第2戦でロシアに1-0、ワールドカップ初勝利を挙げる。2勝1分けで決勝トーナメントに進出し、ラウンド16でトルコに0-1と惜敗。大会史上初の共催となった同大会は日韓の友好関係を深めるとともに、日本中がサッカー一色となり、開催地やキャンプ地などでは温かな交流が育まれ、「笑顔のワールドカップ」と称された。
8月
小倉純二副会長(当時)がFIFA理事(現FIFAカウンシルメンバー)に就任
初のFIFA U-19女子世界選手権でベスト8
第1回FIFA U-19女子世界選手権(現FIFA U-20女子ワールドカップ)がカナダで開催され、U-19日本女子代表がアジア女王として出場した。FIFAの大会新設により女子の年代別強化が本格的にスタートする。
10月9日
「キャプテンズ・ミッション」策定
サッカーの普及と強化を目的とした9項目(当時)の重点施策からなる「キャプテンズ・ミッション(後にプレジデンツ・ミッション)」を策定。都道府県サッカー協会と連携しながら、サッカーファミリーの拡大と日本サッカーの基盤に取り組む。
11月21日
JFA名誉総裁の高円宮憲仁親王殿下薨去
W杯(中津江村)が流行語大賞を受賞
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15
平成
3月21日
高円宮妃久子殿下が名誉総裁に就任される
3月15日
JFAプリンスリーグU-18がスタート
2002年12月のJFA理事会で「都道府県における2・3種年代リーグの積極展開」が発表され、ユース年代の改革に着手。その一環として、第2種(U- 18)では新たに地域の公式リーグ戦「JFAプリンスリーグU-18」が発足した(名称はJFA名誉総裁を務められた高円宮殿下に由来)。
4月
フットサル個人登録制度開始
4月
JFAキッズプログラム、JFAエリートプログラムがスタート
4月
JFAエリートプログラムが始動
ユース改革の取り組みの中で新設された「JFAエリートプログラム」の第1回が4月27日~5月2日、Jヴィレッジ(福島)で開催され、全国から選出されたU-14・U-13の選手30人が参加。世界基準を目指す選手の育成が本格的にスタートした。
9月
日本サッカーの新拠点、JFAハウスが東京都文京区に誕生
12月
日本サッカーミュージアムがオープン(JFAハウス内)
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16
平成
4月
JFA公認指導者登録制度を導入
5月20日
FIFA100周年功労賞の「ファン」カテゴリーで
日本と韓国が共同受賞
FIFA100周年記念総会(パリ/フランス)で功労賞が発表され、日本と韓国のサポーターが「ファン」部門で共同受賞。長沼健最高顧問がFIFA100周年記念功労賞を受賞した。
7月7日
日本女子代表の愛称が「なでしこジャパン」に決定
アテネオリンピックに向けて日本女子代表の愛称を公募することが決まり、この年の5月15日~6月20日にかけて募集。応募総数約2,700通の中から選考され、「なでしこジャパン」に決定した。
8月11日-19日
アテネオリンピック、男女共にメダル獲得ならず
第28回オリンピック競技大会(2004/アテネ)で男子は1勝2敗でグループステージ敗退、女子は初戦のスウェーデン戦でオリンピック初勝利を飾ったが、準々決勝でアメリカに2-1で敗れた。
9月
スーパー少女プロジェクトがスタート
未来のなでしこジャパンのゴールキーパー(GK)を発掘し育成するスーパー少女プロジェクト(現 女子GKキャンプ)がスタートした。主にU-15年代の選手を対象に実施。
10月23日
新潟県中越地震
12月
「新潟県中越地震復興支援チャリティーマッチ がんばれ新潟!」を開催
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17
平成
Coming Soon ...
※本内容はJFAnews2019年4月情報号(No.420)に掲載されたものです。最新号の情報は
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高円宮杯 JFA U-18サッカープレミアリーグ 2018 プレーオフ
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