貧乏と大学進学のこと (昔話) と娘の中学受験のこと(過去話) | HER2タイプ乳癌ステージ3C 経過観察中シングルマザー

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5ch掲示板・ネットwatch板
『癌闘病ブログ』と名のつくスレッドで

延々と1年以上の長きに渡り、
学歴、職歴などについて中傷された上で

学歴偏重主義のように、また更に
中傷され続けていますので、

過去記事で多少書いたと思いますが
きちんと書いておこうと思います。

ーーー

【私のこと】

我が家はかなり貧乏で、
私は進学するためのお金で苦労しました。

因みに、どのくらいの貧乏かというと
家は小5の時にローンで購入したから
そのローンと父の胃癌、転職が
貧乏の元だったと思いますが

殻としての家だけあって、
かなりの家庭に普及していた物が
あまりなかった

両親はTVくらいしか、楽しみのない人たち
だったけれど白黒からカラーに変わったのは
遅かったかもしれない。

涼しい地方なので、エアコンの付いていた
家庭は珍しく、街中の医者の同級生の
家くらいだったかな。
だから無くて当たり前、今でも無くても
大丈夫。

車はないと生活できないので、
中古の安い車がありました。

貧乏だからかネグレクトだからか、
当時はかなり父母の仲が悪かったからか
家族旅行は海に2回連れていってもらった
のが全てかな。
伯父伯母が連れていってくれた
(両親は行かない)回数の方が若干
多かったかな。

習い事も
月謝が安い算盤と、親戚がやっていた
習字には通いましたが、
ピアノとかバレエは高いからNG、
楽器は高いからNG。
レコードプレイヤーもNG
比較的色んな家に普及していた
オーブンもNG

熱心にやっていた算盤も、山の家に引っ越す
ことで辞めざるをえなくなり、

中学時代は相当数の生徒が通っていた
英語や学習塾は、高い、学校の勉強だけ
してればよい、という不要の判断を
覆せずNG

田舎だったので塾に行かずとも
学校の勉強だけで進学校に入れたけれど
お友達がそれらの話をしていると
羨ましかったな。

でも、中学では400人中1番の成績
 (9教科の内申点、通常の5教科のテストも
  全回数を平均すると一番だった)
だったけれど

※山の中で他にすることがないから
  勉強や読書をしたってだけかも。

他者との比較とか順位よりも
家が貧乏かつ教育ネグレクトだったために
お金の心配・不満や将来への不安で
一杯だった
普通の公立中学だからテストも簡単で
他者との比較より、100点取れるかどうか、
出題者との勝負しか考えなかったかな…。

既に中学の時から、
たとえ1番であっても、
上の学校に行ってもっと勉強したい、
という気持ちが
教育ネグレクト両親に理解されることなく、

貧乏だから大学に行くお金は出せないし、
女に学問は必要ない、
高校を出たら就職するんだから
進学校よりも商業高校に行け、と言う
両親を、学校の担任が、説得してくれて
進学校に行くことができた。
高校の奨学金ももらえるよう試験も
受けさせてくれて。
(2つの中学のトップクラスで
  後に私の母校で再開した2人もいました。
  やはりお父様が病気の人と母子家庭の人)

家が貧乏で皆が行っている英語塾に通えない
ことを嘆いたら、基本的に英語で授業する
先生が自宅に招いてくれて、一昼夜英語
だけで生活させてくれたり、

担任の国語の先生は読書感想文の県の
コンクールに出してくれて毎年賞を
いただいたり

理科の先生が夏休みに、研究室と薬品を
特別使わせてくれて実験させてくれて
(一人で勝手に使えた、内緒で)
研究で賞を取らせてくれたり

先生方に育ててもらったかな、

底辺教育のしっかりしている、
いい時代、いい「教育県」でした。

※因みに、父は普通に会社員で、
  生活保護は受けたことはないです。

※貧乏で出来ないことも多かったから
  友達との比較で若干思うところはあった
  けれど、差別はなかったな
  クラスに暴力団の息子もいたけど
  差別はなかったな、高校で問題は
  起こしていたけど…
  
※因みに、私の時代は女子の大学進学は
  それほど多くなく、短大や高卒が
  多かったかな。
  でも、成績上位者は、塾に行かせて
  私の母校か、1つ偏差値が下の女子高の
  進学校に行かせようという親が
  既に多い時代ではありました。

  従弟は塾に「行かされて」、時々サボって
  温泉(街中の銭湯、普通に温泉が出る
  ただだったかな、温泉だから朝から夜まで
  やっていたし)に行っていた。
  私が貧乏で進学させてもらえない、と
  愚痴らせてもらい、アルバイトしているのを
  知っていた叔母は、大学の夏休みに
  従弟(温泉の従弟の弟)の家庭教師を頼んで
  くれた。お金を貰って良いのかな、という
  くらい、それほど勉強は出来なかったが
  飽きると魚を焼いてくれる従弟だった…。

  実家は一世代ズレているというか…。
  勉強嫌いの教育ネグレクト。
  価値観は自分か全て、時代的にも
  違うでしょう、と思うのに、
  鬼母はいくつになっても女、
  母にはならなかった、他にも色々あり
  50年求めて得られなかった母親の愛、
  ではあります…。

   妹のことが掲示板に書かれていたけれど
   妹も育った頃の実家にはネガティブな
   感情も多く、不登校とかも経験して
   いましたので、家庭環境はよろしくは
   なかった。潔癖なくらい綺麗好きの
   鬼母が綺麗にはしていたし、
   おかずがもやし炒めだけ、ご飯とお味噌汁
   漬物だけでも食事はきちんとありました。
   雰囲気がよくなかっただけで。
   それぞれ仲が良くなく。


ー◆ー◆ー◆ー

【娘の中学受験が大事だった理由】

  娘には、私も逆のことをしているのかも
  しれない、とは少し思いつつも、
  
  でも、時代的に大学進学女子もそれなりに
  いて、(高校は全入時代)大学進学したいのに
  女に学問はいらない、というのと、

  大学全入時代に、それなりの大学に
   行く段取りをする、
   稼げるようになれるとも思えない夢は
   大学を出てからでも遅くないよ、
   という私とは、
   ちょっと違うと思うのだけど…。

   習い事も、私は勉強しかなかったから
   娘には音楽とかバレエとか、他にも
   趣味があるといいよね、とか、
   英会話はできた方がいいね、と
   誘導はしたけど、基本的には、自分から
   やりたいと言ったものをさせてきました。

   中学受験が、あんなことになって…。
   学歴じゃないのよ、
   大学はもっと年を経てから行きたい時に
   行くのもアリだと思うけど、
   青春時代を過ごす「教育環境」が
   大事だったのよ。
   ※私の母校の話は次に書きます。

   地方と東京では全く教育環境が違う。
   住環境と、自称暴力団の娘たちとの
   ことを考えると、何がなんでも
   中学受験が大事だったのです…

   様々あったけど、
   やっぱり受験すると言い出したのは
   通っていた学校の受験1週間前
 ・ 特待で受かった女子高に行かず、
 ・ 都内で受かって入学金も払っていた
      学校の制服採寸をドタキャンして
     (入学説明会には行ったから、だいぶ
       待っていただいたんだけど…)

  「どこに行っても東大行けばいいんでしょ」
   と豪語して、ドタキャンしたから
   だから「東大」だったんですよ。
   そう言ったよねって。
   いい大学だと思う、入れるなら是非って
   思ったけど(そんなに勉強しないからな…
   やる気になるとやるんだけど…)
   何がなんでも東大とか思っていなかった
   けれど、中学時代に赤本が欲しいって
   いうから買いました…(授業で数学の
   先生が使っていたようです)

   東大も芸大も自転車で行けるから
   (駒場はちょっと遠いけど)
   努力すれば何とかなったかも、
   東大は無理そうだから一橋目指そうかな
   と言っていた時もあった
   早稲田がいいとも言ってたかな
   ~今は、それどころじゃないけど~
   というところを、
   こつこつ努力をしないからなぁ…。

   また、迷走中…。
   今回は私もかなり激怒して、言い過ぎた
   心理的虐待の域だったかもしれない、
   が、働いているからお金が得られる
   ご飯を食べられるってことを、何とか
   理解させようとしたけど
   私の仕事への恨みが、私への不満が
   ずっと続いている…

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