2017年春から始まったけやき坂46初の全国ツアーは、残すところ千葉・幕張メッセでの2days公演のみとなった。ツアーファイナルとなるこの千葉公演は、12月12、13日の2日間で計1万4000人を動員するという、これまでとは桁違いの規模のライブだった。

しかし、これまで各地でライブビューイングを行なっていたことも功を奏し、けやき坂46のファンはツアー開始当初よりも大幅に増え、チケットは即完状態となっていた。

また、この千葉公演で初ステージを踏むことになる2期生たちも、1期生たちとの合同曲『NO WAR in the future』の振り入れを行なった。こうしてけやき坂46は、過去最大規模のツアーファイナルへと向かっていった。

■本番2日前に起こったアクシデント

千葉公演のセットリストに含まれていた楽曲は、2日間で計20曲。ここで初披露となる新曲『NO WAR in the future』をはじめとするけやき坂46の全オリジナル曲に加え、これまでに歌ってきた欅坂46の曲や洋楽メドレーも並んでいた。

さらにタップダンスやドラムマーチなど、全国ツアーの各会場で披露してきたパフォーマンスもすべて上演されることになっていた。まさに、1期生たちが約9ヵ月にわたって行なってきた全国ツアーの集大成といえる内容だった。

そしてこの千葉公演で新たに披露される予定だったのがローラースケートのパフォーマンスだった。だが、子供の頃にやったことがあるというメンバーが多かったにもかかわらず、それは意外にもどのパフォーマンスより苦戦を強いるものだった。

練習ではヘルメットに加え手首・肘・膝のプロテクターを完全装備したが、何度も転ぶうちに恐怖心にとらわれるメンバーも出てきた。特に苦手意識があった佐々木美玲や高本彩花は、恐る恐る滑ってはすぐに手すりにつかまってばかりいた。

また、ローラースケートを披露することが発表されたときから「できる気がしないんだけどどうしよう、ねぇどうしよう」と不安を口にしていた齊藤京子は、滑る前の足踏みの練習にさえ苦労していた。

そんな状況のなか、より本番に近い環境で練習するために早朝から都内の大型ローラースケートリンクを借り切ってリハーサルを行なうことになった。ここでも、慣れない広いリンクとよく滑る床の上でメンバーたちは頻繁に転んだ。やがて講師が彼女たちを集めて口頭で説明を行なっているとき、異変が起きた。

「ちょっと気持ち悪くて......」

柿崎芽実がその場にしゃがみ込んだまま動けなくなってしまった。その顔は、驚くほど真っ青だった。すぐにスタッフが彼女を病院に連れていった。

夕方になって再びリハーサルスタジオで楽曲の練習を開始したとき、スタッフにつき添われて柿崎が戻ってきた。その左腕は三角巾でつられていた。

その柿崎の姿を見た瞬間、齊藤は「まさか」と鳥肌が立ったという。朝の時点で柿崎がそれほどの大けがをしているとは誰も予想していなかったのだ。

そしてスタッフの口から経過報告が行なわれた。

「見てのとおり、柿崎は左腕を骨折しました。今度の幕張のライブにも出られません」

そのショッキングな言葉に、ほとんどのメンバーは泣きだしてしまった。それは幕張のライブのわずか2日前のことだった。

■上を向いて涙を流さない

長野県で生まれ育った柿崎芽実は、子供の頃からなぜか人より注目される存在だった。幼稚園や小学校の学芸会では、特に立候補していないのに推薦を受けてお姫さま役をやった。活発で友達が多く優等生だったこともあり、中学では所属していた美術部の部長や生徒会書記も務めていた。

けやき坂46のオーディションの合格発表の際も、スタッフから壇上の中央に立つように指示されたし、グループの最初のオリジナル曲『ひらがなけやき』でも長濱ねるとWセンターを務めた。

また、加入当時14歳でグループ最年少だった柿崎は、メンバーから"ひっつき虫"と言われるほどの甘えん坊だった。しかし、時に激しい一面をうかがわせることがあった。

グループの3曲目のオリジナル曲『僕たちは付き合っている』で、センターの長濱ねるの後ろの1.5列目という微妙なポジションを与えられた際は、悔しくてたまらなかった。センターから外されたことがいやだったのではなく、自分の実力不足をわかった上で「下げるんだったらこんな中途半端なところじゃなく、もっと後ろにすればいいのに」と思ったからだった。

また、けやき坂46のライブで柿崎がセンターを務めていた『二人セゾン』で、ソロダンスを井口眞緒が担当することになった際は、「センターの芽実がやればいいのになんで私なの」といつまでもぐずぐず泣いている井口に本気で腹を立てた。

「泣いても何も変わらないんだから、決まったことはやるしかないでしょ」

柿崎自身もセンターを務めるなかで何度も泣くことがあったが、「できません」と言って逃げたことは一度もなかった。その負けん気の強さと一度決まったことをやり抜こうとする性格は、気高さを感じさせるほどだった。

そんな柿崎が幕張の大舞台を目前にして大けがを負ってしまった。実は転んで手をついた瞬間に「やったな」と自分でもわかったが、病院でレントゲンを撮ってあらためて骨折という診断結果を聞かされたとき、柿崎ははじめて大泣きした。それは医者が驚くほどの取り乱しようだった。

けやき坂46のメンバーとして頑張ってきた1年半の成果を見せるライブに、自分は参加できない。その事実をこの時点ではっきりと悟ったからだった。

しかしその数時間後、リハーサルスタジオに戻ってきた柿崎は、ほかのメンバーが泣きじゃくるなかでじっと上を向いて涙がこぼれるのをこらえていた。その胸のうちにはこんな思いがあった。

「ここで私が泣いちゃ絶対にダメなんだ。今みんなの気持ちが乱れたら、幕張を成功させられない」

柿崎のライブ不参加に伴い、本番直前のこのタイミングですべての楽曲のフォーメーションを変更することになった。それは、「芽実の分までほかのメンバーでカバーして最高のライブを届けよう」というチームの選択だった。

そのリハーサルの間中、柿崎はスタジオから一歩も離れずにじっとリハの様子を見ていた。一番悔しいはずなのに涙をこらえている柿崎の心中を思うと、メンバーですら誰も声をかけられない。しかしその気高い姿勢は、その場にいた者の心を強く刺激した。

いつも弱気だったはずの加藤史帆は、このときスタッフから「泣いたってしょうがないだろう」と言われて、はっきりと言い返した。

「私は悲しくて泣いてるんじゃありません。悔しくて泣いてるんです」

柿崎と幕張のステージに立てないという悔しさが、メンバーたちの闘志に火をつけていた。

そして、激しい気迫を放つこの先輩たちの姿をスタジオの隅で見ていたのが、2期生たちだった。スタッフも熱くなって声を張り上げるような異様な空気に当てられ、何人もが感情を高ぶらせて涙を流した。このとき見たリハーサルの光景こそ、彼女たちのその後の姿勢に決定的な影響を与えることになる。

そんな嵐のような2日間を経て、いよいよライブの開催日がやって来た。

全国ツアーファイナルとなる幕張メッセでのライブで、1期生と2期生の初の合同曲『NO WAR in the future』を披露するメンバーたち

■私たちはここでとどまってはいられない

ライブはけやき坂46にとっての初めてのオリジナル曲『ひらがなけやき』で幕を開けた。当初センターに立っていた長濱ねるも柿崎芽実もいない10人だけのパフォーマンスだった。

柿崎はこの日もステージ横のモニターに張りついてじっとメンバーたちが歌う姿を見ていた。ライブが始まった直後は、自分がそこに出られない悔しさと、自分のせいでローラースケートの披露も中止になってしまったことに対する申し訳なさで何度も涙があふれてきた。

だが、このときステージに立っていたのは10人だけではなかった。ライブ前の円陣に柿崎も参加した際、誰からともなく「ねるちゃん」という声が上がると、佐々木久美が声を張って指示した。

「ねるちゃんの分も空けて! 12人で、全力でやろう!」

1期生たちにとって今までの集大成となるライブだからこそ、長濱ねるも柿崎も含めた12人分のハッピーオーラを届けるんだという意識が、彼女たちの胸にあった。

そして広い幕張のステージで、たった10人であることを感じさせないくらい大きく踊る仲間たちの姿を見ているうちに、袖にいた柿崎の気持ちも変わっていった。

「ライブって、見ているだけでこんなに元気が出るんだ。私も頑張っていこうって勇気をもらえるんだ。私はほんとにひらがなけやきのみんなが大好きなんだな」

この日、メンバーたちが衣装替えやユニット曲の交代のためにステージ横を通るたびに、柿崎は笑顔で「頑張って!」と声をかけ続けた。

また、これからのグループの未来をつくっていく2期生たちも、ここで最初の一歩を踏み出した。

ライブ中盤、2期生がひとりずつ登場し自己PRをした後、1期生も合流して『NO WAR in the future』を初披露した。四つ打ちのビートに、拳を振り上げてジャンプする振りを多用したパワーのある楽曲だった。

間奏では、メンバー全員でつくる大きな「ひ」という人文字が、ステージ真上のカメラでとらえられた。大人数になったことで初めてできたダイナミックなフォーメーションだった。

2番のAメロでは、1期生と2期生がふたりひと組になって次々と前に出てポーズを決めるというパートも用意されていた。この振り付けは1期生と2期生の融合を促すとともに、実は「メンバーにカメラを意識させる」という隠れたテーマも織り込まれていた。

彼女たちの先輩の欅坂46のライブでは、メンバーの顔も判別がつかない逆光の中でパフォーマンスが行なわれるという演出が多用されている。その幻想的な光景は観客に陶酔をもたらすとともに、ほかのアイドルのステージとは一線を画すグループのカラーにもなっていた。けやき坂46のライブにおいても、欅坂46の楽曲をパフォーマンスする際は基本的にこの演出プランが踏襲されていた。

しかし、欅坂46とは違うけやき坂46らしさを表現するために新たに加えられたのが、モニター越しのアピールだった。それぞれのメンバーがカメラに抜かれるタイミングを意識し、観客にアピールしていくというこのスタイルは、アイドルのライブにおいてはごくオーソドックスな方法論であり、大先輩の乃木坂46も最も得意としていることだった。

後にこのモニター演出はさらに進化していくが、こうしてアイドルらしく見せる楽曲とクールに見せる楽曲を使い分けていくという点で、乃木坂46と欅坂46のハイブリッドともいえるスタイルをけやき坂46はすでに試みていた。

ライブのラストでは、柿崎芽実を含む1期生のみで『W-KEYAKIZAKAの詩』を歌唱した。左腕をけやき坂46のフラッグで包んだ柿崎がマイクを取って話すと、満席の会場から割れんばかりの歓声が起きた。

「今、このステージに11人全員で出ていることが本当に幸せです」

柿崎をはじめとするけやき坂46の1期生たちは、グループに加入したころ、「欅坂46にアンダーグループはいらない」と一部のファンから言われたことを昨日のことのように覚えていた。それが今やこの広い幕張メッセをけやき坂46のタオルが埋め尽くす光景を見て、信じられない心持ちがするとともに、言葉にできないほどの幸せを感じていたのだった。

そして2日目のライブの最後のMCで、佐々木久美はこう語った。

「私たちはねるちゃんひとりから始まった12人で頑張ってきて、次に11人になってしまって、また20人に増えたんですけど......。でもずっとねるちゃんの意志は継いでるし、こうやって私たちのことを好きって応援してくださる方が増えてるし、だから私たちはここでとどまっていられないなって思うんです。まだまだ未熟な私たちですけど、9人の後輩も増えて、もっともっと頼もしく、カッコいい、ハッピーオーラで包まれたグループを今の20人で育てていきたいなって思っています」

一言一言に思いを乗せるように彼女が話す間、満席の会場は一瞬も聞き漏らすまいと静まり返っていた。モニターには、この1年半のことを思い出して涙を流すメンバーたちの顔が映し出されていた。

こうして、柿崎芽実の骨折という不慮の事態を乗り越えて行われたけやき坂46最大のライブは、無事に幕を降ろした。しかし、その直後に彼女たちはより大きな試練に直面することになる。(文中敬称略)

●柿崎芽実(かきざき・めみ) 
2001年12月2日生まれ 長野県出身 ○けやき坂46の1期生最年少メンバー。『ひらがなけやき』『誰よりも高く跳べ!』などでセンターを務める。好きな言葉は「一番いいのは努力して勝つこと。二番目にいいのは努力して負けること」。愛称は"めみ"

『日向坂46ストーリー~ひらがなからはじめよう~』は毎週月曜日に2~3話ずつ更新。第19回まで全話公開予定です(期間限定公開)。