第9話 義妹、また弁当を作る
蒸し料理は美味しくいただいた。
初美は自室へ料理を運んだので、別々の夕食だ。
義妹とは二年間、家庭内別居状態である。当たり前のことなので、篤は今さらショックなど受けたりはしない。それでも、無音のリビングで黙々と食べている自分に違和感をおぼえることはあった。
違和感といえば初美の提案だ。
(買い物を俺と一緒にね……)
食器を洗いながら、初美の大きな瞳と黒髪が頭に浮かんだ。
『じゃあ明日、一緒にお買い物に行きましょう』
あの防御力最大の義妹の発言とは思えず、狐につままれているような、詐欺師に騙されているような、そんな疑心暗鬼な気分になってくる。
ただ、初美の性格を考えると嘘とは思えない。二年前から冷たい態度ではあるが、嘘をつかれたり、からかわれたりなどの迷惑行為はされたことがない。言葉は辛辣でも丁寧な受け答えをしてくれる。向こうから声をかけてくるのは用事のあるときだけだが。
(どう考えても脱毛バレからだよなぁ……。想定外すぎてなぁ……)
もう一つ気になっていることがある。
夕食が豪華なのだ。
今までの食事当番では、みそ汁、納豆、卵、あとは適当にしてくださいと言わんばかりの手抜き料理ばかりだった。
それが本日の献立は蒸し料理。オシャンティに鶏肉と野菜を蒸したヘルシーな献立だ。それだけではなく、焼き魚と肉じゃがもセットでついてきた。何? 最後の晩餐なの? 最後にパンとぶどう酒が出てくるとかないよな? と周囲を見回したくなる。
(鶏肉蒸しちゃう時点で健康志向っぽいよな)
洗い終わった食器を拭いて、棚に戻していく。
(さすがなんでもできる大和撫子、紗理奈さんの娘ってことか)
義母の紗理奈は超人と言っていい。
美人で料理は料亭並の腕前。気立てもよく、愛想もいい。頭脳明晰で、服のセンスも抜群。父の右腕として働いている。父が再婚したのもうなずける素晴らしい女性だ。
(カメに紹介したらギャルゲーの隠しキャラとか言いそうだ)
義母紗理奈の胸部は大きい。初美に遺伝している。
お調子者の友人、亀治郎のうるさい笑顔が脳裏をよぎった。
食後に胸焼けのする映像だ。
友人のむさ苦しい顔を頭から追い出して、初美のマスク顔を思い浮かべる。
義妹が何を考えて昼食に弁当を作り、夕食にオシャンティ料理を作成したのか、原因がわからない。脱毛代金に罪悪感をおぼえているのであれば、やめさせたいと思う。しかし、先ほどそれ言ったら否定をされた。
(あいつのこと、ちょっとは理解したと思ったけど……やっぱ全然わからん)
食器棚を閉じてリビングのソファに座り、電源のついていないテレビの黒い液晶を眺めた。
◯
翌朝、出発の準備をしてリビングに入ると、またしても初美がソファに座って紙パックりんごジュースをちゅーちゅーとストローで吸っていた。マスクをした横顔をちらりと確認して、ダイニングテーブルへ向かう。二日連続ともなると驚きはそこまでない。
「おはよう」
黒髪に声をかけると、振り向かずに「おはようございます」と返された。
テレビの電源はついていなかった。
どうやら義妹はテレビをあまり見ないようだ。
(まだ登校してないのかよ……。ほんと何なの? 俺を待ってた? 嫌いな相手を待ってるとか謎なんだが)
米ソ冷戦のごとく終始冷たい態度を取ってきた義妹に、“篤を待つ”というコマンドが存在していることに違和感をおぼえる。二日連続で驚きは少ないが、不可解さが増した。
気にしたら負けだと自分に言い聞かし、トーストを焼いてコーヒーを淹れ、ジャムを塗って口に放り込んだ。朝食のメニューは考えないに限るな、と篤は思う。朝から食い物のことを考えると疲れそうだ。
トーストを食べ終わってコーヒーをすすっていると、見計らったかのように義妹が立ち上がって、こちらにやってきた。
黒目がちな大きな瞳で、篤を射抜くように見つめてくる。
これから撃たれるのだろうか。
篤が身構えようとすると、初美がもう一歩近づいてきた。
「あの」
「なんだ?」
「……」
初美は篤から目をそらし、青い物体をお淑やかに差し出した。
見ると、青い巾着袋が華奢な両手にのっている。
「また、お弁当を作りました」
「……みたいだな」
まあ、そりゃあ毎日作ってるもんな、と篤はごくりとコーヒーを飲む。
「そうです」
こくりとうなずいて青い巾着袋を差し出したまま固まる義妹。
目線はそらされたままだ。
(目も合わせたくないなら近づくなよ)
飲んでいるコーヒーがやけに苦く感じる。
今に始まったことではないが、家族であり、義妹であり、美少女でもある初美に拒否されるというのはそれなりの精神的ダメージを負う。そこのところを考慮しつつ行動してほしいと思う。
「……」
「……」
無言を貫く義妹。
初美は段々と眉間を寄せ、洗いたてのシーツみたいな綺麗なおでこにうっすらとしわを作った。
どことなくぷるぷると震えている気がしないでもない。
風邪でも引いたかと気になり始めた頃、初美が声を上げた。
「あのっ」
「お――おう?」
口に含んでいたコーヒーを吹き出しそうになり、飲み込んでから返事をした。
「このお弁当は篤さんの分ですから」
「はい?」
昨日だけの気まぐれだと思いこんでいたため、初美から弁当を渡される、という一連の流れが脳内でうまく処理されない。
ダメな義兄を見て業を煮やした初美は、上目遣いに睨んで早口に言った。
「は、早く受け取ってください。せっかく作ったのにいらないんですか?」
「いる。いる」
問いただされて、ひょいと青い巾着袋を持ち上げた。
いらないなんてとんでもない。
「遅いです。察してください」
「いや、無理だろ」
今までの関係性から鑑みて、二日連続で弁当をもらうなど想像もつかない。
「お弁当を渡そうとしていることくらいわかりますよね?」
「想像もできなかった、と言い換えよう」
初美の指摘にすぐ切り返す。
「それは……」
両手から弁当がなくなった初美は手持ち無沙汰になったのか、両手を握る。
篤の言わんとしている意味を理解して目を伏せた。
さすがに弁当を作ってもらった身でこんな発言はよろしくないと思い直し、篤は初美の目を見た。
「弁当、ありがとな」
想像以上に明るい声が出た。
喜んでいると思われたくない。篤も初美から目をそらした。
「い、いえ。では失礼します」
初美は用事は済んだと一礼をして、リビングのソファから学生鞄を取り、紙パックりんごジュースをゴミ箱に捨て、玄関へ向かった。ドアを開けて音を立てずに閉める。ドアの開閉もお上品であった。
(まじか……)
背もたれに体重をあずけた。
あまりうまく理解できない。だが、兎にも角にも初美が作ったらしい二回目の弁当が自分の手元にあった。青い巾着袋がこの世の異物のような、それでいてIDEA77に登場する宝石ように見えてくる。
篤は、丁重に鞄の底へ巾着袋を収めた。