第5話 義妹、脱毛する
移動中もよそよそしく離れて歩き、美容外科に到着した。
小奇麗なビルに気圧されるも義妹にヘタレな姿は見せられない。何食わぬ顔で受付に行き、名前を告げて順番待ちをする。
ほどなくして「白石初美さん」と呼ばれた。化粧をばっちり決めた看護師に案内されて二人は診察室に入った。
「初美ちゃん久しぶり〜。あなたがお兄さんの篤くんね。北条凛々子です」
女医は、義母の紗理奈に負けず劣らず若々しかった。髪をハーフアップにした、絵に描いたような美人だ。
「急な予約、ありがとうございます。兄の篤です。よろしくお願いします」
「いつも母がお世話になっております。今日はよろしくお願いします」
義妹は完全なよそ行きモードになっている。さっきまでの自分に対する態度はなんだと言いたい。
「二人とも高校生なのに礼儀正しいのねぇ。紗理奈から色々聞いているんだけど、こちらこそ本当にごめんなさいね〜。本当は無料でやってあげたいぐらいなんだけど、お薬の原価が高いんだよね」
彼女の間延びするしゃべり方と優しい言葉に緊張がほぐれた。どうやら初美も肩の力が抜けたらしい。半額にしてもらっているだけでもありがたいのだ。篤と初美は再度礼を言った。
それから、説明が始まった。
新開発の半永久脱毛は特殊レーザーと薬を併用し、部位ごとに進めていくそうだ。
施術全行程終了に二ヶ月から三ヶ月かかるとのこと。今が四月頭なので七月中には終了する計算となる。通常の脱毛が半年から一年かかることを考えれば驚異の早さといえる。
毎週土曜に来院して施術し、経過を見ながら進めていくことになった。これなら学校にも支障はない。
「どこからやるぅ? やっぱり顔だよね?」
「あ、俺、席外します」
どの部位から処理するかという質問に、腰を上げた。デリケートな女子的ゾーンだ。男子禁制だろう。
「ありがとねぇ」女医の凛々子は笑みを浮かべ、ドアを開けようとする篤を呼び止めた。「そうそう。篤くんってさ、将来いい男になりそうだよね。紗理奈に聞いたけど、自分の好きなものを全部売って初美ちゃんのために資金を出してあげたんでしょう?」
「はい、まあ」
「憎いね〜。女の子に困ったらいつでもお姉さんに相談してね。紹介してあげるから。あ、私でもいいわよ〜、こう見えて独身だからねぇ」
どう返事をしていいかわからず、篤はハハハと乾いた笑い声を上げた。
「女性がデリケートな話をするんです。早く出ていってください」
初美がちらりと篤を見た。
丁寧だが明らかに棘のある言い方だ。
「あら、怒られちゃったわね。じゃあ何かあったら呼ぶから、待合室で待っててね」
「はい。よろしくお願いします」
こちらを見ていない初美の後ろ姿を確認し、診察室から出て待合室に戻った。
二十分ほど経った。
初美が診察室から出てきて「これから施術を受けます」と言い、一席空けて座る。
右から篤、ぽっかりと空いた席、初美の順だ。
(椅子一つ分が……俺と初美の距離だな)
隣に座らない美しい義妹を見て、気にすることもないと腕を組んだ。
さらに十分経って初美が呼ばれた。
施術の開始だ。
「痛かったら呼べよ。手ぐらい握ってやる」
「いりません」
緊張をほぐしてやろうと冗談を言うも、目も合わさずに返された。
初美は姿勢よく施術室へ入っていった。
施術は一時間以上かかるらしい。
清潔な待合室でぼんやりと天井を見上げる。設置してある加湿器から水蒸気が上がり、ヒーリングミュージックが流れている。
ついスマホを取り出して、流れるようにIDEA77をタップした。三年間で培った習慣のようなものだ。アカウントを売り払ったため、『アカウントを作ってください』という初期設定の画面がポップアップした。
イデアを再スタートしようかと、持っている捨てアドを打ち込んだ。
(妙子、いないんだよな……)
ふと、思い出して手が止まる。
スマホのホーム画面に戻って、アプリからログアウトした。
どうにも、ゲームを始める気分にはなれなかった。
キャラはハンター妙子だけではない。サバイバーにも多用しているお気に入りキャラはいる。高ランクプレイヤーにしか配布されない特殊スキンなども魅力的で、見た目を変更すれば何度もプレイが楽しめる。
また、IDEA77は鬼ごっこだけではなく、宝箱から持ち帰ったアイテムで自分の部屋を飾ることもできる。ルームはスマホのトップ画面とも連動でき、好きな部屋を作りたいがためゲームをやるプレイヤーも多い。
後発で追加されたペットシステムは今や女性に大人気だ。
宝箱から発見したイデアの卵を孵化させるとペットとしてルームで飼うことができ、これもスマホとの連動で専用アプリを落とすと、メールや着信の呼び出しをペットが行ってくれる。このペットがとにかく可愛い。
もふもふからつやつやまで各種そろっていて、色、顔、種族、声、動きなど、複雑な組み合わせが存在する。あまりの組み合わせの多さから、全世界のペットを集めてもコンプできないというのが専用スレでの考察だ。
(ペットとか死にかけのゾンビにしてたけどな)
ゾンビなのに死にかけというネタキャラだ。
今頃、ランク戦始まってるな、と時計を見ていると、待合室に初美が戻ってきた。
マスクを装着した最大防御な服装だ。
施術のせいか、伊達メガネの奥の肌がほんのりと赤い。
「痛かったか?」
「大丈夫です。我慢できました」
「そっか」
「はい。終わって安心しました」
「ああ、そうだな」
気づかないうちに大きな息を吐いた。
何だかんだ緊張していたのかもしれない。
初美はそんな義兄の様子を見て立ち止まり、椅子を見下ろし、迷う素振りを見せた。
初美がチラチラと自分を見てくる。
めずらしい。というより、普段は見向きもされない。篤は訝しげな目を彼女に向けた。
「どうした?」
「……別に、なんでもありません」
初美は音を立てず、そっと篤の隣に腰を下ろした。
「え…………隣?」
あまりの驚きから、まじまじと義妹の横顔を見つめてしまう。
あれだけ近づくのを嫌がっていたのだ。それがどういう風の吹き回しだろうか。見当もつかない。
初美をよく見れば、さっきよりも伊達メガネの下の目元が赤くなっていた。マスクで頬までは見えない。だが、どうも赤みが増している。
「本当に痛くなかったのか?」
「痛くありませんでした。大丈夫です」初美は両手を太ももの上で揃えた。「なんですか? 私が隣に座るのがいやなんですか?」
「別に、やじゃないけど」
どうにも様子のおかしい初美が気になり、篤は怒られるのを覚悟で顔を覗き込む。
「痛いならちゃんと言えよ。先生に痛み止め出してもらえるだろ?」
「痛くありません」
覗き込まれるのがお気に召さなかったらしく、初美はぷいと横を向いた。
(そんな我慢しないでもいいと思うんだが……)
篤は強情な義妹の姿を見て、何か不測の事態が起きてもフォローできるよう、通院に必ず同行することを決めた。父との約束もある。
それを言ったら、初美は本格的に顔を合わせてくれなくなった。