第4話 義妹と美容外科に行く
翌日になっても初美は部屋から出てこなかった。
何度呼んでも返事がないため、学校へ風邪だと連絡を入れておく。
(兄妹そろって二日連続休みか。ま、始業式から三日目だし授業も大した内容じゃないだろ。……それにしてもあいつ、脱毛のことを知られてあんなにショック受けるとは……)
医療費を払うと言ったあとの初美の顔はひどかった。
マスクで半分隠れていたとはいえ、あんな悲壮な表情をされては何と声をかければよかったのか正解が見えない。
ましてや兄妹になってから二年間、敬遠され続けてきたのだ。「体毛が濃くて? へえ、そうだったんだ。脱毛したかったんだなぁ、妹よ」なんて言えるわけがない。
加えて「全身脱毛の相談をしよう」という、あまりにも高いハードル……いやもうこれハードルの域超えて魔王城に裸で挑むレベルじゃね? と謎の理論を展開をしたくなる高難易度の会話を、あの初美とこれからしなければならないのだ。
篤は文字通り頭を抱えた。
女性経験皆無な上に相談できる女友達など一人もいない。
(誰かこの難問を問いてくれ。というか部屋から出てきてくれ)
初美が部屋に閉じこもったあと、スカイプで紗理奈に知り合いの美容外科に連絡を取るようにお願いし、そこから話は早かったのだ。
病院は家から電車で五駅と近場。
医者はいつでも来ていいよ、と言ってくれる優しい女医だ。
明日の土曜でも予約を優先で入れるからすぐに連絡してね、とのことで、直接電話した感じだとかなり気をつかってくれているようだった。義母、紗理奈の友人だけある。
――脱毛
あのお淑やかでお上品な初美が声を上げて泣くほどの悩みだ。早く解決したほうがいいだろうと思っているのだが、いかんせん話が脱毛だけにデリケートゾーンで、どうやって話せばいいのかわからない。そもそも初美が部屋から出てこない。
リビングで悩んでいた篤は、再チャレンジだと立ち上がり、初美の部屋へ向かってノックした。
「初美、もう昼だぞ。とりあえず何か食べろ」
呼びかけると室内から物音がした。起きているらしい。
「紗理奈さんに連絡をしてもらって、俺も美容外科医と話したぞ。明日にでも来てくれってさ。土曜日なのに都合をつけてくれるそうだ。お前のこと心配しているみたいだったぞ」
反応のないドアに話しかける。
「女医さんとは話したことあるんだろ? それなら初美も安心なんじゃないか?」
語りかけていたら、義妹を助けたいという純粋な気持ちが強くなってきた。
冷たくされていても家族だ。
学年は初美と同じでも、篤のほうが誕生日が早いため年上。妹を守るのは兄の役目だと父からもお願いされている。
朝から「部屋から出てこい」とだけ言っていた。
(それじゃ出てこないよな。アホか俺は……)
篤はため息をついて、思いついたことを言うことにした。どうも自分の気持ちを説明するのは苦手だ。
「……あのさ、別に気を使わなくていいんだぞ。イデアをやめたのだってお前のためじゃない。俺がお気に入りだったハンターのキャラが使えなくなったからだ。まあちょっとは寂しいけど、初美の悩みが解決するなら俺はそれでいいと思ってる」
返事はないが、初美が部屋の向こうで話を聞いてくれている気配がした。
「どうしてもって言うなら、あとでお金を返してくれればいい。何十年先でもいいからさ。だから、明日病院に行かないか? 先生が昼過ぎまでに連絡をくれれば予約を入れてくれるって。土曜日を逃すとまた来週になっちゃうだろ」
しばらく返答を待っていると、足音がして、ゆっくりとドアが開いた。
初美はマスクをして目元を手で隠している。
うつむいているため顔は見えない。肩からこぼれ落ちる黒髪が胸にかかっている。初めて見る初美のパジャマ姿に驚くも、篤は何も言わない初美に向かって、出来る限り優しく声をかけた。
「俺のことは気にするな。明日、病院に行こう。な?」
「……」
「紗理奈さんもオッケーしてくれたぞ。大丈夫だから」
「……」
「気にすることは何もないぞ。心配だとは思うけど、初美は先生の話をしっかり聞いて言うとおりにすればいい。だから……明日の十時で約束してもいいか?」
強引に話を進める。
初美はしばらく黙り込み、小さくうなずいた。
篤は初美が了承してくれたことに安堵した。こんなやり方でよかったのかはわからない。
「じゃあ先生には電話しておくから、心の準備をしておくんだぞ」
「……はい」
ぽしょり、という効果音が適切だと思われるつぶやきを残し、初美は部屋に引っ込んだ。
◯
翌日、窓口で下ろしておいた三百万円の封筒を初美の前に置いた。
リビングで紙パックのりんごジュースを飲んでいた初美は、動きを止めた。
三桁超えの現金は厚みがある。ザ・現金、という重々しさだ。
初美はマスクの隙間から入れていたストローを引き抜き、黒い瞳をこちらに向け、じっと睨んできた。何も言わない。
(そんな目で見るなよ……)
長いまつ毛、大きな瞳、怒っていようが吸い込まれそうになるのは常だ。
「なんだよ」
照れを隠してぶっきらぼうに篤が聞く。
それでも初美はりんごジュースを持ったまま、じっと篤を見ている。何か言いづらいことでもあるのかもしれない。
ただ、これを渡さないと病院で脱毛できない。
いざ現金を見たら罪悪感が出てきたのかもしれない。篤はそう思って、ずいと分厚い封筒を初美の腕まで押しやった。
「気にするな。使ってこい」
「……」
その一言に、初美はなぜか顔をほんのり赤く染めた。
りんごジュースをテーブルに置き、綺麗な手をぎゅっと握りしめる。
いよいよ脱毛のことが恥ずかしくなってきたようだ。
「あー、その、すまん。他の誰にも言わないから。そんなに恥ずかしがるな。家族だろ。な?」
「…………あの」
やっと言葉を発した初美は、意を決したように、じいっと篤を上目遣いに見つめた。
睨んでいるような懇願しているような瞳にたじろいでしまう。
しかし、義兄の威厳というものがある。絶対に顔には出さない。
「どした?」
「…………来て……んか?」
「ん?」
篤は耳を寄せる。
どうやら初美は言いづらいことがあると極端に声が小さくなるらしい。
初美は接近されてわずかに動揺し、少しのけぞって距離を取ったが、姿勢を元に戻して声を出した。
「その……一緒に……来てくれませんか?」
「一緒に?」
「は、はい」
「……なんで?」
純粋な疑問だった。
学校でも挨拶、会話はしないという約束を交わしている。半径一メートル以内に近づいてほしくないとも言われた。当初はひどいやつだと考えたが、初美は男があまり好きでないようなので、義妹が望むならそれくらい別にいいかと了承した。
それに、あれだけ脱毛バレを恥ずかしがっていたのだ。
病院には一人で行くとばかり思っていた。
「……一緒に来てください」
「お、おう」初めてされる初美からのお願いに、うなずいた。「別にいいけど」
「お金、持っててください」
「わかった」
篤は分厚い封筒を手にとった。ハンター妙子の形見ともいえる現金だ。あとで丁重に鞄へ入れようと考える。
(義妹の全身脱毛に付き添いする兄は、世界広しといえど俺ぐらいだろう)
ひょっとすると大金を一人で持つのが怖かったのかもしれない。いわば自分はボディガードみたいなものか。そう思い至って、気を取り直した。
スマホの時刻表アプリを立ち上げて、電車の時間を調べた。
「早めに着くように行くか」
「はい」
「じゃあ出かける準備してくれ」
「いつでも大丈夫です」
「鞄だけ持ってくる」
自室に戻ってショルダーバッグに現金を入れ、一階に下りた。
初美は靴を履いて、ハンドバックに両手を添えて玄関で待っていた。
マスク、黒のタートルネックセーター、ブラウス、ロングスカート、黒タイツ、伊達メガネと今日も防御力は最大だ。黒髪で耳も隠れている。肌色は眼鏡の下くらいしか見えない。セーターから形のいい胸が張り出している。
「伊達メガネ?」
「病院に行くので念のため」
「ああ、そういうこと」
(どこぞのモデルがお忍びデートするようにしか見えない)
そんな感想を心で漏らし、初美から離れてスニーカーを履いた。