第1話 義妹は防御力が最大
背中の中ほどまである黒髪は定規を当てたようにまっすぐで、キューティクルのおかげか暗い場所でも天使の輪ができる。黒目がちな大きな瞳は艷やかで、見つめられると別世界へ連れて行かれそうな引力を有していた。
肌は日本人形と見間違う白さと滑らかさで、黒髪と相まって儚げで可憐だ。
背は平均よりやや高め。出るところは出て引っ込むところは引っ込んでいる。ブレザーをきっちり着た制服姿でも男子高校生を悩ませていることは想像に難くない。
所作もどこで覚えたのか洗練されている。
篤は義妹が足を投げ出して座ったり、頬杖をついているところを同じ家に住みながら一度も見たことがなかった。
「少しよろしいでしょうか」
今もソファに座っている篤を睥睨しながら、義妹――
「これからお風呂に入ります。入口から半径五メートル以内に近づかないでください」
平淡な声色で言う。
初美はさらりと黒髪を揺らしてリビングから出ていった。
返事を待つ気はないらしい。いつものことだ。
「わかってる」
篤はスマホから目を離すことなく返事をした。
数秒後、ちょうどソシャゲのプレイが終わったので、顔を上げた。
リビングから出て行く義妹の美しいであろう横顔が目に入る。
(あいつの素顔、最後に見たのいつだっけ?)
初美の横顔には白いマスクが装着されていた。
ロングストレートの黒髪のせいでよりマスクが強調されている。
サイズが大きめのそれは初美の顔の八割を隠しており、驚くことに自宅でも学校でも外さない。昼休み、弁当を食べる場合は許可を取っている個室に行き、弁当を作っていない場合はエネルギーチャージできるゼリーをマスクの隙間からストローで吸う、という徹底ぶりだ。夕食は篤と顔を合わせたくないのか自室で取っている。
素顔を絶対に見せない。
義妹、最大の謎だ。
以前、本人に理由を聞いたら睨まれた。それ以降、聞かないようにしている。今では義妹=マスクという方程式が定着していた。
マスクだけではない。
高校二年生の初美は女子高生らしくスカートを短くして登校、なんてことは一度もしたことがない。スカートは膝上の丈で、細くてまっすぐな足には厚手の黒タイツを穿いている。真っ黒で分厚い、もはやズボンなんじゃないかと疑うぐらいのタイツを装備していて、一度として解除されることはない。
(あいつが出してる肌って両目と指ぐらいだよな)
さらに義妹は春夏秋冬問わずセーターを着ていた。
わざと丈を長くして手の甲が隠れるようにしている。見えるのは指のみだ。
マスク、厚手のタイツ、セーター。
あまりの防御力の高さにこれから魔王城へ行くのかと聞いてやりたいが、そんな冗談を言ったところで絶対零度の視線を向けられるだけなので言っていない。
しかし、瞳と指だけでも彼女が非凡な美しさを持っているとわかってしまうから、篤としては複雑な思いだった。
茶化すには徹底しすぎていて、義妹の神秘的な瞳を見ると馬鹿にする気も失せる。
それに、篤と初美は冗談を言い合う仲ではない。
フランクな会話など出会ってから一度もした記憶がなく、初美は最初から今まで、徹頭徹尾、義理の兄である篤に冷たかった。汎用人型決戦兵器が登場する某有名アニメで言うところの、心の壁的フィールドが常に全開の状態だった。
(ランク戦、あと二回はいけるな。今日はサーバーが軽い)
篤は義妹のことを頭から押しやり、スマホに向き直った。
考えたところで仲良くなれるわけでもないし、出会ってから二年、いまさら仲良くなりたいとも思わない。初美はただの家族。ちょっと変わった美人な義理の妹。それだけだ。
(大会に向けて肩慣らしといこう)
このソシャゲを中学二年から高校二年までやりこんでいる篤は、全世界一位の実力者であり、今もなおぶっちぎりの得点を稼いでいるソシャゲ界隈では有名なプレイヤーだ。
しばらくプレイし、ランク戦も快勝して一息ついた。
お気に入りのドリップコーヒーを淹れて、ユーチューバーが投稿するソシャゲの生放送プレイ動画をスマホで垂れ流しにする。
のんびりコーヒーをすすっていると、息が止まりそうになった。
動画配信者の主がとんでもないことを言った。
『聞きました皆さん? 妙子、使えなくなるらしいっすよ』
「は?」
スマホに向かって聞き返してしまった。
妙子とはゲーム内で使われるハンターキャラの名前である。和服を着た黒髪の女の子で、宙にふわふわと浮き、逃げるサバイバーを瞬間移動で追い詰める人気キャラだ。
『もともとコラボキャラだったんですけど、なんか版権の絡みで妙子が使用禁止になるとかで……。あ、公式にも載ってます。いやホントですって、さっき見ましたもん。まじありえないっすわ〜。自分、妙子使うのが好きでこのゲームはじめたんですよね』
頭の中が真っ白になった。
三年間、苦楽を共にしてきたあのキャラが使えなくなる。
彼女とプレイしてきた数々の熱戦が脳裏をよぎった。負け続けた一年間、勝てるようになってきた一年間、勝ち続けてきたこの一年間。すべての思い出が淡い走馬灯となって脳内で旋風のごとくリピートされた。
「……は?」
我に返った彼から出た言葉はこれだった。人間追い詰められると何も言えなくなるらしい。
そこからの行動は早かった。
ノートPCを開き、公式サイトにアクセス。
重大発表の文字を速攻でクリックした。
『ハンター妙子は次シーズンから使用できなくなります。解禁の目処は立っておりません。誠に申し訳ございません』
(………?)
開いた口がふさがらない。
動画配信主の世迷い言であればどんなによかったか。だが、何度確認してもページは偽サイトでなく公式サイトで、URLも合っている。今日がエイプリルフールでもない。間違いなく、ハンター妙子は使用できなくなる。スマホに映る生放送動画のコメント欄も嘘でないと物語っている。
次シーズンは明日からだ。いくらなんでも急展開すぎた。
明日からハンター妙子は使用不可。
おそらく、永久に。
「…………………まじかよ」
どれだけ公式サイトのページを見て固まっていたかわからない。信じられないものを突きつけられ、ため息とともに言葉を漏らした。
すると、リビングの入り口から声がした。
「あの」
美人義妹が顔をのぞかせた。
マスク顔で表情は読み取れない。
風呂上がりの黒髪が艶めいていた。
「お風呂、追い焚きしないでください。電気代がもったいないので」
さらりと辛辣なことを言い、音もなく自室へ戻っていった。
初美の冷たい物言いも気にならない。茫然自失だ。
『妙子使いの人、どうするんですかね〜?』
スマホから動画配信主の声が響いた。生放送の動画には「ありえない」「信じられない」「妙子をかえせ」などのコメントがひっきりなしに流れている。
「………ホントだよ」
篤のつぶやきはリビングの絨毯に吸い込まれていった。
これが義妹との関係を変えるきっかけになるとは、このとき思いもしなかった。