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2019-04-29

糸井重里が毎日書くエッセイのようなもの今日のダーリン

・1989年からの平成が終わりますね。
 ふだん、あんまり元号で考えてないのですが、
 たとえば平成元年が1989年だと知ると、
 あらためて「思えば遠く来たもんだ」と思います。
 ぼくは、そのころまだ40歳だったのです。
 まだ40でしたが、ずいぶんと大人ぶっていた気もします。
 後輩たちに向かって「おれもずいぶん年を取った」とか、
 おそらく言っていたはずです。
 平成がはじまったころって、そんな昔だったのです。

 「おれもいつか死ぬわけだし」とかね、
 死なないつもりでしゃべっていたことでしょう。
 じぶんの手の届く範囲では、
 ずいぶんと大人になったものだとか思っていたのに、 
 実は手の届いてない世界のほうがあまりに広くて、
 「うわぁ、おれはなんにもできない」と、
 青年のときとはまた違った無力感を知るのでした。
 どうしたら目の前の扉が開いて、
 青空が見えるのだろうか、光が射すのだろうか、
 皆目わからないままに、ちょっとふざけたり、
 少し自棄になったり、半端に意地を張ったりしながら、
 それなりに真剣に、それなりには真面目に、
 浅い呼吸で日々を過ごしていたと思います。

 1989年、そのころ発表されたコピーが
 「くうねるあそぶ。」だったりしています。
 そして、一作目の『MOTHER』の発売も1989年でした。
 平成元年というのは、「そういう俺」のいた年でした。
 そこらあたりから、じたばたしながら、
 ちょっとずつね「裸一貫」でなにができるかみたいな、
 個人的な大転換を模索しはじめたように思います。
 これに、約10年かかったとも言えましょう。
 平成10年に「ほぼ日刊イトイ新聞」をスタートさせます。
 そして、さらに20年ほど「平成」という時間を過ごして、
 40歳だったぼくも、なんと70歳になり、
 もうじき平成という舞台の緞帳が下がります。
 昭和については、途中参加だったのですが、
 平成の30年間は、たっぷり参加した気がします。
 平成の天皇皇后は、素晴らしい方だったと思いながら、
 その同時代のじぶんのことも思い出してしまいました。

今日も、「ほぼ日」に来てくれてありがとうございます。
令和も、深刻にではなく、たのしくやりたいなと思います。


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