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見開かれた目が凝視しているのは作者自身の内面だろうか
アーティスト田名網敬一は今年で83歳になる
人生を懸けて作り出す世界はカラフルで刺激的だ
幼少期の記憶や夢の断片美術作品の引用などがキャンバスに せめぎ合っていた
ペインティングだけでなく立体造形もまた異彩を放っている
半世紀近く前に制作した自伝的アニメーションはニューヨーク近代美術館MoMAにも収められた
アートシーンを驚かせてきた60年
才能は海外でも高く評価されている
この春 スポーツメーカーの求めに応じたコラボ商品も全世界で記録的な売れ行きと聞く
個展を開けばオープニング会場には多彩な顔ぶれが集まってくる
彼の作品は同じく表現に携わる者たちを挑発する力に満ちているらしい
グラミー賞に輝くこと 10回を超える音楽プロデューサーファレルウィリアムスも熱烈なファンの一人
どうやら老境という言葉などとは縁がなさそうだ
いやいや楽になれない自分を楽しんでいるに違いない
日課の一つは 朝の散歩
45歳で体を壊し生死の境をさまよって以来極力 規則正しい生活で創作に臨んできた
散歩ついでに書店をのぞくのはいつものこと
棚に並ぶ雑誌を眺めれば表紙から 時代の空気がつかめるのだという
手を伸ばしたのは新刊書を紹介する新聞
田名網は東京渋谷のマンションにアトリエを構えている
大がかりなサイズの新作が毎年 30以上
エネルギッシュな日々を3人のアシスタントが支えていた
室内の至る所にあるじの個性が光っている
2年先まで組まれている個展のスケジュール
昼の12時になって仕事が始まった
FMを流しながらの制作風景はユニークそのもの
ラジオ「あの 実際に まぁアメリカに住むってのはこういうことなんだよみたいなね ことなんですが」
この時 田名網はキャンバスを埋めるパーツを準備していた
過去に描いた絵人間の顔をした植物をトレーシングペーパーに写し取る
オリジナルのモチーフであれ引用であれ必ず 新たなアレンジを加えるのだという
描き上げた線画はコンピューターに取り込まれ指示どおりに色づけされる
パーツが仕上がると配置する場所の位置決めにかかった
だが これが そのまま作品になるわけではない
最終的には1m四方にまで拡大される
田名網は 誰もがよく知るモチーフなどを借りてさまざまに組み合わせるコラージュの手法で作品を作っている
持ち味は その特異な感覚だ
こうしていわば 下描きまでの出来上がり
休憩時間少々驚かされたことがある
あのアンディウォーホルの作品だ
案内されたのは…
なんと トイレ
かつて ウォーホルに強く刺激を受けた田名網は日本での個展ポスターもデザインしている
やがて 下描きがキャンバスに拡大プリントされてきた
ここから改めて色づけ作業が始まる
デジタルの発色では満足できない
ほぼ全てをアクリル絵の具で塗り直すそうだ
細部に色をのせてゆくと作品は次第に立体感を帯びてゆく
アトリエで黙々と作品作りに打ち込む毎日を田名網はうむことなく続けてきた
着物の生地を扱う商家の長男は9歳で終戦を迎える
家族の猛反対を押し切って美術大学に進学
卒業後 たちまち売れっ子デザイナーになった
当時 手がけたレコードジャケットは日本におけるサイケデリックアートの先駆けだ
40代半ば以降は商業美術から一歩 身を引き自身の作品作りに足場を移している
京都の芸術大学で若者を教え始めたのは30年ほど前のこと
え~っと 今日は展覧会の講評会ということでコメンテーターは 田名網先生とそれから 客員教授のヒロ杉山先生のお二人になります
案外 面白いけどさこの額縁とさこのマットの この これとかさ何か変よ
学生自分の好きなことを入れたいなっていうのがあって…
単刀直入な言葉には信念と気骨がうかがえた
食事には 適量のアルコール
肉は口にしない
昼食に選んだのは好物のうな重だった
しっかり食べることも仕事のうちと心得ているのだろう
スイスで開かれる個展を控えアトリエでは制作に拍車がかかっていた
作品にちりばめるモチーフは1年がかりで準備してきたもの
今回は 下描きを作らずじかに貼ってゆく
使っているのは 木工用の接着剤
キャンバスの下地に若い頃の絵を並べ自身の歩みを表現するねらいらしい
どこに どのモチーフを置くかはほとんど即興だった
田名網作品では おなじみの全身に浮世絵の入れ墨を施した裸の女性
戦闘機はアメリカンコミックからの引用だという
私たちは素朴な疑問をぶつけてみた
いや それでさこのインタビューっていうのはいっつも聞いてるけどちゃんとしたインタビューっていうのは しないの?
今 しゃべってる音っていうのは音として入れないでしょ
スタッフえ~っと 音として入れるものも出てくると思いますがちゃんと 改めて…
でも それだとちゃんとした質問っていうかさそれで 前後の脈略の中でそれを語らないとさ今 あなたが言って戦争の映画の記憶の中でそれを描いてるって非常に単純なものになっちゃうじゃない?
ただ 僕は あの… 要するに仕事として絵を描いてるわけだからさそれが間違って出ちゃうと困るなと思うわけ…
スタッフそれは もうホントに おっしゃるとおりでそれは 我々も一番大事に…
だからその辺の説明っていうのは結局してもらってないとさ絵の話をしてるのにいいかげんなこと言ってるのを全部 もし雑談を使っちゃったりしたらさ…
飛行機が どうして出るのか?というような問題というのはさ今 ひと言で答えられる問題じゃないから
僕の絵のその成り立ちっていうのから話さなきゃなんないからね
映画を見たって言ってもじゃあ どの時代にどういう 僕が映画を見たっていう話をしなければさ単に 映画って言っても伝わらないじゃない
戦後 自宅近くの映画館でハリウッド女優に夢中になった記憶などは本人も文章にしている
だが 改まったインタビューで彼が語り始めたのは幼少期の戦争体験だった
大型爆撃機B29の編隊が見上げる空を埋め尽くした光景が今でも忘れられない
焼夷弾は目の前で 何もかも焼き尽くした
…で 僕の母親が だから 僕の顔にぬれたタオルをかけないと皮膚が やけどしちゃうよ…ぐらい熱いわけですよね
…で 僕が防空壕から出て帰る道には 爆撃をされてあの… 亡くなった人とかねそれから黒焦げになった人なんかがこう 横たわってるわけよね
作品にしばしば登場する金魚も空襲時の光景に直結している
で なぜ 夜中に その真っ暗な金魚見えるかっていうと照明弾が落ちるともう 真っ昼間みたいになるからその時に 金魚の水槽がもう 鮮明に浮かび上がるわけ
真っ暗な夜空にね…で そこに金魚のうろこに その照明弾のピカピカっとした照明がね乱反射して その金魚のうろこがピカピカ光るわけよ
子どもだからやっぱり 恐怖と同時にあっ 何か きれいだなっていうその思いが湧いてくるわけね
…で その ピカピカっていうきれいなものを見てるうちにその爆弾が始まって もう そこら火の海になっちゃうわけよね
自分が 今も元気でやってますよということの証明ですよね
ある意味で人間は記憶の集合体かもしれない
4月初め個展が開かれるスイスルツェルンの街は田名網色に染まっていた
本人も駆けつけて初日が幕を開ける
スイスルツェルンの美術館で開かれた 個展の初日
会場には田名網の半生をなぞるように1960年代からの作品も並べられていた
長いキャリアを重ねなおも持続するパワーはいやおうなく見る者の足を止めてしまう
100枚を超えるモチーフが詰め込まれた一連の新作
意識の奥に氾濫する無数のイメージがまるで 爆発寸前だった
アーティスト田名網敬一は人の評価など意に介さない
いつだって マイペースなのだ
その筆は 未来を照らす
書に学び 書に遊ぶ
書は人なり