海 軍 レ ー ダ ー 徒 然 草

電波兵器を全力学習した17歳

「敵さんの電探は性能がよい。それは確かだろう。だが電測兵は日本海軍のキサマたちのほうが優秀だ。
然り! そうでなかったら日本海軍の電探は動けなかった。
兵器が多少劣っても扱う電測兵が優れていれば勝てる」 と煽てられて少年兵の私はそれを信じておりました。
詳しく扱った機種、触っただけ、見ただけ、聞いただけのものなどで印象に深浅があります。

守編破編推理編離編忙中の閑電波探知機(逆探) ・・ほかに小編は随所に
掲 示 板

電探の分類


     守 編

   (1)三式一号電波探信儀三型  略称 13号電探

 用途 対空哨戒  

 設置 陸上及び艦船

報告要領(例1) 「電探山報告、先ノ目標、敵大型機編隊ラシキモノ感3近ヅク、 スイチョー微小
     190、130、2135
数字は、方向、距離、時刻

報告要領(例2) 「反射波! 左30度 30キロ、編隊 大キイ、近ヅク!」

報告要領(例1)は陸上の哨戒電探基地で、遠距離から発見して時間に比較的ゆとりがあり、多くの情報を盛り込んで報告する想定。
北が0度で右回り360度表示。

報告要領(例2)は艦船搭載電探で、直ちに戦闘態勢に入る逼迫した想定。
舳方向が0度で艫方向まで左右それぞれ180度。

 左図は目標捕捉中の映像画面
目盛りは20km刻み
130kmの反射波は幅が広いので大編隊。そして大編隊の時は スイチョー(フェーヂング)がない。
75kmは小編隊。方向がずれている。
チカチカと乱雑でウルサいのは雑音。


スイチョー  漢字で書くと、衰調 「フェーヂング」も専門用語ですので重ねて解説します。
空間の種々な影響のため電波の到着が強くなったり弱くなったりして、
音や映像がはっきりしたかとおもうと つぎには消えそうになる現象です。
「衰調速い」とはヒョコヒョコという感じで強弱が速く繰り返すときに言います。
「衰調大と」は強いときと弱いときの幅が大きいということで、「衰調深い」とも言います。
電探で捕捉して衰調が 速いのも 深いのも単機のときです。
逆に「衰調微小」は編隊からの反射電波です。
山や島からの反射(固定反射)はスイチョーしない。

衰調がなぜ速いか?、未だに疑問 (問アラバ仮説ヲ捧スヘシ)

哀調ではありません。衰調です。



アンテナ模型

電灯は消す。窓があれば黒いカーテンを閉める。
受信機電源の通気孔から定電圧ネオン管のピンクの光が洩れている。
一号放電管はアルゴンガスなので 薄青色の光
送信機からは送信管のフィラメントのが洩れる。
この程度の暗さが丁度よい、そこで、ブラウン管の輝度をうんと下げて観測する。
線が鋭くなって微弱な反射像を見つけられる。

今の人は気付かないと思うので・・・
 受信機の同調が逃げる!
敵影は目を離さず追跡しないと見失うかも知れない。
それに加えて、
送信機・受信機の周波数が真空管の熱で変化するので
ダイヤルを微細に回して最高感度を維持しなければならない。

AFC 技術未来!

  竹の伝声管
 孟宗竹内側の節を丁寧に払ったもの。
 直線ならば数本繋いでもよく聞こえる。
 途中を曲げて繋ぐと、聞こえが悪い。
 太いほどよく聞こえる。


13号電探の送信機にパイロットランプがなかった。

 不必要だから無かったのだと思う。【某資料の「野外で敵の目標になるのを防ぐ・・・」 は、信じられない】
送信機に電源が入れば1段目『繊條』で送信管のフィラメントが点いてその光が機外に漏れる。
 私の絵で送信機の天井と全面板の間から光が漏れているように描いてあるが、沼津明治史料館や横浜旧軍無線通信資料館での現物乃至写真を見るとその位置から光が漏る構造ではない。絵は復員数年後に描いたのが元だが、何れその付近から漏れていた印象があったからこのような絵になった。
 多分本当は通気孔からだろう。絵をイジると印象が壊れそうで改めるのをやめた。
 それとは別に側板の止めネジとネジ穴の位置精度が粗雑で閉めらなくて方々から光が漏れていた。 最近発見された2つの現物と比較して、私たち練習生が扱った教材は検査はずれ品が回されて来ていたのだと思うようになった。そう言えば他にも心当たりがある。[関連記事] これなどもオシャカが寄越された結果だろう!
   受信機電源整流器にはパイロットランプがあった。光を隠すならばこれも、更にその通気口から射出している VR管のピンクの光線も! ・・・ この受信機電源整流器は、壁掛け型で、天幕内では台上に置くしかない。本来の底面は横を向いて天幕を照らす!
 更に音でも解った。電源部、変調部は動作していればそれぞれ特異の音を発生した。 500Hz衝撃音は神経に触わる!

13号の指示装置に縦型のものと横型のものがあった。

旧型が平屋建。新型が2階建。真空管の種類と数は同じだが初期には距離目盛表示がなっかった。

  関連

◆距離目盛 

 『亜酸化銅整流器』は両面を酸化させた銅板片と、リード電極をサンドイッチにミニチュア万力で挟んだ構造のもの。(半導体ダイオードがまだの時代)
7.5kHz共振回路を衝撃波で叩いて減幅振動を発生させる。それを加工して7.5kHzのトゲトゲ電圧を作る。
減幅振動と亜酸化銅整流器を利用した回路が工夫されて真空管を増やさずに目盛を表示することができた。
7500分の1秒間に電波が往復する距離 20km  刻みの目盛が安定かつ明瞭に表示され、故障も無く快適だった。

 13号電探に、この回路が取り付けられるまでは管面に目盛を書いた紙を貼り付けていた。  それよりも前、
11号、12号では目盛用発生機構が正確を期し過ぎたせいか、複雑で調整に熟練を要し遂に廃止された。それ以来管表面に目盛が貼付けられた。
   関連記事 哨戒電探の距離目盛
管表面に貼った目盛では両端を合わせるので、中ほど(11号・12号で70km、13号で140km付近)に誤差がある。
 貼り付ける目盛は、数学に堪能な上官が指数計算して作った。それをつぎつぎに写して貼る。写す際に誤差が出る。
一見しておかしいのがあり、適当に直したことがあった。


総合系統図

自動電圧調整器

 騒々しい機械。受電中の交流電圧が下がった場合、-3%とか-5%とかあらかじめ決めた値よりも低くなれば、モーターが回って変圧器の結合を強くして出力電圧を上げる。惰性で上がり過ぎないようにヨーソロになったときに電磁石が開放され、バネ仕掛けの急ブレーキで止まる。ガチャン! モーターの音とともにそのガチャンと言う音が気になる。
受電電圧が上がったときも、決めた+%値を越すとモーターが逆に回るだけで同様。 ガー、ガチャン!
騒音がうるさいので、可能な限り(絵と違う場所へ)遠ざけて設置した。
電圧の上限、最適、下限を検知する仕組みは、誘導回転円盤(フーコー円盤)のトルクとひげぜんまいとの平衡によって接点が移動して 触れる・・・と・・・ガー、ガチャン!

発動発電機

 停電時あるいは配電されていない場所に13号電探を設置したときに使用するガソリンで回す発電機。
運搬には丸太ん棒にぶらさげて、かごかき式に運ぶようになっていた。私のような小兵は腰を切るのもやっとで立ち上がってもふらふらよろよろする。
だが、進歩だ! 以前機種11号、12号電探の発電機は大規模で容易に移動できるものではなく機関科員が専属した。


諸 元
 
  • 周波数 150MC 繰返周波数 500C/s
       「C/s」は「Hz」の、「MC」は「MHz」の古い呼び方
送信機
  • 出力 10kW
  • パルス幅 10μs
受信機
  • 中間周波数 14.5MC 帯域幅 ±100kC
  • 利得 80デシベル
指示装置
  • 同期信号発生
  • 受信波及び距離目盛表示
アンテナ
  • 半波長水平2列4段(反射器も同)
  • 組立木柱高さ8メートル(3角柱2m×4)、方位盤付回転台 (360度)、支持索(綿ロープ3条折り返し)
    回転機構(支持索を受ける柱側の機構は回転円滑)
    艦船用については本節末に別記
  • 給電線 ×18m
  • 受信機用高周波ケーブル(平衡型2m)
  • アンテナ共用器 として1号放電管(アルゴン管)×1
電源
  • 交流(単相) 110V/220V
  • 自動電圧調整器
  • 発動発電機(1.1kVA)

自動電圧調整器と発動発電機は中古品くさかった

その他
  • 測定器、工具、ネオン管検電棒、受聴器等
  • 予備品

◆13号改ナシ

(改番号がつかない最初の型を改ナシと通称していた)

戦後7年ほど経って或る無線局に従事した。そこでは送信出力管にP-560という真空管が使われていた。懐かしかった! 同じ物が初期の13号電探の変調管に使われていた。
13号も初期にはでっかくて高価そうな変調管を使ったものだと改めて思った。価格は知らないが、大きさも重さもT-307の5~6倍程あったと思う。
当時、開発初期には常に余裕が過大に設計されたようだ。或いはまた既存のものを充当したのでこのようなことになった。専用のもの(T-307)を開発して、それ自身だけでなく電源部をはじめ全体的に軽快にできた。 

パルス変調回路は大半の時間を休んでいて瞬間ごとに大電流を流して送信部を働かす。
動作時間は全時間の200分の1。したがって発熱も200分の1。
そのため真空管は発熱が少く小型でよいが、陰極に瞬間最大電流をまかなえる容量が必要。
後にはその条件で、特別にパルス用真空管が作られたが、初期時点では、
瞬間毎に必要な陽極電流値をまかなうため、連続定格の既存真空管から選んで充当していた。

関連記事

最近T-307 について58年来の疑問が「なるほど」 と 解消 ~ 次に掲げた松村さんのサイトを発見したから!

松村さんのサイト 古典真空管グラフ

  リンク切れ ・・・・・ 感謝未了!


 13号はそれ以前のものと異なり、小屋または地下壕に本体を固定してアンテナだけを回転する方式となった。
給電線には静電容量結合の「結合器」が柱の芯に取りつけられ、アンテナが回っても高周波電流は、つながり続けることができた。
この結合器は同心の中空円筒2個が対向して静電電極になっていた。内側が固定、外側がアンテナと一緒の回転をする方式。
 しかし、方向によって結合状態が変化する等不具合があって陸上用では折角の結合器は省かれてスルーにされた。
調整も構造も簡単になったが、当然のことだが回しすぎると給電線が支持ポールに巻きついて短絡する。
 やむなく左右に180度回せる分だけ弛みを持たせることにした。これで、一応は全方向の哨戒は可能になった。が、グルグル回転できなくて限界ごとに往復させなければならないのは厄介だった。
 艦船ではそんな給電線のぶらぶらは許されない。電磁結合型が使用され完成した。
つまり1次側が固定、2次側が回転可能なトランスを完成させてアンテナ回転が無制限になった。
アンテナ送・受共用装置の完成はアンテナの軽減だけでなくアンテナ単独の回転ができるようになった効果が大きい。

静電型結合部品は 赤本 に説明図があり座学したが、既に現物は見ることが出来なかった。
送信機本体は電源が外されて標本になっていた。
この赤本 は、13号最初の型(いわゆる改ナシ)の「取扱説明書」。 勿論軍隊式の表現だが・・・
当時目にする印刷物では珍しく紙質が上等で、読みやすい文字のガリ版刷りだった。

アンテナ送・受共用装置について

キデンセン短絡、戻せ!

 艦船用では電動と手動の両方でリモコンした。

 八木式に改良されて潜水艦に取りつけられたと、 これも、最近知った! 



   (2)二式一号電波探信儀二型・二式二号電波探信儀一型  略称 12号・21号電探
     対空哨戒,陸上用,150MC,5kW,3相220V 艦船には 21号電探と呼称して使用,但し200MC

13号電探など波長2m回路に見慣れてた目で
21号送信機の扉を開けたときは 一瞬 あれっ! 
送信管だけ残して高周波回路が取り外されているのか?と思った。
よく見ると同調回路も出力回路もチャンと結線図どおりについていた。
それが一所にまとまっていて、周囲空間が広々としている。
送信回路が3m(11号)と2mでは、これほどの違いはなかった。
これより高い周波数だったら回路を作りようがないな!
この方式では波長1.5m(200MHz)が限界だということ、見てわかった!

受信管 RE-3 は、12号・11号・21号で受信機の第1・第2中間周波増幅、検波、低周波など 1機に9本使われていた。   この形 シラミを連想した。ずらっと並んで食いついたように尻だけ出してむこう向きに挿さっている。・・・衣類の縫い目に隠れた虱の姿!


総合系統図


電源及び情報電線


監視器(11号・12号・21号共通)

単純なオッシロスコープで、同期制御機の付属品。こんなものが必要なほどに初期には微妙・不安定で調整に熟練を要した。
同期制御機の小改良ごとに必要度が減って、やがて同期制御機とともに姿を消した。 先輩たちの得意の場も消えた!
 要するに監視器は
親機である同期制御機内で水晶発振からの高周波数を指示器用の低周波に低減するため、パルス化した
高周波を計測して一定値ごとに信号パルスを発生、これを複数回繰り返して必要低周波数まで低減するが、
 この動作状態を監視して異常を防止するものである。

同期制御機(シンクロナイザー)(11号・12号・21号共通)   オーソドックスが順次略式化、やがて消える!



   (3)一号電波探信儀一型  略称 11号電探

TR-1501

スリットに注目!
周りを下から上に強い風が通る
各電極は軸に沿って配置
風で全体が押し上げられる
押上げを抑えるリングが付属

ご提供
横浜旧軍無線通信資料館殿

11号は送風機とダクトがあって騒音が凄かった。室内では号令のように話さないと聞えない。送信管は風を強めて通すスリットが囲んで強制空冷していた。
こんなに大仕掛けでも出力 5kW。大戦末期に改良されて40kW。改良後も外見はあまり変わらない。
アンテナ素子の配置は度々変えられた。
波長 3m、金網反射器付きのアンテナは大きかった。幅9m 高さ7m位だったろうか

緩衝増幅・電力増幅

初期の11号電探には緩衝増幅回路・電力増幅回路があった。由緒正しく行儀のよい回路構成なので素直な電波が発射されたことだろう!
改良されたものは外観しか見ていないが、後発機同様 増幅方式をやめて 単純で、いわば外道な 発振管出力方式に改造したこともあって姿を変えずに格段のパワーアップが可能になったものと思う。

関連記事へ

 隅に垂直に通風ダクトがあった。帆布製で膨らんでいたから吸い込み用ではない。
どのような経路で送信機に風を送り込んでいたか覚えていない。

近年公開の資料を見ると、回転室背面に送風機用の さしかけ小屋が付いている。
こんな別室があっただろうか? 記憶では、送風機は部屋の隅にあった。

 わかった!
さしかけ小屋を設けて騒音源である送風機を観測室から追い出した。実習機はその改良以前の型だった。 布ダクトは送風路が直結したので不要になった!
また、騒音と噴出音が激しくパワーが大きいものと思っていたが、案外小型の1/10馬力(74.6ワット)であることを知った。
      後にも述べるが電測学校創設期の実習機材は旧型の寄せ集めだった!

総合系統図



   各種対空見張電探のさまざま

◆回り舞台の奈落

 まるで芝居の回り舞台か遊園地のメリーゴーラウンドのようにアンテナも電探の機器も操作員も載せたままぐるぐる回る。右回り、左回り、思ったところにぴたりと止めるなど自由自在。電動でも手動でも回せる。
 12号
電探のキャビン回転軸は蓋を開けて見学した。11号の同回転軸は見る機会がなかった。回転しながら電力や情報用電線を取り込むリングが12号同様 ずらっと縦に並んでいただろう、歯車やモーターも組まれていた。 機械のことは素人だが、アンテナや電探本体と人員を乗せた小屋の重量を支え、更に風を受けながら滑らかに回る機構は高度な技術。
 ・・魚雷の発射台を応用したものと聞いた。・・

◆方位受信器(哨戒卓の)

11号電探は電気式(セルシン)が使用されていた。12号電探は機械式(ワイヤー式)だったが、初期は電気式だったらしい。
ワイヤー式は文字盤が大きく読み取りが楽なので精度が高い、追随遅れがゼロ。
ワイヤー式の採用が遅れたのは、電気式にくらべて理屈は単純だが精度が追いつかず後発になったのだろう!
     【回転輪とワイヤー進退間の滑りをゼロにする工夫?】
初期には、前方の壁に付けられていた。ワイヤー式化の際、手近に移された。これも効果を助けた!
電測員の眼はいいけれども、それでも近くにあったほうが読み取りが楽だ。電探室は昼でも薄暗い。
11号も改3に至ってワイヤー式に改められた。
ワイヤー式の機構は自転車のブレーキワイヤーのようなのが2本 ? 束にして張られていたが、その両端の仕掛けは知らない。

◆アンテナの回転について(メートル波)

何れもメーター波(VHF)
11号 大地にガッチリ基礎造りをして回転台を設けキャビンとアンテナを載せている。
12号トレーラーに回転台を取り付けその上にアンテナ付きのキャビンを載せた。
  これらは、敵艦上機などの目標になりやすい。攻撃されれば被害が大きい。
 機械本体を固定してアンテナだけ回したくともそれができなかった。
給電線 は高周波のため回転部分と固定部分の結合がうまくいかない。更にアンテナの送信・受信共用装置が開発される以前は給電線の数が倍で回転結合は至極困難。
やむなく、送信部をアンテナ回転台に載せる工夫もあったらしいが、結局はキャビンごとそっくり回した。
そうすることで必要になる電源3相線、電話・セルシンモーター等の情報回線などは、回転軸にリングが幾組も付いた滑動環と称する装置を介してキャビン内に取り込まれた。

セルシンモーター
回転角度を遠隔表示する送信用と受信用で一組の装置、
直流式と3相式があった。

セルシンモーターの原理図は破編に掲載

キャビン内の機器配置はブラウン管面を
おおよそ回転軸にあわせて設置する。
観測者が中心に位置することになる。
もし回転軸から遠くに置かれたとすると
観測者は自分の旋回操作で振り回される!

21号は艦橋上の測距儀室を改装して設置された。これはもともと室ごと回転する場所。
測距儀室は電探室になり、標的の測距は21号又は22号(別室)に付加された電探測距儀で行う。

◆アンテナの金網

11号・12号電探のアンテナには前方へ電波を向けるために反射金網が付けられていた。
11号の金網の目はデッキシューズのつま先が入る大きさで、頑丈だった。体重をかけても形が崩れなかったのを考えると溶接金網か?!
12号の金網はクリンプ織金網20mm(寸法は確かでない)。材質は鉄に銅メッキ? 茶色に塗装されていた。
11号電探の金網枠のてっぺんまで登ったことがあった。眺めがよかった!
目的は鳥の巣だったか、風による飛来物かを除きに!?
そのときアンテナ回転用把手を回した奴がいた。アンテナのてっぺんにいたのが私でよかった。普通なら回した奴を捕まえて一騒ぎあっただろう!
私は楽しんだ。アンテナのてっぺん、 それも端のほう、シガミついてはいたけれど、天空のメリーゴーラウンド、スリルもあって快適だった!
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◆14号

という長距離見張用で凄く大形の物が作られたと聞いたが詳細は知らない。
総合系統図
後年入手の資料によれば、陸軍の 『タチ6』と同様の波長と送信管を使用。然し、アンテナ送受共用は効果絶大。

◆方向・距離

以上の機種は対空見張用なので目標の位置や動き方は概略を知ればよい。そのため射撃用と比べて測角・測距の方法が格段に単純。
測角はテレビのアンテナ方向調整と同じ要領で「最高感度法」といった。高度は測定しない。
測距は目標までの電波の往復時間の秒数を測ってその1/2に30万Kmを掛けた値だが、その測定にブラウン管オシロスコープが使われた。そこで時間軸に基準が必要だが、その基準の方法が幾重にも改良された。13号に至って簡潔・単純・安定・取り扱い容易・小形軽量などの性能改善があった。製造期間、コスト何れも激減しただろう。電源も負荷が減るので簡易になる。
それまでのものはすべての個々の部分に過度の精度が競合して、技術的に大きく迂回していた。

◆送信パルス幅と受信帯域幅との関係

受信機帯域幅は送信パルス幅に逆比例して広くしなければならない。
受信帯域幅を広げると受信感度を上げるのが難しくなる。
それなのに送信パルス幅を狭くするのは何か好いことがあるのか?
(1) 遠近差が少い標的間の分離識別ができるようになる。
(2) 送信機の所要電力が少なくなって、電源部を軽快にできる。その分送信出力を増やすこともできる。
対空哨戒機種で比べると、11号、12号、21号、11Kは何れもパルス幅が20μS、受信帯域幅は±250kHz。(受信帯域、必要以上に広かった)
13号はパルス幅が10μS、受信帯域幅は±100kHz。


◆OY コード(同軸ケーブル)

『送信同期』及び『受信信号』の機器間受け渡しに用いられた。
OY コードとは、「切り口から内部をのぞくと英文字 が重なった形に見えるから」とか ?

【付】 またOYコードは波形観測にも使用した。

送信機、受信機等回路の電圧波形観測用に、雲母蓄電器と抵抗器とOYコードからプローブを手作りした。観測には指示装置を応用する。

工数・部品の削減は改良! 製造期間短縮、資材枯渇対策

13号(11K以降)はアンテナ素子を支持するのにの絶縁台碍子を廃して、木部に金属のバンドで固定した。「支持箇所が電圧節の点だからそれで充分」ということだった。私は絶対に『手抜き』ではなく改善だと思っている。
 もし、碍子にこだわっていたら重量と風圧に耐えられなくて あのように軽快には出来なかった。 【それでもまだ11Kのアンテナは重かったが 】
 因みにアンテナ素子は外径1cm長さ約1mの銅管で、指示箇所は中央。
素子を支持した木材は断面 2.5 × 3 cm ? 位の角材、材質は知らないが ■暗灰~暗褐色■で堅い。強化薬剤注入か?
13号改1になって限時継電器(タイマー、30秒)が省略された。「電測兵を教育すればタイマーなど無駄だ」という精神力思想。
◆電源部から送信部へ高電圧を貫通させるのに、套管(ブッシング)をやめて径6cm位の穴の真中に銅線で通す設計になった。「空気は優秀な絶縁体だ」とか。
◆そのほかにも13号改1改2とだんだん外観から兵器らしい いかめしさ が消えていった。メッキや塗装は錆止め(四三酸化鉄)処理されただけのものに替えられた。尤もその頃 ”実用本位”は電波兵器だけではなかった。九九式短小銃だって照尺がなかった。
◆外観では、12号(21号)、11K13号改なしの送信機は新機種ごとに細身で小柄になってきたが、はっきりした違いが思い出せない。13号改ではじめて実際的な可搬型になった。生産コストも激減したに違いない!
◆哨戒に携わる電測兵自らがアンテナを設置可能になったのは13号が出来てはじめて。(但し陸上)

◆繰替周波数の精度

見張用の場合で11号、12号の送信同期の原振は水晶発振器が使われており、後続試作機11K 関連記事)は音叉発信器が使用された。このことを考えて見ると、はじめには水晶か音叉によって周波数精度を確保しなければ必要な測距精度を維持出来ないという設計上の「こだわり」があって、回路を複雑にしていた。
次々世代の13号に至って、はじめて「こだわり」から開放されて自励発振が用いられるに至った、と見ている。
発振周波数の狂いは測距誤差につながる。しかしせっかくの精度への「こだわり」は、読み取り誤差に埋没してしまうので無意味。技術陣はこの「こだわり」が晴れるまでに3年もかかっていた。

◆時間軸の直線性

 時間軸用の鋸歯状波形の傾斜が直線でないと距離目盛りの間隔が均一でなくなる。
鋸歯状波形の理想的な形は頂上まで一定勾配で登って頂上に達したら垂直断崖を一気に下る。これの繰り返し。
 この時代の鋸歯状波形はコンデンサーに、ゆっくりの充電と、すばやい放電を繰り返す。その端子電圧が即、鋸歯状波形。充電に抵抗器を使うのが普通の方法で、そうすると傾斜の部分は直線でなく供給電圧に近くなるに従って傾斜がゆるくなる。(指数関数曲線)
     つまり、頂上に近づくに従って傾斜が緩くなる。
直線と見なせる部分を切り取って使うのだが、供給電圧を直線度の必要に応じて高くしなければならない。それには限度があるので ややこしい 回路が付加された。ややこしい回路は故障しやすい。故障すれば直し難い。

 13号では直線度を良くする努力を少しで止めて撓みを気にせず使った。その結果、目盛りが近距離は粗く遠距離になるに従って密になってくる。これで良い、この方が良い! 遠い距離の読み取りは大ざっぱでも構わない。その分、近くはより細かく読み取ることができる。
 自前装置の時間軸で鋸歯状波形を観測する -・・・ ・・ ・-・・  真直ぐだ!  -・・・ ・・ ・-・・

精密側距

後で述べる対空射撃用電探では 距離読み取り精度を上げるために、時間軸の位相を精密に変化させ、それによる画面上の目標反射波の移動量で、50メートル単位で読み取ることができるようにされた。


   二式二号電波探信儀  略称 22号電探
    対水上見張用 糎波(サンチ波)波長10cm

◆マグネトロンの励磁及び陽極電源について

 当時は永久磁石では磁力が不足だったのだろう、電磁石が使われた。
送信用マグネトロンのソケットには電極リードの他に冷却水の入口・出口のコックが計2個あった。陽極は冷却パイプを背負っていて水が循環する。それでも尖頭出力2kw 。

 蓄電池を2台置いて 充・放電交互に使用していた。
別に蓄電池が更に2組 110個の素子を直列にしたものが これもまた 充・放電交互に使われていた。
それらの充電器にはタンガー管という眩しく光るガラス球が2個づつ付いていた。カバーを外すと電灯がいらない。
このように実習機は、外来電源から独立させて変動を回避した。これは仮設だった。
以上のように実習機では電源部が間に合わなくて多数の蓄電池が並べられていた。本番のものは「精巧なもので製造中」と聞かされた。
後日知ったが本番では電圧の安定に特に意を注ぎ工夫されているもので、例えば『自動電圧調整機』は他機種用と異なり
電圧を段階的でなく、負帰還増幅により連続追随修正する回路であった。マグネトロンは完全に直流化してなお且つ厳しい安定度を必要とした。

糎波電探は変調パワーが大きい、磁電管は2極管だから陽極変調するしかない。 陽極変調に大きい変調電力が必要なのは無線屋ならわかるだろう!


◆マグネトロンの理解には


 磁力線はあなたの視線と平行です

 電子管で磁力を利用するものは、すべてはこの原理を応用したものですが、進行波管、ブラウン管、電子顕微鏡など大概のものは
電子の進行方向にほゞ平行に磁力を与えます。目的は、磁力線によっては電子の進行方向を矯正すること。
                       これが基本であって その上で、横切る磁力を別に加えて集束や描画を行う。
 対してマグネトロンは中心の陰極から周囲の陽極に向って電子がスポーク状に放射される。磁力線はこの電子の進行方向を横切らせる。
それには、サンドイッチ状に挟んだS・N両磁極からの磁力線は電子の進行方向を横に押し流して陰極を中心に陽極の内側を回転させる。
 さて、フレミング左手の法則をおさらいしましょう。
磁力線の方向をこちらから向こう、つまり手前にN極、向こう側にS極が配置されているとして考えることにします。
  電子の進む方向に直角に磁力を与えると、電子はこれらの両方に更に直角な第3の方向に力を受けます。
   電子はマイナス電荷を持って動くので、電流として扱う時は逆方向に考えて陽極から陰極に向かいます。
磁力の方向と電流の方向が分ったのでフレミング左手の法則を適用すると電子は陽陰極の間を時計回りに回転しながら陽極に達します。
電子は粒ですから、流れは滑らかではなくて微かに起伏しています。無規則の起伏のうちから位相の合った波は
陽極に設けた空洞の共振を助け、つぎには助けられ、繰り返えしてやがて電子は群れて雲状となり、
陽極空洞の切れ目が作っている ± に働きながら回転します。空洞電極の位相と電子の速度が助け合って群れの濃淡が成長して発振に至ります。
   陽極電源加圧から安定発振までこの間ざっと1億分の1秒?!
 発振には、空洞の共振周波数に電子の速度と、渦を適合させなければならない。それには陽極電圧と磁力の強さを調整します。

◆アンテナの回転について(センチ波)

この機種は送信アンテナと受信アンテナとがあって、何れも電磁ラッパで同一方向を向けながらそれぞれの支持点を軸にして回転する。相互に支障しないように高さが段違になっていた。
アンテナを1回転すると偏波面も1回転した。感度に問題はないと聞かされていたが、潜望鏡を発見するには垂直偏波が有利だろうに、と思った。

戦後に初めてレーダーを見学する機会がありました。
このとき、偏波面の変化を如何に解決しているのだろうと関心をもって調べました。
電波モードを回転に無関係の形式に変換して回転軸の中を伝送する。
アンテナに接続する所でモードを再変換する。
このようにしてアンテナの向きに関係なく一定の偏波面になるようになっていました。
現在では更に進歩してマイクロ波部をアンテナと一体にして回転させる。

『アンテナを回転すると方向によって偏波面が変わる』 この旧い事実を電波の歴史に留めたい。

電磁ラッパ開口径は記憶イメージで40cm程です。(導波管は円形で内径が8cm)

関連記事 推理編

◆電探測距儀

 機構は、ダイヤルを回してブラウン管上の波形をずらして反射波を送信波があった位置に合わせる。・・・合ったところで読み取る。位相角の差は距離に換算して目盛られている。
ゴニオメータの回転はマイクロメーターにより微細に進退できる。大きい桁の目盛りと、端数の目盛りを合計して読む。同時にデーターを射撃盤へ自動送信する。  これは在来の光学測距儀より多くの点で優れていた。遠距離にも精度が落ちない、昼夜、天候等の影響がない等。弱点とされた主砲発射の衝撃での故障は順次改善実績中だったが、
末期には、この電探測距儀が省略された。大型艦を失うに連れて主砲射撃のために精測する用が減って、代わって警戒目的の用途が増えたため、
哨戒電探と同じく Aスコープだけの単純な測定方法にされた。(電探測距儀はオプションになった)

◆受信機に出っ張り

 文庫本3冊重ね程の大きさの出っ張りがあった。これは数か月前に付加されたもので、同じ改造工作を前線稼働中の全機に施されたとのこと。
出っ張り部分は現場作業を単純化するために改良回路が組み込まれたセット。
この改造により、鉱石検波・スーパーヘテロダイン方式に生まれ変わり受信性能が格段に良くなった。改良後のものは、二式二号電波探信儀二型(22号2型電探)と呼称されることとなった。

総合系統図

◆最新兵器にブリキ屋さん

導波管・電磁ラッパは銅だろけれども黒く塗られていたので本当のことは知らない。
内面だけ銅メッキか?
訓練用は、ラッパも導波管もトタン製のものがあった。導波管は雨樋そっくり。(径8cm)。ブリキ職人が動員されて作りに来ていた。木槌で トントコトントコ。本物に比べても電波に対する性能の差は小さいとか。
こうして作られた銀色トタン製の電磁ラッパは回転機構が省略されていた。
3.7キロメートル先(六会)にあった海軍無線塔を標的にして、それに向けて長屋式講堂の軒に取り付けられていた。
本格的な黒いラッパがぐるぐる回るものは、1機毎1棟の講堂に備え付けられていて、6棟が点在していた。
 22号の講堂群はなぜ不便な隅に作られた?
送信マグネトロンの冷却水を炊事、浴室等の生活用から上・下水とも分離する必要があった!

余談 マグネトロンは日本人が発明したものなのに、敵サンの実用化が勝っていた。
彼らはマグネトロンを後からはじめたにもかかわらず、より強力なものに改良して使用していた。
メートル波における八木アンテナと共に当時携わった私たちには無念。



   誘導電探

バッジシステム(BADGE System 航空防御管制システム)の前身

 誘導電探について大戦末年の6月か7月のある日、兵曹長の教官から教班長と私等講習員およそ200名が座学を受けました。
記憶をたどってその講義概要を述べます。


 特に夜間には迎撃戦闘機から敵発見が困難。昼間といえども秋水などでは滞空時間のうちに敵との会合が困難。その解決策として敵機を標定する電探と、味方を標定する電探を組ませて両者の位置を知り、戦闘機を敵機の近くまで誘導するシステムを陸海軍共同で立ち上げ、近いうちに完成する。これを「誘導電探」と呼ぶ。
誘導電探は遠距離早期発見用電探、敵機標定用電探、味方機標定用電探、機上用の味方識別応答装置及び無線電話機など情報連絡網等から構成され中央指揮所がこれらを統括する。

 61号電探はデシ波(UHF)を用いた、誘導電探全体の中で敵機標定を分担する。   61号のアンテナは、直径7メートルものパラボラだと聞いて驚きました。

総合系統図

パラボラアンテナの焦点を抛物面軸からずらした位置にダイポールアンテナを置く。これを軸の周りに20回/秒で回転させる。電波ビームは槍の穂先で円を描くように回る。
  後に知りました。これをコニカルスキャンというのだそうです。
ビームが左右と上下の 4方向のときだけ送受信機に接続される。左右1組と、上下1組のブラウン管による等感度方式(上右図)でアンテナを目標に正対させる。別に測距用と指揮者用ブラウン管がある。
61号は射撃管制でなくてあくまでも敵機の位置を測定するのが使命。その情報を精密セルシンで指令所に送って、指令所が味方機を接敵させる。

 63号電探は遠距離早期発見用。 63号は11号(改3)電探の方向測定に等感度方式、また距離測定に位相による方式を付加して精度を高めたもの。
また11号と違いアンテナの回転は地下壕内にある電探室から操作する。
61号と63号は海軍が開発を分担している。

 味方機標定と機上用の味方識別応答装置は陸軍が担当している。
  陸軍のタチXX、タキXXなども説明を聞きましたが、番数は忘れました。
 海軍の62号電探は味方機標定で送信と受信アンテナを共用しながら周波数の隔りをラケット形広帯域アンテナでカバーし、送信機は13号電探のものを使用して軽量化を図ったものであったが、陸軍分担の範囲になったので中止された。

 63号などの情報によって侵入敵機の進路を察知し迎撃戦闘機を発進させ、指令所は61号によって得た敵機位置情報とタチ~タキによって得た味方の位置を勘案して上空に待機中の戦闘機を敵機の未来位置に誘導指令し優位な方向から会合させる。
  このシステム準備には機器だけでなく取り扱い要員も必要だったわけです。
終戦時、物と人と両方の準備が同時進行中で、わが同期生も50~60名がその部隊に加えられ、訓練中でした。
 後日、開放された資料によるとタチ、タキの番数はタチ13、タキ15の組み合わせ、 あるいは更にシステム化の進んだタチ28、タキ30であったようです。
 海軍の62号或いは陸軍のタチ13 では相手の機上装置がトランスポンダで、この方式では迎撃戦闘機1機に敵機標定と味方機標定がそれぞれ専属(付き切り)になる欠点に気づき、タチ28、タキ30の方式が考案されたものと思います。
 タキ30は、只管 識別信号電波を送信しながら飛行する。観測員の増員次第で複数の迎撃機を同時把握できる。

パラボラアンテナの原理


   射撃用電探

32号電探

総合系統図

33号電探

終戦直後「焼却スベシ」との命令と共に厳重に梱包された木箱が私たち作業員に渡された。軍極秘の封を破って開梱したところ、マッサラな赤本がぎっしり。空堀に入れて燃やすのだが新品なので崩して空気を入れないと燃えない。本を壊す作業の間にパラパラめくって驚いた。「これは新兵器だ!」 新機種の取扱説明書。
  電磁ラッパの配置が今までと違う! マグネトロンの図もある。
 インクがまだ乾ききっていなかったので手が色、黒色で汚れた。紙で手を切った者もいた。
 紙質が当時にしては最高級で印刷は鮮明な活版刷り。(13号など大抵はガリ版刷りだった)A4判 厚さ7~8ミリ。
  もう少し内容を見ておけばここに1項目書けただろうけれども残念! 1冊こっそり持ってきたら今頃宝物! 赤表紙を毟っても・・そんな気分が起きるわけがない  負け戦!

          赤本 赤色表紙の軍事機密厳重な教本の通称 



   対空射撃用電探

41号(S3)

 方向用、高角用、距離用、指揮用と4組のフード付きのブラウン管指示器があってそれぞれの指示器の前に鉄の腰掛けと回転ハンドルがある。指揮用あるいは方向用の席に着いてハンドルを回すと自分も他の3人も乗ったままアンテナ全体が左右に回転する。
ブラウン管には一対の反射波が左右に分かれて映っており、その反射波の背丈を等しくなるようにハンドルを回す。(これが等感度方式
標的(敵機)の移動につれて常に背丈の等しさを保つように方向を変えて行く。
高角も同様に、高角の席でハンドルを回すとアンテナが上下に向きを変える。方向と高角2人の操作でアンテナは標的に正対する。
距離の席でハンドルを回すとブラウン管面の反射波が左右に移動する。中央の固定垂直線と一致させる。その時のハンドルわきに機械的にデジタル表示された距離を読みとれる。
標的が複数のときには方向・高角・距離それぞれ別々の標的を計ったのでは意味がない。そこで指揮用の席で特定の標的にマーカーを付けて追跡する(この装置を選択器という)。他の3者には摘出された反射波が表示されるので、遅れなく追跡する。これで上空に移動する一点が決まる。その刻々のデーターを基に未来位置を計算して、その位置に高角砲を撃ちこめば命中する理屈。
 未来位置とは、高角砲の弾がその位置まで行き着く時に、標的が通過している位置のこと。迅速に計算しなければ・・・・
    2人の与一
   9百年前、那須与一宗高は飛行中の鳥を2/3の確立で射落としたと。
   また、阿佐里与一義成は2町(218 m)先を走る鹿を射て外さない腕前とか。
  何れも、経験的なカンで見越角を選んで矢を放つ。
  矢と標的の進路が未来位置で交差した。鳥も鹿も哀れ!  <平家物語から>

 
 練習期間中にこの電探の指揮席に腰掛けてハンドルを回してみた。これこそ兵器だという実感がした。重量感、滑らかさなど。さもありなん、この3次元機構は対空砲座を利用したものだからだ。しかし同時に姿が勇ましすぎる。グラマンが機銃を撃ちながら突っ込んできたら4名戦死、装備大破!・・・電波では受け太刀できない、一方的に刺されっぱなし・・・
 敵サンから鹵獲したラヂオロケーターの写真を見ると非常によく似ている。違うところは彼らのはトレーラに乗っている移動型で、そして大きさが若干大きいか? 
大きいとすれば波長が長いのだが・・・ さに非らず! その後、当時の資料を発見、両者のアンテナを比較したところ、波長は大差無さそうだが、敵サンの物は列数が多い。即ち、
     送信用、受信方向用、受信高角用 (列
×段)、
敵サン  4×4、    6×4、    2×6
41号   4×4、    4×4、    2×6
ほかに彼らは八木式の反射素子を使用している。我方は金網を反射器として使用していた。

41号は米軍からの鹵獲品の縮小コピーだと思った。
また、昨今省みると
この時点では教育開始時に気ままにいじらせて
好奇心から戦意高揚を企図した、つまり
デモンストレーション用設備に成り果てていた。

総合系統図


42号(S24)

41号の改良型?。八木アンテナが使われていた。
41号に比べて仰々しくなくさっぱりした感じ。操作する兵員は露出しない。中身は知らない。

41号は黒色だったが、42号・43号は黄土色。

総合系統図



43号(L2)

探照灯に受信アンテナが、 その観測機に送信アンテナと電探指示器が付いていた。
(探照灯は方向・高角ともこの観測機の操作に連動追随する。アンテナはいずれも八木型)
光学兵器と電波兵器の相互補強を狙ったもので、実効が表われ始めていた模様。
電測学校で私たちの居住する兵舎の裏側に 43号 の実習場が造られた。
終戦の年の春か初夏の頃の記憶、
そこの訓練生は俺たちのような昨日や今日のヒヨッコじゃない。砲術科のマーク持ちだ。
43号は電探を探照等に寄生させたもの! 彼らはその電探の効果向上を目指して訓練している。活気があった。
教育部隊である電測学校周辺を飛ぶ敵機は実習材料だ!
光芒の中に捕らえたB29を何回も見た。電探が併用されているので照射が速い。
光芒に捕らえられれば、他の陣地の探照灯もこれに加わって光芒が2重3重に交差する。通報装置不用!
光芒に捕らえられた敵機は複数の我が陸海軍の集中攻撃を受け、そのうちの幾つかは
長く炎を引きながら落ちた。または花火のように散った。
対空射撃用電探ではこのあたりが一番実効があったと思う。  ただし晴天の夜。


それでも針路は東京 敵ながら天晴!


対空射撃電探と高角砲

方向、高角、距離で空間に3次元の点を捉える。そして捉えた電探にあわせて高角砲を向ける。算定員が間に入って敵機と、砲弾の予測軌跡が同時に到達する点を計算する。これが未来位置計算。
話は受け売りだが、算定員はアナログ方式の計算機器を操作する。計算結果で修正された角度・高度で発射する。
1点は3次元に時間の要素を合わせて4次元問題。砲術科にはこの関係の薀蓄(ノウハウ)がある。

終戦間近の頃、実習場付近で今までに見かけなかった兵曹長と時折すれ違った。 2~3人いたようだ。大砲打ちの超ベテランだが艦が沈んで働く場所がなくなった。古い勲功もだしがたく捨扶持を賜っている存在だ、と噂していた。
その超ベテランが俺たちの実習の現場に巡回して来た。なにしろ等級が4っつも上。軍隊で4っつも等級が上ではまるで神様。その神様のたまわく、「お前たちは電探の神さんだ」と。 「俺も電探を習いに来ている」といってしばらく実習を見ながら質問や話をしていった。質問には得意になってご進講申し上げた。
彼らは迎撃電探のシステム活性化に経験を注ぎ込んで、新戦術を創る配置についたようだ。いずれも柔和な一回りほど年上の方たちだった。あの方たちが軍艦の大砲打ちとは! 直属上官の通信科あがりの兵曹長の方がこわおもてで余程武将型だ!
電波で捕らえた標的データーによって、直ちに迎撃兵器が照準を合わせる。その体制構築に彼らに蓄積された知恵と技が必要だったのだろう。

電探で得た方向、高角、距離等のデーターは未来時に修正されてセルシンモーターで射撃側に送られる。その指示針を見ながら把手を回して追いかける。【時に未だ自動追尾方式の実用化が及ばなかった】


航空機搭載電探

この機種はよく知らないが、電圧変換、高電圧スペースなど技術的に軽量・コンパクト化が困難したことと相俟って、偵察・航法・通信・電測・機銃をかけもち可能な万能者が間に合わない点に問題があった。
そのため大型多座機から順に解決し、3座機用が改良段階で、それより小型機用は手付かずに終わったようだ。
敵サンには単座機用があったと聞いて悔しい。

空6 ・ N6 等が教材として置いてあったが、時間不足・電源不備等で 立ち上げ できなかった。
零式水偵に搭載しての実習が我ら飛行兵入隊時に企画されていたが取りやめになったらしい。
教員たちからは、この機種を表面的に教わったただけで、詳しい指導は敬遠された。
彼ら自身が扱った経験が無いからだ。

総合系統図

電源装置軽量化

変換幾(コンバータ or インバータ)には今昔の感が著しい!
現今では、半導体化が徹底し、かつての不便は想像もできないだろう!(強電・弱電共通して)重い・汚い・うるさい・発熱・部品が磨耗する・低能率で電気を大食いする、などを当然の苦労と思っていた。
航空機搭載電探にはこれが何個か使用されていた。
(後年の考察)  この種電探の最大の弱点は、電源系統ではなかったか?
 電源に順次改善が見られる。電源周波数がH6では95Hz、N6では120Hzだが、その後搭載用の機種では400Hzに改良されている。
周波数が高ければ鉄心、銅巻線、平滑回路が小型軽量になる。
 潜水艦用センチ波電探の電源が500Hzにされたのも、同様の改良。



     破 編

・ 調整

故障は真空管不良によるものが大半でその他は少なかった。故障よりはむしろ新品の『立ち上げ』に苦労した。 送信機・受信機・アンテナの相性が問題!
送信機の得意とする周波数と、
受信機の得意とする周波数と、
アンテナの得意とする周波数とこの三者が入荷した時に一致することは少ない。極端な場合に出会ったことがあった。送信機の周波数の調整上限よりも受信機の下限周波数が高い。これを解決するのに私たち6人は(3人づつ交代)苦心した。なにしろ原因に気付くまでに散々いじくりまわしてしまっている。原点に戻してそれから表技、裏技を駆使して最良状態にした。この経験は私たちの技を格段に向上させることになった。アメリカでは品質管理が行われていてこんな苦労は無かったのだろうな。これも勝敗を分けた一因か。
お手上げ品で俺たちは鍛えられたんだ! そういえば総てが乏しくなった末期に実習機材は潤沢になった。それも最新型! (それまでの実習機には最新型はなかった。今に言う「型落ち品」)
前線へは増しなのが行ったに違いない。
     いまでもパソコンが わけあり品 !

 その調整でテコずっている時、6000V加圧中の回路にアリが這い寄って来た。電圧に引かれて棒立ちになり、触角を振って人間が踊っているような姿。
---実は高圧電気力に捕らえられた苦悶のあがき---
 「バッシン」☆ ! 閃光一瞬・・明るかった送信管のフィラメントが消えて暗闇。
電灯を近づけて点検するとアリの骸はばらばらに飛び散っていた。
    ウエストや首の細いところが電流熱で焼き切れた。
幸い過負荷継電器が動作しただけで他に異常は無かった、が、作業が何分か中断した。
 敵機を捜索・追尾中でなくてよかった。
   だとしたら 大変なこと!!  むしろ頭を冷やす好い中断だった。
 幸いなるかな! かくて『船頭多くして船 山に登る』の過熱は冷やされた。
高圧スイッチを切ってアリを助けることも出来た筈だがそこまで気が回らなかった。
 アリの骸を掃除しているとき戦友、N兵長が言った。「敵サンの靖国神社に祀ってもらえ」と・・・連想したのである! 明日のわが身を

☆ 教材はハンパ製品

 当HPに「教材は検査はずれ品が回されて来たらしい」と先にも書いたけれども、最近いよいよ教材はハネ物の利用対象であることを確信するようになってきた。今に言う「わけあり品」!
13号アンテナの反射器に整合用の部材が付いているが、部材の改良途中の物をそれと知らずに扱っていたことに気づいた。
改良前のものは投射器側と同じ整合トラップが付いていた。
これを5センチ間隔の給電線(俗称なわばしご)に変えられたのであるが、記憶が朧なので、沼津市明治史料館に依頼してこの部分を確認していただいた。
その結果その給電線は長さ74センチメートル。先端は開放で、端子が付いて止められる構造にになっているとのこと。
この長さは、8分の3波長に相当する。無調整化目的に改善されたもの。
本番のものは先端を絶縁物に固定してあった!
私たちが扱ったものは改良途上らしく、切り取られたかのように ぶらぶらしていた。
アンテナを速くまわすと遠心力で外に広がったのを記憶している。
それでも改良新型の完成品と思っていた。
教材は送信機、受信機、指示装置、アンテナ何れも、手抜き製品やハネ物、オシャカの利用だった。それを充分な性能を発揮するまでに整備した。
我々練習生の技量向上に大きな効果があったとしておく。

裏技の例


相性を疑う送・受信機のカップルが2組あったとき、談合して両方ともアンテナを、固定反射波が入感するはずの同じ方向に向けて固定する。
そして2組とも送・受信機を生かす。自分の電波では反射波が映らないのによその電波ではよく映る。同期していないので映像が流れる。早速手旗信号で「ヨウソロ」相手からも同文の信号。そこでお互いに受信機を相手電探室に運んで交換する。これで相性の良い相手にカップルの組みなおし。両方ともバッチリ。めでたしめでたし!
この技は先輩に教わったものでなく我ら同期の誰かが考案したもの。教官・教員には内緒にしていた。
   関連記事(離編 電波の質

・ 給電線の整合

給電線の整合複編

給電線の整合は晴天の白昼はやりにくい。黄昏から夜にかけてがよい。ネオン検電棒の光がよく見える。 ネオン検電棒というのは35cm×1.5cm位でフェノール樹脂製、端の方に小さいネオン放電管がはめ込んであった。
アンテナと給電線の接続点から30cm程手前(給電線側)に通称トラップともフンドシとも呼ばれる『整合器』がぶら下がっていた。これの取付位置を動かし、また短絡片までの長さを調整して給電線に定在波が無くなるようにする。給電線に検電棒を近づけると光る。給電線の、どの場所でもその光りが一様な明るさになるようにする。調整が出来ていないうちは半波長ごとに明るくなったり暗くなったりする。 その調整が難しい。可変部が2つあって相互に影響する。最良点を見つけ出すのに「そっち」と「こっち」2箇所を変えて探す。組立木柱の地上4メートルでの作業なので余計に難しい。検電棒の反対側で叩いて摺動させると、持ち変えて検定する。これの繰返し。反射器を調整すると折角治まった定在波がまた現れてやりなおし。辛気くさい!ぶらぶらに改良後は、反射器側無調整、調整が投射機側だけで、楽になった。
「反射器下端には長さ約500粍の テールワイヤー を装備し調整後短絡片を半田付する」 とされていたものが、先端開放の平行二線74㎝に変えられ無調整となった。

      支持索を蹴ってアンテナを回わせる---→ 
ネオン検電棒を特別長い80cm位のものを自分用に特製して持っていた教員がいた。逆さに持ち換えてトラップを調整するには長すぎるのではないかと思ったら、案の定、辛気くさくて ゆるんだ 練習生をひっぱたくのに使われた。

 

・ 魔法の杖 ← ネオン検電棒

 戦後57年を経て発掘された13号電探が『沼津明治史料館』と『横浜旧軍無線通信資料館』にある。
どちらにもネオン検電棒が付属していた。これが黒いエボナイト製。私たちが電測学校で実習に使用したネオン検電棒は 何十本もあったけれども総て茶色のフェノール樹脂製だった。
 実施部隊向けと教育部隊向けと別々に作られたのか?
 電気的に機械的に、何れもエボナイトのほうが特性がよい。ゴム資源が乏しい折フェノール樹脂製は代用品だった!
 エボナイト製だと陽極回路を活きたまま叩いて調整できたのかな? 私たちは禁止されていた。

 アンテナ調整の絵を見て危険を感じた方があるでしょう。
このような乱暴なやり方は昔だから、軍隊だからできたのです。
いや むしろ軍よりも娑婆の方が盛んだったかも?
それがやれると仲間内で幅が利く!
 動作状態で給電線やアンテナエレメントを調整することは危険です。安全が確認された方法でやりましょう。
足場や命綱で墜落防止をしてください。感電防護をしてください。

 アンテナに昇るときはガキのチャンバラごっこのように検電棒を腰に挿した。 当時はまだ通過型電力計など超短波電力を数値的に示す実用器具は無かった。 ネオン検電棒をアンテナ投射素子や反射素子、給電線などに近づけると棒の先端のネオン管がピンク色に発光する。 送信出力10kWと言われているけれども計って確かめたことはない。検電棒の近づけ加減と明るさ加減で電波がかなり出ているぞ! とか、出方が足りないなあ! とか思う。 かなり出ていると思ったとき、反射像が弱ければ受信機の調整でなおる。多くの場合このカンは当たる。

 大雑把には、送信出力が陽極能率から逆算して10kW前後になっていたことがわかる。

  陽極能率(%)=100×出力÷陽極入力
陽極入力(W)=陽極電圧(V)×陽極電流(A)
=8800×(0.007+0.007)=123.2
陽極能率を仮に 40% とすれば、
出力=123.2 W ×0.4=49.28 W
平均電力から尖頭電力に換算する。
尖頭電力=平均電力×{繰り替え周期(/s)÷パルス幅(s)}
=49.28 W ×(0.002÷0.00001) =9856 W
≒ 9.9 kW

      ネオン検電器の発光色はDC或いは低周波ではオレンジ寄りの赤、超短波ではピンク

・ 誘導電界 対 輻射電界

 受信アンテナで飛んでいる電波を捕らえる。
送信アンテナは自分の出した電波が伝播途中で捕らえようと取り逃がされようと知ったことじゃない!
それは広い伝播路の殆どを占める輻射電界でのこと。電波発生源最寄の誘導電界中ではそうは行かない!
誘導電界に導体があれば誘導電圧が発生して電流が流れる。
そして発生源に反作用を及ぼす。トランスの1次側と2次側の関係と同じように。
誘導を受けた側にエネルギーが消費されれば発生源からその分のエネルギーを取り立てる。
それは、給電点のインピーダンスの変化になって現れる。
誘導を受けている導体にエネルギーの消費がなくとも相互の距離を変えたり導体の形を変えたりすると、
1次側である発生源にリアクタンスの変化となって現れる。

負荷をかけて電源側に反作用を及ぼす電界が誘導電界、電源(送信)側に反作用しない電界が輻射電界。【誘導電界は放射器の近傍だけ】

 VHFビームアンテナでは反射器を調整すると給電点のインピーダンスが変化するので、
整合確認をやり直す必要が生ずる。VHFは多くの場合反射器は誘導電界の範囲なので。

 UHF、SHF以上でパラボラ反射器を使った場合は、その位置は誘導電界が及ばない領域、
つまり、輻射電界なので、パラボラ反射器を付けようが、外そうが電波発生源に反作用を及ぼさない。

・ 超理論技術

同僚の一人が「13号」のアンテナ柱に登って調整をやっていたがうまくいかず、くたびれて降りてきた。その前にも別の者が何人かやったが同様だった。皆がうんざりしていた。

送信中の給電線に触ると『チー』と送信パルスの音がする。そして触った皮膚との間からオレンジ色の火花が出る。痛さは軽いが、いつまでも触っていれば熱い。後でその部分の皮膚が厚くそして硬くなる。タコのようなもの、やがて治る。
そんなわけでアンテナや給電線での感電事故はない

件の練習生、やけくそで給電線をしごいた。間隔5センチの給電線の途中を人差し指と親指でつまんで2センチくらいに絞った、『チーチー』 と指先から聞えた。その時、地下電探室から伝声管で [感度上昇!」
 手を放すと「感度低下!」 当人も、それから地上での補助者や見学者も疑問を抱いた。
そのうち一人が木の皮を 剥がして揉んで延ばして 撚って、絞った状態を固定した。定在波は未だ残っているが、『三宅島感5』と状況最良!「これで調整完了を報告できるぞ ! 」
 しかしその際、この超理論技術がバレると「手抜きをせずに正しい方法でやりなおせ」と命じられるだろう、皆の意欲は尽きている。やりなおして完成できる自信は俺たちの誰にもない。そこで上部には超理論技術を内緒にして報告することに申し合わせた。
設営した先輩が時間不足で出来なかった調整を偶然と邪道によって成し遂げることが出来た。
なま木の皮を絶縁物として使うのも正統派は許さない! 波動抵抗380Ωの所、この処置で絞ったから更に低く300Ωくらい? 絶縁損失は感じられない!
生樹皮式整合器これぞ正に トラップ !
実はこの実習用横穴式地下電探室は先輩の高等科練習生が実習課業として設備したもので、特にこの室は他に比べて凝った方法が採られていた。大工経験者でもいたのか、よほど器用なグループだったらしい。 どうやって掘ったか知らないが地上から地下室の天井まで給電線の樋と伝声管を垂直に貫通させてあった。樋は内法幅10cm余りの正方形で木製だった。地上部の上端と地面には屋根がついていた。その中を偏らないように工夫して給電線が通してあった。アンテナは電探室の真上に建てられていた。俺たち少年兵には機器を並べて繋ぐくらいがせいぜいで、これだけの設営は無理。高練先輩ご苦労様でした!
後日考えた。整合調整困難の原因は給電線が赤粘土と湿った木板で囲まれたため、伝送特性が異常だったのだろう。
邪道でなく整合させるためには樋の出入り口にそれぞれトラップが必要だったわけだ!

『偏らないように工夫して』・・・渋糸で吊ってあった。・・・【渋糸】柿渋に浸した麻糸、紫~茶色、高周波絶縁特性は不明だが給電線に用いては支障を認めなかった。

・ 裏ビーム

13号のアンテナは、反射器の整合調整が へた だと指向特性が真後ろに大きく漏れる。また如何によく調整しても『漏れ』は皆無にはならない。
『裏ビーム』で反射波を捕らえると 180度 アベコベの表示になる。
「距離 10キロ 以下!」、「目視 観測用意!」、教員の号令で一人を残して室外に出て空を見る。「 5キロ に接近!」、未だ見えない。「直接波に入る、1.5キロ! 」、ついに目視できない、と思っていると背後から前方へ友軍機が飛び越えて行った。
教員だけが始めから裏ビームで捕らえた反射波だということを知っていた。このように仕掛けた情況でも訓練を受けた。要は『裏ビームを常に頭に置け』ということ。 ベテランはカンでわかる!

 13号アンテナの垂直面指向特性を測ったことは勿論、聞いたこともなかった。
測ろうとしても至難のこと。
裏ビームをいくら抑えても、上方にサイドローブが突き出ていたことだろう。
 お稲荷さんの狐のシッポみたいに!
   この場合サイドローブとは言わないと思う、なんと言うか知らない。
      勝手に名づけるならば、 「スラント ローブ」!

・ 金網反射器

 海軍の哨戒電探では11号、12号、21号、11Kと初期から金網を使用して13号に至って初めて金網でなく投射器同様直径1㎝の棒状反射器になった。
その、調整訓練をした。投射器と共に反射器にもトラップがあって感度最大且つバックローブを最小にする。
   以前は「裏ビーム」という語を用いたが部隊の方言らしいので今回は一般的用語「バックローブ」を使った。全く同じ意味である。
八木アンテナはバックローブを十分に抑えきれないので哨戒用には使用されていない。
例外的に14号は八木式を使った。背後の山腹を活用することで、バックローブを吸収散乱させた。また、潜水艦で13号に八木アンテナを採用したが緊急優先のためバックローブを許容した。
攻撃用電探では指向を仰角で使うのでバックローブは大地が吸収(一部は反射散乱)して無害化する為に八木アンテナが使用できる。
それでも初期には金網反射器を付けた。41号の原型である米軍SCR268は棒状反射器だがコピーは金網を付けた。
金網は冗長物ではないのか? 八木式アンテナが不完全で電波勢力を前方に集中させるのに金網を併用しなければならなかった。

  八木アンテナは素子を無暗に並べても目的の性能(電波勢力を前方に集中する)が得られない。
各素子の長さ及び間隔が相互に関係して複雑で、素子数が多くなるに従って複雑さは増える。
カットアンドトライの測定作業を繰返してデターを蓄積する。今ならコンピューターで解析出来るだろうが、当時は紙と鉛筆とカンによる手作業しかなかった。
満足な効果が出せる組み合わせを見出すには多大な労力と時間がかかる。
漸くそれが完了して金網が不要になる。つまり、金網はそれまでの遅れをカバーする手段だった。
それでも哨戒用には使わなかった。敵さんも。【例外は先に揚げた】
陸軍も警戒機(哨戒電探)には八木アンテナは使っていない。
標定機(攻撃用)は初期には八木アンテナに金網を重複していた。その後、八木アンテナが完全化して金網使用機種が姿を消した。しかし、
末期にウルツブルグ導入の際、緊急的にVHFで代用したが、八木アンテナに再び金網を重複させて使用した。
この時も、金網は取敢えずの手段だった。
 金網だけでも重いが、風圧に堪えて頑張らせる構造が更に重量物である。重量は回転機構などすべてに波及する。
米軍の哨戒電探 SCR 270 の反射器は棒状だが給電線がある。この機種の旧型で開戦時のものは反射器がすだれ状金網だった。
鹵獲機の反射器はタダの棒状で八木式と同じである。バックローブに悩んで引退させられたに違いない。
彼らは新旧製品の優劣を分析して激戦に至る前、既にこれ等の難点対策を完了し、次の開発に余力を移していた。
我が方は立ち遅れが後を引いて激戦期に向ってそれを行い四苦八苦だった。


米軍の哨戒電探 SCR 270 (1942)                比島鹵獲機 送・受信共用


SCR 270 旧型 (ハワイ奇襲を発見したと言われる)
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中段に遮蔽金網が見えるので、送・受信は共用していない!

  【ここでは、金網反射器は平面またはその複合のもので、パラボラ面のものは含まない】

・ 洋上での調整

 周知当然のこと! 電探は送・受信周波数が同じ。
調整は山や島にアンテナを向けて自分の出した電波の反射を最良に受信できるようにすればよい。
「調整は陸上だから簡単なのだ。洋上へ出てみろ、固定反射は全然無いのだぞ!どうするか?」 教員自身だって「測波器を使って送・受信機の周波数を一致させるんだ」くらいの解答しか持っていないらしくて不満だった。結局陸地に近づいた時よく調整して、その後は時々測波器で周波数をチェックするだけで、大幅な変動がないように祈っているしかない。陸地から遠い洋上で新品を立ち上げるなど無理なことと想像した。『レーボック』? 知らなかった。
艦上勤務経験が無いくせに「大きなこと言うな!」と、怒られそう。
先輩たちにはこんな心配の経験が無かった。21号の頃には13号時代と違って製造、組立がきちんとしていて、製品ごとのムラが無かった! 加えて受信帯域幅の余裕が5倍もあった。

・ 調整(補足)

 反射波感度だけでする調整法がある。中程度の強さの固定反射があるところでは便利で解り易い。
アンテナを島か山の反射が来る方向に固定する。強すぎる反射波は使えない。
  【敵さんは遅延トンネルをくぐらせて電波を送り返す擬似反射装置『レーボック』を使っていたらしい】
送信機、アンテナの整合、受信機を順々に受信感度が最高になるように調整する。
順々に調整して受信反射波が最高になったということは
送信機、受信機、給電線、アンテナが夫々最良に調整されたということ。
アンテナ、反射器、整合器は調整すると、相互作用で対側の調整がずれるので数回繰り返しが必要。
2箇所を同時に調整してはいけない。手が空いていても順番を待て、それまでは手を出すな!

・ 送信周波数測定

座学も実技もその他なんでも人並み以上に出来る優等生が何人かいた。口惜しくてうらやましい。その優等生に出来なくて私に出来ることが一つあった。『送信周波数測定』。この時私は得意だった。
吸収型測波器での『送信周波数測定』は誰でも出来るが普通の測波器では困難乃至不可能。電探の送信電波はパルスで変調されている。パルス音が邪魔でヘテロダイン音がわからない。ならば、視覚でと、
ブラウン管で時間軸を拡大して送信パルスを拡げて観測する。測波器の発振を重ねると画面が変化する。
つぎに、ゆっくり測波器周波数の微調ダイアルを回してビートを探す。普通はビートがごく瞬間しか現れないので見逃している。またはキャッチしても指先にブレーキかからなくて通り過ぎてしまう。
 受信音を聞いていて周波数が接近してビートが起きそうになるとパルス音が微妙に変わる。
ブラウン管を見なくても私にはこれがわかった。この実技だけは一足先に及第。
 後で知った、私の可聴音上限が普通より高かった。今でも同年代では高い。

回路図 測波器

・ 荒天準備

同期の中に天才がいた。風雨が強くなって来ると「荒天準備」の号令がかかる。半数程が雨衣を着てアンテナが吹き倒されないよう寝かせる作業に行く。横殴りの雨が叩き付ける真っ暗闇に黒いカッパを着てわいわい烏合の衆。この時「風上引け」「風下緩めろ」「肩を入れろ」「気を抜くな」見事適切な指揮。てっきりベテラン下士官の号令と思ってみんなが従っている。一基終わりそうになると次へ行ってまた指揮する。 本物のの下士官もいるだろうに、その号令が透っている。荒天準備のたびにその声が次々と指揮をして飛びまわっていく。怪我も無いしアンテナの素子を曲げることも無い。後でわかったが同じ分隊の同僚。私にはこのような才能は無かった。こういう奴をみると自分が情けなくなる。・・・ これは13号の話。
12号では「荒天準備」の号令がかかるとトレーラー上の回転キャビンのブレーキを外さなければならない。ブレーキを外すとアンテナのついている側が風下に向く。早い話がデッカい風見鶏。『柳に風』と流してアンテナや回転機構などの破損を防止するため。ブレーキを緩めた作業者がキャビンから出る時が大変。出口の下は ladder ラッタルがない。
ラッタルはアンテナを主警戒方向中心に向けたとき出入り口に合うように地面にしつらえてある。
それだけでなく暗闇で下に何があるかわからない。車輪や台車に挟まれば大怪我。ぶらぶら右に左に風任せに動いている。稲妻でも光れば天佑だ.覚悟を決めて飛び降りる。


・ 同分隊群馬出身蓑輪博友氏手記より
(昭和20年)『4月10日 小雨ナリシガ風強シ、巡検後アンテナ倒シ』

・ 指揮をとった同期兵の氏名は忘れた。

運用術(応急) 問題集より

荒天準備にて行ふべき作業の主なるもの五つを挙げ又問ふ之等作業の開始時期如何
(イ)外舷にある諸物件を処置すること
(ロ)艦内に於て移動転覆し易き物品を処置すること
(ハ)浸水し易き部の防水及排水の処置をなすこと
(ニ)風浪に依る圧力を最少にする方法を講ずること
(ホ)安全に碇泊及航行し得る手段をとること
 作業の開始は作業容易なる時機を選び事前に準備すること

・ 日本海軍教育術秘伝

同口異音
★「キサマらは全く役に立たん日本海軍の手足まといだ」
☆ 「キサマたちは電探では日本海軍の最精鋭だ。どこの部隊へ行っても充分働ける」
同じ教員の同じ口から吐かれた言葉。入隊直後と半年経過した卒業直前。 純真な少年兵はその時々どちらも真に受けた。
 山本長官に教育された教育法なのだろうか? 「ほめてやらねば人は動かじ」! それにしてもオーバー
鬼が仏に変わる! もともと鬼で最後仕上げのときに仏を装う人と、もともと仏で一時の間鬼を努める人とがいた。

異口同音
 「9期普電測(第九期普通科電測練習生)は優秀だった!」教員たち人が変わっても同じことを言った。つまりキサマら1期甲飛(第一期甲飛電測練習生)はできが悪いということだ!
それはそうだろう9期普電測は帝国海軍すべての兵から電測を志す者を募って選抜した集団。そして初年兵教育も終わって一応出来上がっている。
9期普電測によほど教え甲斐を感じたのであろうが、言った教員たちが憎らしい。毎度重ねて言われると意気消沈する。
卒業した者たちをベタほめして俺たちの嫉妬心を煽って奮い立たせたのだとしたら感謝すべきことだった?!

・ 軍人精神

教育

電測だけでなく、海軍全般の教育で、遅い、 しくじった、 出来ない、 違反、 負けた、 これらに対して「勘弁してください」 とは言わせない。言い訳はさせない。『それに見合う制裁・罰を受けるのが当然』という考え方を徹底的に注ぎ込まれた。これが所謂『軍人精神』教育の単純明快な法だった。
戦後世間に出て「謝ることを知らない」とか、「強情だ」、「素直でない」と批評された。自身では「素直で従順な気性だ」と思っていたのに! 私だけでなく復員軍人、特に少年兵上がりは、鍛え上げられた焼きを戻せず苦労した。今でもこの精神が随所に残って傍迷惑になっているらしい。

若い血潮の予科練の 大和魂 敵だらけ

・ 電測術教育

学科は、数学、電気磁気、交流、電波兵器基礎理論、電気器具、測定、兵器各種等
終日座学のことがしばしば、疲れる。実習訓練があれば助かる。たまには新兵教育のおさらいもあるが嘗てのときほど辛くない。

我々兵卒に教える電気磁気学は電波、磁力線、電子流など目に見えないものを見えるという錯覚を生じさせる訓練だったようだ。往き来する電波が見えてくる!勿論妄想だが・・・
例1
数式を使って教えても理解できる練習生などいない。教える教員にしてもこのようにして教わってきている。
「コイルに流れている電流を急に止めると磁力線が消える! その消え方が急であるほど鋭い衝撃波電圧が発生する」 等等 全身を揮って教える。
鉄心の中をいっぱいに走っていた磁力線がさっと消える。その瞬間に、2次コイルに尖ったインパルス電圧が発生する その 様が見えてくる!?!。

 電探の制御回路には微分回路、積分回路が多く使われている。
難しい微分、積分の数式は解くことができなくとも、
この電圧波形を微分回路に入れたら出力波形は?
この電圧波形を積分回路に入れたら出力波形は?
と問われれば、たちどころに図を描いて答えを示せる。
例えば正弦波を微分したら位相が90度進む。(振幅が周波数に比例する)
矩形波を入力すれば正負交互のインパルスになる。
 はじめてみる波形でも答えを描くことができる。
積分回路ならば逆に考えればよい。
  例  無負荷トランスは微分、直列コンデンサーも微分。並列コンデンサーは積分。但し、それぞれの値を適切に

例2
「発振管に負荷をかけるということは「荷物を背負ったまま立ち上がれ」ということだ!荷物が重ければ立ち上がるのにフラフラする。発振がフラフラして立ち上がればフラフラした電波が発射される。もっと負荷が重ければ立ち上がられない。1秒間に500回も立ち上がるのだ!発振管もご苦労だと思うだろう!」
これら幻術まがいの電気磁気学・電波工学こそ海軍電測術の奥義だった!


 
時間拡大 1250 倍
衝撃波は増幅の段間でスライスと微分を繰り返して順次鋭くなる。
このアニメ構想の元は

・ 数表

「数表」という冊子が全員に渡された。三角関数表と対数表(4桁用)を綴ったもので数十ページのもの。この数表が見づらかった。
字体が旧式なのに加えて印刷が不鮮明だった。
多分昭和初期以前に組版したものを繰り返し使って活字がくたびれていたのだろう。帝国海軍のものにしては情けない。
私は入隊前に中学校で使った文部省発行の同程度内容のものを持参していたので、貸与のものはあまり開かなかった。

「海軍のものを使わずに私物を使うのはいけない!」とは、言はれなかった。分隊内で私の他にも同類がいた。
アナログ時代の遺物、わかりますか『数表』 その道の専門家が使うのは5桁以上のものがあった。
一桁増える毎に情報量が10+ 倍になる。下士官・兵に使わせるものは4桁もので充分!

見たことないが、「 数表」はもっと見やすく印刷されていただろうな ?

・ 回路試験器甲

 無線機器試験器甲とも言った。テスターのこと。
現在はデジタルテスターなど非常に便利なものもあって、使うときの注意事項など無いに等しい。
往時のものは、
第一に、少しの不注意で試験器自体を壊す危険があった。
第二に、メーター感度が2mAと大きい。これでは真空管回路の電圧を計ろうとすると場所によっては電圧が半分も降下して実際の値は計られない。戦後は10年位して 50μAのものが現れて、この問題は過去のものとなった。
第三以下省略
 電探を習う前の基礎学習の間に回路試験器甲だけで何日もかかった。(座学+実習で)
最後にひとりずつ実技テストが行われ、抵抗値の測定と電圧の測定が出題された。
私らのように必死になって学習している者のほかに、学習に苦労しない既習者がいた。彼ら、テスターなど自由自在。

緩衝増幅器(カンショウゾウフクキ)

 既習者は始から知っていて「バッファアンプ」とか英語に言い換えたりしていた。
その他大勢は13号電探には無くて11号の学習ではじめて聞く言葉なのでとまどった。教員は「いまさら知らんのか」と、教えない。既習者だけが得意。   既習者とは旧制中等学校で無線技術を専攻してきた者たち。目録だけをやたらに知っていて小賢しい!

・ 数学教育方針の転換

 それまで「三角関数」や「対数」を「交流理論」と一緒に習っていた。
或日突然『上部から方針が示された』と、締め括りもなく変更して「順列組合せ」、「確率」、「誤差」を教えられた。一同は不満だった。「こんなばくち打ちの算術みたいな勉強して電探に何の役に立つのだろう?」 「誤差論」など教えてもらわなくともそれまでの学習と訓練で その場、その場の必要桁数とか性能上の限界を体得できていた筈。
 私個人も不得手な科目に変わったので難儀した。戦局が逼迫してきたこの時期に俺たちをどのように方向付けしようとしたのだろう?上部の真意は謎??
    アナログがデジタルに流れ始めた最初?
 その頃は、上部の考えなど深く憶測しなかったが、戦後月日が経ってオトナになって推測するに、電探の生産停滞で俺たち電測兵が過剰になった。使い道を模索した末、暗号術を習得させようとした?!
 後年 電話多重通信方式に携わる際に「確率」が理解の助けになった。無駄でなかった!

・ 誤差を知る情報作図演習

 地図上に電探基地A・B地点が印されている。A地点から方位何度、距離何キロと報告のとおりに観測時分を付けて点aを打つ、B地点からの報告についてもも同様にして点bを打つ。このようにして南方洋上に2点が打たれる。
数分以内に追加報告が来てa・bは軌跡となって図上に描かれる。この目標が1つのものであるならば、両方の軌跡は重なる筈。
が、普通2本別々の線が目標の北上を示している。果たして接近してくる敵機集団は1個なのか2個なのか? 「誤差」を習う前にこの演習が行われていた。そして精度というものはこのようなものだと身体で覚えさせられていた。 何が今更「誤差論」か!

上記の模様を補足説明します。
 広い講堂の中央に大きいテーブルを据えて本部とします。周辺に小さいテーブルをなるべく離して数個置きます。
小さいテーブルの一つ一つに電探基地の名称を借りて付けます。たとえば、「御前崎」、「石廊崎」、「勝浦」、「犬吠埼」等。
各テーブルの時計を某月某日、敵機が侵入した直前の時刻に合わせます。各電探基地は記録されているデーターの時分になったとき本部に観測データーを伝令します。
報告が集中するとき本部は多忙になります。一枚の図上に前記の要領で色鉛筆を使って敵機の航跡を記録します。
本部は追跡を続行させる基地と哨戒させる基地の分担を決め随時司令しなければなりません。
本部員(作図・司令)、基地員、伝令それぞれ役を入れ替えて演習を3回ほど繰り返しました。教官の指導は少なく殆ど隊員の自主訓練でした。

この図上演習は指揮法の範囲で普通科練習生の教程以上、そのため教員は立会わず教官直接だったのかと後日に合点!
 なぜか? 分度器が3角形だった。普通は半円形なのに。
多分素材セルロイド板から切り落し屑を出さない工夫! 使いにくい感じは無かった。

・ 教科書

白本と赤本があった。 赤本は保管などの管理が厳重。
赤ノート赤本と同じく厳重だった。ページを打って周囲を 赤く染めて番号と点検印をもらって使用開始。書き損じても切り取ってはいけない。塗りつぶしは構わない。

セルシンモーターの原理図

教科書の中の絵図が記憶にあるので右に掲載した。
守編「◆アンテナの回転について」 で述べたがアンテナの方向角などを遠隔表示するために使われた。

砲術科では以前からセルシンモーターが測的データと、砲身の向きを示すデータをやり取りする、つまり大砲や高角砲の狙いをつける神経の役目を果たしていた。
 右図では測定・表示可動巻線にリングを通して電源供給、情報送受用3φ巻線は固定。
    逆の構成もあり、その場合リングが3個


・ 賭博

セルシンモーターの電源を切って、アンテナを180度反転させて電源を再投入する。そのとき方向指示器の針が右を回るか左を回るか、丁・半
以前から居る者はくせを知っているので新参者はなかなか勝てない。
割の悪い当番が賭けられたりする。 (教員の雑談から)

・ 帰線消去

ブラウン管で時間軸が右端から原点に復帰する線は、電子流を抑えて消されている。帰線消去という。
このため、例えば「13号」ならば 約270km から 300km の間が観測できない。その区間を観測するには、位相調整のツマミを回して時間軸に対して送信同期をずらす。


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・ 位相調整

変調パルスと時間軸間の位相調整の方法。
 測距に精密を要する機種には
 1) ゴニオメーターが使われていたもの。 「22号」など
 2) 時間に従って電位を徐々に増加させる波形をつくり、別の機構で波形の位置をシフトして合わせる。シフト量から距離を読み取る。 対空射撃用各種
 測距が概略の機種には
 3) 補助的な調整に、 或いはと可変 を組み合わせた回路が使われていた。 「13号」など

セルシンモーターやゴニオメーターは、遠隔表示、位相調整など何れも現今ではデジタル技術で処理されるところに使われた。
セルシンモーター(交流型)もゴニオメータも同一の原理に基づく。ゴニオメーターには、普通、2相交流が使われた。

・ 故障想定

例えば不良真空管に差し替えるなど、作られた故障を回復させる訓練を受けた。現実には起きない故障を試される意地悪問題もあった。

・ リアクトル

 送信機のスイッチが『調整』の位置では、陽極高圧が70%なので送信出力は49%即ち約5kwに低減される。
送信電力10kwと5kwで受信感度に分かるほどのに差がなかった。微弱感度のときには違いが出ただろう! そうでない道理はない。
 「反射波が強すぎるときは送信出力を下げれば方向の読みが早い」と教わった。 理論は然りだが大した違いはない!
 『調整』から『送信』に切り換えると電源部から唸りと振動が伝わって緊張する。
逆に『送信』から『調整』に下げたときは気分が楽になる。・・・兵器との一体感!

   電圧切り替えの方法
 電源トランス1次側に直列に『リアクトル』が挿入される。平常の『送信』位置でこれを短絡する。

  以上は応用的便宜利用であって、
 === 『リアクトル』の本来の役目は調整失敗による過負荷から送信管を保護するためのものである。 ===

 陽極同調が外れたり発振が停止したときなどに送信管に過大電流が流れる。殊に調整時に起きやすい。
対策として調整時にインダクタンスが挿入される。このインダクタンスコイルを「リアクトル」と云った。
「リアクトル」を陽極電源交流1次側に直列に挿入して、陽極電流が過大になると電圧を下げて過負荷を抑える。
リアクタンス値は絶対値を調整完了時の負荷抵抗とほぼ等しくしてある。したがって調整完了すれば陽極電圧は1/√2≒70%となり、出力は定格の1/2である。
    要するに電圧変動率を故意に大きくして送信管を保護しようとするもの。
調整が完了して「リアクトル」を短絡させれば定格出力となる。
「リアクトル」を挿入しないで調整して、調整を過った場合送信真空管の陽極が赤熱することもある。真空管の寿命を著しく縮める。
交流電源を用いる海軍の他の電波兵器もこのような仕様になっていた。【磁電管には適用しない】


・ 近似式

電測を専門に習うまでは海軍の一般教養として、陸戦・体操・手旗信号・カッターなどの屋外訓練と運用・信号・航海・砲術・水雷・通信術など室内授業があった。

左図の近似式を航海、砲術そして電測と別々の科目で別々の教官に合計3回、教わった。それほど海軍では大事なそして便利な数式。
海面から自分の目までの高さ『h1』と目標の水平線に隠れている海面からの高さ『h2』(※見えない高さをどうやって計る?)を入れると目標までの距離『 D 』が出せる。普通は暗算ですばやく概略距離を出す。計算尺があれば使う。
※目標の艦船種類から推定するのだそうだ。
電探の場合は使い方が違う。アンテナ高 25m のとき、敵機の高度が 400m ならば 90km まで、高度 6400m では 306km まで、それより遠くは「不感帯だ」 と、この式が教える。  敵もさるもの 高度を 400m に下げれば凡そ 100km に近づくまでこちらの電探に捕らえられないと知っていた。

しかし水平線や島を乗り越えた微かな電波も 敵逆探に届くので用心!
「不感帯」 ・・山の背後、水平線の彼方など電波が届かなくて探知できない 3次元的空間・・

(この近似式は成層圏の高さまでは使える。)
地球面を走る電波が直進でなく地表面に沿って幾分か下方へ回折する、その分を計算結果に反映させようと、地球半径を実際より 4/3 倍大きいものとし、上記“D”に 4/3 の平方根 即ち 1.155を乗じる。あるいは『3.6』を『4.1』に置き換える。
そのようにするのは戦後のこと。

・ 折返し反射

例を「13号」にとると、300km 以上の遠方からの反射波は再び左端から表示される。普通の目標はこれほどの遠距離からは入感しない。しかし B-29 など高々度の大編隊ならば 300km 以上でも入感する。そのとき 20km か、次のスヰープでの 320km かの判定はカンに頼ることになる。1回経験すれば、おおよそこのカンは体得できる。
折返し反射という表現、変だと思いながら呼称していた。1回の走査のうちに帰着が間に合わなくて 次期まわし になった反射波。
現在の呼び方 “第2掃引エコー”、英語では、 multiple trip echo” とのこと Skiner氏 から e-mail ご教示。('02/04)
 因みに、「次期まわし」とは、落第・留年のこと「お茶を挽いた」ともいった

・ 的針・的速

的針・的速(砲術用語、目標の動き方)の大まかなことは望遠鏡ならば瞬間に、機首がどっちを向いているかで知られる、速さも慣れれば凡そ分かる。
電探では発見したときにすぐは分からない。敵発見を報告すると「的針は? 近づくのか、遠ざかるのか」と聞かれる。
そんなこと暫く見つめて距離が伸びるか縮まるか確かめなければ分からない。ブラウン管上の敵機の影は時計の分針よりもゆっくりだ!
時間軸を数倍拡大する。全神経を注ぐ。衰調が邪魔する。10秒、20秒の間は「観測中」としか答えない!
確認報告まで20~40秒。もしも、その間距離変化が止まったのに気付かなかったら欺瞞紙に騙されていて、一大事!

   【誤解のないように】これは昔の電探、今のレーダーは近づく、遠ざかるが直ちに分かる。

・ 視聴覚教育

 終戦の年の春頃神奈川県藤沢市の海軍電測学校に学徒動員で学生帽に「美」と帽章を付けた学生が働いていた。
さまざまな模型は彼らが造ったもの。【科学博物館の一室みたい】
・ 12号電探の見事なミニチュア。
・ 電波が伝播する理屈を教える立体模型。
・ ハンドルでエンドレスベルトを回しながら、上の振り子を振ると砂が少しづつこぼれてベルトにサインカーブが描かれる仕組み。減幅振動を教えようとした?
・ 壁面いっぱいの13号電探の回路図。
  (回路が描かれた布製の幕の背後から教員助手が光源を操り、教員が活動写真の弁士風に脇で回路の働く仕組みを教える。)
                          部分をアニメで回想復元
等々 色彩ゆたかに出来ていた。さすが美術学生。    通路など、彼らとは黙って譲りあった。
 また同じ建物に小さな映写室があって真空管の動作を解説する映画が映されていた。
・ 陰極からパラパラと電子が陽極に向かって飛出す2極~多極真空管の動作を説明する白黒のアニメ。
字幕が英語なので学生出身の少尉が訳して聞かせてくれた。このフィルムは戦利品なのだろうか?娑婆では敵性映画だから上映できない筈。
 これらの教育設備は私達には、たわいのない おさらいだったが後輩たちには役立ったのだろうか?利用されずじまいのようだった!

・ キメラ電探各種

◆トレーラー上の12号のアンテナを外して13号のアンテナを 2 基付けたもの 最近某氏から送られた資料を検討すると、これが12号の最終型式だったらしい。重量を大幅に軽減できただろう。

◆両手を広げたような形で長さ10メートルくらいの水平桁の両端に八木ビームまたは金網パラボラがついていた。
この片方を外して、代わりに重りを括り付けたもの。2~3台。
こんなの、アンテナ送受共用装置が開発されてのテスト段階だったのだろうけれども、サッサとアンテナを真中に移して、いらない桁を取り外せば、場所もとらないし、軽快に回転が出来ただろうに、 
教員に聞いてみても知らないのか知っていても喋ってはいけないのか教えてもらえなかった。


哨戒用と攻撃用電探

電測学校で42号など攻撃用が掘り下げて造ったくぼ地に据付けられていました。
掘り上げて出来た土手の上から見下ろす形で見学したのを覚えております。
そのときは、電波が飛ぶのに支障するだろうに、それよりも爆風よけのほうが大事なのかな?
と勝手に納得していました。その本当のわけを後日気付きました。
哨戒専攻の私は、すべての電探はなるべく見透しがいいところに据付るものとしておりました。
ところが攻撃用は違うのです。水平線ぎりぎりの低い範囲は哨戒用に任せて自ら観測することはありません。
低い角度に電波を飛ばすのは不必要なだけでなく遠距離から敵に存在を知られてしまいます。
また、地表面の建築物などからの邪魔な反射波を遮蔽する効果もありました。
さらに、敵であれ味方であれ本機自身以外の発射する電波はすべて邪魔ものです。これを抑圧出来るのです。

12号のキャビンに送信用 1 個、受信用 2 個。計 3 個の四角な電磁ラッパを屋上に横向きに付けた形のものがあった。これも教えてもらえなくて後日32号ということがわかった。トレーラーの台車はなかった。

◆そのほかにも変なのをいくつか見た。実験中だったのだろう、近寄り禁止だった。

・ 感電事故

感電事故に対する注意は繰返し聞かされていた。
実習中、地下電探室で小島練習生が感電した。同じ長椅子に膝を接していて私は両腿に電撃を感じた。小島の体に入った電気は私の右腿から入って左腿から別の同僚に抜けた。小島は真っ青になって伏している。私と2~3人の呼掛けで小島の意識は戻った。小島は「高圧の危険な箇所は知っていたので触らなかった。高圧のほうから触ってきた」という、1cmくらい電弧が飛んだらしい。3人に電気が分散したので助かったのだろう。床は湿気った粘土。足から抜けなくてよかった。当時の考えでは、ドアスイッチなどは冗長物乃至邪魔物だから付いていなかった。【AC7000v(調整時AC4900v)の箇所】

・ 味方識別(IFF)

 敵には味方識別装置があった。我が方は実用に至らなかった。味方識別とは、いわば合言葉。敵の味方識別装置がよく応答した。呼びかけて返事をしたら敵、黙っていたら味方。奇妙な話だが事実だった。
反射波は往復だが味方識別電波は片道なので、まだ反射波が入感しないうちに味方識別信号が入感する。敵がいる筈だ、とその方向を入念に探すと雑音中に微かに反射波が見え隠れしている。
 敵さんは、こちらで、このように利用しているのを知らないのだろうか?
知っていて使っていたのならナメられたものではある!
間に合わなかったが M-13 と称して迎撃戦闘機に搭載して優位な攻撃位置に誘導する海軍の味方識別機は準備中だった。

 「IFF」が他の例と違って、日本語でなく敵さんの用語のまま呼称していたのは なぜだったのか?
敗色濃い時にありながら盛んに敵情報が舞込んだ結果?!

・ 欺瞞紙

(現在これを"chaff " と言うらしい)

 昭和20年初夏、東京空襲の途中米軍機が大量の欺瞞紙を撒いていった。
私達は欺瞞紙の長さと、厚さ、材質については相手の波長の半分が効果最大。 長時間空中に漂はせるためには、薄いほうがよく、材質は導電性と軽さの点からアルミニューム、つまり長さ 1m 弱のアルミ箔テープが最適と認識していた。
彼らが撒いていった欺瞞紙はそのイメージと違う物だった。幅 8mm 位はよいとして、長さがすごく長い、少なくとも 50m はあった。厚さが「箔」と表現できる物ではない。
厚いからすぐに落ちてしまうだろう。波長など考慮されていない。これを無茶苦茶大量に撒いて行った。

 壕を出て、落下途中の幾すじもが横に長々と伸びて近づきつつあるのを目にした。既に地面に着いているのもあった。

我がアンテナにジカに絡ませて送受信を不能にするつもりだったのだろうか? アッチコッチのアンテナや建物に引っ掛かって、ヒラヒラ靡いて光を反射しながら「チャラチャラ シャラシャラ」音がしていた。 素手でたぐるとバリで手が切れる。
「敵機ノ散布セル物体ハ特命処理分隊以外ノ一般隊員ハコレニ触レルヲ禁ス」と伝令を受けた。おそらく、送電線や配電線に引っかかっているのを知らずに触れて感電する危険があったからだろう。触れるなと言われても 掻い潜るか 抑えて跨がなければ歩けない!

我が軍のは、紙に裏打ちされた箔テープだった。巻いてあるまま 中心に向かって一箇所ズコズコ切込みを入れ、そして芯ごと風防から外に放す。欺瞞紙は適当な長さで散っていくのだ と聞かされた。

戦時中『一銭硬貨』が銅→アルミ→錫と変わりました。飛行機を作 るのにアルミが貴重なので欺瞞紙は錫箔を貼った紙で代用したのです。

電探には煙幕が効かない。代わりに欺瞞紙を撒く。飛行機本物よりも欺瞞紙の方が反射映像が強いので 撒かれると厄介!

・ ブラウン管

 電探のブラウン管は静電偏向で偏向コイルは無い。間口の割に奥行きが長い。ブラウン管の奥行きが長いので、それを納める装置も奥行きが長い。後の機種が120ミリをやめて、75ミリを使うようになったのはこの 長さ による不便を避けることも考慮されたに違いない。

また当時のブラウン管は表示を明るくすると、
焦点を調整しても点や線がボヤける。やむなく輝度を落として観測する。
そこで室内を暗くすることになる。
そうしないと大編隊ならともかく、単機や小編隊の接近は発見できない。

今日か?明日か?ブラウン管の時代は終わる!
これもアナログの遺物! 形も色彩表現もすごく進歩したのに・・・・

・ 衝撃音波

 送信機を働かすと電探室が衝撃音波で充満する。送信機の至るところから変調パルスの音が発生している。この音は或るときはやかましく、或るときは淋しく、また或るときは狂おしく聞える。緊張からか、B29など敵機を捕捉したときは聞えない。
私は戦後ずっと、今だに、耳鳴り~そら耳で、この音が聞えている。電探の後遺症か? 耳鼻科でも神経内科でも原因不明で処置は無いという。そして医師は感覚を静める薬を処方しよう、というが断った。

   500ヘルツと言えばドレミファソラシのシの音だが、
  電気回路から空気振動に変わって漏れ出るエネルギーはその名に違わぬ衝撃音波だ!

・ 微分回路

変圧器が無負荷のときは、2次側に発生する電圧波形は、1次側電流波形を微分した形になる。矩形波を微分すれば+、-の衝撃波になる。この衝撃波を加工する。高低2電圧値の間を取り出して幅の狭い矩形波をつくる。この操作を増幅しながら繰り返してだんだん幅を狭くし、10マイクロセカンド(13号電探の場合)の変調用インパルスが出来あがる。
その変圧器(微分トランス 別称 パルストランス)は送信機に2個あって交叉鉄心型が使われていた。
交叉鉄心型は、外鉄型の一種で上から見ると鉄心が十字に組まれている。
順序が前後したが、波形微分のもうひとつの方法。
真空管抵抗結合増幅回路でC,Rの時定数を小さく選ぶと微分波形を取り出せる。これをスライス加工しただけで、まだ充分に幅が狭くない衝撃波が指示装置から送信機に送られて来る。送信同期といった。

・ 実技試験

順番に呼び出されて教員たち数人に囲まれて試験される。
「変調波形を観測せよ」
正解は変調管T-307の頭にある陽極に、準備されている端子を接触させればブラウン管に鋭いパルスが映し出される。その触る場所を問われている。
私は失敗した。変調管は陰極出力で、陽極は筐体にガッチリ接続して接地されている。
接地されている物に触ってもなにも検出されまいと思って躊躇している内に「よし」と言われてしまった。考え過ぎだった。接地されていても波形は現れるのだった。私一人特落ちで口惜しかった。
 

・ 試作機11K

 12号13号の間に11Kがあった。期待を込めて設計されたのだろう!
送信同期(変調パルス)発生と、ブラウン管指示部がこの機種から初めて一体になった。この一体となった指示装置に暗号名があって「金物(カナモノ)」と呼称することになっていた。同期信号に500c/s の音叉発振器が使われていた。
この金物はブラウン管が小さく直径75ミリなので拡大レンズが付いていた。不良下士官野郎はそのレンズを外して煙草ライターに使った。「そんなことで練習生の教育が出来るか!」おまけに
                      教え方はへたくそだ! 反面教師という言葉はまだ無かった。

 給電線に電磁結合方式が使われ高周波トランスの1次側が固定で2次側がアンテナと一しょに回転する機構だった。防水カバーの外観・大きさが半鐘のよう。(中身は見なかった)

 アンテナが縦・横ともでかくて、ビームが鋭かった。 しかし方向回転がゆっくりで円周レール上(径=大相撲の土俵くらい)を走る電動のほかに室内から操作する手回しハンドルも付いていたが、円滑でなかった。
  歯車装置や連結桿がどのように付いていたか覚えていない。
  ハンドルは窓際にあって観測員が自分で操作できない補助的機構。
  11号、12号と比べ操作性は後退。
  ジャンクの帆のような恰好のアンテナ、風を敵にまわしては戦いが苦しくなる。
  電動も手動もうまく動かない、   或いは、油が切れた感じは、既に見捨てられて点検手入れを中止していたからなのか?

せっかく方向を精密に測られる性能を持っていても、観測者の意のままにならなければ無意味。
さらに不便なことはコンクリート工や鉄工屋の手を煩わさないとアンテナが組み立たない。

 送受アンテナの単一化や同期信号発生機構の単純化など進歩の試みは画期的なものの、さまざまな欠陥が克服されないまま制式採用にならず、13号にその座を譲って消えていった。
 しかし、格段に高利得のアンテナを使っているなど、本土空襲が激しくなりつつある時節柄、「これこそ」と期待を受けて計画されたさまがうかがえる。

 結果を見て言うことだが、つぎに述べるシャボン玉症状はじめいろいろの欠陥が13号電探が生れるためのたたき台になっていたことがわかる。
  改良された普及型は、設置方法など簡易化したものもが出来た。普及型のアンテナフレームは鋼材から木材になって軽く、 それにつれて回転機構も軽便になった。
しかし、それすらも見捨てられた。

  11K説明補足
波長     2m
出力     10kw
パルス    毎秒500、幅20μs
アンテナ   水平偏波4列5段送受共用
受信機    12号と共通
指示画面の距離目盛  光学投写式
電源     3相220v

☆ 教えられたことが少し違うのでは?

 11K13号の前身だと教えられた。
たしかに、指示装置とアンテナ送受共用についてはそのとおりだが、今考えてみると、目的・用途が違うもののようだ。
 13号はばらばらにして担いで移動できる。12号はそっくり車に乗っている。 ところが、11Kはコンクリートで基礎を水平に仕上げて土俵ほどの円周レールを取り付ける。その上に車輪の付いた鉄骨製三脚が載る。電動機に入る電線のつなぎ方で、三脚が右或いは左に向きを変える。その三脚の上に更に鉄骨で枠を作ってアンテナが取り付けられる。 これだけでは風が吹くとひっくりかえる---?---車輪部機構記憶なし。
 基礎とは別に地下室あるいは小屋を設けて本体機器を設置する。これは完全な基地据付型。11号の後身になるはずのものだった。だから11Kと呼称した!
 13号
が軽便型ながら、アンテナ利得のほかはすべてに 勝ったので、11Kの存在意義を希薄にさせた。(s20/4)

総合系統図


。 (s20/4)



回転台が別構造のもの 11K普及型(設置を簡易化)
高周波トランスがなくて直結になったから左右半回転づつ、計1回転で行き止まり。基礎は材木、
フレームも木製、  訓練用の模型かと思った!

見た目は貧弱になったが、軽量化され輸送にも設置にも凄く省力化された。しかし、そのための性能上の犠牲はない。
改善である! ぐるぐる回しが出来なくなったが大したことではない。

消え去る物に時間をかけるのは無駄、携わればわかるとの声が上部に届いて、私たち分隊には11Kの実習は課されなかった。


・ シャボン玉症状

究明した結果、時間軸用鋸歯状波発生回路に変調パルスが誘導している。 
 右図が、その状態
13号の前身の11Kは常習的にこのシャボン玉症状が現れた。
側板のネジが緩んだりするとたちまち出現する。点検調整のため側板を開くとが大きくなる。完全に側板を閉めて更にネジをガッチリ締めても小さくなるだけで消えずに残ることがしばしば。
処置なしと諦めて観測をはじめる。  目触りを我慢すれば使える。
11号、12号の同期制御機(シンクロナイザー)ではこの故障は起きなかった。薀蓄(ノウハウ)を無視した結果だ!
13号はこのトラブルが皆無だった。    解決のミソは時間差! 送信同期と時間軸起動に位相差を与える。送信同期に先立って時間軸を開始する。

・ 空堀の意味と棒地雷訓練

海軍電測学校に掘られた深さ3m位の空堀りは何だったのだろう?下馬評では、「兵隊が脱走出来なくするため」・・・これは違う。その後順々に橋が架けられた。
また「敵が相模湾から上陸してきたとき戦車を阻むため」・・・これも違う。それだったら東西に掘られたはず、南北に掘られている。
後で解った。半地下講堂の排水用開渠。 海軍では大小にかかわらず教室のことを「講堂」といった。(地下・半地下室にはその床よりも低い排水溝が必要。)
半地下講堂がシケったら講堂内の13号電探が壊れる。先ず送信電源部の7000ボルトのトランスが層間短絡する。
この堀が終戦直後に大量の書類焼却に使われるとは誰も予想しなかった。
書類は公・私を問わず、各自のノートも親からの手紙も可愛いスーチャンからの手紙も集めて竹竿で掻き回しながら交代で燃した。熱くそして暑かった!

 この竹竿は先端に針金で爆薬筒を縛りつけて棒地雷というものをつくる。

棒地雷訓練
 敵戦車が本土に上陸した想定。キャタピラの下にこれを突っ込む、重いのでよろめく、生還できる確率は低い。敵戦車を擱座させ得る確立は更に低い。

・ 特別分隊

持ち上げられてその気になった 『日本海軍最精鋭電測兵』
我ら第241分隊200名は、すべての現用機種は勿論、今後現れる新機種も使いこなせる。
しかし本来は飛行兵。翼を失った若鷲が相模湾に上陸してきた戦車に踏み潰されて死んだ姿を想うと惨め。
新型電探と共に攻撃機に搭乗して、特別攻撃隊を敵機動部隊まで引率誘導する。従えている特攻機は片道燃料。
欺瞞紙や妨害電波に騙されてあらぬ方向へ味方を誘導するようなことがあっては任務が果たせない。訓練の成果を発揮するのはこの時。攻撃隊の戦果を見届けて報告すれば任務終了。
ここで敵機動部隊に突入して散った戦友の壮烈な姿がが脳裏にあるまま なんで敵を背にして帰還できようか 爆装はなくとも帰還用の燃料即爆装。何れにしても俺たちは、長くてあと1年の命。    昭和20年7月31日

・ 敗戦

 毎夜厳重な灯火管制がなされていた。
戦火と、敵や味方が相手を照らす光は別にして、月・星・稲妻のほかに光は全くなかった。
屋外を歩けば原野をさまよっているように真っ暗。
8月15日の夜からはどの兵舎も窓が明るい。遠くに庁舎の2階の明かりも見えた。
『ともし火が漏れる風景』を忘れていた。ふと 5~6年前の街の中に立っている錯覚がした。
「あれもこれも辛かった・・・すべて終わった!」と、ホッとした!

 復員で部隊を去る前日、一人で愛機に別れを告げるべく半地下電探室に入った。折から頭上を米戦闘機 が飛び去った。「畜生め」、飛び去ったほうにアンテナを向け13号電探を作動させた。ブラウン管にクッキリ反射波捕捉。最良の調整状態。.「160度、40キロ、衰調ナシ、敵戦闘機編隊、左ニ 遠ザカル、感4」独りで呼称。
そして「終ったなあ、色々な辛さに耐えられた。お前のお陰だ! さらば」と電探に向かって敬礼した。基本通りの手順で一つづつゆっくり電源を切った。晴天の暑い昼。
 後で気づいた。既に占領軍命令が出ていた。兵器を使って米軍を追跡した。発覚すれば違反を問はれただろうな。私一人でなく大勢に迷惑が懸かった筈。しかし逆探知された形跡もなく無事父母の許に帰ってきた。勝ち誇って逆探など回している米兵は一人もいなかったのだろう。あの編隊だって暑さ凌ぎに飛びまわってたのかも・・・そして、
 戦後初の不法電波犯は私かも知れない。

・ 我が作業場

 「悔しいが日本海軍は解散する」
「俺たちは、とうとう休暇が貰えなかった。しかし今日からは20年間の休暇だ」
「20年後に召集がある筈。その時に再び顔をあわせよう」
「若い俺たちが日本を建て直す。頑張るぞ!頑張れ!!」


 母が吊ってくれた蚊帳に寝た。麻の匂いが懐かしかった。

 『お国のために』、折角海軍で習得した技術を忘れては申し訳ない。
覚えているうちにと、頭の中にある結線を紙に描いた。
ラジオいじりをやった。ジャンク漁りもやった。
 半田ごてはヒーターだけ買って来て手作り。
 テスターが買えなかった。
テスターがなくとも、抵抗を通してオイルコンデンサーに充電する。そしてコンデンサーを短絡させれば火花でおおよその電圧がわかる。誤差±50%。高い電圧はネオン管で調べる。低い1~2ボルトの電圧ならば舐めてみればわかる。味が違うのでプラスかマイナスかまでわかる。間違って高かったらショック激痛!
 音声や雑音はヘッドホンで判定する。接断を繰り返せばクリックで僅かな電圧の存在もわかる。
 電流計は豆電球で代用。


     離 編

☆ 人間リモコン

電探全機種のうち13号の陸上だけはアンテナ方向を人力リモコンで回していた。
状況を再現してみる。
甲・・・観測員
乙・・・アンテナ当番

甲「右に回せ~」
甲「止(と)め!」・ 乙「153度!」
甲「10度戻せ~!」・・ 乙「143度!」
甲「ゆっくり右へ回せ~」・・・・
甲「ヨーソロー」・ 乙「145度!」
甲「140度に止め~」・・ 乙「140度!」
甲「150度に止め~」・・ 乙「150度!」
甲「146度に止め~」・・ 乙「146度!」

指揮所への報告が聞こえる。
甲「〇〇報告、反射波、敵戦闘編隊らしきもの、146、110、感2、近付く、衰調1、0950」

甲「146度中心左右15度ゆっくり反復せよ~」 
乙「161度左回転!」・・・ 乙「131度右回転!」・・・ 乙「161度左回転!」・・・
  傍目には扇風機の首振りみたい
甲「止め!」・ 乙「147度!」
甲「そのまま固定!」・ 乙「147度に固定!」

甲「〇〇報告、先の目標、147、100、近付く、0952」

以下省略

このように意のままにできるように訓練した。

☆ 感度呼称要領


反射波!敵戦闘機編隊らしきもの
21キロ感5、 36キロ感4、 50キロ感3、 64キロ感2、 75キロ感1、 87キロ感0ないし1

電波兵器の性能が敵サンに及ばなかったので、「なんとかして」という苦慮があった。
そこで、兵器の定格性能を上回る働きをさせようと我々兵卒は訓練された。
感1とは、反射波の尖頭が雑音よりわずかに高いときの感度のこと。
感1未満で捕捉できたら電探に性能以上の働きをさせたことになる。
普通には感0の反射波は認識できないが、注意を集中していれば捕捉出来る。
雑音レベルが凹んでいるのを見逃さない。
劣る性能を訓練によって生まれる精神力で補う。 勝つために!

戦後、まったく逆の教育を受けた。「機械に定格以上を求めてはいけない」と、
 十河国鉄総裁の訓示~講演がはっきり耳に残っている。
この時から あらゆる機械の扱い方を大きく転換させた。
 安全のために、コストの無駄をなくすために、等々。 企業が勝つために!

☆ キデンセン短絡、戻せ!

(号令)「キデンセンタンラク、もどせーー!」  [当時、給電線は キデンセン(饋電線)と称した]
(復唱)「キデンセン短絡、左(右)回転!」
13号電探を陸上設置するとき、目標の侵入を最も多く予想する方向、もしくは地形上、死角になる方の反対側から給電する。
その形になるようにアンテナを立てる。つまり敵を見張る側から給電線を垂れ下げる形にする。
13号陸上用は給電線の回転結合装置を省略したので、他の機種のようにグルグル回せない。
主方向の反対側を過ぎて回転を進めると給電線が柱に巻きついて回転できなくなる。大抵の場合その直前に給電線が短絡する。電探室内では指示装置画面が異常になる。短絡箇所からは「チリチリチー」と音がするので観測員とアンテナ当番は同時に気が付く。
立て方を誤ると目標追跡中に給電線短絡或いはアンテナを回せなくなって、慌ててアンテナを1回転戻すことになる。観測が不連続になって、目標を取り逃がす危険甚大!

☆ 急速回転

 13号アンテナは慣性が無いので瞬時に回転できる。例えば東に向いていたアンテナの転南は1~2秒で出来る。
11号、12号、11Kでは電動、手動を使い分けて、どんなに急いでも10秒位はかかる。
 急接近した敵機を捕捉するには敏捷性が必要!

☆ PPIスコープ

電測学校内では調整のための反射を富士山に頼っていた。熱海実習場へ行ったら初島、大島、三浦半島、房総半島、三宅島と幾つも固定反射がある。場所が高いので、それらを肉眼でも眺められる。(三宅島だけはいくら睨んでも見えなかったが、)
目で見たり電探で反射波を見たり また地図も見てこれらを比べていると三者の空間的な関係が体で感じて分かるようになる。移動する反射波が入感するとそれが地形上のどの位置かがパノラマ式に頭に浮かんでくる。
我が方は敵さんより技術が遅れていて PPI 方式は完成できなかったが頭の中にそれをこしらえて補っていた。
PPI という方式名こそ知らなかったが、これまでの直角座標でなく、極座標にして方向・距離から決まる管面上の位置に輝度変調して光点を表したら? と、構想や可能性を論じ合っていた。

☆ 友軍電探のエコー

熱海で実習中にたまたま味方電探基地で探索中の映像が自分の受信機に飛び込んでくることがあった。いつものように同じ実習場から発射した仲間の電波だと思っていたが、教員が、「よく見ろ!三宅島が映っているのに大島がないぞ、熱海からの電波の反射波ではない、どこかの電探基地のものだ!」
ある電探基地(石廊崎?)からおなじ周波数とおなじ走査周期の電探でこちらと同時に三宅島にアンテナが向いたのだ。同期しないのでゆっくり横に流れる。
教員の指示で、送信を止めてこちらの映像を消したらすっきり傍受できた。しばらくして徐に消えた。
私たちが、どこの基地からの反射波かと議論を始めたが教員は無言で聞いていた。
まさか? 敵サンのものではなかろう!(s20/4)


友軍電探13号ラシキガ反射波ヲ捕捉シツツアリ、暫時送信停止シテ傍受ス、
170 , 080 , B29単機カ、感3~5衰調アリ、近ヅク、0953.

☆ 等感度方式の理解

等感度方式は測角精度が高いという。しかしこれは最高感度方式の測定中に手動で行っていたものを自動化したに過ぎない。
熟練者とまで行かずとも初歩訓練を受けた者が最高感度点を探そうとしても、なだらかで頂上が見極めにくい。【殊に、強入力で飽和しているときは平坦でピークが無い】そこで意識しなくても、左右にアンテナビームを振って感度の減り方の等しい幅の中点を読み取っている。即ち この測り方は最高感度に依らないで、左右比較して等感度値を一致させて方向の精度を上げている。ただし、13号のように一瞬に方向変更が可能な機種。、
目標の角度移動が速いものを追跡できて、フェージング誤差を受けないため自動化したのが「等感度方式」

後年これが自動追尾技術に発展するとは予想しなかった。 理屈は簡単
左右(上下)の感度をそれぞれ等率増幅してその逆電圧差で制御モーターを駆動すればアンテナは常に目標に正対する。


等感度用指向切替機構
初期の一例で41号(S3)はこの方式
コニカルスキャン

掲示板から引用
70年前の知識

 海軍レダー徒然草は、70年前のレーダーを述べた。
戦後に進歩した事柄は知識がないので触れることが出来ないない。

 嘗ては、時間的に次々に到来する電波を、試しに方向をずらしながら受けてその強度差から
方向を判断していた。 等感度方式!
高速移動目標には時間差(例、20分の1秒)による誤差がある。
 今は、両方のアンテナからの位相差によって、その位相差を高精度で測って標定するらしい。
この方法ならば、高精度が得られるし、方向偏差は数値で読める! 時間差がゼロ。
 「今は」と言ったが、この知識はもう古いかも知れない。

☆ レーダーは無線通信やテレビ受信と違って

電波が往復だから [1]アンテナの指向性の鋭さが2倍になる。
電波が往復だから [2]
往路には距離の2乗に比例して減衰する。 復路もまた距離の2乗に比例して減衰する。都合、受信電力が距離の4乗に反比例。
【受信電力が距離の4乗に反比例する】から探知距離を、5割伸ばすには5倍の送信出力が必要。
   2割伸ばすには2倍、3割増・4割増には3倍・4倍と記憶していたがその根拠を確認すると、
  式1・・・ y=x4    式2・・・ y=10(x-1)
  1.2 < x < 1.5 の範囲に於いて両式の値が近似する。但し x に対する y の誤差 0.2 以下
加之、目標高度がおよそ3000m以下では地球の丸みの陰になって、いくら出力を増やしてもダメ。
哨戒電探はこれらの理由で200kmあたりが限度。それ以上はマグレ(高々度の超大編隊など)。
敵さんの電探がいくら優れていてもこの限度に大差はない。

まぐれでないためには

何かの出版物に海軍の14号電探はB29の侵攻を500km先から探知した、とか?
目標までは電波は届くけれども、反射して帰りにもう一度水平線を越えなければならない。越えても雑音以下にまで衰えて受信不能。
いくら強い電波(100kW)で長い波長(6m)でも無理なことは当時の技術陣は知っていた筈。 何処から出た噂か?
B29が高度1万メートルで進行して来たとして、海岸の高さ50mや100mの基地からでは500km先は途中で水平線が邪魔。
石廊崎は高さが足りない! 天城山の中腹海抜600m以上に場所を見つけて移動すれば可能だろう!
とは言っても敵サンが高度1万で来るとは限らない。

まぐれの遠距離  電波の蜃気楼は頻度が高い!

 予想していない遠方から反射波が返って来ることがある。
温度や湿度の垂直分布が屈折して空気の層が出来たときに電波がその層の境面で反射して水平線を超えて届く。 利用できたら天祐だが、
あてにしてはいけない。厄介でもある! 深いフェーヂングが発生して最高感度法、等感度法何れも見究め難くなって観測員は疲労する。

「イージス艦に1,000km超のレーダーを2023あるいは2020年後半めどに導入計画」との記事(読売2018/1/12)は
  私の古い知識では ? ??


☆ 陸軍の或る電波警戒機

我らが先輩の体験談。
犬吠だったか、勝浦だったか話題の場所は忘れた。
「陸軍と海軍の哨戒電探基地が近接していた。12号電探の回転キャビンの中で指示装置のブラウン管を見ると同時に窓越しに陸軍のアンテナを見ている。
陸軍の電探は送信機が1つで、それを囲んで受信機がいくつもある。数ある受信アンテナにそれぞれ兵員がついて敵影をさがしている。炎暑の中上半身裸でキビキビ号令やら報告やら掛けあってご苦労だなぁと思って見ていた。陸軍の受信アンテナの動きから キャッチしたな と見えたとき12号もその方向に向ける。
注意深く探してやっと雑音の中に微かな微かな反射が見出せる。陸軍のは波長が長くて送信出力も大きいらしく遠距離の発見が早い。だからこちらは本気で探してもかなわない。
ところが方向角を読み取るのが彼よりはるかに早い。司令部への報告到達は多くの場合海軍のほうが早かった」 (s20.4)

日本陸軍の超短波警戒機

☆ 対空射撃のロンパリ解消

耳学問です。
電波兵器と、探照灯などの光学兵器と、複数の高角砲が同じ方向で同じ高角に揃っていなければならない。
勿論、砲身は未来位置修正されるが、修正値 0 の状態でのこと。
その方法は夜間に目だって明るい星、或いは月を使う。
月を使うならば、欠けているとき!
例えば、目標点を「三日月のアゴの先!」のようにあらかじめ通達して置き、号令で同時一斉、照準をその点に合わせる。然る後、探照灯に電波兵器を合わせる。【月まで電波が届かないので】
それらの結果によって連動状態が修正されて、どちらへ向けても全部が揃って共通の一点を睨む。

関係記事 守編へ

☆ アンテナ改良

 空襲は上空を見上げて警戒監視する。これは目視ないし望遠鏡観測の場合。電波兵器による見張りは目視の届かない遠方を観測するので高く見上げる必要はない。高角にして0~5度が大切な範囲。
対空見張り用電探は初期には左右方向に鋭いが上下にゆるい縦鈍・横鋭型ビームだった。これを左右方向の鋭さを下げてその分 水平面上に集中する横鈍・縦鋭型ビームにした。無益に上空にエネルギーを分散させないので監視距離をのばせる。それで近い上空が不感になるわけではない。高くても せいぜい15km・・・・ビーム幅の余力で充分!
11号以来の旧型のものも改造された。 (s20/4)

 補足
ビームアンテナで、アンテナの正面が横長型 の場合、電波ビームは縦鈍・横鋭(マンボウ・タイ)型
ビームアンテナで、アンテナの正面が縦長型 の場合、電波ビームは横鈍・縦鋭(エイ・ヒラメ)型

 補足の補足
衛星放送受信アンテナは一見 縦長型 に見えるがあれは縦でも横でもない。
 理由は・・・・・・・・・割愛

 副次効果

これには更なる効果があった。送信・受信アンテナ間の電気的結合を減らすことができた。むしろ、これが主目的!
 ☆ エーコン管の寿命を参照ください

方向精度は後退するものの視野が広いことは、近距離で突然入感の場合には発見が早い!

☆ パワーアップ

11号電探が改良されて出力が 40kW になったと聞いたとき「ああそうか」と思っただけで何の疑問も感じなかった。
六五十年後の今、自著の海軍レーダー徒然草を見直していて、8倍にも一挙に増力したのになぜあの時、一緒の誰もが疑問を起こさなかったんだろうかと思った。
なぜか工事は小規模に過ぎないと思い込んでいた。そして、「小型の13号ですら 10kW だから図体のでかい11号がそのくらい出せるのは当然だ」と聞き流したのだった。
出力管を変更、電源部の容量を増した(或いは始から余裕があった)、等だろう? (s20/5)
  関連記事へ

☆ 陳腐化電探が再登場

 私たちが対空哨戒電測を習った中で11号電探は旧式ということで授業時間は少なく実習機についても練習したのは1度きり、それも多人数なので不十分な実習だった。
 その実習機は完全動作はしたものの周囲は蔓草などが伸びて見捨てられた感じがした。実習の時、背の高い枝葉が反射金網に届いていたのを根から抜き取った。

 それから4ヶ月程後、11号に兵隊か、軍属工員か、会社工員か遠くて区別できなかったが、アンテナに10人近くも張り付いて作業していた。
あんなボロ電探「いじっても仕方ないだろうに」と、眺めていたところ、
付近を整地して赤土でスカッとした壇が築かれて、整然とした姿に生まれ変わった。敵からの目標になるだろとさえ思った。
     実働機として整備されたとしても 目だちすぎる。アンテナ素子の銅管が新品で光っている。まさか囮??
 このような場合、令なく近付くことはご法度なので距離を置いて見守っていたが、出力は40キロワットに増強され、アンテナは送、受信用を配置換え改造し、 手のかかる制御機は新型に替えて、性能は格段に向上したと、凡そのことは伝えられた。しかし、いまだに腑に落ちない、多くを地下化したり偽装網を懸けたりして敵から隠す作業を進めている時期なのに? 一兵卒の知らない上部の策略があったのか?? 終戦が間近な頃だった。

気付いたことがある。11号と違って、113号では盛土などで嵩上げした上に据え付けられた。
電測学校で目撃したのもそうだった。
いつどのようにして運んだか知らないが、新しく築かれた土手に載って、113号に生まれ変わって姿を現した。
11号は地上高が不足だったので113号への改造に伴って、丸ごと持ち上げて電波通達の改善を図ったのだなと、見ていた。
戦後、同期の会合で知った、講習員で113号を専攻したグループがあったらしい。そういいば、食事のときだけ顔を合わせて『課業はじめ』の号令で別々の講堂へ向った。班編成とは別な編成でカリキュラムが違った!

総合系統図



後日の思考

☆ 電波の質

当時VHF以上の周波数帯は無人の荒野のようなもので他所が自分の電波で迷惑することはなかった。周波数が変動しようが、寄生電波や高調波が出ようが、敵に利用される心配が無い限り全く無頓着。
幸い電力が奪われたり機器を壊すほどの寄生振動は座学上の話だけで実体験はなかった。

13号は一応150メガとは言うものの送信機と受信機とアンテナの三者間で妥協させて、一番調整し易い勝手な周波数で働かしていた。
たまに三者妥協が成立しないことがある。 参照破編 (1)調整 ― ※ 裏技の例

☆ 擬似負荷(ダミーロード)

 送信機調整用の擬似負荷、工場にはあっただろうが、陸上・艦船には無かった。
訓令、「敵に逆探知される危険があるから電波の送出は必要限度に止めること」との矛盾が放置されていた。
時間の許す限り、そして自分が納得するまで島や構造物に電波をぶっつけて送信機や受信機の調整をしていた。
極力電波を出さずに調整する方法が確立されるべきではなかったか?・・・尤も
 そんなもの あっても使いたがらなかったに違いない?!

実習場からの電波発射が規制されなかったということは、囮の役を兼ねていたのか? そういいば、
 警戒警報が発令されたとき、他の課業や就寝を中止してこの時とばかりに全実習機を稼動させた。
昭和20年3月10日、あの東京大空襲の時もそうだった! 発令は教官分隊長だったか?
 各機毎に1個のブラウン管を実習生の肩越しに士官・下士官・他の実習生等、大勢が覗いていた。

☆ アンテナ送受共用

13号には『1号放電管』と称して、対向電極を持つアルゴン入りガラス球、(乳児のげんこつ大)、が送受共用のために使われた。これの調整は、ややこしかったが要領を会得した。
他の機種のものは見ていないが、パラボラアンテナ2個使用のものの片方を外されているのを見たことから、より短い波長に対しても同様の装置が開発されつつあったものと思う。
水上用22号の送受アンテナが1個で済んだとすれば、随分と装備が楽になっただろうなあ!

◆関係記事_破編、(21)キメラ電探各種

◆関係記事_電磁ラッパ単一化


☆ エーコン管の寿命

教官・教員から教わったことでなく傍系の先輩から耳にしたように記憶するが、「国産のエーコン管は、すぐだめになる、100時間しか持たない」と、何回か耳にした。
エーコン管は当時のVHF受信には欠かせない真空管で、周波数が高いため外見も内部も細かく作られている。
だが、私の記憶にエーコン管の交換がない。私の体験期間が短いと言っても、他の真空管は数多く不良になって取り替えているのだから、そんなに短命の物ならば記憶に残らないはずがない。どうしてだろう?

そのわけを推測

傍系先輩からの知識では、「エーコン管は繊細に作られていて内部の電極が極めて接近している。そのため、ヒーターの熱で炙られて徐々に緩んで接触するのだ」と、しかしそれよりも他に原因があったと考えている。
電探は送信と受信が同じ周波数。微弱な電波を捕らえる受信機が、強大なパワーを発射する送信機のすぐそばに置いてある。アンテナも送信用と受信用が並べられている。
強力な送信電波の一部が漏れ込んできて繊細な受信用のエーコン管の内部を焼いてしまうからだろう。
13号ではこの点、益々不利。装置が小型になったので更に相互が接近する。送信出力は更に増強された。また、組み立てが雑になって筐体の蓋や扉が隙間だらけ。おまけに送信・受信アンテナは近接どころか一つを共用するようになった。
にもかかわらず13号になってからエーコン管の劣化が少なくなったとすると、何か私たちが教わらなかった効果的な対策がなされたものと思う。それは数点の、小さくて目立たない工夫だった。

そのひとつ☆ アンテナ改良→ 副次効果の項で述べたことも効いていた。即ち古くは送信用と受信用のアンテナが遮蔽金網1枚を隔てただけで最も結合しやすい配置だった。それが改良された。【 ごく初期にはその遮蔽金網すらなかった。】

☆ 陸上電探の接地

 特に13号電探を詳しく扱ったのでこの機種について記憶を追及してみたが、接地
端子がどの部分にどんな形状のものがあったのか、どんな電線をどのように配線したのか、
どんな導体をどのように埋めたのか全く記憶がない。
教えられたかどうかも覚えがない。誰かがやってくれたのだろう!

☆ 内陸上空だからだ!

アンテナがカバーするレーダー波の覆域は、上下各30度、左右各60度で、 敵を感知できる距離は
飛行高度の数字に等しい。もし夜間戦闘機が4400メートルの高度を飛んでいれば、無線手を兼ね
ているレーダー手がスクリーン上に敵機を見つけうる距離は4400メートルまで、というわけ。

光人社NF文庫『ドイツ夜間防空戦』<渡辺洋二> から

 第2次世界大戦当時のドイツ空軍の飛行機搭載レーダーに関する記事の一部。
変だ!『敵を感知できる距離は飛行高度の数字に等しい。』そんな筈はない!
なぜなのか? 我が海軍の飛行機搭載レーダは何十キロも捕捉できた。

わけを推理??? ・・・・・・ わかった!!!
 彼らの戦場は俺たちと違って内陸だ! 大地のエコーが邪魔になる。真下の巨大な地球からのエコーを排除できないのは同じだが、
陸地だと地形の起伏や建造物など電波を反射するものが散在しているので、前方スカイラインに到るまでの所々からエコーがくる。
高度を半径とした球形の空間から外れるとその邪魔エコーにまぎれて観測しづらいということだ!
共に VHF 時代には、指向性が広いのは同じだが、海の上では 大きい三角波でもない限り直下付近からだけで、その先からの邪魔な反射波は小さい。

後日知ったので追記
  英空軍でもこれが煩わしく、画面の形から「クリスマスツリー」と言ったらしい。

更に後日知ったこと。
 我が海軍に『玉3』という戦闘機搭載レーダーがあった。これが上掲の『ドイツ夜間防空戦』記事のように『敵を感知できる距離は飛行高度の数字に等しい。』だった。
『玉3』は上下左右4個の緩い指向生のアンテナ出力を合成して目標位置を知る方式なので、直下からの反射波が前方を紛らわすのは止むを得なかった。

☆ 聴音機

 海軍で聴音機といえば水中聴音機のことで、現在も各国の海軍で使われています。
 陸軍ではレーダーの時代になったにもかかわらず、使いこなせるレーダーの配備が間に合わなかったので、
第二次大戦が終わるまでこの陳腐化兵器を使わなければならなかったようです。
この兵器の仕組みは左右用1対と上下用1対の4個の大きい朝顔形のラッパを同一の向きに揃えて組まれています。
そして、水平と上下に回転できる機構に載せられています。
 理屈は簡単です。左のラッパから左の耳へ、右のラッパから右の耳へ次第に細くなる左右同じ長さの管で導かれています。
途中からゴム管になって耳に差し込む部分がついています。
飛行機の爆音がステレオになって聞こえます。方向用ハンドルを回して向きを調節して常に真ん中に聞こえるように保持します。
上下についても上を右耳、下を左耳につないで真ん中に聞こえるように上下調整用ハンドルを回します。
2人の操作でラッパは音の来る上空に向いて追いかけます。
 真空管など1本も使っていません。
 音は1キロメートル進むのに3秒もかかるので、いつも飛行機の通った後をなぞって追いかけています。
飛行機が遅い時代には有効でしたが音速の3分の1以上にもなっているのです。
たちまち的は有効射程から去ってしまいます。間に合わせようとすれば粗雑な狙いになって高射砲弾はなかなか命中しなかったでしょう。

☆ 70年前を詮索する

 電探以前の電波機器は放送機、ラジオ受信機をはじめ通信機や航法無線方式など何れも、雑音を抑える工夫が揺籃期以来蓄積されていた。
そのうち、交流電源を利用する機器では電源周波が原因のハムと称する雑音低減のために数々の技法があった。
 電探ではこれらの蓄積を等閑してハム防止に無配慮だった。一例をあげれば、不平衡回路は誘導ハムを拾う。
それに対して、平衡化するか或いは遮蔽する筈の対策が採られていない。
ハムは「音」であって、見るものでない。 然し、監視画像を汚している!

 一兵卒に過ぎない身は知る由もなかったが、後年知識を得てから振り返ってみると、
12号までは、電源からの 雑音いわゆるハム除去には、真剣でなかったようだ。
音声機器でないからと、軽視されていて、13号に至って漸くハムが支障すると気付いて対処された。
 13号電探の波形が他と比べて鋭く冴えていた。直接波も反射波も輝線がスッキリしている。
波形の内側は 濁りが無くはっきりと黒くて微弱感度を雑音から区別しやすい。
 当時の、気のせいではなく、現実だったことを確かめたい!
そこで、回路図を探して他の機種と比較してみた。(占領米軍が開放した資料が役立った。)
見比べた結果「これこそ!」と確信できる有効な改良点を発見した!
濁りの無い澄んだ衝撃波を作るために工夫された改良を、70年を経た今、確かめることが出来た! 

 11号、12号、では、低い電力で衝撃波を成型して変調管までに10本も増幅管を経ている。
小さな電力で作られた衝撃波を何段も増幅すれば、それだけ多くの回路網と真空管を通過するので
歪も雑音等も受ける機会が多い。その歪や雑音が、立ち上がり時間にブレを起こす。
ブレは縦線が滲んで見える。それに比べ、13号は十分に増幅して最終段階で衝撃波を成型し、
直ぐに変調に用いる。誘導妨害が入り込む余地が無いので変調衝撃波は揺れがない。
 更にもう一つ、送信管は何れも陰極が直熱式で、12号・21号の加熱交流電源はトランス
中性点で接地しているが、完全な平衡でない。


これが、13号に至っては電源から見ても高周波から見ても、何れも平衡になるよに工夫されている。
  【これこそハム対策!】

これも定格表の数値には現れない性能の改良である。

・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
この推論を聞けばベテラン先輩が言うだろう!
「13号の改良に、波形を美しくする意図など聞いたことが無い。波形が美しくなったとすれば、
別目的の副次効果だ! 貴様たちは13号を贔屓しているから余計に好ましく見えるのだ」

設計者に尋ねればはっきりすることだが、今となっては無理だろう。

追記 (この項書込み後に更に推論の裏付けとなる資料を発見したので)
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『仮称二号電波探信儀二型改四故障概要』
  呉海軍工廠ニ於テ本兵器装備期間中ニ生起セル主ナ故障及意見・・・
   (途中省略)
 指示装置
   (途中省略)

A6 一般ニ波形キタナシ

   (以下省略)

--------------------------------------------------------------------------------
 22号改4は波形が汚かった。と言っている。他の機種を見慣れた電測員からの評価。
そこで、22号改4の回路図を調べてた。
他に例の無い特徴を発見した。高い利得のブロッキング回路が使われている。
  原因はこれだ!
ブロッキング回路はそれ自身が衝撃波発振回路だが外部から駆動すると、それに同期する。
一挙にパワーのある衝撃波を得るに都合がよい回路だ。しかし、身勝手な性質で、同期はしているとは
云うもののパルスの一発一発が速かったり遅かったり正確さが無い。即ち衝撃波のスタートが不揃い。
一挙に高いレベルを得ようとすると、この不揃いがはげしくなる。
そして、そのばらつきに影響している首魁はハム。
そのような訳で、22号改4は先に述べたものよりも更にばらつきが大きい。
波形が汚いのはこれが原因に違いない!
  ・・ブレの周期はパルス周期の1/1000以下だが観測者には波形の汚れ!・・

 余談-1、航空機搭載電探(H6、FK3、玉3)に高出力のブロッキング回路を使っているものがある。
真空管本数を低らすことと、回路の単純を狙ったのだろう。

 余談-2、強力な衝撃波が得られるサイラトロンを使う方法が以前からあって、簡便な回路だが、
海軍では初期に廃止されて私の習った頃には『話』だけしか残っていなかった。
陸軍では、サイラトロンを最後まで使っていたらしい!
 その『話』とは、「引抜いて体温で温めた」 とか、「毛布を切って外套を作ってサイラトロンに着せた」 など苦心談の又聞き!


☆ デシメートル波と板極管

・メートル波(VHF)レーダーは米英に遅れながらも、完成後順次改良。
・マグネトロン使用のセンチ波(SHF)レーダーは受信機の改良により後期には有効になった。
しかし、
最後まで、我が方はデシ波(UHF)を使えなかった。
数々の敗戦要因中にレーダーが挙げられる。正にその通りではあるが、戦争前半と後半では、内容が少し違う。
前半は立ち上がりが遅れたのだが、後半は、米英がメートル波から順次短い方に開拓を進めて
デシ波を開拓したその時から我が損害が著しくなった。
我が方はドイツからウルツブルグを教えられたが、デシ波を扱えなくて、メートル波で間に合わせた。
レーダーに最適の60~10cmを諦めていた。 マグネトロンによるセンチ波の完成を先にしようとしてか?
デシ波帯域の造詣が無く、この帯域の逆探知器も開発が遅れて敵の攻撃のままに曝された。
放置に至った究極は板極管という真空管を作られなかったことだ!
詳しくは知らないが、膨張係数がキッチリ一致しなくてガラスと金属板を気密に接着できなかったとか。
ならば、入出力の回路も共に封入して真空にしてしまえばよいではないか!
マグネトロンと違って、その手段はデシ波では寸法大になって困難か! しかし、
米軍マグネトロンは24cmが始まりで、順次短い方に開拓したらしい。でか! かっただろうな?
 【余談】電子レンジのマグネトロン周波数が丁度その2倍だが、何かわけがあるのか?
我が陸軍では船舶用として15.7cmのマグネトロンを考えていたと聞くが進捗度は知らない。

彼等はメートル、デシ、センチと連続して、最終には3cmに至っていた。
・・・波長に反して測定精度が上がるが、センチ波上部(短い方)は雨・雲が邪魔になる・・・


専門技術者向け参考 12/R


57年振り13号再会

製造工法改善

拝借資料電波兵器の生産

忙中の閑

電波探知機(逆探)

病  気

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海軍強力電波実験場

からくり妙アイデア 歯車比を連続可変

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