激動の平成を振り返る連載企画第3回は、音楽評論家で尚美学園大学副学長の富澤一誠氏(68)が平成の音楽を総括する。ミリオンヒットが乱発した1990年代のCDバブルから現在のデジタル全盛の時代へと移り変わる平成音楽を語る上で欠かせないのは、平成4年(92年)の通信カラオケの登場だった。
通信カラオケの登場は音楽を変えた。それまでにもカラオケはあったが、1枚30~40曲というレーザーカラオケ。通信になって、ヒットしていない曲でも、Jポップがどんどん歌えるようになった。その中でカラオケで歌いやすい歌はどういうものなのか、研究して歌を作ったのが、私は小室哲哉だと思っている。
それまでの音楽は、自分が好きなものを作って出す己の自己表現。売れるか分からないけど、とりあえず出すという“入り口”の思考。小室哲哉はカラオケで歌われるためには、どういう曲が好まれるのか、“出口から入り口”の発想。カラオケで歌って上手に聞こえるのは中低音ではなく高音。結局、その発想がCDのメガヒット時代を築く大きな一因となった。
ただ、ブームというものには、必ず反動がある。平成音楽でいえばバンドブームの後に、KANの「愛は勝つ」ではじけた“歌もの”。TKサウンドの後は、カラオケで歌える曲もいいけど、もっとちゃんとした歌が聴きたいよね、と。CD国内生産枚数が史上最多になった平成10年(98年)に宇多田ヒカル、MISIA、椎名林檎ら平成を代表する歌姫がデビューした。
平成終盤は、音楽界にスーパースターがいなくなった。私が吉田拓郎の「今日までそして明日から」を聴いて人生が変わったように、かつては、そこに置いただけで輝く原石・ラフダイヤモンドがいっぱいいた。CDバブルの時代は、人工のダイヤモンドが時代を作った。今はCDが売れないからこそ、ラフ―が輝ける時代になりつつある。代表的存在が米津玄師といえる。
サウンド系が主流だった中で、米津はシンガー・ソングライターの本流。幅広い層の男女に支持を集める、あいみょんもそう。平成では特にテレビに出ないスタイルは古いと言われていたが、逆に今は新しいと受け入れられている。米津のように今まで隠れていた原石は、たくさんいる。
時代が歌を作り、歌が時代を作る。令和の幕開けとともに、また反動が訪れるだろう。(談)