人類有数の文化遺産、パリのノートルダム寺院大聖堂が炎上し、尖塔(せんとう)や屋根が焼け落ちた。喪失感は世界に広がる。再建のため技術や経験を結集させたい。人間の持つ文化の力を見直すために。
改修工事中で、屋根の上に組まれた足場付近から出火した可能性が指摘されるが、それでも悔やまれる。炎は屋根を覆い空に舞い上がったが、南北二つの塔は焼失を免れた。改修工事に備え、文化財の多くはあらかじめ運び出されていて無事だったという。
寺院はカトリック教会でセーヌ川のシテ島に十二世紀、建設が始まり十四世紀に完成した。ゴシック様式を代表する建築として知られ、ステンドグラスや彫刻などの美術品も有名だ。
フランス革命時には破壊に遭ったが、ナポレオンの戴冠式が行われた。フランスの歴史を象徴する場所でもある。文豪ビクトル・ユゴーの小説の舞台ともなった。
寺院を含めたセーヌ川一帯は世界文化遺産に指定されている。
フランスのマクロン大統領は「大聖堂は国民の歴史であり文学だ。再建する」と誓った。
これまで文化財が被災した例では、一九四九年、法隆寺金堂からの出火で国宝の壁画が焼損した。壁画保存のため模写作業をしていた中での火災だった。残った模写や資料を基に、画家や専門家らが結集して再現作業を進め、六八年に完成させた。
第二次大戦の空襲で破壊され、旧東独時代もがれきのまま放置されていたドイツ東部ドレスデンの聖母教会再建は、ドイツ統一後に始まった。
市民らが財団をつくって自治体に協力を呼び掛け、がれきのかけらを入れた腕時計を販売するなどして募金。費用約一億八千万ユーロ(約二百三十億円)の半分以上を寄付でまかなった。再建にはがれきを再利用し、足りない部分は近くの山から切り出したという。再建それ自体が、富と文化を再結集させ、人間同士を結び付けた。破壊は悲しいけれど、新たな創造へと生まれ変わった。
焼損のショックは大きく、再建には紆余(うよ)曲折もあるだろう。しかし、差し伸べられる手に加え、再建に活用できそうな技術の進歩もある。武力、マネー力でなく、文化こそ、二十一世紀の力であってほしい。
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