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【社説】

小出義雄さん死去 女子長距離を育てた

 陸上の女子長距離の名指導者、小出義雄さんが死去した。笑顔を絶やさない指導でメダリストを次々と生み出し、それまで非常識とされたトレーニングを常識に変えた功績は大きい。

 未来を見据え、スポーツのあるべき姿を実践した。小出さんには、このような指導者像が真っ先に思い浮かぶ。

 女子マラソンの歴史は意外と浅い。本格的な大会が始まったのは一九七〇年代後半から。オリンピックには八四年ロサンゼルス大会から正式種目として加わった。女性にとって陸上の長距離は、体への負担が大きすぎるという見方が大勢を占めていたからだ。

 小出さんはそのような風潮の中で、筋肉の持久力が女性は優れていることなどに着目し、女子マラソンの時代が来ることを予見して早い段階から指導法などを研究していた。

 卓越した先見の明と、決めたことをやり遂げる強い意志は、八八年に実業団のリクルートの監督に就任してから結実。九二年バルセロナ、九六年アトランタ五輪で有森裕子さんをメダルに導き、二〇〇〇年シドニー五輪では高橋尚子さんが金メダルを獲得した。女子マラソンで五輪メダリストを三大会連続で輩出した指導者は世界を見渡しても例がないであろうし、一九九七年には鈴木博美さんも世界選手権を制した。

 選手への指導は「褒めて伸ばす」がモットーだった。ひげを蓄えた風貌からの豪快な笑顔で励まし、長所を伸ばし、走ることの楽しさを持ち続けることができるように努めた。背景には自らが「駆けっこ大好きな少年」として育ったことがある。二〇〇一年に設立した佐倉アスリート倶楽部で子供たちのランニング教室を開いた時でも、この教え方は同様だった。

 スポーツ界では現在もパワハラ問題がたびたび持ち上がる。それらとは対極にある指導法で、世界のトップクラスに立つ選手を次々と生み出した功績は大きい。

 もちろん褒めるだけではない。自らが導き出した練習方法は画期的だった。それまで標高二千メートルが限界とされた高地でのトレーニングを、三千五百メートル以上にまで引き上げた。周囲から「無謀」と批判を浴びても独自のノウハウを貫き、高橋さんの心肺機能を高めて快挙につなげた。

 非常識とされていたことを常識に変え、女子陸上界に一時代を築いた名伯楽の逝去を悼む。

 

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