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【社説】

中華機墜落25年 惨事の記憶風化させず

 二百六十四人が犠牲になった名古屋空港での中華航空機墜落事故から、二十六日で二十五年。日本の航空機事故史上二番目の惨事を決して風化させることなく、空の安全を求め続けねばならない。

 コデマリの白い花が咲き誇り、上空でヒバリがさえずる。名古屋空港の南隣にある中華航空機事故の慰霊施設「やすらぎの園」。ここで二十六日、事故から二十五年の慰霊式がある。

 「一年に一度でいいから、この日が来たら、皆さんに事故を思い出していただきたい」。遺族の多くが抱く気持ちだ。その一人、遺族会副会長の羽深渉さん(70)=東京都中野区=は「風化は免れ得ないが、遺族に終わりはない。私たちが節目ごとに社会へ訴えていくしかない」と話す。

 刑事捜査では、死亡した機長らが書類送検されたが、誰も起訴されなかった。民事では、中華航空(本社台湾)の賠償が認定された半面、事故機を製造したエアバス社(本社フランス)の責任は問われなかった。裁判後も疑問視される点である。

 運輸省(当時)によると、事故機は着陸直前、機首を上向きにする自動制御と、下向きにする手動操縦とが競合するなどして失速、墜落した。他社機ではこういう場合、自動制御は解除される。遺族らには、エアバス社の設計思想が「人間よりコンピューターを優先」していたかに見えた。

 実際、事故後にエアバス社は、手動操縦と競合した自動制御は解除されるように仕様を変更。「人間優先」になった。「設計思想が裁判で問われるべきではなかったか」。司法はその疑問に応えられなかった。遺族らにとって、忘れようにも忘れられないしこりの一つになっている。

 二十五年の歳月で、当然ながら遺族は高齢化した。事故で肉親を失った悲しみを抱き続けて他界した人は少なくない。しかし、羽深さんらに、活動を先細りさせるつもりはない。「慰霊式の規模は小さくせず、毎年毎年、きちんと続けていくのが務め」という決意だ。

 四半世紀が過ぎ、技術が進歩しても、航空機事故は起きる。昨年来、インドネシアとエチオピアでボーイング社の最新鋭機が墜落した。自動失速防止装置の不具合が原因とも指摘され、羽深さんらには中華航空機事故との類似性が気になる。

 事故が起きたのは二十六日午後八時十六分。遺族とともに祈りをささげたい。空に安全あれ、と。

 

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