ネットオークションでオルガンを買った。中に貼られていた保証書(当時は保険証)には山葉風琴弐號形 製造番号81782 明治四十一年と書かれている。俗に『金魚型』と呼ばれるベビーオルガンである。側板の形が上から見た金魚(琉金)に似ているためにそんなニックネームで可愛がられてきたそうだ。
明治三十年頃から昭和の初め頃まで、形を変えずに造り続けられてきたロングセラー商品である。
外装は色褪せて所々擦り減っていて、黒鍵も数本が朽ち欠けているが、年代物の割に程度は良い。片側だけが日焼けをした色褪せ具合から、随分長い間同じ場所に置かれていた様だ。おそらく同族のあいだで大切に受け継がれてきたに違いない。私の許に来た時は三割程の音が出なかったが、様子からすると部品交換は不要であると推測できた。
納車したばかりの新しい車に初めて乗りこむようなワクワク感を覚えながら、ゆっくりと分解してみると、もう三十年以上も嗅いだ事のなかった・・・記憶から失われた筈の煤(スス)と黴(カビ)の臭いが鼻から脳の奥の方へと入り込んできた。思ったとおり若干の修理跡が伺えたが、破損している部品は無く短時間の調整ですぐに四オクターブ(四十九鍵盤)すべての音が鳴るようになった。
ペダルは『ふいご』に空気漏れがあるらしく下がったままになっているが、強く上下させると勢いよく明るい音が響き渡った。このオルガンは空気を吸い込んでリード板を震わせる『吸気式』なので、空気を吹き出して音を出す『吐気式』より立ち上がりの良い明るい音色で、小柄ながらもパワフルに鳴り響くのだ。おさげ髪のお転婆な少女が元気いっぱいに走り回っている様を思い描かせる“私のベビーオルガン”は、どこか妻に似ているように想えた。
郷土の作家、宮本百合子の「藤棚」という作品にベビーオルガンが登場する。戦時下の荒廃した東京の風景に一種の美しさを見出した筆者は、かつて通った小学校の跡地をみて懐かしさとよそよそしさの両方を感じ、母校の思い出を回想するという作品だ。作品の中でベビーオルガンは、音楽室での唱歌の授業、校庭に持ち出して体操の授業にと大活躍をしている。大切に扱われながら幾世代もの子供たちの成長を見守ってきたオルガンは、とても幸せだったのだろう。この作品を読んでいると、暖かいお日様の光とともにオルガンの素朴で明るい音色が遠くの方から聞こえてくる様な気がする。
“私のベビーオルガン”も関東大震災と二つの世界大戦を経験している。齢四十も半ばにさしかかろうとしている私に「お前なんかまだまだひよっ子さ!」と叱咤してくれている時があるかと思うと、仕事で疲れて帰ってきた私に「あせらないで、ゆっくり進むのがいいさ」と慰めてくれる時もある。
慌ただしさで息が詰まりそうな時代だが、“私のベビーオルガン”が置かれている部屋には、懐かしくも新鮮な時間がゆっくりと流れている。
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