(cache)「四天王プロレス」番記者・市瀬英俊さん「90年代の闘いを残さなきゃダメ」832ページ「夜の虹を架ける」出版 : スポーツ報知

「四天王プロレス」番記者・市瀬英俊さん「90年代の闘いを残さなきゃダメ」832ページ「夜の虹を架ける」出版

「夜の虹を架ける」の著者・市瀬英俊さん。四天王プロレスの生き証人でもある
「夜の虹を架ける」の著者・市瀬英俊さん。四天王プロレスの生き証人でもある
市瀬英俊著「夜の虹を架ける 四天王プロレス『リングに捧げた過剰な純真』」
市瀬英俊著「夜の虹を架ける 四天王プロレス『リングに捧げた過剰な純真』」
97年6月6日、日本武道館での三冠ヘビー級選手権。挑戦者・川田にジャーマンスープレックスを決める王者・三沢
97年6月6日、日本武道館での三冠ヘビー級選手権。挑戦者・川田にジャーマンスープレックスを決める王者・三沢

 かつて「週刊プロレス」の全日本担当記者として、三沢光晴、川田利明、田上明、小橋健太の「四天王プロレス」を至近距離で取材したスポーツライターの市瀬英俊さん(55)が、「夜の虹を架ける 四天王プロレス『リングに捧げた過剰な純真』」(双葉社、税抜き2000円)を刊行した。「カウント2・9」の激しい攻防の裏側にあった4人の心象風景を克明に描いた一冊。832ページの大作に込めた思いを聞いた。(加藤 弘士)

 平成が始まってまもなくのあの頃。親が寝静まった深夜のリビングでは、日テレ・福沢朗アナの「ジャストミ~ト!」「プロレスニュ~ス!」の叫びがテレビから鳴り響いていた。手に汗を握り「全日本プロレス中継」に夢中になっていた10代は現在、中年になった。平成が終わる。どんな熱狂も感動も、時の流れによって薄れてしまう。市瀬さんが本書を執筆したきっかけは、風化への危機感だった。

 「4年前、ジャイアント馬場さんをテーマにしたトークショーを都内で行ったんです。『全日本のことなら何でも知っている』というマニアックなお客さんが来るわけですよ。その時に『90年5月14日の東京体育館の試合を見た人はいますか?』と聞いたら、全く手が挙がらなかったことに衝撃を受けて。“プロレスの教科書”に出てくるような大事な興行なのに…」

 タイガーマスクが試合中にマスクを脱ぎ、素顔の三沢に戻った夜。看板選手の天龍源一郎が新団体・SWSに移籍し、ならばとメインイベントのタッグマッチに登場した馬場が背中をコーナーマットに強打。52歳の社長はズルズルとリングに崩れ落ちた。会場は寒々とした空気に包まれ「天龍がいないと、もう全日本はダメか」と誰もが思った。平成プロレス史の分岐点だ。

 「でも、見ていないのも当然。今40代の人も当時は小学生だったかもしれない。あの夜がきっかけになって、後の『四天王プロレス』誕生につながるんですが、その始まりを見たことのない人たちが、これからどんどん増えていく。『彼らの90年代の闘いを一冊に残さなきゃダメだ』と決断しました」

 ターザン山本編集長のもと、公称40万部を誇った週プロの全日番だった市瀬さんは、単なる取材者ではなかった。88年からは馬場の依頼により、興行の対戦カードを組んでいた。観客動員が減り、危機感を覚えた馬場は「ファン目線」のマッチメイクを求めた。選手には秘密の重責だった。

 「僕がアイデアを出して、馬場さんが了承する形です。馬場さんは力道山から受け継いだ勧善懲悪のプロレスで、不透明決着もやむなしという時代を生きた人。でも『これじゃまずい』と気づいて、両者リングアウトや反則決着を撤廃した。観客が満員にならない現実に直面した時、過去の自分をも否定してファンの声に耳を傾けた。すると完全決着にファンはすぐ食いついて、後楽園ホールも日本武道館も地方会場も、徐々に満員になっていきました」

 ライバルの新日本が東京ドームなど大都市集中の興行日程を組む中、三沢らはテレビ中継のない地方でも全力ファイトを貫いた。これまでの常識である「地方だからしょうがない」が「地方でここまでやるのか」に変わっていった。

 「スーパーやパチンコ店の駐車場でもメインでは25分、一生懸命やる。だから美しかったし、記憶に残るんです」

 カウント3―。いや、まだだ。終わらせてたまるか。「カウント2・9」の激しい攻防にファンは自らを投影し、熱狂した。

 「ファンに諦めない気持ちを伝え、満足して帰ってもらう。『2・9』にはそれがあったと思います」

 激闘の代償は大きかった。三沢は09年6月13日、広島での試合中に倒れ、天国に旅立った。川田ら3人も後遺症を抱えている。

 「特に三沢選手と小橋選手の試合が激しさを増していったんですが、2人はある意味でプロレス界を背負って闘っていた。だから、彼らの試合を安易に批判はできなかった。やり過ぎだったのでは―との批判は今なおありますが、『2・9プロレス』や『四天王プロレス』がプロレス界をダメにしたと言ってしまうと『応援していたファンの思いや、応えようとしていた彼らの思いも否定されてしまうのか?』となってしまう」

 執筆にあたり、三沢からあらためて話を聞くことは、かなわぬ夢だった。本書には92年8月22日、日本武道館でのスタン・ハンセン戦で三冠へビー級王座に輝いた三沢の、試合後の談話が記されている。「自分との闘いが苦しかったね。『負けちゃおうかな…』っていう気持ちとの闘いだよね」―。

 「カウント3を取られてさっさと負けてしまえば、楽になれるんですよ。でも、2・9で返す。三沢選手は、王者は勝たねばならないという中で日々、『負けちゃおうかな』という思いとの闘いだった。『プロレスはショーでしょ』との言葉がつきまとうけれども、簡単には負けられないと覚悟を持って闘っていた。そんな覚悟を、知っていただければと思いますね」

 ◆市瀬 英俊(いちのせ・ひでとし)1963年10月12日、東京・渋谷区生まれ。55歳。新宿高から千葉大法経学部に進学。大学2年だった84年4月から「週刊プロレス」編集部でアルバイト。そのまま同誌記者となり、全日本プロレスを担当。「週刊ベースボール」編集部を経て、現在はフリーのスポーツライターとして活動中。熱狂的ヤクルトファン。

「夜の虹を架ける」の著者・市瀬英俊さん。四天王プロレスの生き証人でもある
市瀬英俊著「夜の虹を架ける 四天王プロレス『リングに捧げた過剰な純真』」
97年6月6日、日本武道館での三冠ヘビー級選手権。挑戦者・川田にジャーマンスープレックスを決める王者・三沢
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