【ドラニュース】強かった平成竜、Aクラス19度 マサ214勝、球史に残る大記録2019年4月27日 紙面から
あと4日で平成の時代が幕を閉じる。球団再編や選手のメジャー挑戦など大きな変化があった平成のプロ野球界。そんな中、輝かしい黄金時代を築いたのがドラゴンズだった。ここ6年はBクラスも、30年間で5度の優勝を含めたAクラス入りは実に19度。平成の竜は強かった-。記録を見直すとともに、平成で最も多く勝利した中日OBで野球評論家の山本昌さん(53)に振り返ってもらった。 平成の最多勝投手となった山本昌さんは「ビックリだね」と驚きを隠さなかった。通算219勝のうち、平成時代に築いた勝利数は昭和63(1988)年の5勝を除いた214勝。2位の西口文也(182勝)とは大差だ。「長くやらせていただいたのが第一。平成の期間だけで200勝できたのは不思議に思う」と振り返ると、その要因を時代の変化による2つの恩恵だと分析した。 1つ目は医療を含めた体のケア技術の進化だ。「僕が若いころはとにかく走れ走れ。それが平成に入ってトレーニング方法や、キャンプのやり方が合理的になった。昔ほど故障者が出なくなったし、故障しても医療が進化したから復帰も早くなった」。トレーニング理論の研究が進む中、自身はトレーニング研究施設「ワールドウィング」を中心にトレーニングを重ねた。より故障しない体で現役を続けた。 2つ目は投手の分業制が確立したことにある。平成17(2005)年に中継ぎ投手の記録であるホールドがセ・パ両リーグで採用されたように、平成の時代は先発完投が当たり前の時代ではなくなった。その一方で米大リーグのように先発が中4日で登板するのではなく、中6日が主流になったことも、追い風になったと説明した。 「先発は完投してナンボと言われてきたけど、分業制になったおかげで(自分が)長くやれたところがある。目標は毎試合完投なんだけど、心の中で7回2失点なら合格だなって。そういう面でだいぶ負担が減った。あと僕が若いころは多少(誰かを)飛ばしてでも強いチームに、というのがあったけど、それがなくなってきたのも大きい」 体のケア技術の進化と分業制の確立。この2つの要因で50歳まで現役を続けた山本昌さんは選手寿命について「当然、伸びたね。その恩恵を一番受けたのはボクかな」と笑った。昭和で生まれ、移りゆく時代に愛された「平成の最多勝投手」は令和の選手に向けてこうメッセージを送った。
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