ハイスクール・フリート 岬明乃の悪夢   作:あまみや/五十六
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20:救いの声

 シュペー突入班は、出来る限り迅速に艦橋を制圧するべく行動していた。

 

「てやぁっ!」

「当たると、痛いですよ……!」

「…………」

 

 まゆみと楓が近接戦闘で甲板にやってきた乗員を制圧し、それでも動いている乗員はマチコが麻酔銃を使って眠らせる。

 

「……兵は敵に因りて勝ちを制す」

 

 そして気を失った乗員には、美波がワクチンを順次投与していく。今のところまだ出番のないミーナは、四人の息の合った連携に感心していた。

 

(スキッパーの方も、問題なさそうか)

 

 少し海の方に目を向ければ、二台のスキッパーに聡子たちが待機しているのが見えた。相変わらず霧は出ているが、徐々に薄くなりつつあるとミーナは感じていた。

 

(これで甲板は制圧できた、あとは艦橋へ駆け上がるのみ)

 

 それでも、ここまでに十分弱を要した。あと二十人以上の乗員を制圧することを考えれば、まだ時間はかかってしまうはずだ。ミーナは晴風がいるであろう方角を向いて、ただ祈った。

 

「無事でいてくれ、晴風……頼むぞ」

 

 

 

 

 

「前方視界良好、霧はありません!」

 

 未だに小雨が降ってはいたが、濃霧と比べれば何ら問題にはならない。芽依は大喜びしたい衝動を抑えつつ、電探室に問いかける。

 

「艦長より電測員、シュペーの動向は?」

「右160度、距離一万、恐らくシュペーの最大戦速で前進しています!」

「よし、最大戦速!ここまで来たらもう副砲射程にいる意味はないよ!」

「最大戦速!」

 

 シュペーの副砲として一番危険な15cm単装砲の有効射程は二万二千。シュペーと晴風の最大戦速の差は5ノット。単純な計算で、晴風が最大戦速を維持し続けてシュペーの副砲射程から逃れるには、実に一時間以上が必要な計算になる。

 

(突入班がちゃんとうまくいってれば、今から二十分か三十分くらいで制圧は完了するはず。それでも距離を取って悪いことはないし、機関は……前進一杯じゃないし、大丈夫でしょ。あと少しで、晴風の勝ちだっ!)

 

 はっきり言ってしまえば、この芽依の判断こそが、この戦闘における彼女の唯一の判断ミスだった。結果論的ではあるが、最大戦速に拘るよりは、晴風の機関を労わるべきだったと言える。しかし晴風の機関科がこれまで機関をできる限り最高のコンディションに保ち続けていたことを考えれば、芽依の判断も一概に間違っていたとは言えなかった。

 

 最大戦速の号令を出してから、およそ十五分が経過したころ。

 

「やべっ……艦長、機関がっ」

 

 慌てた麻侖の声が伝声管から届く。芽依が返事をする前に、伝声管から何かが爆発したような音が立て続けに響く。

 

「き、機関室、応答して!」

「全員無事だ!」

「でも機関が……!」

 

 芽依の顔が青ざめる。このタイミングで機関が停止でもすれば、晴風は終わりだ。そうでなくても、このタイミングでの機関の能力低下はあまりにも痛い。

 

(機関科の皆を過信しすぎた?いや、むしろ今までが凄すぎたんだ。そもそも晴風の機関は普通に動かしてても壊れやすくて、ずっと最大戦速のままになんてするべきじゃなかった……!)

 

 晴風の機関が高性能だが壊れやすい高温高圧缶であることを考えれば、前進一杯どころか最大戦速すら多用すべきではなかったのだ。そして、今までもずっと情報の洪水に晒されていた芽依の思考が、一気に混線していく。

 

(どうする、どうする!?応急修理に乗員を割くべき?いや、それよりはチャフの再装填を……でも一方的に霧から出てるアドバンテージは無視できない、けれど速力が確実に落ちた今じゃむしろアドバンテージじゃなくなってる?それなら霧の中に逃げ込むべき?でも回頭すればシュペーに側面を見せることになるし、何より距離を縮めることになるんじゃ?)

 

「これじゃあ出せて第二戦速だ!それ以上は今度こそぶっ壊れちまう!」

「着弾、主砲弾夾叉されました!」

「艦長、指示をっ」

 

 顔には出していないものの、芽依は半ばパニックに陥っていた。自分の判断ミス一つで晴風が沈むかもしれないという事実が、芽依にとってはあまりにも重かった。

 

(今取れる最善の行動は何?第二戦速じゃシュペーからは逃げきれない、いや待って夾叉された?それなら回避行動を、でもどうやって、どこに?逃げる場所なんてあるの?いっそ作戦目標を諦めて攻撃に移るべき?こんなとき、ミケ艦長ならどうやって――)

 

「第二戦速赤10、面舵一杯。二番発射管、発射雷数2。準備して」

「面舵いっぱーい、第二戦速赤じゅ……え?」

 

 ()()()()()に復唱した鈴の手が思わず硬直する。正確に言えば、その声はいつも通り鈴の近くで発せられたのではなく、艦内無線から流れてきたのだが。

 

「聞こえなかった?第二戦速赤10、面舵一杯。シュペーと正対させて。二番発射管は右舷側に発射する用意。……砲雷長、お疲れ様。医務室からで悪いけど、ちょっと口を出させてもらうね」

 

 芽依にとっては、その声はまさしく救いだった。

 

「ミケ艦長!?身体は大丈夫なの!?」

「うん、迷惑かけちゃってごめんね。まだ本調子じゃないけど、のんびり寝る余裕もなさそうだし。悪いけど、しばらくは私の言う通りにやってくれると嬉しいな」

 

(……迷ってる暇は、ない!)

 

「第二戦速赤10、面舵一杯!二番発射管、発射雷数2で右舷に発射用意!復唱不要、急いで!」

 

 芽依が改めて、明乃の言った通りに号令する。

 

「だが、このままだとシュペーに側面を……!」

「当たらないことを祈って。何事もノーリスクじゃ乗り切れないよ」

 

 そんな滅茶苦茶な、と誰もが思った。だが、実際のところ晴風にはそれしか手が残されていなかった。ある意味で幸いだったのは、艦艇の速度が遅ければ旋回半径も小さくなるということだろう。鈴の操舵もあって、晴風は被弾せずに転舵中の時間を乗り切ることに成功した。

 

「せ、正対しましたっ」

「当舵、正確によろしくね。発射管の方は準備できた?」

「二番魚雷発射管、発射準備よし」

「発射準備よし!……でもミケ艦長、魚雷どこに撃つの?」

 

 折角の魚雷も、攻撃目標がないのでは何の意味もない。シュペーに撃つのは論外としても……とまで考えたところで、芽依も明乃の思考に理解が追い付いた。

 

「もしかして、誘導?」

「正解。ちゃんと操舵すれば避けられるように撃つよ」

 

 魚雷を回避させて、シュペーの行動を誘導する。以前ブルーマーメイドと相対したときにも明乃が使おうとした戦術だが、あれは本命の魚雷を正確に当てるため。避けさせることだけを目的とした雷撃というものが有効な機会はまずないが、その稀な機会こそが今だった。

 

「……ここさえ乗り切れば、シュペーは助けられる!行くよ!」

 

 

 

 

 

 甲板の制圧を完了させた突入班は、ミーナの案内のもとでシュペー乗員たちを制圧しながら順調に進んでいた。

 

「この階段を上がれば艦橋はもう近いぞ!」

 

 ミーナを先頭にして、一気に階段を駆け上がる突入班。しかし彼女達の目の前に現れたのは、見通しの良い通路ではなかった。

 

「これは……!」

「即席のバリケードか!」

 

 恐らくは艦内教室から持ってきたのであろう、机と椅子をメインにしたバリケードが通路を完全に塞いでいた。突入班が甲板で手間取っていた間に、シュペー乗員が短時間で作ったのだ。

 

「でも、頑張れば崩せそうですね」

「しかし時間が……これ以外の通路を探すべきでは」

 

 思わぬ障害に五人が立ち往生しかけた、ちょうどその時だった。

 

「わわっ!?」

「な、何が起きてっ」

 

 床が思い切り傾く。シュペーが何故か突然急旋回したのだ。同時に、シュペーの航行速度が落ちていくのもミーナには把握できた。

 

「皆、無事か!?」

「は、はい……あっ、ご覧になってください!」

 

 楓が指差した先には、盛大に崩れたバリケードだったものがあった。上部には無理なく通れる程度の隙間が空いている。

 

「何があったかは分からんが……よし、皆、進むぞ!」

 

 

 

 

 

「シュペーより入電!『制圧に成功、負傷者なし』とのことです!」

「……終わった、ってこと?」

 

 信じられないという声で、芽依が呟く。それを聞き、いつにも増して優しい声で明乃が告げる。

 

「作戦成功だね。みんなおめでとう、お疲れ様」

「や……やったー!やりきった!私たちの、晴風の勝ちだっ!」

 

 喜びのあまり大声で叫んだ芽依を咎める者はいなかったし、むしろ皆が一緒になって狂喜した。シュペーの砲撃を実に三十分以上避けきることに成功した一番の理由が芽依の指揮であることは、誰の目にも疑いようはなかったのだ。

 

「合格……ううん、花丸かな。本当にお疲れ様、()()

「え、ミケ艦長、今なんて」

 

 思わず芽依が聞き返そうとするも、明乃はその前に無線を置いてしまったようだった。

 

「……次は直接言ってもらうからね、明乃」

 

 艦内の喧騒に掻き消されて、芽依の小さな声は誰にも聞かれることはなかった。


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