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2019-04-26

糸井重里が毎日書くエッセイのようなもの今日のダーリン

・はじめてひとり暮らしするときのことを書いた
 エッセイを読んだら、
 じぶんのそのときのことを思い出した。
 どうして、こんなことをいつまでも憶えているんだろう。

 飯田橋の大学に通うとしたら、
 中央線の中野か高円寺あたりがよさそうだと、
 なんとなく考えていた。
 入学試験のときに、友人の兄が住んでいて
 ちょうど留守にしているという下宿に泊めてもらった。
 それが中央線の高円寺という駅だったこと、
 そしてその部屋が三畳間だったので、
 あまり深く考えることなく、それに倣ったのだと思う。
 大学の学生課で斡旋もしてくれたのだけれど、
 それは、三鷹だったか国分寺だったか、
 東京の地理に不慣れなぼくにはずいぶん遠く感じる駅の、
 さらに駅からバスに乗るような物件で、
 これでは通えないなと勝手に決めてしまった。

 そして見つけたのが東中野の三畳間だった。
 ただただ畳が三枚分、押入れもなく、
 そのかわり空中にふとんを仕舞う大きな棚のような
 「吊り押入れ」というものがあった。
 線路沿いの道を数分歩いて、ちょっと曲がって突き当り。
 大家さんの姓に「荘」をつけた名のアパートだった。
  
 入居の日は手続きと手伝いという名目だったのか、
 前橋から父親がやってきてくれた。
 あんまりたくさんしゃべることもなく、
 線路を見ながら歩いたり、近くの荒物屋で
 プラスチックの風呂桶なんかを買ったりした。
 自動車で引っ越しをした記憶はないので、
 布団だとか小さな座卓などはどうやって運んだのか。
 鉄道で運ぶ荷物として送ってあったのだろうか。
 食堂でいっしょにもやしそばを食べて、父は帰った。
 ぼくは、駅からの帰り道に文房具屋でケント紙を買う。
 今日からはこの三畳間で、漫画を描くことになるのだ。
 夏になって部屋が暑くてたまらなくなったら、
 さっき見たあの喫茶店で案を練ることになるだろう。
 その日の続きは、長い中略となり、今日に至っている。

今日も、「ほぼ日」に来てくれてありがとうございます。
これは1967年の春のこと。漫画家にはもちろんなれずに…。


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