フェル・レポート


松村高夫編『<論争>731部隊』所収


フェル・レポート

フェル・レポート(「総論」)
                                     E/a r/3
                                   一九四七年六月二〇日

  主題‥日本の細菌戦活動に関する新情報の要約
  宛先‥化学戦部隊部隊長
  経由‥技術部長、キャンプ・デトリック
      司令官、キャンプ・デトリック
  発信‥PP-E部門主任、キャンプ・デトリック


1 一九四七年二月中に、極東軍のG-Ⅱから、日本の細菌戦活動に関する新しいデータが入手可能だろうとの情報を得た。その情報は主として日本の細菌戦組織(防疫給水部)のさまざまな旧隊員たちから極東軍最高司令官宛に送られた多数の匿名の手紙にもとづいている。

 それは満州の平房にあった細菌戦部隊本部における人間に対して行われた各種の実験について記述していた。G-Ⅱはこの情報が十分信頼できるので、集められた情報に評価を下すため、キャンプ・デトリックの使節を現場に派遣するという要請を正当化できると考えた。(P282)

2 筆者は一九四七年四月六日付の命令にもとづき極東軍総司令部のG-Ⅱとの一時的任務のため、日本の東京に到着した。筆者は四月一六日に到着するや、集められたファイルを吟味した結果、その情報は日本の旧細菌戦組織の指導的隊員たちを再尋問することを正当化するのに十分なほど信頼できそうだとするG-Ⅱの代表たちの意見に同意した。

 次々に幸運に恵まれた状況にあったことや、一人の有力な日本人政治家(彼は合衆国に対して全面的に協力することを真摯に望んでいるようである)の助力が得られたこともあって、最終的には細菌戦に従事してきた日本人の重要な医学者に全ての事実を明らかにすることに同意させることができた。得られた結果は、次のようなものである。(P283)

(松村高夫編『<論争>731部隊』所収)


フェル・レポート

A 細菌戦計画における重要人物のなかの一九人(重要な地位に就いていた数人は死亡している)が集まり、人間に対してなされた細菌戦活動について六〇ページの英文レポートをほぼ一ヵ月かけて作成した

 このレポートは主として記憶にもとづいて作成されたが、若干の記録はなお入手可能であり、これがそのグループには役立った。このレポートの多岐にわたる詳細な記述の概要は後述する。


B 穀物絶滅も大規模な実験が行われていたことが判明した。この研究に携わっていたグループは小規模で、植物学者と植物生理学者が各一名と少数の助手たちから成っていた。しかし研究は九年間にわたり活発に行われた。その植物学者は非常に協力的であり、結局、植物の病気に関する研究について一〇ページの英文レポートを提出した。(P283-P284)

 成長ホルモンの研究は行われていなかったが、植物の病原体は広範に研究されていた。キャンプ・デトリックでなされるこの双方の研究とも日本人が行っていたものであり、加えてその他多くのことも注目されていた。菌類、細菌そして線虫類に関しては、とくに満州およびシベリアで成育する穀類と野菜については実際に全種類についてそれらの影響を調べている。

 例えば、各種病原体の八〇〇以上のものにおよぼす影響が、実験室や温室や野外栽培地で研究された。植物病原体の伝播については余り研究されていないが、地理的および気候的要因については極めて多くの研究がなされた。

 感染、大規模な媒介の保護、耕地開拓後の黒穂病菌の胞子の収集、病原体使用による予測される損失計算、防御手段というようなさまざまな要因に関する研究が実行された。

 このレポートはキャンプ・デトリックでまだ分析されていない。しかしながら、■(判読不能)博士は、予備的点検の結果、そのレポートは興味深く価値ある多くの情報を含んでいると確信している。


C 爆弾あるいは飛行機からの噴霧による細菌戦病原体散布のさいの粒子のサイズの決定および水滴の飛散について、理論的に・数学的に考察をした興味あるレポートを得た。(P284-P285)

(松村高夫編『<論争>731部隊』所収)


フェル・レポート

D 中国の市民と兵士に対して一二回の野外試験を行なった。その結果の要約、および関連した村と町の地図が提出された。この要約および採用された戦術の簡単な記述は、後に述べる。


E 風船爆弾計画に関わっていた一人から短いレポートを得た。このレポートでは、細菌戦の病原体の撒布のために風船を使用することが大いに注視されたと記されているが、この目的遂行のためには不満足だったと指摘されている。しかしながら、もし望むならば、風船爆弾に関する完全な詳細な記述は、当初からその計画に携わっていた他の人々から得られるかもしれない。


F 細菌戦の指導的将校の一人がスパイおよび破壊活動に与えられた一連の漏洩を記した原本の文書を得ている。この文書の翻訳された要約は、キャンプ・デトリックの手中にある。


G 家畜に対する細菌戦研究は平房とは全く別の組織が大きな規模で行なっていたことが判明した。現在、そのグループの二〇人の隊員がレポートを書いており、それは八月中には入手可能となろう。(P285-P286)

H 細菌計画の中心人物である石井将軍は、その全計画について論稿を執筆中である

 このレポートは細菌兵器の戦略的および戦術的使用についての石井の考え、さまざまな地理的領域での(とくに寒冷地における)これらの兵器の使用法、さらに細菌戦についての石井の「DO」理論のすべての記述が含まれるだろう。この論稿は、細菌戦研究における石井将軍の二〇年にわたる経験の概要を示すことになろう。それは七月一〇日頃に入手可能となろう


Ⅰ 細菌戦の各種病原体による二〇〇人以上の症例から作成された顕微鏡用標本が約八、〇〇〇枚あることが明らかにされた。これら標本は寺に隠されたり、日本南部の山中に埋められていた。

 この作業すべてを遂行あるいは指揮した病理学者が、現在その標本の復元、標本の顕微鏡撮影、そして各標本の内容、実験上の説明、個別の病歴を示す、英文の完全なレポートを準備している。このレポートは八月末頃には入手可能だろう。


J 自然的および人工的ペストのすべての研究についての合計約六〇〇ページにのぼる印刷された紀要も手中にある。これらの資料はともに日本語であり、まだ訳されていない。(P266-P267)

(松村高夫編『<論争>731部隊』所収)


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3 研究室および野外実験に使われた人間の実験材料は、各種の犯罪のため死刑判決を受けた満州の苦力とのことであった。アメリカ人あるいはロシア人の戦争捕虜が使われたことは、(何人かのアメリカ人戦争捕虜の血液が抗体検査に使われたのを除けば)一度もなかった、と明確に述べられていた。この主張が真実でないことを示す証拠はない。

 人間の実験材料は他の実験動物とまったく同じ方法で使用された。すなわち、彼らを使って各種病原体の、感染最小量及び致死量が決定された。また、彼らは予防接種を受けてから、生きた病原体の感染実験を受けた。さらに彼らは爆弾や噴霧で細菌を散布する野外試験の実験材料にさせられた

 これらの実験材料はまた、ペストという広範な研究で使われたことはほぼ確実である。

 人間について得られた結果は、多少断片的である。それはどの実験でも統計的に有効な持論が得られるほど十分に多数の実験材料を使うことができなかったからである。しかしながら、炭疽菌のような最も重視されていた病気のばあいには、数年間に数百人が使われたようである。(P287)

(松村高夫編『<論争>731部隊』所収)


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4 人間を使った細菌戦活動についての六〇ページのレポートの多岐にわたる詳細な記述の要約は、次の通りである。特記なきときは、ここで示されたデータは、すべて人体実験によるものである。(P287)

(1) 炭疽

(a) 感染量あるいは致死量

 MID50(使用した動物の五〇パーセントに感染をひき起こす最小量)は、皮下注射のばあいは人間も馬も一〇ミリグラムと決定された。経口的には人間ではそれは五〇ミリグラムだった。

(日本人研究者は細菌の数を数えることはほとんどなく、濃度をすべて固形培地上にできた培養菌から得た食塩性溶液からとった、多湿の病原体をミリグラム単位で表していた。しかし、彼らは炭疽についての変換式、すなわち1mgm=10×8乗の病原体、を得ていた。)

 他の通常の実験動物についてのMID50は、わが国における数値とほぼ同一であった。しかし、日本が使った菌株は、経口感染においてかなり有毒であるようである。もっとも、わが国においては経口感染に関する研究はほとんどなされていないが。

 感染した人間の死亡率は、皮下注射による感染では六六パーセント、経口感染では九〇パーセント、経口および吸入感染では一〇〇パーセントであった。興味深い所見は、弱毒化された胞子ワクチンの接種を受けた馬は、皮下注射による感染に高い抵抗力を示すが、しかし経口感染にはわずかしか抵抗力を示さない、という点である。

(b) 直接感染

 使用された病原体を含んだ溶液、潜伏期および発病後の措置についてのデータがある。死体解剖の所見もかなり詳細なものである。

(c) 免疫実験(P288)

 使われたワクチンの製法について詳細に述べられている。加熱ワクチンは効果がなく、弱毒化した胞子ワクチンは経口MID量の四倍の数の菌に対して完全な免疫を与えることが判明した。しかし、人間への生きた胞子ワクチンはひどい副作用を起こし、緊急時以外には使えない、と結論された。

(d) 爆弾試験

 野外試験の完全な細部の記述と図表がある。ほとんどのばあい人間は杭に縛りつけられ、ヘルメットとよろいで保護されていた。地上で固定で爆発するものあるいは飛行機から投下された時限起爆装置のついたものなど、各種の爆弾が実験された。

 雲状の濃度や粒子のサイズについては測定がなされず、気象のデータについてもかなり雑である。日本は炭疽の野外試験に不満足だった。

 しかし、ある試験では一五人の実験材料のうち、六人が爆発の傷が原因で死亡し、四人が爆弾の破片で感染した(四人のうち三人が死亡した)

 より動力の大きい爆弾(「宇治」)を使った別の実験では、一〇人のうち六人の血液中に菌の存在が確認され、このうちの四人は呼吸器からの感染と考えられた。この四人全員が死亡した。だが、これら四人は、いっせいに爆発した九個の爆弾との至近距離はわずか二五メートルであった。

(e) 牧草の汚染

 通常の実験は地上五メートルのところで、牧草地を横切る直線上で固定した五つの爆弾が爆発するものであり、ついで直線上に爆発地点から距離の異なるさまざまな地点で各種の動物に草を食べさせた。(P289-P290)

 爆発地点から二五メートル以内でかつ爆発時から一時間以内に草を食べたいかなる種類の動物も病気に感染し、五〇メートルはなれたところで草を食べた動物は六〇ないし一〇〇パーセントが感染した。

 汚染された牧草は少なくとも四日間は感染力があり、一ヵ月たってもなお胞子の三三パーセントが草の中にみいだされる。この種の試験ののち、動物を観察していると、試験の結果、感染した動物と同じ家畜小屋にいれられていた他の正常な動物の通常二五パーセントが、二次感染したことが判明した。

(f) 噴霧実験

 典型的な実験では、一〇立方メートルのガラス室に四人の人間の実験材料をいれ、1mgm/cc溶液三〇〇CCを、ふつうの消毒用の噴霧器で噴霧した。粒子のサイズの測定はしなかったが、四人のうち二人が皮膚に病巣ができ、そのためついに拡がって炭疽病になった

(g) 安定性

 炭疽菌の胞子の安定性については大量のデータがある。日本は、〇・五パーセントのフェノールを加えることが安定性の確保の最良の方法であることを発見した。

 彼らのデータによれば、胞子の溶液は〇・五パーセントのフェノール、乾燥した卵の白味、泥、チョコレート、パン、白粉の中で一〇年以上のあいだ安定であり、歯磨き粉、バター、チーズ、牛乳、クリームの中でも少なくとも三年間は安定である。(P290)

(h) 事故および実験による感染

 ある牧草地を汚染する野外試験ののち、三人の作業員が防毒衣をつけずにその地域に入った。三人とも皮膚に病巣ができたが、血清で治癒した。この三人と一緒に生活していた他の二人の作業員が感染し、うち一人が死亡した。数人の実験室作業員が感染した。おそらく彼らはマスクで防備していたにもかかわらず、呼吸器から感染したのだろう。(P290)

(松村高夫編『<論争>731部隊』所収)


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(2) ペスト

(a) 感染あるいは致死量

 MID50は、皮下注射では10のマイナス8乗ミリグラム、また経口感染では〇・一グラムであることが判明した。菌を5mgm/立法メートルふくんだ空気を一〇秒間吸うと、八〇パーセントが感染した。

(b) 直接感染

 潜伏期間は通常三日から五日で、死は発熱がはじまってから三日から七日のうちに生じた。人工的にべストに感染せられ腺腫ができて死亡したばあいの多くでは、死の三日間に肺炎を起こし、ついで高い感染力を示した。

(c) 免疫実験

 ワクチン作りには病原性のない菌株三系統が使用された。このワクチンはMIDの千倍量の皮下注射に対して、五〇パーセントの有効性を示した。非病原性菌株のアセトンエキスは免疫効果をかなり弱めた。(P291)

(d) 爆弾実験

 最良の三回ないし四回の試験の概要は、以下のとおりである。これらの試験では実験材料の周りの地表面の菌の濃度を菌の数で測定した。

  地表の濃度の量mgm/立法メートル     感染(概数)   種類
        一〇以上               五/五    眼ペスト、腺ペスト
          五以上               七/一〇   眼ペスト、腺ペスト
          一以上                三/二〇   全ペスト
          一以下               一/三〇   全ペスト

 爆弾試験全体の結論は、次の通りだった。すなわちペスト爆弾は不安定なので満足できる細菌兵器ではないが、ノミを使ってペストを流行させることははるかに実用的である

(e) 結果としてこの方法は、部屋の中に実験材料を閉じこめて行っても、また低い高度で飛行機から噴霧した菌にさらしてもともに極めて効果的だった。各種実験に使われた実験材料の三〇から一〇〇パーセントが感染し、死亡率は少なくとも六〇パーセントだった

(f) 安定性

 ペスト菌を液状で、あるいは乾燥することで安定化することはできなかった。

(g) ペストノミ(P292)

 ノミの繁殖とネズミによってペストに感染させる方法について多くの研究が行われた。何キログラムものふつうのノミ(一グラムで三〇〇〇匹)の生産と、それに見合った感染の方法が開発された。このノミの研究は詳細に記述されており、優れた研究であることを示している。

 ペストノミは最良の条件下では約三〇日間生存し、その間感染力があることが判明した。また、一人にノミ一匹が刺せばふつう感染することも判明した。一平方メートルあたりノミが二〇匹いる部屋で実験材料を自由に動かしたところ、一〇人中六人が感染し、うち四人が死亡した

 爆弾実験は導爆線で爆発する磁器製爆弾「宇治」を使って行われた。ノミは爆弾に充填する前に砂と混ぜ合わされた。実験材料は一〇人が閉じこめられている一〇メートル平方の小屋で爆発させたところ、ノミの約八〇パーセントは生きていた。一〇人のうち八人がノミに刺され感染し、八人のうち六人が死亡した。(P293)

(松村高夫編『<論争>731部隊』所収)


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(3) 腸チフス、パラチフスAおよびB型、そして赤痢(細菌性)

 これらの病気については、MIDの決定と各種ワクチンのテスト以外には、人間を使った研究はほとんど行われなかった

(a) 腸チフス

 MID50は経口的には四ミリグラムで、この量での発病は穏やかで標準的なもので、死者はなかった。分離されたばかりの病原体を一五○グラムを与えたら、最良のワクチンでも、二二人のうち八人しか感染を防ぐことができなかった(対象群では一三人中一二人が感染した)。(P293-P294)

 泥の中での腸チフス菌の安定性を調べたところ、二七日間は大きく減少もなく生存し、その後徐々に数が少なくなることが判明した。泥のサンプルを集めた作業員の一人が、この実験開始から一七日目に腸チフスにかかった。

 腸チフス菌はゼラチンで覆っておくことができ、こうすると通常の菌なら死滅してしまう量の塩素で数かい殺菌しても死ななかった。

(b) パラチフスAおよびB型

 MID50は人間に対して経口的にはどちらも一ミリグラムであった。免疫実験は人間の実験材料に対しては行われなかった。

(c) 赤痢

 MID50は経口的には、志賀系で一〇ミリグラムだったが、フレキシネル系の二種類の菌株では一〇グラムから二〇〇ミリグラム以上のあいだで変化した。これら菌株すべてのでも加熱ワクチンはほとんどまったく役に立たない結果を示した。ワクチンの効果のようにみえたものは、おそらく実験材料が自然に獲得した免疫の結果にすぎないだろう。(P294)

(松村高夫編『<論争>731部隊』所収)


フェル・レポート

(4) コレラ

(a) 感染量(P294)

 MID50は経口的に、しめった病原体で10のマイナス4乗ミリグラムで、分離されたばかりの病原体と糞便の混合物で10のマイナス6乗ccだった。これで感染した人間は約半数が五日以内に死亡した

(b) 免疫実験

 加熱およびホルマリンで死菌にして作ったワクチンは役に立たなかった。しかし六五〇〇キロサイクルの超音波を三〇分間当てて作ったワクチンは三人という小グループに対してだが完全に防御した。このときMID量の約一万倍の菌を投与していた。

(c) 噴霧実験

 低い高度の飛行機から病原体を噴霧したあの試験で、二四人中八人が感染したが、死者はでなかった。

(d) 安定性

 病原体の溶液は非常に不安定だが、日本はその乾燥化に凍結乾燥をしても成功していなかった。(P295)

(松村高夫編『<論争>731部隊』所収)


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(5) 馬鼻疽

 日本はこの病原体についてはあまり研究しなかった。それは彼らがそれを極度に恐れていたからである。実験室で感染した例が七例あり、そのうち二人が死亡し、二人患部切除手術で治り、三人が効果的な血清療法をうけた。

(a) 感染量

 MID50は皮下注射で〇・二ミリグラムで、この量で死亡率は二〇パーセントだった。本病の臨床経過および死体解剖所見はかなり詳細な記述がなされた。(P295-P296)

(b) 免疫実験

 加熱ワクチンはモルモットに対しては効果がなかった。人間については実験しなかった。

(c) 爆弾実験

 試験は一回だけ人間一〇人と馬一〇頭を使って行われた。馬三頭と人間一人が感染したが、地表での病原体の中雲状の濃度あるいは密度についてはデータがない。

(d) 噴霧実験

 室内で行われた一連の実験は非常に効果的だった。ある実験では一グラムの乾燥した菌を小さなガラス箱に入れ、ファンで攪拌した。箱からでているゴムのチューブを三人の実験材料の鼻に押入したが、三人とも推定〇・一ミリグラムを吸いこみ感染した

(松村高夫編『<論争>731部隊』所収)


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(6) 流行性出血熱(孫呉熱

 これは一九三八年-一九三九年に満州に現れたいわゆる「新しい」病気である。(当時、満州の一定地域の風土病であろう。)生物戦部隊はこの病気を広範に研究し、ダニが媒介するウィルスを分離した。この病気の疫学、臨床経過、病理学、それに病因について完全な詳細な記録がある。(P295)

(松村高夫編『<論争>731部隊』所収)


フェル・レポート

(7) 結論(六〇ページのレポートの最終部分)

 前記以外にも各種の病気が細菌戦研究の初期の段階で研究された。その中には、結核、破傷風、ガス壊疽症、ツラレミア(野兎病)、インフルエンザ、それに波状熱(ブルセラ症)があった。結核菌の静脈注射で全身的な粟状結核の急激な感染は起こせるが、呼吸器によって人間に感染させることは容易ではないことが判明した。(P295-P296)

 一般的に、日本が研究した細菌戦用病原体のうち二種類だけが有効で、炭疽菌(主に家畜に対して有効と考えられた)とペストノミだけだったと結論できる。日本はこれらの病原体で満足していたわけではない。それは彼らはそれらに対する免疫を作るのはかなり容易であろう、と考えていたからである。

 細菌戦の野外実験では通常の戦術は、鉄道線路沿いの互いに一マイルほど離れた二地点にいる中国軍に対して、一大隊あるいはそれ以上をさし向けるというものだった。

 中国軍が後退すると、日本軍は鉄道線路一マイルを遮断し、予定の細菌戦用病原体を噴霧か他のなんらかの方法で散布し、ついで「戦略的後退」を行った。中国軍はその地域に二四時間以内に急拠戻ってきて、数日後には中国兵のあいだでペストあるいはコレラが流行するというものだった。

 いずれの場合も、日本はその結果の報告を受けるため汚染地域の背後にスパイを残そうとした。しかし彼らも認めているのだが、これはしばしば不成功に終わり、結果は不明であった。しかしー二回分については報告が得られており、このうち成果があがったのは三回だけだったといわれている。

 高度約二〇〇メートルの飛行機からペストノミを散布した二回の試験において特定の地域に流行が起きた。このうちのひとつでは、患者九六人がでて、そのうち九〇パーセントが死亡した

 鉄道沿いに手でペストノミを散布した他の三回の試験では、どの場合も小さな流行は起こったが、患者数は不明である。コレラを二回そして腸チフスを二回、鉄道の近くの地面および水源に主導噴霧器でまいたところ、いずれのばあいも効果があるという結果を得た。(P298)

(松村高夫編『<論争>731部隊』所収)


フェル・レポート

 筆者は、日本人が思いだせるだけ詳細に真実の話を我々に語ったと信じている。しかしながら、おそらくさまざまな報告を分析したのちに我々は回答可能な質問をすることができるだろう。

 我々が大規模生産という点でも、気象学の研究という点でも、実用的軍需生産という点でも、日本より十分優れていたことは明白である。(石井将軍は大規模生産のために固形培養基の使用を主張した。というのは、石井は毒性は液状培養基では保存されないと信じていたからである。)

 良好な気象学のデータの欠如と軍需生産の分野の貧弱な進言によって、陸軍のなかや、陸軍と科学者の間や、科学者自身のなかのさまざまな職種の間に意見の相違が絶えず存在した。平房の部隊は実際空軍や■■(判読不能)からなんの援助も受けていない。

 しかしながら人体実験のデータは、我々がそれを我々や連合国の動物実験のデータと関連させるならば、非常に価値があることがわかるだろう。病理学的研究と人間の病気についての他の情報は、炭疽、ペスト、馬鼻疽の真に効果的なワクチンを開発させるという試みにたいへん役立つかもしれない。

 今や我々は日本の細菌研究について完全に知ることができるので、化学戦、殺人光線、海軍の研究の分野におけるかれらの実際の成果についても有益な情報が得られる可能性は大きいようである。(P298-P299)

   ノバート・H・フェル
   PP-E(パイロット・プラント・エンジニアリング)部門主任

(以上は、フォート・デトリック・ファイル・ナンバー〇〇五を訳出したものである。)

(松村高夫編『<論争>731部隊』所収)



フェル第二レポート

常石敬一『消えた細菌戦部隊』(ちくま文庫)所収


 
フェル第二レポート


資料② フォート・デトリック・ファイル番号〇〇六

一九四七年六月二四日

参謀副長殿
G-Ⅱ 総司令部、極東軍
APO 五〇〇

経由:技術部長、キャンプ・デトリック
    司令官、キャンプ・デトリック(P273)

一。同封書類は化学戦部隊長に提出されたレポートであり、今日までに得られた情報の概要である。公式の技術的レポートの作成は、現在日本で蒐集中のこの他の情報がキャンプ・デトリックに到着してからでよいと思われる。

二。筆者あるいは他の専門家のいずれが八月あるいは九月に日本に行きその他の資料の蒐集にあたるかはまだ決定を見ていないが、誰かが派遣されることは確かである。それ故今後G-Ⅱの入手する情報は、追って指示があるまでそちらに留め置くよう求める。

三。マッカイル大佐が船積みしてくれた資料(顕微鏡用標本、顕微鏡写真、そして印刷物)は非常によい状態でアメリカに到着した。しかし共同尋問の日本語の速記録の写しがまだ到着していない。それらをキャンプ・デトリックに送ったのかあるいは参謀本部のG-Ⅱに送ったのかを連絡してくれると有難い。またマッカイル大佐が今回の調査について、G-Ⅱの考え方を反映したメモあるいは長い公式の報告を作成しているなら、こちらのファイルと比較したいので送ってもらえると助かる。

四。八木沢と穀物攻撃の研究をしていた植物生理学者H・ハマダに、彼のグループの研究の全貌について別途に報告書を作成させてもらいたい。それが入手できれば、すでに八木沢から得られている重要な情報のいくつかをさらに補強できると期待される。(P274-P275)

五。これまでに得られた情報はこちらにとって非常に有益であり、われわれの研究の発展にとって多大な価値を持つであろうことは確実である

六。同封の顕微鏡写真帳は調査のためにわれわれに提供されたものである。これらは現在(原文不明)のCICでこれ以外の顕微鏡写真を準備中の日本人に返す必要がある。

七。昨日の化学戦部隊長と陸軍省、国務省、それに司法省の代表者が出席した会議で、極東軍総司令官および化学戦部隊長の勧告、すなわち今回の調査で得られた情報は諜報チャンネルに留め置き、戦犯裁判の資料とはしないことが、非公式ながら受け入れられた。SWNCCの小委員会が六月二三日に開催され、まもなく貴下が望むような線にそった電報が打電されることだろう。

八。筆者は今回の調査における極東軍参謀総長の全面的協力、また同じく参謀副長、G-Ⅱ、G-Ⅲ、および最高司令官が示された好意および有益な忠告に対して再度感謝の念を表明したい。(P275)

ノーバート・H・フェル
PP-E部門主任
(PP-E:パイロット・プラント・エンジニアリング)

同封書類:
一。細菌戦調査レポートの写し
二。顕微鏡写真帳二冊

(注)〔常石による〕 「細菌戦調査レポートの写し」は次のような面接調査の記録である。ここで、亀井貫一郎とは、フェルが〇〇五のレポートでいう「有力な日本人政治家」のことである。亀井というのはもともとは外交官で、ニューヨークのコロンビア大学で博士号を取得している。一九二八年に衆議院議員に当選して、合計四回当選している。戦時中は大政翼賛会にも参加しているが、東条英機に反対して有罪判決(執行猶予つき)を受けた。戦後、公職追放となった。

四月二一日         亀井貫一郎、アラマキ・ヒロト
   二二日         増田知貞、亀井貫一郎
   二四日         亀井貫一郎、アラマキ・ヒロト
 ?日、?日および五月一日 増田知貞、金子順一、内藤良一
五月一日、二日および五日 菊池斉
   三日および五日     菊池斉
   七日          亀井貫一郎
   八日および九日   石井四郎(P276)
   一〇日         村上隆 太田澄 碇常重 (三人別々を意味する)
   二九日        若松有次郎(P277)

(常石敬一『消えた細菌戦部隊』(ちくま文庫)所収)


   

(2015.11.28)


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