十勝沖地震(昭和43年)

地震の概要

概況

1968年5月16日09時50分ごろ、青森県東部と北海道南西部を中心に震度Ⅴ以上の地震が襲い、同10時20分ごろから三陸沿岸を中心に津波が襲来した。

この地震による被害の特徴は、前日まで三陸沖に停滞した大型低気圧による大雨で地盤がゆるんでいた青森県下のシラス地帯で被害が大きく出たことのほか、築後日の浅い近代的鉄筋コンクリート構造物の破壊、石油ストーブ転倒による出火の多発、津波によるタンカーの損傷による重油の流出など、今後の大地震の際に発生が懸念される近代的震災の各種が展示され、防災対策に貴重な教訓を与えたことである。

しかし、幸いにして採暖期を過ぎ農耕期にはいろうとする時期の食事どきをはずれた昼間であったため、社会的には大きな混乱もおこらなかった。農業用施設の被害も多くのものは応急復旧により農耕に大きな支障もおこさず、また津波は干潮に向かったときであり、サケ・マス漁船のような大型漁船は出漁した後で、小型漁船は前記低気圧による大しけのため揚陸してあったものが多く、かきその他の養殖用のいかだの流失による被害は大きかったが、人命や船舶の損害はわずかで済んだ。

「気象庁技術報告 第68号 1968年十勝沖地震調査報告」より

図表

図1-01:1968年十勝沖地震における震度分布(気象庁地震課)
図1-01
参考文献:青森県大震災の記録(青森県)

図1-02:1968年十勝沖地震本震の震度分布
図1-02
参考文献:青森県大震災の記録(青森県)

図1-03:5月16日19時39分の余震の震度分布
図1-03
参考文献:青森県大震災の記録(青森県)

図1-04:6月12日22時42分の余震の震度分布
図1-04
参考文献:青森県大震災の記録(青森県)

図1-05:青森港におけるSMAC B2型 強震計(加速時計)の記録
8galより始動
図1-05
参考文献:青森県大震災の記録(青森県)

図1-06:本震による震度分布
図1-06
参考文献:青森県大震災の記録(青森県)

図1-07:青森地方気象台の一倍強震計が記録した震度5の軌跡
前ぶれがなく突然大きく針が動いた
図1-07
参考文献:青森県大震災の記録(青森県)

表1-01:本震による各地の震度
表1-01
参考文献:青森県大震災の記録(青森県)

震源

各地からの正式報告によって定めた5月16日の本震の震源は下記のとおりである。
本震の震源の深さは、地震記象が複雑でS相の験測が困難であったが、0kmと計算された。

図表
発 震 時
5月16日09時48分53.0±0.5秒
震央
E 143°35′±3′;N 40°41′±1′
深さ(H)
0km
規模(M)
7.9

なお、震央は気象庁の情報などに用いる海域図(1967年8月)によると三陸沖と命名すべきであるが、緊急験測により判定した震央が上記より北へ約50km片寄っていて十勝沖と命名すべき海域にあり、各方面からの要望もあって早急に地震の名称を決める必要に迫られたので、1968年十勝沖地震と名づけたものである。

余震

5月以降のこの地方に発生した地震の震央分布で注目に値することは、その時間的推移で、本震および余震のうちの規模の大きい地震の震央を結ぶ線のほぼ西側の地域で、ブロック的に移動しているように見られる。
なお、6月12日の地震(M=7.2)およびそれを本震とするようにその周辺でおこった地震を5月16日の余震とみなすことには異論があるかもしれないが、5月16日以後にこの方面で続発した地震の震央域の面積は約50,000平方kmで、宇津・関の余震域と地震規模との関係から期待される値内にあり、従来余震と呼ばれていた概念から逸脱しないこと本震の直後5月17日の地震(M=6.7,6.1)とこの震源域が近接することから、この三陸沖一帯の地震活動の一つという意味で余震と呼ぶこととした。

「気象庁技術報告 第68号 1968年十勝沖地震調査報告」より

図表

図1-08:1968年十勝沖地震の余震分布図
図1-08
参考文献:青森県大震災の記録(青森県)

津波

津波の最大振幅は大槌湾における5.7mが最大で、1960年のチリ地震のときより大きかったところもあるが、一般にはたいした大きさではなかった。
しかし、過去のこの地方の津波に比べて大きな特徴は、特に北部において翌日になっても波動が認められ、港によっては漁船が出港するのを見合わせるほどで、その波動現象が長期にわたったことである。

「気象庁技術報告 第68号 1968年十勝沖地震調査報告」より

図表

図1-09:1968年十勝沖地震による津波の最大波高(推算潮位を基準とした最高潮位)
(気象庁地震課提供)
図1-09
参考文献:青森県大震災の記録(青森県)

図1-10:今回の津波の高さの分布 (○八戸港工事事務所測定,●大学関係測定)
図1-10
参考文献:青森県大震災の記録(青森県)

写1-01:津波にあらわれる館鼻漁港の岸壁
写1-01
参考文献:強震・青森県を襲う!!(東奥日報社)

被害
陸上

この地震による震災が青森県で多発した原因の一つは、県東部のシラス地帯に前日までの3日間に100mm以上の大雨が降り、地盤が軟弱になっていたため、山くずれというより地すべり形式の緩傾斜の崩壊が多かったようである。
このため、斜面崩落による耕地埋没のほか、むつ市で農業用の貯水池1、ため池1が決壊、十和田市で農業用導水路破壊などにより農作業に影響を与えた。

木造家屋の倒壊も八戸市などで発生したが、地盤などとの関係は従来からいわれていた条件を変えるものではなかった。
近代的な鉄筋コンクリート建築物が各地で被害を受け、特に公共建築物が修復不能なまでに破壊されて、世人の驚きを呼んだ。その原因については建築工学関係方面で検討が続けられているが、現段階ではコンクリート強度の不足にあるといわれている。
その他、壁・へい・ガラス窓の崩壊、水道管の破壊、埋立地の陥没など、当然発生すべき震災が各地で多発したが、これらが震度Ⅴ程度(所によってはそれ以下)でも多発したことは注目に値する。

火災も各地で発生したが、幸いにして大事に至らなかった。発火点密度がごく小さく、敏速に消火しえたからである。ただ、その発火原因の多くが採暖用ストーブの転倒にあること、および北海道では家庭の集合煙筒の崩壊の多かったことは、今後の寒候期における地震時の火災発生件数が従来より著しく増加する可能性を示している。

沿岸

津波は引潮時に最大波高となったところが多く、八戸市から釜石市にかけてと、浦河・函館など北海道沿岸の海岸では浸水したところがあったが、陸上には特別な被害は生じなかった。
しかし、被害がすくなくてすんだ原因の一つとして、チリ津波の経験により三陸沿岸の各港に設けられた防潮堤や高地への住宅の移転なども、防災に対する投資効果の例として特記されるべきであろう。

海上においては冒頭に述べたように船舶の被害が少なくて済んだが、在港中の船舶も敏速に避難して被災をまぬがれたものが多く、平常の津波防災訓練の効果を具現している。

以上のように、引潮時に最大波高という幸運もあったが、それ以上に1960年のチリ地震の経験により、この地方の人々が津波防災に積極的な努力をしたことによる効果は高く評価されるべきである。

「気象庁技術報告 第68号 1968年十勝沖地震調査報告」より

地盤
概況

図1-11は、この地震によって地盤及び土質構造物に生じた被害の分布と、震害地域付近の火山岩屑地帯及び沖積地帯を示したものである。この地震による被害の特徴として、次のようなことがあげられる。

  • 地盤及び土質構造物の被害は、八戸市・十和田市・三沢市・三戸郡・上北郡の火山岩屑地帯及び沖積地に広く分布しているが、それらの地域においても特に顕著な被害は集中して発生している。
  • 尻内-五戸間に集中して発生した山くずれは、地震前の連続降雨(図1-12及び表1-2参照)によって含水量が多くなった火山灰土が、地震動によって流動状に崩壊したものである。
  • 道路・鉄道及びアースダムなどの土質構造物の破壊は、ほとんど地盤の状態に起因したものが多い。すなわち旧河川敷や沢の上に築造された盛土が、降雨によって軟弱化された地盤の破壊に伴って崩壊したものが多い。
  • この地震によって発生した山くずれ及び盛土崩壊によって生じた人的被害は青森県内死亡者の48人の内、山くずれによる死者26人、盛土崩壊による死者6人となっており、死亡者の過半数が山くずれ及び盛土崩壊に起因している。
山くずれ
  • 山くずれ地域の地質概況と山くずれの分布

今回の地震による山くずれの発生は、地形と地質の発達状況と密接に関連している。すなわち、この地域の地質は、新第三系鮮新統と第四系更新統及び完新統からなり、これらは表1-3のように区分されているが、山くずれの分布地域は、それらのうちの天狗岱段丘の分布範囲に限定される。

天狗岱段丘は、標高50~100m以上の範囲にわたって分布する最古期の段丘で、面の傾斜がゆるやかでありまた平地面も残っているが、全般的にはかなり面の開析が進み、起伏に富んでいる。稜面と開析谷底との比高は最大50m程度で、斜面の傾斜はほとんど20゜~30゜の範囲である。天狗岱段丘は、野辺地層を基盤にした更新世火山噴出物を主体として構成されている。

野辺地層の上位には、天狗岱砂層と呼ばれる厚さ10m程度の砂層が不整合に重なっているといわれ、またこの上位には、それぞれ不整合に高館火山灰層及び八戸火山灰層が重なり、それらはともにほぼ地形面に平行して分布している。

山くずれのすべり面は、ほとんど地表から2m余りの部分に位置し、その勾配も、地表面に平行している。このすべり面は、ウルム期後期( B.C.13000±)における十和田火山の噴火によって堆積した八戸火山灰層のうち、特に粘土化した部分である。

「青森県大震災の記録」より

図表

図1-11:1968年十勝沖地震による青森県内の被害分布図
図1-11
参考文献:青森県大震災の記録(青森県)

図1-12:等雨量線図
図1-12
参考文献:青森県大震災の記録(青森県)

表1-02:日雨量表
表1-02
参考文献:青森県大震災の記録(青森県)

表1-03:八戸付近第四紀層
表1-03
参考文献:青森県大震災の記録(青森県)

被害の概要

今回の地震被害の著しかった地域は、人口密度の低い地方であったにもかかわらず50人の死亡者と多数の負傷者を出しているが、死亡者は数人を除いて青森県内において生じたものである。しかも、それらの大部分は、山くずれによって埋没したり、流動化して崩壊する盛土のなかに落ちこんだりしたためのもの、すなわち、いわゆる地盤被害による死亡者である。このような被害の顕著なものは、青森県の東南部、すなわち、青森県八戸市・十和田市・三沢市・三戸郡及び上北郡(三八上北地方と通称する)に集中して発生している。

「青森県大震災の記録」より

図表

図1-13:十勝沖地震被害分布図
図1-13
参考文献:青森県大震災の記録(青森県)

表1-04:被害総額 470億3,956万4,000円(昭和43年7月1日現在)
表1-04
参考文献:青森県大震災の記録(青森県)

表1-05:海岸別被害状況
表1-05
参考文献:青森県大震災の記録(青森県)

表1-06:河川別被害状況
表1-06
参考文献:青森県大震災の記録(青森県)

表1-07:主要港湾構造物被害概要
表1-07
参考文献:青森県大震災の記録(青森県)

表1-08:農林関係被害状況一覧表
表1-08
参考文献:青森県大震災の記録(青森県)

表1-09:漁船被害状況
表1-09
参考文献:青森県大震災の記録(青森県)

表1-10:水産物被害
表1-10
参考文献:青森県大震災の記録(青森県)

表1-11:市町村別商業関係被害状況
表1-11
参考文献:青森県大震災の記録(青森県)

表1-12:市町村別工業関係被害状況
表1-12
参考文献:青森県大震災の記録(青森県)

表1-13:医療機関被害状況
表1-13
参考文献:青森県大震災の記録(青森県)

表1-14:学校関係被害状況
表1-14
参考文献:青森県大震災の記録(青森県)

表1-15:社会教育関係被害状況
表1-15
参考文献:青森県大震災の記録(青森県)

表1-16:社会体育関係被害状況
表1-16
参考文献:青森県大震災の記録(青森県)

表1-17:文化財関係被害状況
表1-17
参考文献:青森県大震災の記録(青森県)

表1-18:給食関係被害状況
表1-18
参考文献:青森県大震災の記録(青森県)

表1-19:公立学校被害状況一覧
表1-19
参考文献:青森県大震災の記録(青森県)

写1-02:むつ市早掛沼市民公園で堤防兼市道が長さ百五十メートルにわたり決壊した(後略)
写1-02
参考文献:青森県大震災の記録(青森県)

写1-03:無気味な地割れ
写1-03
参考文献:強震・青森県を襲う!!(東奥日報社)

写1-04:地割れした田んぼと堤防・道路(八戸市~十和田間で朝日新聞社機から撮影)
写1-04
参考文献:青森県大震災の記録(青森県)

人的被害

死亡原因

死傷者数719人を数え、その内訳は、死者46人、行方不明2人(のち、遺体となって発見された)重傷者121人、軽傷者550人となっている。過去の著名な大震災の死傷者数に比較すると少ないが十勝沖地震に限ってみた場合は、本県と同じないしは本県より大きな震度を記録した北海道など一部地域よりはるかに多くの犠牲者を出している。これは、尻内から五戸に至る山間部で地すべり、山くずれが各地におこり、多くの犠牲者が出たためである。

地すべり、山くずれによる死亡者数は、死亡者全体のうち33人にも及んでいることは、これを物語っている。死傷者は、おもに八戸市を中心に十和田市・三沢市及び上北郡に発生し、全体の91%を占め、659人にも達している。県東部地域が他の地域に比較し、もろい地盤のうえに強い地震に襲われたことを示している。田んぼや畑で農業作業中土砂くずれにあい、一瞬にして土砂のなかに消えた農民、自宅前で洗濯中、土砂くずれで流された家屋の下敷きにとなり死んだ婦人。山菜とりにいって土砂くずれにあい、行くえ不明となり、懸命の救出に当たったが、遺体となって発見された老婆。また、三戸郡名川町剣吉中学校の生徒が一瞬襲った地震から逃れるため、避難中、学校裏のがけくずれにあい、生き埋めとなり、4人(2年生3人、3年生1人)の生命が奪われたことなどがあった。このように土砂くずれにあい、あるいは土砂くずれで流された家屋の下敷きとなり、死亡した者が多い。青森市においては、はるばる東京から実妹の結婚式で里帰り中の母子3人が避難のため、戸外に飛び出した瞬間倒壊した古いレンガべいの下敷きとなり、生後間もない幼児と折り重なって死んだ事故もあった。このほか、避難中コンクリート天井が落下して即死した八戸市女子職員、酸素吸入中停電し、死亡した入院患者、地震のショックにより死亡した会社員、眼の治療に行き病院からの帰り堤防決壊にあい遺体となって発見された老婆など地震による災難の状況はまことに悲惨なものがあった。

負傷原因

負傷者は、前記の重傷者、軽傷者あわせて1,269人に及んでいるが、これらの負傷者は、避難の際誤って負傷した者、くずれ落ちた天井や壁などを身体に受けて裂傷を負った者、飛散したガラスの破片で傷を受けた者、火災により負傷した者、災害応急対策に従事中負傷した者等々である。また、神奈川県から建設機械2台を携え、労力奉仕にきていた作業員が農道の復旧作業中負傷するという事故もあった。しかし、地震の発生が日中であったこと、地震による火災件数が29件に達したが大事に至らなかったこと、さらには津波の最強時がちょうど干潮であったことなどは不幸中の幸いであった。このようなことがなかったならば、惨害はさらに増大し、死亡者はもとより負傷者も著しくふえていたであろう。     「青森県大震災の記録」より

図表

表1-20:負傷原因別人員
表1-20
参考文献:青森県大震災の記録(青森県)

表1-21:十勝沖地震市町村別死傷者数
表1-21
参考文献:青森県大震災の記録(青森県)

建物被害

今回の地震による被害はほぼ県下全域にわたって被害が発生しているが、地域によりいろいろ様相が異なっている。おもに県南地方とむつ下北地方の建物が大きな被害を出している。被害は、6市38町村に及び、住家の被害は54,265棟、非住家の被害は3,663棟、被害金額は実に75億7,922万円に達している。これらの被災人員は70,957世帯313,111人にのぼっている。
被害は、地震により倒壊したもの、半壊したもの、一部破損したもの及び床上・床下浸水したものなどであるが、このほか、商店や一般住家などにおいてガラスや戸あるいは塀などに破損を受けたものは、数え切れないほどあった。県南の八戸市では、市庁舎などの高層建築物をはじめ、商店街の建物が軒並みにこわされ、八戸市周辺市町村においても、学校や庁舎などの鉄筋コンクリート造りの建物の被害が大きく、五戸地方では、家屋の倒壊がひどかった。十和田市及び三沢市では、新築間もない商業高校が中央から真二つに折れた無残な姿をさらすなど鉄筋コンクリート造りの建物の被害もあったが、むしろ一般家屋倒壊などの被害が多かった。

一方、むつ・下北地方においても、むつ市役所の三階がくずれ落ち、庁舎が一部傾いたのをはじめ住家の倒壊、床上・床下浸水などの被害が続出した。
青森県は地震による被害は今まで少なく、一部に津波による被害があり、太平洋岸に大きかった。それだけに地震に対する不安心感、恐怖感それに対する対策は、他県に比べ非常に乏しいものがあった。また、被害地域は13日から3日間、120mmの近来にない大雨が降り、さらにこの地方の地質は洪積層の火山灰でそのうえに軽鬆土「黒ボク」と呼ばれる軽石を含んだ黒土があり、この土に雨水がしみこんで飽和状態になった時点に地震がきて一段と振動がはげしいものとなったとおもわれる。

「青森県大震災の記録」より

図表

図1-14:1968年十勝沖地震による家屋倒壊率
図1-14
参考文献:青森県大震災の記録(青森県)

表1-22:市町村別家屋被害状況(1/4)
表1-22
参考文献:青森県大震災の記録(青森県)

表1-23:市町村別家屋被害状況(2/4)
表1-23
参考文献:青森県大震災の記録(青森県)

表1-24:市町村別家屋被害状況(3/4)
表1-24
参考文献:青森県大震災の記録(青森県)

表1-25:市町村別家屋被害状況(4/4)
表1-25
参考文献:青森県大震災の記録(青森県)

写1-05:つぶれた家の前で、余震におののきながら、不安の一夜を過ごした五戸町志戸岸の住民
写1-05
参考文献:強震・青森県を襲う!!(東奥日報社)

写1-06:三階がガックリ  むつ市役所の三階向かって左側がくずれ落ち、天井も窓ワクもメチャメチャになった
写1-06
参考文献:強震・青森県を襲う!!(東奥日報社)

写1-07:昭和42年12月増築完成したばかりの鉄筋コンクリート3階建ても支柱が折れて1階がつぶれ校舎は二つに折れたかたちとなった(県立三沢商業高校)
写1-07
参考文献:青森県大震災の記録(青森県)

ライフライン関連被害

電力関係

東北電力青森支店管内における電力関係施設の被害は、写1-8に示すとおり3億61,000円以上に及んだが、その大半は太平洋岸の十和田市・八戸市及びその周辺に集中した。

八戸火力発電所は地盤土質にみあった基礎工事が施工されていたので、建物をはじめ主要機器類にはほとんど異常がなかった。構内の建物周辺では10~13cmの地盤沈下と噴砂現象が随所に発生した。高圧架空送電線の木柱倒壊・断線・変電所構内の地盤沈下・浸水・主要機器の傾斜破損などの被害をうけた。

配電線についても、電柱の倒壊・折損、及び傾斜、柱上変圧器の焼損・落下・配電線・引込線の混断線など、八戸・十和田地域には集中的に被害が発生した。

各施設ごとの被害の概要は

  • 水力発電所
    十和田発電所は放水路の水位上昇によって水車室の水車メタル3台が冠水、潤滑油に混水したほか、配管・照明設備が冠水して運転不能となった。
    そのほか、蔦無人発電所と同十和田発電所間遠隔制御ケーブルが落石によって断線、支持柱の傾壊があって蔦発電所も運転が不能になった。上松沢・嘉瀬子内・矢別などの各発電所の水路工作物・建築物・電気設備に被害をうけた。
  • 変電所
    剣吉変電所は構内の鉄構基礎6基が傾斜したのをはじめ、66KV用遮断機の基礎2台の傾斜、1,000KVA主変圧器基礎が約10cmの沈下など、同構内の建築物・電気設備に大きな被害を与えた。そのほか、吹上・野辺地・古間木など管内11か所の変電所に被害があった。
  • 送電線路
    架空電線路の被害線路数47線路、地中電線路は2線路にのぼり、地中線を含めて25線路が八戸・十和田地区及びその周辺の送電線に被害が集中した。そのおもな被害は、鉄塔敷地の沈下が142か所、鉄塔部材の湾曲5鉄塔で、基礎地盤の変動によるものが多い。八戸変電所と小中野変電所間の地中線は、八戸変電所側ケーブル立上り部の絶縁継手部より漏油があった。
  • 配電線路
    配電線でも八戸・十和田地区に大きな被害が発生した。被害の様態は激震による直接的なものが原因とみることができる。激震によって水田地帯、埋めたて地帯では重量物の傾斜、陥没があり、特にコンクリート柱の配電線にその被害が大きい。
    八戸・十和田地区及びその周辺における被害は県下被災配電設備の80%以上を占め、そのおもなものでは木柱の折損・倒壊・傾斜・減失などを合わせて5,120本、電線の断混線が9,358か所、変圧器の焼損落下などが2,562台に及んだ。
  • 通信線路
    通信ケーブルは配電線に添加しているものが多かったため、支持物の傾斜・陥没によって断線被害が各所に発生した。
    なお、基幹線である仙台・八戸・青森相互間、秋田経由仙台間のマイクロ回線は地震の影響をうけることなく確保された。

「青森県大震災の記録」より

図表

写1-08:柱上で倒れた変圧器
写1-08
参考文献:青森県大震災の記録(青森県)

写1-09:傾斜したコンクリート電柱
写1-09
参考文献:青森県大震災の記録(青森県)

表1-26:営業所別配電線被害状況
表1-26
参考文献:青森県大震災の記録(青森県)

電信・電信・電話施設

通信施設は、本州と北海道を結ぶマイクロルートの主要中継所である甲地統制無線中継所が甚大な被害を受けたのをはじめ、青森-八戸-盛岡間の同軸ケーブルが道路の決壊などにより約20km13か所にわたり損傷を受けるなど、広範にわたった。
そのため、北海道・本州間の通信が二時間近く途絶するとともに、孤立局が八局に及ぶなど最悪の事態であった。その概要は次のとおりである。

甲地統制無線中継所

地震発生とともに商業電源は停電し、同時に5台の三EG(無停電電源装置)が始動した。しかし、激震のためエンジンベッドより約30cmずり落ち、傾斜して電源の付属装置が倒壊され、エンジンは傾斜したまま異常震動を続けながら回転した。冷却水パイプが切断し、切損した排気管から室内へ放出された高熱ガスのため、軽油への引火爆発の危険が感じられた。さらに、真空管冷却用送風管の折損のため、無線機の進行波管が危険となったので、9時58分、運転不能の旨を東京・仙台・札幌に連絡し、エンジンを停止した。

線路関係
  • 市外ケーブル関係
    国道四号線が各地で寸断され、国道地下埋没の同軸ケーブルは青森-八戸-盛岡間で約20km13か所、市外ケーブル区間約1.5km 1か所で障害となった。
  • 市内線路・宅内関係
    市内線路は19局所において架空ケーブル損傷259km、電柱折傷・傾斜1,252本、支線ゆるみ・折損・管路折傷・マンホール損傷などの被害を生じた。また、宅内については、1,617件の障害を生じ、一般加入電話。赤電話・ピンク電話が置台から落下して、その被害も多大であった。以上による加入者障害は、5,184加入に達したが、これらの復旧は20日に完了した。
  • 電力関係
    災害に伴い、停電とともに蓄電池・エンジンなどの二次電源が被災し、甲地・近川両無線中継所をはじめ八戸・三沢・野辺地・十和田報話局及び七百・伝法寺短搬中間中継所などの電源障害を生じた。

「青森県大震災の記録」より

図表

表1-27:通信孤立局名調
表1-27
参考文献:青森県大震災の記録(青森県)

表1-28:一般市外ケーブル被害状況
表1-28
参考文献:青森県大震災の記録(青森県)

表1-29:内線・宅内設備被害状況
表1-29
参考文献:青森県大震災の記録(青森県)

水道施設

上水道・簡易水道とも、取水設備の損壊、導配水管の折損・離脱、浄水施設等の被害が多く、上水道については青森市・八戸市・むつ市をはじめ13施設、簡易水道は東北町をはじめ20施設がそれぞれ被害を受け、其の被害額は6億7,449万9,000円にも達した。
さらに、この施設被害と地震後の停電という事態も加わり、各施設とも断水あるいは減水を余儀なくされた。
「青森県大震災の記録」より

図表

表1-30:上水道施設関係被害状況(単位 千円)
表1-30
参考文献:青森県大震災の記録(青森県)

表1-31:簡易水道施設関係被害状況(単位 千円)
表1-31
参考文献:青森県大震災の記録(青森県)

ガス施設
都市ガスの被害

県内ガス施設に対して大きな被害を与えたが、特に打撃の大きかったのは八戸市内にガス供給を行なっている八戸ガス株式会社と十和田市内にガス供給を行なっている十和田ガス株式会社であった。そのほか青森市内の青森ガス株式会社も多少の被害が発生した。しかし、3社ともにガス製造設備に大きい被害はなく、そのほとんどが導管亀裂によるものが多く3社の直接被害は八戸ガス3,500万円、十和田ガス1,200万円、青森ガス400万円にとどまった。
地震発生と同時に、八戸・十和田・青森の3市は導管亀裂により市内各所にガス漏れが発生し、八戸ガス、十和田ガスは全市に対し、青森ガスは市内一部地域のガス供給を停止した。八戸ガスはガスホルダー2,000立方m基盤不等沈下、ガスホルダー出口配管(250mm)3か所、ナフサタンク基礎沈下、同配管一部破損、導管85か所が破損した。十和田ガスはガスホルダーの地盤沈下及びホルダーサポートの破損、アルガスミキサー故障のためガス供給を全面停止した。青森ガスは導管のき裂50か所を生じた。

「青森県大震災の記録」より

交通関係被害

日本国有鉄道の被害
鉄道関係

国鉄の被害は県東部、南部地区に大きな損害をもたらし、各地に路盤陥没・橋梁沈下・線路浸水・道床流失などによる不通箇所が続出した。なかでも地盤軟弱な東北本線尻内野辺地間及び大湊-大畑線の被害は、壊滅的で目をおおうばかりの惨状を呈した。被害の大部分は築堤で、橋梁などの構造物の被害は地震の規模の割合には少ないのが今回の災害の特徴である。地盤軟弱箇所においては、切り取り区間と切り取り区間の間の沢になっている箇所の築堤は、ほとんど被害をうけていた。特に東北の大動脈である東北本線尻内・野辺地間約50kmにおける被害は列車を11日間もストップさせた。地震発生時、盛岡以北の東北本線上には86本の列車が運転されていた。このうち駅に停車中の列車が31本、駅間運転中のものが55本あったが、停車中のものについては、管理局の列車指令により、ただちに緊急停止の手配をとり、また、運転中のものは、ほとんどの列車が機関士の感知によって停車した。東北本線を除く県内各線においても、同様の措置をした。しかし、尻内-陸奥市川間を走行中の貨物列車は、停止する前のわずかの間に5両脱線転覆し、剣吉・尻内の両駅構内では停車中の貨車8両、蒸気機関車4両、デーゼルカー3両が脱線し、大畑線では田名部-川代間で貨物列車が脱線転覆などの被害をうけた。特記すべきことは、東北本線盛岡-青森間204.7kmは昭和43年10月1日複線電化全通をめざし、施工中であった。このうち、42年度まで完成したのは11区間80.3km(39.2%)で、43年度は実に27区間124.4kmの長い延長を7月25日まで複線化する予定であった。このため、線増の軌道敷設や軌道強化、数多くの切替工事にすべてを投じて努力していたのである。この被害は、精神的にも関係者に大きな痛手を与えた。このほか、青森駅では桟橋待合室が沈下傾倒し床が落下したため、連絡船が一時欠航した。幸いにも旅客の死傷者が皆無であった。また、各旅客列車の事故はなかった。

電気関係施設の被害については、各線区において電力柱の傾斜、倒壊と支線の断線、灯具の破損などがあり、信号施設・通信施設については信号機の倒壊、ケーブル線に多大の損傷があった。

被害額は、約48億円となり、連絡船設備を加えるとさらにその被害額が増加している。東北本線尻内-野辺地間に著しい異常な災害を引き起した原因としては、

  • 地震前に多量の降雨があったこと
  • 盛土基盤が泥炭層の軟弱地盤上であったこと
  • 盛土材料が粘着力の低い砂質土であったこと
  • 高盛土であったこと
  • 新設または施工中の盛土が多かったこと

などで、悪条件が重なっていたことがあげられる。

青函連絡船設備

地震により航送設備は、青森側・函館側に大きな被害をもたらした。特に被害の大きかった岸壁本体は、函館第2岸壁で、建物では青森・函館側のそれぞれの第2岸壁の船客待合所及び桟橋通路である。青森側は船客待合所が大きく破壊して使用不能となったが、通路部分はかろうじて使用できる状態であるので、旅客の船への連絡は応急策により確保した。この待合所の建物構造は、鉄筋コンクリート造部分と、古レール造り部分とからなり、この異なった構造物の間に古レール造りの単純板が渡してあった。これらの構造物の柱に下等沈下、及び傾斜き裂が発生し、さらに結合所の柱の床面の一部となっているこの単純床板が地平の線路上に落下して被害を倍加した。人的被害については地震発生時刻が5便出帆直後であったうえ、旅客の閑散時間でもあったため、旅客の被害は皆無であった。

「青森県大震災の記録」より

図表

表1-32:十勝沖地震による国鉄被害の概要(1/2)
表1-32
参考文献:青森県大震災の記録(青森県)

表1-33:十勝沖地震による国鉄被害の概要(2/2)
表1-33
参考文献:青森県大震災の記録(青森県)

写1-10:惨たんたる東北本線
写1-10
参考文献:強震・青森県を襲う!!(東奥日報社)

写1-11:大畑線川代駅付近の被害
写1-11
参考文献:青森県大震災の記録(青森県)

写1-12:青森桟橋待合所の被害 時計は地震発生時でストップしている
写1-12
参考文献:青森県大震災の記録(青森県)

図1-15:青森岸壁被害状況
図1-15
参考文献:青森県大震災の記録(青森県)

図1-16:青森県国有鉄道被害状況
図1-16
参考文献:青森県大震災の記録(青森県)

東北支社青森出張所調べ  ( )は最大被害箇所

地方鉄道

国鉄を除く地方鉄道関係では、上北郡・三戸郡・十和田市及び八戸市地方の諸施設に被害をみたが、五戸町-尻内間を結ぶ南部鉄道(株)経営の地方鉄道は、延長12.3kmの全線にわたり路盤の沈下・き裂・決壊・流出などが49か所、停車場・待合室・倉庫などの損壊が14か所、ホームの損壊2か所、電柱の倒壊30本、傾斜80本で、壊滅的な被害を受け、2億円に近い損害となった。上北郡七戸町を起点とする南部縦貫鉄道(株)は、延長15.4kmのうち路盤の沈下・き裂・決壊35か所、駅舎などを含む建物の損壊10か所、ホームの損壊4か所で、約3,500万円の損害を受けた。また、十和田観光電鉄(株)の経営する三沢市と十和田市を結ぶ地方鉄道15.1km路盤の沈下、き裂・決壊などが19か所、三本木駅舎を含む待合所などの損壊が15か所、電柱の半数以上が倒壊・傾斜し、変電所施設にも被害を受け、全線が不通となった。

「青森県大震災の記録」より

バス被害

定期バス路線は、地震後南部地域一帯の道路の路盤陥没・沈下・き裂・橋梁の決壊などにより、十和田観光電鉄(株)・南部鉄道(株)・下北バス(株)・三八五交通(株)・八戸市交通部の総免許キロ数1,889kmのうち797.8kmが運行不能となった。特に、国道4号・45号線・県道9号線は十数か所にわたり決壊し、また、他の県道・村町村道においても至るところで決壊があった。交通は途絶状態になり、運行休止による被害額は約1,500円という甚大な損害を受けた。
また、貸切バスにあっては道路が決壊し、その後も断続的な地震が続いたため、予約取消し等続き旅客の需要は1か月間まったく皆無状態となった。7月中旬にようやく平常の状態となった。しかし、その間の被害額は約6,000万円と推定された。
諸施設でも最も激しい被害を受けたのは十和田観光電鉄(株)で、本社社屋、従業員寮が半壊し、整備工場の施設も被害を受けた。また、八戸市交通部は車庫、南部鉄道(株)は整備工場が大きな損害を受けた。

「青森県大震災の記録」より

その他の被害等

地震・津波の情報・警報等の発令状況
発令日時分

内容

  • 16日10時15分
    地震津波情報第1号発表。津波に対する警戒を促す。
  • 10時15分
    津波警報「ヨンクツナミオソレ」を発表、ただちに各所へ通報。
  • 10時25分
    地震津波第2号発表。再度津波に対する警戒を呼びかけた。
  • 10時35分
    地震津波第3号発表。10時19分、八戸港に津波第1波(ヒキ)がきたことを知らせ警報を強める。
  • 11時00分
    地震津波情報第4号発表。八戸港の津波の高さ10時40分
    180cmとなり、今後も第3波、第4波が来襲するので厳重警告。
  • 11時10分
    地震津波情報第5号発表。震源地・震度などを主対とした情報。
  • 11時40分
    地震津波情報第6号発表。函舘海洋気象台の函舘塔の津波に関する通報にもとづき、むつ湾内では大したことのない旨の情報を出す。
  • 11時50分
    地震津波情報第7号発表。八戸港の潮位通報より分析して、12時30分ごろ第3波としてやや大きなものが予想されるので警戒情報を出す。
  • 13時50分
    地震津波情報第8号発表。今後の予想についての情報。
  • 17時10分
    地震津波情報第9号発表。20時ころの満潮時を考慮した津波警報を出す。
  • 19時51分
    19時39分発生した余震に対し「ヨンクヨワイツナミ」の警報入電、ただちに各所へ通報
  • 20時20分
    地震津波情報第10号発表。余震の状況と津波の今後の予想について情報を発表。
  • 22時00分
    地震津波情報第11号発表。余震に伴う今後の津波予想に関する情報。
  • 22時00分
    津波警報解除の旨各所へ通報。
  • 17日8時25分
    8時5分の余震に対し「ヨンクツナミナシ」の津波警報が出され、ただちに各所へ通報。

「青森県大震災の記録」より

新聞記事等

ヘラルド トリビューン(パリ版)
1968年5月17日(金曜日)
死亡37、行方不明10
北日本に地震

〔東京5月16日発=ロイター〕今夜の報道によれば、北日本の大地震のため、多くの住家と建築物が倒壊し、津波が一部沿岸都市を襲って、死者37名を出した。
この地震は、今朝本州の北部海岸と北海道をゆさぶったもので、この15年来「名だたる地震国」を襲った最悪のものである。
今夜遅く、警察当局の語ったところによれば、死者37名に加えて、行方不明10名、負傷者217名である。一方、被災地の救助作業は目下、続けられている。
損害は広範囲にわたっており、約1,150の住家、建築物が損壊又は倒壊した。道路面には大きなき裂が走り、交通・通信は分断されている。
本震
本震は7.8と記録され、同夜遅くまでに、3回の余震と数回の津波を伴った。1923年東京において10万有余の人命を奪った関東大震災は7.9であった。
今夜、津波警報が本州の北部沿岸の大部分と北海道の東部海岸に発せられた。
沿岸都市の一部では、1,000戸以上の住家が太平洋から押し寄せた津波の被害を受けている。中には、波高6フィートを越す津波も観測された。
地震による送電線及び発電所の機能マヒのため、今夜相当の地域が停電している。
最も被害の大きかったのは、本州最先端に近い青森である。死者28名、被害家屋は地震により発生した火災も含めて約120戸である。
他の都市では
青森地域の八戸市と三沢市の被害も大きかった。又、北海道の沿岸都市苫小牧市・函館市も大きな被害をこうむった。
三沢市内では多数の火災発生をみたが、水道管の破裂で水の供給も断たれた。
北部本州の大部分と北海道では、列車運行は、地くずれ、レールの被害のため杜絶しており道路運送も分断されている。
海上輸送のうけた被害も広範囲なものと報ぜられている。少くとも50隻の小船舶が沈没したものとみられる。
青森市東方40マイルの三沢市にある米軍基地では、コントロールタワーを含む飛行場施設と基地内住宅に被害をこうむった。
本日の地震は1953年3月以来、最強のものであった。このときは、やはり震源地は北海道南方沖でM8.3、28の人命を奪い、約300名の負傷者を出している。

「青森県大震災の記録」より

図表

図1-19:ヘラルドトリビューン(パリ版)    (1/3)
図1-19
参考文献:青森県大震災の記録(青森県)

図1-20:ヘラルドトリビューン(パリ版)    (2/3)
図1-20
参考文献:青森県大震災の記録(青森県)

図1-21:ヘラルドトリビューン(パリ版)    (3/3)
図1-21
参考文献:青森県大震災の記録(青森県)

ザ・ナショナル オブザーバー
1968年5月20日(月曜日)
強震 日本列島を襲う
死者50名 10,000名が家を失なう

東京の新しい摩天樓の31階にいた秘書は「まるで、ゆれているボートに乗っているみたいでした」と語った。日本の北端、北海道では、バスを並んで待っていた人々が地面にはいつくばった。本州先端の青森では、煙突がゆり倒され、屋根が落ち、地面にはき裂が生じた。
この度の地震は、日本本土600マイルの範囲をゆり動かし、死者約50名、家を失った者10,000名にのぼった。地震は都市ガスと水道管を瞬断し、列車を脱線させ、沿岸地方を波高6フィートの津波が襲った。
青森の三沢米軍基地では、将兵と家族29名が軽傷を負った。基地のコントロールタワー及びその他の建物の被害は1千万ドルと推定される。なお航空機の被害はなかった。
震源地は、北海道襟藻岬の93マイル沖、太平洋海底下25マイルの地点であった。地震は最大時にはM7.8を記録したが、これは1953年以来、日本を襲った最強のものであった。

「青森県大震災の記録」より

図表

図1-22:ザ・ナショナル オブザーバー
図1-22
参考文献:青森県大震災の記録(青森県)

その他図表

図1-17:東奥日報(昭和43年5月16日 夕刊)
図1-17
参考文献:強震・青森県を襲う!!(東奥日報社)

図1-18:東奥日報(昭和43年5月17日)
図1-18
参考文献:強震・青森県を襲う!!(東奥日報社)