自分が所属する同人誌に書いた小説の最新作が、ある読み手にネット上の掲示板で酷評された。「最悪手」という表現まで使われて。鈍感な自分でも、結構凹んだ。
アマチュアの小説に対して、貴重な時間を使って読んでくれたことは有り難いが、相手が見て気を悪くする言葉をわざわざ選ばなくても、と正直思った。
「最悪手」以外の言葉の選択は本当になかったのだろうか。批評してくれた人物は、電子版とはいえ自作品を販売しているので、プロ作家だ。
プロ作家であれば、自分よりも言葉にはシビアなはずなので、他の同人の批評よりも余計に応える。
作品は私小説風なものなのだが、その主人公の人間性まで否定されている気がして、しばらく小説を書くことを控えようかと考えているほどだ。自分の心の有様の問題が消えるまでは。
ただ、自分ではその問題が全く認識できていないので、再び小説を書く気が起きる日はやってくるのだろうか。
自分の問題を客観視するのは難しい。自分の心の闇を自分で認識することは、非常に困難だからだ。
もし、他人とのコミュニケーションを取るために障害になるほどの心の闇が自分にあるのならば、その原因のひとつひとつを見つけていくしかない。
今日は、月に一度の診療内科の診察日。ついでにある場所まで足を運んだ。その場所とは自分が通っていた予備校の跡地だ。
結局、予備校には通ったが結果を出すことができなかった。長い間、そのことが自分のコンプレックスとなっていたが、既に克服したと考えていたのだが。
あえて、自分の古傷の状態を確認したくなったのかもしれない。
自分たち団塊ジュニア世代が受験生だったころは隆盛だった予備校業界も、今では斜陽の業界のひとつ。
数年前から、学び舎があった場所には他の建物に変わっているのは知っていたが、あえてその場所を自分の目で見て、写真にも収めた。
一緒に遊んだ友人の中には、パチンコとスロットをまだ嗜んでいる人物もいるが、自分はすっかり足が遠のいている。予備校業界同様にパチンコ業界もかつての勢いは失われている。
ひょっとしたら、車というもの自体が無くなっているかもしれないと考えるのは、飛躍しすぎだろうか。
車の駐車という概念自体が変わっている可能性は充分にあるような気がするが、果たしてどうなっているだろう?