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爆破されたネゴンボの聖セバスチャン教会Photo: Chamila Karunarathne/Anadolu Agency/Getty Images

爆破されたネゴンボの聖セバスチャン教会
Photo: Chamila Karunarathne/Anadolu Agency/Getty Images

ワシントン・ポスト(米国)

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Text by Emily Tamkin

シンハラ人とタミル人の対立


4月7日、スリランカで300人近い死者を出した連続爆破事件は、10年前にこの国で内戦が終結して以来、最悪のテロ攻撃となった。

今回の爆破は、内戦時の暴力とは違う性格のものだ。スリランカ内戦は主に民族対立であったのに対し、今回は宗教対立が要因だと思われる。

内戦の火種がまかれたのは植民地時代にさかのぼる。スリランカの民族構成は多数派のシンハラ人と少数派のタミル人に大別できる。当時の宗主国イギリスは紅茶プランテーションの労働力として、南インドからさらなるタミル人をスリランカに呼び寄せ、彼らを優遇していた。この政策に多数派のシンハラ人は不満を募らせていた。

1948年の独立でイギリスの統治から解放されると、シンハラ人はタミル人のプランテーション労働者の権利を剥奪。シンハラ語を国の公用語にして、仏教を実質的な国教とした(シンハラ人の大多数は仏教徒で、タミル人の大多数はヒンドゥー教徒)。

多くの血が流れた内戦


こうした流れのなかで、1970年代半ば、タミル人の独立を目的とした武装組織「タミル・イーラム解放のトラ(LTTE)」が結成された。1983年にLTTEが政府軍の兵士13人を殺害すると、シンハラ人が暴動を起こし、最大3000人のタミル人が犠牲になった。この「黒い7月」と呼ばれる反タミル暴動を機に、スリランカの民族紛争は拡大していく。

1993年にはプレマダーサ大統領が暗殺され、犯行声明は出されなかったがLTTEの犯行とされている。LTTE は2001年にはスリランカ最大都市コロンボの空港を襲撃し、空軍機や民間機を爆破した。

2002年、ノルウェーの仲介でスリランカ政府とLTTEは停戦に合意したが、以降も交戦は続いた。

2009年5月、スリランカ政府はLTTEの支配地域をすべて制圧したと発表し、内戦の終結を宣言した。

「タミル・イーラム解放のトラ(LTTE)」の最高指導者だったベルピライ・プラバカラン議長(1994年11月撮影)。政府軍はプラバカランの殺害とともに内戦の終結を宣言した
(Photo by Robert Nickelsberg/Getty Images)


こうして数十年に及んだ内戦の背景にあったのは民族主義であり、そこに宗教対立の要素はほとんどなかった。たしかにタミル人の大半がヒンドゥー教徒で、シンハラ人の大半が仏教徒ではある。だが双方に少数ながらキリスト教徒が存在するし、LTTEの一部もキリスト教徒だった。

仏教ナショナリズムの台頭


内戦終結を宣言したとき、当時のラジャパクサ大統領はこう述べた。

「わが国は自分たちの力で、この紛争の傷を癒やす方法を見つけなくてはならない。それは、すべてのコミュニティが受け入れられる方法であるべきだ。私たちは、仏教の哲学に基づく解決策を見つけなくてはならない」

以降の10年間、今回の連続爆破テロが起きるまで、スリランカはおおむね平和だったといえる。しかし、その裏では仏教徒の過激思想が台頭し、近年はそうした仏教ナショナリズムによる暴力も起きていた。

関連記事:ロヒンギャ迫害の扇動者「仏教のビンラディン」を操る“黒幕”の正体

2013年には仏教徒の暴徒がモスク(イスラム礼拝所)を攻撃し、12人が負傷した。キリスト教の日曜礼拝が仏僧に邪魔されたり、キリスト教徒が脅迫されたりする事件も頻発している。

4月21日、復活祭の日曜日にキリスト教会を狙った今回の攻撃も、宗教対立に根差した暴力のように思える。

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