ヒトラーを利用していたのはイエズス会である事は以前から書かせて頂いていますが
この開示されたCIAの公文書から
アドルフ・ヒトラーは1945年にアルゼンチンに逃亡後、
1950年代後半において快適に暮らしていたことが確認できます。
ラルフ・スェンマンが書いた『残忍なイスラエル』は、
エリートのユダヤ人たちが、むしろナチスと協力してユダヤ人虐殺を公認していた
と主張しました。
これはエマニュエル・ラビノヴィッチの演説(1952年の1月12日)やアフロ・マンハッタンの著書などからも理解できます。
(一部抜粋)1952年の1月12日にハンガリーのブダペストで開かれた、
欧州ラビ緊急会議にてエマニュエル・ラビノヴィッチの演説
「第二次世界大戦で、
我が同胞の一部をあえてヒットラーの悪党どもに生贄として捧げざるを得なかった。
あの辛い日々を我々は再び繰り返さねばならぬかもしれない。
なぜなら、やがて我々は和平を命令した後に、
アメリカとロシアの指導者を戦争犯罪人として、裁判にかけ処刑することになるが、
その時、我々が法的に正当であることを証明する
十分な記録と証拠を残すためである。
私は、
諸君がそうした義務を果たすための覚悟をいささかも必要としないと確信する。
なぜなら、生贄は常にわが民族の合言葉だったのであり、
世界の主導権と引き換えに数千人のユダヤ人を犠牲にすることは、
むしろささやかな代償に過ぎないからである。
ホロコーストを通して得ようとする政治的な目的があったのではないでしょうか?
明らかなのは
ホロコーストを通してシオニズム運動が触発されたということです。
ヒトラーの陰でナチスの糸を引いていたのがイエズス会でした。
彼が行った数々の残虐行為は、イエズス会の基本計画である と専門家は述べています。
ドイツの新しいローマ・カトリックのスターが準備されつつあった。
彼の名前は…アドルフ・ヒトラーである。
司祭は「我が闘争」と呼ばれる本の執筆に忙しくしていた。
イエズス会の神父で(略)、この本は
ヒトラーがドイツを乗っ取るための、イエズス会の基本計画であった。
(「The GODFATHERS」より)
「バチカンは、ヒトラーの手助けをして権力を握らせ、それからさらに、ドイツでの支配力を強化する手助けをした。」
(アフロ・マンハッタン著「バチカンとモスクワとワシントンの同盟」42ページ)。
詳しくは 「助け合い主義」 第五章をご覧ください。