喜納昌吉&チャンプルーズOFFICIAL WEB

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講演:地球のプリミティブ(根源的な姿)を取り戻し輝く惑星へ

最近の発言から (7)

地球1
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こんにちは。
きのうも、みなさんとごいっしょしました(1月12日に全国各地のチュチェ思想研究者を招いて催された喜納昌吉&チャンプルーズ・ライブコンサートのこと)。
本来、チャンプルーズは、ドラム、シンセサイザー、ギター、そして、わたしのオリジナルな三味線(三線)、コーラスで構成されています。昨日はドラムの方が休まれて、ギターがPA(音響)にまわってしまって、十分な演奏とパフォーマンスをお見せすることができませんでした。しかし思いをこめた話と演奏ができたのではないかと思っています。
わたしは三日前までシンガポールに行っていて、きのう沖縄に戻ったばかりです。
わたしは北朝鮮(朝鮮民主主義人民共和国)には二度、韓国には八度行っています。
きのうはいろんなことを思いだしながら、もう一度みなさんとお会いしたいと、心にどこか踊る思いをもちながら、ライブコンサートをおこないました。
きょうは、きのう話せなかったこともお話できればよいのかと思っています。宜しくお願いいたします。

人の心から心へ伝わった「ハイサイおじさん」と「花」

 わたしは、もともとミュージシャンです。しかし、ミュージシャンという肩書きは、ふさわしくないのではないかと思っています。
わたしは音楽家の家族のなかで生まれました。目がさめるといつも母親に抱かれて宴会場のなかにいました。わたしの父がつねに宴会の中心にいて、三味線をもって歌っていたからです。目がさめると、かならずみんなが踊っていたという子どもの時の記憶が残っています。
 お母さんはわたしを孕んでいるときも、お父さんといっしょでしたから、わたしは胎教としても音楽の世界にずっといたことになります。喜びの渦のなかにいて生まれてきたのがわたしです。わたしの家族は、つねに音楽の渦のなかにあったのです。
わたしの最初の作品である「ハイサイおじさん」は、いまでも甲子園でおこなわれる高校野球で沖縄の出場校の応援ソングとして使われています。わたしは、沖縄の高校野球を応援しているので、ひじょうに喜んでいます。「ハイサイおじさん」は13歳のときの作品ですから、すでに51年たっています。わたしは64歳ですが、半世紀をこえてもまだ現役です。
「花」は17歳のときの作品です。世にでるのは27,8歳のころです。「花」はアジアのほとんどの国を席巻し、地球上に渦巻いています。
この二つの曲に共通するのは、マスコミを通じてヒットしたのではないということです。ハートからハートへ、人の心から心へ伝わっていきました。マスメディアの力で押し込んでいくというヒットの仕方は、一瞬にして広がりますが、一瞬にして消えてしまいます。わたしよりもわたしの作品のほうが成長して世界中を旅しているのが現状です。
 
軍人がダンスをする国

北朝鮮に関する日本の報道をみると悪いものしかありません。日米同盟があり、共産主義諸国にたいする歴史的な怨念の問題もあって、やむをえないのかと思いながらも、その隙間から一条の光を見ることができます。
北朝鮮は先軍政治をおこなっていると言われます。ところが、いつも不思議なことには、公の軍事イベントのときに全軍人が手をとってダンスをしているのです。軍人がダンスをする国は世界中どこをみてもありません。軍人がダンスを踊るのをみると北朝鮮はマスメディアに映された姿だけでは理解できないという気がします。
自衛隊もふくめすべての軍隊が世界の平和を守るために存在するというならば、合同軍事演習をするよりも、互いに手を取り合って踊りを踊る交流をするべきだと思います。北朝鮮の軍隊のように踊りをとりいれ、アメリカも中国も世界中の軍隊が踊ればよいのです。戦争のない社会がよいのに決まっていますから。
マスメディアのプロパガンダは、北朝鮮は独裁国家であるとか、日本の天皇制とかわらず指導者がひとつの家系を引き継いでいるとか、いろんなものが錯綜しています。錯綜する情報のなかで、よい情報はあまり聞こえてきません。拉致問題にたいしても同じです。報道による情報操作がおこなわれ、人びとに屈折した視点を与えているのではないかと思える節があります。北朝鮮は、いろいろネガティブな面を集めた情報だけでは理解できません。
軍人が軽快に踊るのを見ると、北朝鮮は豊かな文化をもっていると感じます。朝鮮の歴史には、古朝鮮、扶余、高句麗、新羅、百済、伽耶、任那などいろいろな時代があったのですが、それぞれの時代にわたって文化が豊かでした。こんなに文化が豊かな民族ならば、アイデンティティは相当深いものをもっているといえるでしょう。そのような国が北と南に分断されているのはなぜでしょうか。民族のアイデンティティが二分されているのです。TVドラマで見るコリア民族は男性も女性も大変美しく、わたしは、美しい人々が何故このような不幸な歴史を背負わなければならないのかといつも心に思っています。この狭間にある38度線とはいったい何なのでしょうか。その断層の中には日本による日韓併合や、東西の戦略的駆け引きの中で分断され様々な不幸が産み出されてきた歴史があることは、みなさんもご存じだと思います。テレビやドラマの歴史で見るコリア民族の深さを見たときに、たしかに38度線という不幸を背負わされているが、もしかするとこの民族には何か役割があるのではないかと思うときがあります。そこからどういう形で流れをつくり、一条の光を見い出すという思いがでてくるのです。

武器を捨てた歴史をもつ平和な島

沖縄は19世紀初め、イギリス海軍の提督であったバジル・ホールによって、東洋には「武器を持たない国」「戦争をしない国」があると紹介され、フランスのナポレオンを驚かした逸話があります。事実、沖縄にはかつて完璧ではないにしても、武器を清算するという構図が一度はあったのです。
アメリカにもまったく同じことをした人たちがいました。イロコイ連邦の人たちです。イロコイ連邦は、ネイティブであるインディアンの六つの部族(シックス・ネイションズ)からなる部族連邦国家です。その部族とは、モホーク族、オナイダ族、オノンダーガ族、カユーガ族、セネカ族、タスカローラ族です。イロコイ連邦は、アメリカ北東部ニューヨーク州のカナダ国境に接するオンタリオ湖南岸に位置しています。
もともと彼らは北アメリカ大陸をタートル・アイランド(亀の島)と呼んでいました。
かつてこれらの部族は争っていましたが、ピースメーカーという人があらわれて平和な世界をつくろうと100年かかって和合させました。これまで争っていたそれぞれの部族の酋長が松の大木の根元にすべての武器を埋め二度と使わないと誓いました。その木を「大いなる平和の木」と呼んで、戦いによって流された血と涙と怨念とを地下水に全部流して平和を実現しました。そこから「大いなる平和の法」が生まれ、アメリカ建国の理念になり、時を経て日本の平和憲法や国際法の精神にも影響を与えたと言われます。
彼らはロングハウスという小屋で同盟部族会議をおこないます。独自にパスポートを発行し、FBIも簡単に踏み込めないアメリカの中の独立国です。1794年アメリカのジョージ・ワシントン大統領とのあいだで平和友好条約(カナンデーグア条約)を締結し、それがいまも持続しています。
GHQのマッカーサーが持ってきた日本の平和憲法は、アテネ、ギリシャの民主主義からきたといわれますが、実は、そこに付加価値を与えたのがイロコイ連邦の教えだったのです。平和憲法は、基本的にイロコイ連邦の考え方が反映されていると言われています。民主政治は当然ですが、女性の権利回復運動も、もともとはイロコイ連邦からアメリカがとり入れたものです。アメリカのエコロジー運動など新しい概念は、ほとんどイロコイ連邦から吸収しています。アメリカが独立したときの13・州という概念も、シックス・ネイションズの概念から来ています。アメリカは多くのことがネイティブの教えにもとづいてできあがったのに、実際はそれが広く知られていません。
イロコイ連邦と沖縄が共通するのは、どちらも武器を放棄した歴史をもっているということです。
1998年、わたしは白船計画~White Ship of Peace~を行いました。1849年、ペリーの黒船来航は日本に文明開化をもたらしましたが、一方で砲艦外交により無理矢理開国させられたというトラウマを残しました。白船計画はこの傷を癒すため、武力の恫喝によるのではなく、歌と踊りと祭りによってアメリカに平和開花を求めようという、いわば歴史のパロディーです。それはインディアンの居留地を結んでアメリカ大陸をバスで横断する40日間の旅となりました。先住民の魂を訪ねるその旅の中で沖縄とイロコイの交流が実現します。イロコイ連邦は自らの伝統的な外交儀礼にのっとって、沖縄からの白船訪問団を独立した一国の使節として公式に迎え入れ、イロコイの歴史に記録しました。ここに沖縄とイロコイ連邦は武器を放棄した歴史を持つもの同士としての輝く友好の条約を交わし、「大いなる平和の法」を世界に広めてゆくことを誓い合ったのです。
わたしは武器を放棄した歴史を持つこの沖縄から「核兵器」「化学兵器」「生物兵器」をなくしていく運動をおこすべきだと考え、訴えてきました。一番難しいのは中国とアメリカ、あるいはインド、ロシア、EUです。大国になると所有する兵器を削減したり、なくしたりすることが簡単にはできない構図があるので、日本人と朝鮮民族がしっかり手を結び、兵器をなくす流れをつくれないかと思い始めているのです。協力してアメリカやその他の大国の目覚めを促してゆけば、世界が目覚めることにつながるでしょう。
北朝鮮が先軍政治をかかげながらも、軍隊が踊っている姿を見たとき、先軍政治の本質は戦争することにはないのだと思いました。私は、踊る軍隊を持つ北朝鮮が先頭に立ち、この沖縄で6カ国協議を主催して、シックス・ネイションズ6カ国連邦のひそみに倣い人類から武器をなくす潮流を起こして欲しいと思っています。
どこの国も軍隊はもたなくてもよいのです。中国もアメリカも北朝鮮も韓国も台湾もEU(欧州連合)も全世界が武器を捨て、いっしょに手をとって踊ったほうがよいのです。

日本をとりまく北東アジアの環境を見たとき、北朝鮮とは拉致問題があり、韓国とは竹島(独島)問題があり、ロシアとは北方諸島問題があり、中国、台湾とは尖閣諸島(釣魚島)問題があります。この四つの問題をどのように解決すればよいのでしょうか。この問題にたいして無意識であるならば、わたしたちはあの未曾有の第二次世界大戦の数十倍、数百倍の被害をまねかざるをえないでしょう。
わたしは民主党の参議院議員を6年務めました。この間に民主党は政権交代を成し遂げましたが、党内抗争にあけくれ、国民に愛想をつかされ政権を譲ることになりました。代わって昨年12月、第2次安倍政権が生まれました。
同じ年、北朝鮮では金正恩体制が新しく成立し、台湾では馬英九大統領再選、ロシアではプーチンが大統領に、アメリカではオバマ大統領再選、中国では習近平氏が中国共産党総書記に、韓国では朴槿恵氏が大統領になり、再選、そして新しいリーダーが立て続けに生まれ、スーパーイヤーと言われました。
6カ国協議の国のリーダーが代わる期間に、日本では小泉首相の後、7人の首相がめまぐるしく誕生しては交代してゆきました。チュチェ思想を学ぶみなさんが、日本にいて、日本のことを考えるならば、このポイントをどうみるかということが、重要なテーマとなります。わたしはそれについて深くお話させてもらいたいと思っています。ぜひ聞いてください。

国益、人類益、すべての生命の益は整合性をもつ

古(いにしえ)からつづく東洋の文明と、西洋文明との融合を体現しているこの日本が、国連を代表するマジョリティーとネイティブを代表するマイノリティーを結び循環させることが出来れば、全く新しい文明をもたらし人類の未来の扉を開けることになります。日本人のDNAを解析したところ、アイヌ民族は北方の縄文系であり、沖縄も縄文系が強いということ、日本人は縄文系と中国から朝鮮半島を通して流れてきた弥生系のミックスであることが証明されました。縄文と弥生が出会うためには我々は縄文の世界に深く深く旅をしなければなりません。それはネイティブのスピリットへの旅です。
いまわたしたちが健康な地球、輝く惑星ということを考えたときに、縄文系の文化が大事だといえます。直観的にいえば、縄文はなつかしさを育んでいます。これは日本の縄文、ネイティブであるアイヌ民族や沖縄の人たちだけにいえるのではありません。世界のネイティブの心、スピリットのなかを覗いてみると、森には獣がたくさん息づき、空には鳥が燦然と輝いて飛んでいる、海には魚たちが弾けるように泳ぐ。まさに生命が豊かな記憶が残っているのです。
しかし文明人の心には自然の記憶が薄れ、デカダンスが支配しています。我々が食する生き物に対しても感謝と畏怖の念が消え、豚はポーク、鳥はチキン、牛はビーフであり、生き物、命としてみていないのです。ネイティブの心のなかには、豚は豚として、牛は牛として、鳥は鳥として輝いて生きているのです。このなつかしい記憶をとりもどすことができるか否かによって、まったく新しい文明ができるか否かが決まるのです。
2011年3月11日、大震災と津波それに続く原発の爆発という未曾有の大災害に見舞われた日本は、どのようにしてそこから立ち直るかを試されています。それはかつてなかった天災と人災の複合災害であり、畏怖感をもって地球からのメッセージとして受け取らなければなりません。まさに日本は文明の十字架にかけられているとも言えるでしょう。日本の国が復活するためには、地球丸ごとに目覚めなければなりません。けして亡くなった3万人近くの人々の魂だけではなく海川山空に住む生き物、樹々の命も供養する心が大事です。
その答えは、国益と人類益とに整合性を持たせ、他の生命にも慈悲をもち、地球と共に生きるルネサンスである、グローバル・ビジョンを確立することです。
鳥や魚や獣たちといっしょに生きているという新しい概念革命、緑に包まれた新しい文明観をもつことができないうちは日本は復活できません。
日本がそこに目覚めれば、38度線の、そしてアジアの歴史にポジティブに向き合うことができます。
日本人は拉致問題で北朝鮮にたいして怨念の涙を流したことがあります。拉致問題で流した日本人の涙とは何なのでしょうか?
わたしが韓国に行ってアリランを歌うと、韓国の人は涙を流します。北朝鮮で歌ったときにも、北朝鮮の人は涙を流しました。北朝鮮の人々が流す涙と韓国の人々が流す涙は同じ涙に感じられました。北でも南でも同じように38度線がこの涙を流させているのです。では、日本人が拉致問題で流した涙はどうでしょうか。やはり38度線がなかったら拉致問題もなかったでしょう。
日本人が流した涙も、韓国の人々が流した涙も、北朝鮮の人々が流した涙も、同じ38度線という根に問題があるのです。同根の涙をもつなら、二度と忌まわしい歴史が刻まれないように、この三者が協力して38度線をなくすことにとりかかればよいのではないでしょうか。それにたいして沖縄からは何ができるのかを考え、きょう沖縄の地でお話しています。

主体をうち立ててこそ外との関係を結べる

わたしはきょう、ある友人と会って話をしてきました。彼は、「沖縄中が大和(日本人)に買われようとしている。国際通りも表は全部買われてしまって、沖縄の人たちはみんなすみに追いやられ始めている」「喜納さん、ほとんど沖縄の看板をかけて、一括交付金も後ろでは全部、日本人が食っているじゃないか」と不満を言っていました。
実際、その通りです。それならば、「あなた、日本人をやめたら」とわたしが言うと、みんな躊躇するんです。ほんとうに沖縄のアイデンティティを示すなら、日本人をやめなさいと言いたい。アイデンティティ、主体という問題を考えると、自己改革がまず出来なければなりません。自己改革できないものが、なぜ外側にたいして改革ができるでしょうか。沖縄でもこれがいま問われているのです。
わたしは日本人は嫌いではないですよ。わたしが沖縄人になったときに、あなたも日本人になりなさい、と言うことができます。日本人と沖縄人はりっぱに手を結ぶことができます。これはけっして相反する問題ではありません。朝鮮人がしっかり朝鮮人になったときに、日本人と出会えるようになるのです。さらに突き詰めると、私は日本人でもなく沖縄人でもなく地球人であると宣言したい。
今私たちがめざめるべき点は文明が戦争文明という癌に冒されているという事です。資本主義であろうが共産主義であろうが同じ病に冒されている
かつて南北に分断されたベトナムでは共産主義が勝利しました。東西に分断されたドイツでは資本主義が勝利しました。わたしは、38度線は資本主義が勝利するのでも共産主義が勝利するのでもなく、朝鮮民族が勝利してほしい。なぜかと言うと、朝鮮民族の伝統芸能、文化オリジナリティはネイティブの心を理解し、人類をつつめるものであるという確信をえているからです。
韓国では日本語の歌を歌ってはいけないと言われていた1993年に、大田(テジョン)万博に招待をうけました。1週間後に松崎しげるが日本語で歌う許可をもらって公演をおこなう同じステージで歌うことになったのです。ところが「花」と「ハイサイおじさん」は歌ってはいけないと言われました。日本語だとされたからです。心のなかでは、この二つの歌を歌ったほうが韓国の人たちは喜ぶのになあと思いながら、また沖縄の言葉は日本語ではないのにと思いました。
ステージに立って、“いいや”と思い、「花」も「ハイサイおじさん」も歌ったら、聴衆は喜んで、みんないっしょに踊ったのです。すると日本語の歌を歌ってはいけないと言った人が「約束を破っている」と壇上に上がってきて、「やめなさい」と言うのです。それでもわたしはやめないで、強引にその人の手をとり踊らせたのです。
演奏が終わって楽屋に戻ると、その人がやって来て、「あなたは約束を破って「花」を歌ったでしょう」と言われました。わたしは、「いやあ、テンションがあがって興奮すると日本語を使ったのか、沖縄の言葉を使ったのか、英語を使ったのか、わからなくなるんですよね」と言いました。もちろん、それは言い訳だったのです。その人は公安関係の人だったと思いますが、「喜納さん、終わったことはいいんです。わたしは基本的にはあなたのようなタイプは好きです。気にしないでください」と言っていました。あのときのことは忘れられず、いまでも鮮明に覚えています。
北朝鮮を訪問したときには、向こうで用意したスケジュールどおりに演奏してほしいと言われました。わたしは、それでは北朝鮮の人は喜ばないと言いました。喜んでもらうために来たのだから、わたしが考えたスケジュールは譲れないと言って押し問答になりましたが、最後に許してくれました。公演では、みんなが踊って喜んでくれました。
板門店に行ったとき38度線上にある建物にはいってテーブルをはさみ、いつか韓国と北朝鮮が一つになればいいという願いをこめて、沖縄から行ったメンバーが北朝鮮側と韓国側に半分ずつに分かれて握手するセレモニーをおこないました。わたしたちを案内した人たちと講師の人たちが驚いていました。
帰国する前に懇親会があり、飲みながら話をしていると、案内の人が急に泣きだして、「喜納さん、北朝鮮に来て友好の言葉を述べるだけでなく、統一のことを言ってくれてありがとう」と言ってわたしの手を握ってきました。真の友好の感触が手のなかにぬくもりとしていまも残っています。
わたしはアリランを歌いつづけて南北朝鮮が一つになることを願っています。わたしはアリランのなかに、“あなたを奪ったあの人は、歳は38、まだ消えぬ”という歌詞をつけ加えて歌うようになりました。いま沖縄の地に立ちながら38度線のことを考えているところです。

        地球を破壊する文明から、輝く惑星にする文明へ

日本はいま隣国との関係では、拉致問題、北方諸島の問題、竹島の問題、尖閣諸島の問題があります。またTPP(環太平洋経済連携協定)、APEC(アジア太平洋経済協力)、ASEAN(東南アジア諸国連合)の問題を考えたときに、アメリカ一国が主導する環太平洋ではなく東アジア、東南アジア、環太平洋の国々全体が主導し納得するシステムをつくっていくという構図ができるのではないかと思います。
国境の問題は、西洋文明が強引に地球をきりきざんだところから始まっています。その歴史は浅く、1648年、カトリックとプロテスタントが争った30年戦争により疲弊した領土を守ろうとしたヨーロッパ諸侯により結ばれた初の国際条約、ウェストファーレン条約が近代主権国家と国境の始まりといわれます。地球の“プリミティブ(根源的な姿)”に傷をつけ、それを斬りきざむ勝手なルールがキリスト教圏の諸国の合意によってこのとき作られたのです。そこにはキリスト教圏ではお互いの領土を尊重するが、キリスト教圏外の世界においては力のある国が好きに国境を引いて良いという潜在的傲慢さがみられます。
宇宙飛行士の言葉にも在るように、この地球を宇宙から見たとき、どこにも国境などありません。鳥や魚、雲や風、それらは自由に飛び泳ぎ、目的さえ持たず流れ吹いています。生命の本質とは分断なきものであり、人工物である情報や電波さえも国境にとらわれることはありません。皮肉にも進化の頂点に立つ人間だけが国境に閉じこめられ、地球規模の問題を産み、互いに憎しみあい、他の生命を道連れにする争いをしています。この地球に線を引きそのプリミティブを傷つけた誤りを正し、国境と人と人との心のボーダーを無くしたとき、人類は一つであり、そして他の生命も“共に生きる”輝く惑星地球は一つであるという一体感に包まれ、慈愛に目覚めるでしょう。
ネイティブの世界観では大地は地球のものであって、それを切り刻んで一国の領土とするような考えはありません。ネイティブに知恵を借りて、尖閣諸島は地球のものという視点に立てば、国同士が領有権を主張しあう現状とは別の答えが見えてきます。竹島も北方四島も同様です。もっともっと地球規模、人類規模の概念をもって、東アジアに忍びよる危機を逆転していくという発想をすべきではないかと思っています。
もし尖閣諸島、竹島、北方四島の問題を含めて、欧米を中心とする軍産複合体の思惑で火がつけられるようなことがあるならば、北東アジアの不幸になるだけではなく、第三次世界大戦の火種となって人類全体の不幸につながるでしょう。ある哲学者に、第三次世界大戦は起こりますかと問われたアインシュタインは、しばらく沈黙した後「わたしは第三次世界大戦が起こるかどうかはわからない。けれども第四次世界大戦は決して起こらないと断言できる」と言われたという。その意味するところは、もし第三次世界大戦が起こればそれは核戦争であり、人類は滅亡すると言うことを示唆しています。
人類はすでに地球を10回以上破壊する核を所有し、2500回以上人類を絶滅させる化学兵器をもち、10万回以上人類をほろぼすことのできる生物兵器をもっていると言います。このように愚かなことを人類はなぜしているのでしょうか。なおかつ100万人以上の学者が破壊兵器の開発、製造に従事していると言われています。かれらが宇宙工学や医療に専念すれば人類の未来におおいに貢献できるはずです。これこそが文明の無意識、科学の愚かさを物語っています。
いま地球は人口70億を抱えています。地球白書によれば、人類がいまのような消費をしていくと地球が3個あっても足りないと言われています。戦争だけでなく、われわれのライフスタイルそのものが人類の滅びの道にもつながっているのです。人類の未来の扉を開くためには、わたしたちは、この地球を破壊する文明から覚醒して、地球を輝く惑星にもっていくという意識に目覚める時に来ています。

言論の自由の扉を開けるのは勇気

北朝鮮ではチュチェ主体について科学的に研究されていると聞きます。チュチェを研究する人々、教育と知性をもった人々が、しっかりと取り組めば世界の問題を解決できると思います。民族のアイデンティティと人類のアイデンティティとに整合性をもたせ、人類のアイデンティティと地球の生態のアイデンティティとを直結させることができれば、いま人類が直面しているさまざまな危機を好機にきりかえて、破壊から創造にむけた流れをつくれるのではないかという思いをもっています。ぜひ、みなさんといっしょに沖縄から、この流れをつくっていきたいと思います。
民主党が政権をとったときは、日本が沖縄を侵略してからちょうど400年という節目でした。わたしにとっては、歴史的政権交代といわれたこの歴史のなかに、沖縄の歴史が含まれているかがテーマでした。そしてそのリトマス紙となるのが基地問題でした。
しかし、沖縄の声は届かず、棄民政策はまだつづいています。もう一度沖縄の歴史を総括しながら、自分に立ち返ることは、けっして日本人と距離をもつものではなく、朝鮮民族と距離をもつものでもなく、中国や台湾と距離をもつものでもなく、アメリカと距離をもつものでもありません。自分に立ち返ることは、世界と出会うことであるといえます。
いま日本では尖閣諸島をはさんで対中国感情が非常に悪化していますが、わたしは中国をもっと信頼してよいと思います。どうして日本人は中国のことを悪く言うのでしょうか。共産主義一党独裁が悪いという言い方をしますが、そうせざるを得ない状況に追いこんだのは欧米諸国です。北朝鮮と韓国を2つの世界に分断したのも、台湾情勢も、中東・アフリカの国境問題、南米の抱える問題にもほとんど欧米の歴史がかかわっており、いずれも戦争文明が残した傷跡であるといえます。そこに世界は目覚めなければなりません。今アジアの精神は欧米文明を総括し、人類の和合を目指す新しい文明への概念革命を提唱していかなければなりません。
自信をもってこの400年の歴史を総括し、いまだにひきずる日米への二重植民地的構造から早く脱却して、わたしたち沖縄は、世界のマジョリティー、マイノリティー双方に向かってはっきり意見を言い、対話をしていくことが重要だと思っています。言論の自由はけっして法律のなかにあるのではありません。それはみずからの魂のなかにあります。言論の自由の扉を開ける鍵は“勇気”なのです。法律はそれを保障するためのものにすぎません。
勇気をもって新しい言論革命をおこして行く時をわたしたちは迎えています。
どうも今日はありがとうございました。
(2013年1月13日、那覇市、自主・平和のためのチュチェ思想全国セミナーにおける講演)


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