2017年春から開始されたけやき坂46の単独全国ツアーは、夏の間の中断を挟んで、9月の北海道公演から再びスタートすることになった。しかしそのライブ直前、けやき坂46の唯一のオリジナルメンバーである長濱ねるがグループを離れ、欅坂46の専任になることが告げられた。

残された11人のメンバーは、不安と喪失感を抱えながら、ライブのリハーサルに加えドラマ『Re:Mind』の撮影を行なっていた。そんなつらい時期の彼女たちを支えたのが、"ハッピーオーラ"という言葉だった。

ライブ前日にはメンバーと長濱ねるだけで話し合いを行ない、12人の絆を確認する。そして北海道のファンからも温かく迎えられたことで、メンバーたちは再び前に進む力と自信を得たのだった。

■ハードルが高い密室の中の会話劇

2017年10月期の深夜ドラマとして放送された、けやき坂46の初主演ドラマ『Re:Mind』。これより前に、欅坂46の2本目の主演ドラマ『残酷な観客達』に全員で出演したことはあったものの、そのときは最終話のラスト5分だけというゲスト扱いの出演だった。そのため、実質的にはこの『Re:Mind』がけやき坂46メンバーにとって初の本格的なドラマ出演作であり、また初めての演技の仕事となった。

実はこのドラマ出演の話を最初に告げられたとき、素直に喜べないメンバーも多かった。新しいジャンルの仕事に漠然とした不安を抱いていた佐々木久美は、「私にはお芝居はできないんじゃないかな。"よし頑張ろう"っていう気持ちよりも、"大丈夫かな"っていうほうが大きい」と感じていた。

また、欅坂46の出演作のメイキング映像を見て、演技がうまくいかずに泣いていた先輩たちの姿が強く印象に残っていた高本彩花は、「私たちもお芝居をしたらああなっちゃうのかな。お芝居ってすごく怖いんだ」と怯えてさえいた。

事実、演技未経験の彼女たちにとってこの『Re:Mind』というドラマはかなりハードルが高い作品だった。

けやき坂46のプロデューサーでもある秋元 康原案のストーリーは、次のようなものだった。ある日、見も知らぬ部屋に閉じ込められた11人の少女たちが、失踪した同級生にまつわる記憶をたどりながら、誰がなんの目的で自分たちを監禁しているのかを探っていく――。

ドラマの形式としては完全なる密室の会話劇になるので、セリフ、リアクションといった基本的な演技力だけで映像をもたせなければいけない。加えて、ほとんどのシーンが彼女たちメンバーだけで進行することから、経験値の高い共演者の芝居に頼るということもできなかった。

そんな難しい仕事に臨むメンバーたちのために、ドラマ撮影に先立ってワークショップが行なわれた。指導を主に担当したのは、刑事ドラマやサスペンスで実績を残している演出家の内片 輝。プロの役者向けのワークショップも多く行なっており、育成には定評があったが、今回は全員が未経験者だったために複数回にわたって指導が行なわれることになった。

まず内片からワークショップの概要が説明される。

「これからやることで、お芝居ってこういうことなんだよっていう基本的なことを覚えてもらいます。それは今回のドラマだけじゃなくて、舞台にも、もちろん歌とかMVでちょっとしたお芝居をやるときにも使える。基礎のステップのようなものです」

ここでメンバーたちと相対した内片が抱いた印象は、「想像してたより素人っぽい子たちやなぁ」というものだった。

新人俳優であっても、芸能人であれば自分をよく見せようと強がる者も多いし、常に人前に立っているアイドルならそれなりにプライドもあるだろうと想像していた。しかし、けやき坂46のメンバーは最初から謙虚で、控えめな態度だっただけでなく、不安と緊張感でいっぱいなことさえも手に取るようにわかった。

だが、初日のワークショップ中に明らかに空気が変わった瞬間があった。ふたりひと組でペアになって、ひとりが「辞めないで」と言い、相手は「辞めたくない」と返す。ただこれだけのやりとりを何度も重ねるというレッスンに取り組んだときのことだった。

試しに、佐々木美玲と影山優佳が前に立って芝居をやってみる。美玲が「辞めないで」と心をこめて言うと、最初は静かに返していた影山の感情が徐々に高ぶり、ついには号泣して「辞めたくない」と訴えた。最後にはふたりとも涙が止まらず、芝居が打ち切られた後も思わず抱き合ってしまった。

これが内片が大事にしている"自然な生理(感情)から発した芝居"というものだった。続いて芝居をしたほかのメンバーたちも、次々と感情を露にしていった。

それにしても、この「辞めないで」という言葉に対するメンバーの反応が異様に鋭いことに内片は驚かされた。それは、厳しい芸能活動をするなかで誰もが一度は抱いたであろう「辞めたい」という感情や、もしかするとお互いにそんな相談をした日の記憶をも引き出してしまったからかもしれなかった。

欅坂46の全国ツアーの合間を縫い、7月後半から2ヵ月弱にわたってワークショップは行なわれた。そして9月中旬、いよいよクランクインの日を迎えた。

秋元 康原作、けやき坂46初主演ドラマ『Re:Mind』。2017年10月19日深夜からテレビ東京系で放送されたほか、Netflixでも先行配信され話題になった

■初めての過呼吸で思い知った演技の力

古い洋館のような不気味な部屋の中。大きなテーブルを囲んで、赤い頭巾をかぶせられた11人の少女たちが眠っている。

物語の冒頭は、彼女たちがひとり、またひとりと目覚め、自分たちの置かれている状況を認識するというシーンで始まる。このたった1シーンのために、複数の撮影日が費やされた。

このシーンで叫びながら目覚めることになっていた高本は、うまく芝居に入れず、ドラマの序盤の監督も務めていた内片に言った。

「私、もっと大きい声を出さなきゃいけないんですか......?」

台本にも書いてあるとおりのわかりきったことだったが、思わずすがるように尋ねてしまった。そしてポロポロと涙がこぼれてきた。芝居に慣れていない人間が、声を出すことを恐れるあまり極度の緊張に襲われ、よけいに芝居ができなくなるという状態の典型だった。

また、よく泣くメンバーたちの中でも特に泣いていた東村芽依のことが心配になった内片が、グループのまとめ役だった佐々木久美に「彼女は今日、何かあったの? 俺はフォローしたほうがええんかな?」と相談したこともあった。

しかし、久美の答えは「いつもこうなので、気にしないでください」というあっさりしたものだった。実際そのとおりに放っておくと、東村はいつの間にか泣きやんで周りのメンバーとニコニコ笑っていた。不思議な仲の良さがあるグループだと思った。

そんななかで、井口眞緒は初めての撮影に胸をときめかせていた。昔からドラマが好きで、「ドラマに出てくるような場所で暮らしたい」と思い新潟から首都圏の大学に進学してきた井口にとって、本物のドラマのセットやカメラが並んでいる光景は見ているだけでテンションが上がるものだった。

ワークショップのときはうまくセリフをしゃべることができなかった井口は、自分では演技にまったく自信を持っていなかった。だが、実は彼女はセリフの流れや感情を理解する力が高いということにプロのスタッフたちは気づいていた。

逆に潮紗理菜は、滑舌も良く、セリフをしゃべらせれば抜群にうまかった。普段から話すことが好きな人間ならではの特長だった。

こうしたそれぞれの適性に合わせ、クランクインまでに脚本が練られていった。この作品では、回を追うごとに登場人物がひとりずつ消えていくという設定があったが、序盤に消えたのは芝居のポテンシャルが高いメンバーばかりだった。どの役も消える前は長いセリフや見せ場が用意されていたために、序盤に芝居のできるメンバーを置いて作品を視聴者に印象づけるためでもあった。

そのもくろみどおり、潮が消えるシーンでは「ごめんなさい、ごめんなさい」と連呼する彼女の鬼気迫る演技が視聴者に衝撃を与えた。このシーンをよく見ると、周りのメンバーたちも目に涙を浮かべているのがわかる。実はこのとき、実際に潮は人生で初めて過呼吸になり、その様子を見ていた周りのメンバーも気持ちが引っ張られて涙を流していたのだった。

演技というものに入り込むと、時に過呼吸になるほど自分の体が動かされてしまう。カットの声がかかった後、メンバーに肩を抱かれながらも潮は「本気で芝居したら、こんなになっちゃうんだ。もっと早く知れたら良かったな」と思っていた。芝居の持つ本質的な力に少しだけ触れた瞬間だった。

■「美玲が頑張ってるのはわかってるから」

次々と人が消えていくなかで、終盤まで作品を引っ張ったメンバーのひとりが佐々木美玲だった。相手のセリフをよく聞いて、感じたままの気持ちを芝居に乗せられる彼女の反応の良さは、ワークショップのときから高く評価されていた。ドラマの中では、冷静な推理で謎に迫っていく優等生を演じ、多くのセリフを担当した。

しかし、そんな美玲でも中盤になってセリフがまったく出てこなくなったことがあった。

今回のドラマ撮影で演出陣から出たたったひとつの要求は、「意味も言い方も考えなくていいから、とにかくセリフを覚える」ということだった。しかし、時にひとりのセリフが10ページも続くことがあったこの作品では、台本を覚える苦労も並大抵ではなかった。

それまで美玲もなんとかセリフを頭に入れていたが、なぜかその日は何度やってもセリフが出てこなくなった。撮影は一時中断され食事の時間になったが、その間も台本を何回も読み直した。

焦りで涙を浮かべながら台本をめくっている美玲を見て、この回で監督を務めていた演出家の石田雄介がスタジオの外に彼女を呼び出した。

「美玲は今までちゃんとセリフを覚えてきてたし、頑張ってるのはわかってるから」

初めてのドラマ撮影に必死でついていこうとしていた自分のことを見ていてくれた人がいる。そのことに美玲は心を打たれ、号泣してしまった。そして撮影再開後、無事にこのシーンを撮り終えることができた。

スタッフの期待を受け、難しい役どころに挑戦したメンバーはほかにもいる。齊藤京子は、11人の登場人物の中でひとり、常に激しくわめいて怒りをまきちらすクセの強い役を演じた。彼女にこの役を任せたことはスタッフ陣にとっても"賭け"だった。

この役は、特殊に見えて実は最も一般視聴者に近いキャラクターだった。「おかしいだろこれ!」「もうワケわかんないわ」といった直球のセリフは、現実にこうしたシチュエーションに陥ったときに普通の人間の口から真っ先に出てきそうな言葉だった。このキャラクターこそ、異様な設定のドラマと現実の視聴者をつなぐためになくてはならないものだった。

しかし、ワークショップのときの齊藤は演技力の面でも性格面でもとてもこの役を任せられそうなタイプではなかった。実は齊藤もこのドラマ出演の話を聞いて不安を抱いていたひとりだった。歌手を目指して歌とダンスに邁進してきた齊藤は、自分の中で「私には演技はできない」と勝手に思い込んでいたのだ。

あるとき、ワークショップが終わってから齊藤は内片に呼ばれてアドバイスを受けた。齊藤ならもっとやれると思ってのことだったが、齊藤は「やっぱり私が一番へただから呼ばれたんだ」と思った。そして話を聞いているうちに泣き出してしまった。人前で絶対に涙を見せなかった齊藤にとって、けやき坂46に入ってから2度目の涙だった。

それほど演技に対して苦手意識を持っていたにもかかわらず、クランクインを迎えると齊藤は今までのことが嘘のように芝居が楽しくなった。その低い声とさばさばした話し方が絶妙に役にマッチしていたのだ。

齊藤は撮影に入る前、監督の内片からこんなことを言われている。

「この役は重要な役やけど、これをやれるのは齊藤しかおらん。齊藤に任せた。もしかすると視聴者に嫌われるかもしれへんけど、それは齊藤がちゃんとこの難しい役をできたという証拠やから、間違いじゃない」

この言葉を信じて素直に役に飛び込んだからこそ、つかむことのできた演技だった。

こうして40日以上に及んだドラマ撮影のなかで、メンバーたちは次々と演じることに目覚めていった。『Re:Mind』という連続ドラマは、完全なるフィクションでありながら、けやき坂46のメンバーたちが変化していく様をとらえたドキュメンタリーでもあった。

そして、変わったのは演技面だけではなかった。この期間を通じて、人間として大きく成長したメンバーがいた。それが高瀬愛奈と高本彩花だった。(文中敬称略)

『日向坂46ストーリー~ひらがなからはじめよう~』は毎週月曜日に2~3話ずつ更新。第19回まで全話公開予定です(期間限定公開)。