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2016/11/03 03:51
ここに掲載するのは、私、店長の木幡吉成が2011年3月11日におきた東日本大震災の時の経験を、少しずつ文章にして残して行こうと思います。1,000年に一度の大地震と言われた東日本大震災ですが、今日本は各地で地震災害が発生しています。私の経験が少しでもこれからの皆さんの経験にお役に立てればと思い、書かせて頂きます。
2011年 3月11日(午後)
私は、この日、息子(当時6歳)を英語の学習塾へ連れて行き、その間、銀行さん歩きをしていました。14時46分、その時は来ました。銀行員、お客さん、そして私の携帯から、聞いた事もないケタタマシイブザーが鳴り響き、一瞬??みんなで顔を見合わせました。そしたら、あの揺れが始まったのです。そして、私は、揺れる中、即行で車に乗り息子のところへ行こうと車を走らせましたが、まっすぐ走るのも難しい揺れで、この瞬間に「この揺れはやばすぎる、息子が危ない」と焦りながらも車を走らせました。しかし、長い時間揺れました。目の前の道路に旧家が崩れて道路へ倒壊しました。
私は当時RV車に乗っていましたので、息子の安否の方が不安だった為、道路側に倒れ込んだ屋根、飛び散った瓦を無視して踏みつけて息子の塾へと向かいました。息子の塾も軽い半壊状態、ガラスは全て割れ、水道が破裂噴水状態。私は息子の名前を叫びながら、飛び散った扉の中へ入って行きました。そこには塾の先生と子供たちが泣き叫びながら、倒れ込んだ本棚の下の机の下でうずくまっていました。私はみんな大丈夫!と声をかけながら一人一人外へ出しました。遠くから子供の名前を泣き叫びながら走ってくるお母さんもいました。そのお母さんに私は「大丈夫です!みんな無事ですよ!」と大声で声をかけました。そして、次に私の脳裏に浮かんだのは、託児所に預けている2歳の娘の事でした。ここから10kmは離れています。「パパー」と大泣き位している息子を車に乗せて、娘の託児所に車を走らせました。その間も余震があり、保育園への近道である浜沿いの道を行こうと思いましたが、ものすごい胸騒ぎを感じていたので、浜沿いの道を避けよう避けようと道を選んで走っていました。途中、橋がずれ落ち30cm位の段差がありましたが、私は無視して車を走らせました。あちこちで道路の被害もありました。道路を避けて畦道、田んぼの中を走ったりもしました。普段なら20分ほどで着く道のりを40分かけて娘の保育園に行ったのを覚えています。娘の保育園は比較的軽被害で、先生たちがみんなで固まって、歌を歌ってお迎えを待って居たのを覚えて居ます。我が家は幸いにも子供達は無事で、子供達を自宅へ連れ帰ったのは夕方5時頃くでした。
今回はこの辺で。次回は、消防団に所属して居た私の当時の動きを、各地の状況を写真を交えて書かせてもらおうと思います。
次回は11月下旬頃に書こうと思います。
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