19.キート、楽しい食卓を囲む。
「……とりあえず、調理してみますね。どうすればいいですか?」
セナが尋ねてきたので、俺は一番シンプルな調理法を伝えることにした。
「水でよく洗って、皮がついたまま茹でてもらえるかな」
「わかりました。……全部は食べきれないと思うので、残りは冷蔵庫の野菜室に入れておきますね」
「いや、このジャガイモは、暗いところで常温保存が一番良いらしい。あと、今は新しいから大丈夫だが、緑色になったり芽が出てきたら切り取るように」
「……ジャガイモ。……なるほど、わかりました」
セナは頷き、俺からジャガイモを受け取ると、家の中に入っていった。
それを見送り、俺はウッドデッキに置かれている椅子に座る。
「冷蔵庫、ときたか」
もう完全に文明の力を自分のものにしてんなぁ。
知らないことへの忌避感というものが、一切感じられない。
せいぜい、トイレのウォッシュレット機能に驚いたぐらいか。
それにしても、この生活に慣れた状態から、元の生活に戻れるのだろうか?
俺が追い出すってことは無いが、もし自分から下に降りたくなる時が来たら、どうなるんだろう?
出会いがあれば、別れもあるものだ。
今のところセナが出ていきたいという場面は想像がつかないが、なにかの事情が重なれば、そういう時がくるかもしれない。
そうなっても、セナたちが幸せに暮らせるよう、何かできることはないだろうか? 俺が彼女たちに与えられるのは、安息の地だけなのだろうか?
万能であるはずなのに、いざ考えてみると、どれも何かが違う気がしてくる。
「深く考えたところで、無意味ですよ」
俺があれこれ考えていると、いつの間にか隣にバレーナがいた。
その背中には、機嫌の悪そうなイスラフィルがいる。
どうやら、トヨクモのメインシステムを介して、俺の心を読んでいたようだ。
「考えても無意味ってどういうことだよ?」
「無意味というよりも、むしろ良くないことが起こります」
「どういう意味だ?」
「人はそれぞれ断絶した生き物です。ですので、一方の独りよがりな考えなど、往々にして互いに不和を生む結果にしかなりません」
「ふむ。たしかに、な。そういうことは、どこにでもよくある」
「フィーリングで行きましょう。たいてい、その方が上手くいきます」
「フィーリング、ね。そいつは気楽で良い」
俺はバレーナの言葉が面白くて、腹を抱えて笑ってしまった。
たしかに、バレーナの言う通りだ。
人は考えることで進化し、その勢力圏を伸ばしてきた生き物ではあるが、一方で肥大化した知性のために多くの業を背負うことにもなった。
思考を絶対視するのは良くない。それは過去の歴史が証明している。
だが、人知の結晶であるバレーナが言うのは、実に皮肉が利いていた。
あるいは、だからこそ、なのかもしれないな。
「キートさん、飲み物を持ってきました」
俺がバレーナと話していると、セナがガラス製のグラスを二つと皿を一つ、トレイに乗せて持ってきてくれた。
話し声から、バレーナたちがいるとわかったのだろう。
なんとも、気配り上手なお嬢さんだ。
「ありがとう、助かるよ」
「いえいえ。では、調理に戻りますね」
セナが持ってきてくれたのは、ミントシロップを炭酸水で割った飲み物だ。
俺が森から採取してきたミントとハチミツ、それとトヨクモ内で作った炭酸水を合わせたものである。
氷も入っていて、揺らすとカラカラという澄んだ音が耳に心地良かった。
同じものを出されたイスラフィルは既に飲み終わっており、氷をばりぼりと噛み砕いて遊んでいる。……こいつ、腹壊しても知らねえぞ。
バレーナは皿に入った普通の水をぺろぺろと舐めていた。
狼なので、糖分を多く与えることはできないためだ。
氷の音を堪能した俺は、今度はゆっくり味を楽しむことにした。
炭酸が口で弾け、優しい甘さが広がり、ミントの香りが鼻腔をくすぐる。
美味い。とても爽やかな気もちにしてくれる飲み物だ。
さぁっと優しい風が吹く。干されている洗濯物がパタパタと風になびく。
見上げた先には、果て無く続く蒼い空。
そのどれもが心を安らげてくれる。
今日も、幸せな生活を楽しめそうだ。
†
「キートさん、来ていらっしゃったんですか!」
ちょうど飲み終わった時、釣りを終えたらしきナオたちが帰ってきた。
俺は挨拶を返す前に、すっと椅子から立ち上がって距離を取る。
「キート! いらっしゃいニャー!」「まってたニャー!」
もの凄い勢いで突進してくるシロとクロは、俺が避けたせいで、そのままバレーナの首へと飛びついた。
「ぐええええええええっ!」
瞬間、バレーナの悲痛な叫びが響き渡る。
ちびっ娘どもが、バレーナの首にしがみついたまま、ぐるぐると回ったのだ。
うおぉっ……あれ痛いんだよなぁ……。
こないだやられた時は、首が捩じ切られるかと思った……。
バレーナに跨っていたイスラフィルは、突進の煽りを食らってズリ落ちただけでなく、後頭部を強打したようで、床で頭を押さえて悶絶していた。
「うぎゃああああああっ!」
……どっちもこっちも酷い有様である。
両者とも頑丈だから痛いだけで済むとは思うが……。
流石に助けてやるかと思ったら、ナオが代わってくれた。
「こらー! チビどもー! やめなさーい!」
「ニャー! ナオちゃんがおこったニャー!」「にげろニャー!」
バレーナから離れた二人は、そのまま目にも止まらぬ速さで逃げ出した。
敏捷性に優れた
俺が感心していると、ナオが頭を下げてきた。
「ごめんなさい、いつもチビどもが暴れてしまって……」
「やんちゃ盛りだから仕方ないさ。それよりも釣果はどうだった?」
「大漁です! 見てください!」
ほら、と見せてきたクーラーボックスの中には、たしかに大量の雲魚がいた。
白い鱗に虹色の長いヒレが特徴的な雲魚が、ピチピチと跳ねている。
「本当だ。いっぱい獲ってきたね。偉いじゃないか」
「へへへ、頑張りました」
「これだけあると、捌くのも大変だろ? 手伝うよ」
「じゃあ、お願いします!」
俺とナオはウッドデッキにあるレンガ造りの台所に立ち、ナイフを使って手早く雲魚を捌いていく。
雲魚は鱗も骨も食べられるため、内臓を取り除き頭から半分に開くだけでいい。大量の雲魚は、すぐに大量の開きへと変わった。
「それにしても、たくさんあるなぁ」
「残りは干し魚にしておきます」
「うん。それがいい。そう毎回釣れるものでもないしね」
雲魚は常に回遊しているため、釣れる時と釣れない時の差が激しい。
養殖できないだろうか、と考えたこともあるが、それは難しそうだ。
なにしろ、データベースの情報によれば、雲魚は飼育下にあると、なぜか生殖能力を失うそうなのである。
その解決方法は、結局明らかにされていない。
データ収集のために、艦内で雲海中と似た環境を用意し複数の番で飼ってみたものの、やはり短期間で生殖器官の機能低下が見られた。
いずれ解明したい問題だが、仮にできたとしてもずっと先だろう。
そういった理由があるため、雲魚の養殖は不可能なのだ。
俺が捌いた雲魚を焼いていると、家からセナが出てきた。
「ああ、お魚も焼けているんですね。ちょうど良かったです」
その手には、茹でたジャガイモが盛り付けられた皿がある。
さあ、いよいよ、お楽しみの時間だ。
†
「ニャに、これ?」「ウマのウンチ?」「ウンチがサラにのってるニャ」
戻ってきていたシロとクロはテーブルに着くなり、そう言った。
……いくらなんでも、ウマのウンチはねえだろうが!
いや、似ているけれどさ! でも、ウンチは止めて!
「こら! キートさんが持ってきてくれたものに、何てことを言うの!」
セナが怒っても、シロとクロは、「でもウンチニャ!」の一点張りだ。
もういい、言ってろ言ってろ。食べたら美味いってのはわかってんだ。
「じゃあ、みんなテーブルに着いたことだし、いただこうか」
はーい、と合唱が返ってきて、俺たちは昼食を始めた。
コンガリ焼けた雲魚を手に取り、頭からかぶりつく。
バリっ、サクサク、と鱗が香ばしく、身はホクホクのプリプリだ。
骨も簡単に噛み砕け、そのまま旨味を楽しむことができる。
みんなも「美味しいね」と笑いながら、雲魚を頬張っていた。
うんうん、和やか食卓って、やっぱり良いな。
幸せな気もちになれる。
ただ、どうしても気になることもあるわけで――
「ねえ、君たち? どうして、ジャガイモには手をつけないのかな?」
俺が尋ねると、全員がさっと顔を背けた。
「お、おい、バレーナ。おまえは、ジャガイモが美味しいって知ってるよな?」
「肉や魚の方が私は好きですね。なにしろ、狼なもので」
「……そうでした」
ああ、もういいよ! 俺だけ食べてやる!
熱々のジャガイモを掴み、岩塩をかけると齧りついた。
「……うっ!」
「どうしました!? 大丈夫ですか!?」
俺が声を詰まらせると、心配したセナが顔を覗き込んでくる。
「や、やっぱり、食べちゃ駄目なものだったんじゃ……」
酷い言われ様に苦笑し、俺は首を横に振った。
「いや、熱かったから、ビックリしただけだ」
「そうですか」
「ほら、俺も食べたのを見ただろ? みんなも食べてみろって」
俺が勧めると、みんなは渋々という様子でジャガイモを手に取り食べる。
そして――
「あ、普通ですね」「普通だ」「ウンチじゃないニャ」「たべられるニャ」
と、素直な感想を漏らした。
そう、ジャガイモは普通だった。
少し口の中に残りやすいものの、ほのかな甘みがあって、ホクホクしていて、腹も膨れやすい。
驚くような美味さは無かったが、これはこれで良いものだ。
みんなも先入観が抜けたのか、積極的に食べるようになった。
「お塩を多めにつけると美味しいですね」
「お魚と一緒に食べると合うよ」
などと食べ方にも気がつき、わいわい楽しんでいる。
ずっと静観していたイスラフィルも、興味を惹かれたのかジャガイモにかぶりつき、ふ~んという顔になった。
なにはともあれ、ジャガイモは好評のようである。
みんなが喜んでくれたので俺も嬉しくなり、またジャガイモを手に取った。
「キートさん、これって、ぼくたちも育てることできませんか?」
ジャガイモと俺を見比べながら聞いてきたのはナオだ。
「これ、主食として良いなと思って。飽きも来なさそうな味だし」
「ジャガイモを育てたいのか? ……わかった、じゃあ、後で畑を作るか」
「ありがとうございます!」
ジャガイモぐらい艦内でいくらでも栽培できるが、ナオたちが自分で育てるのも良いだろう。自立心は大切だ。
「種は余ったジャガイモを撒けばいいよ」
「ジャガイモをそのまま撒くんですか?」
「詳しいことは畑ができてから教えよう」
「わかりました! ありがとうございます!」
笑顔で頭を下げてくるナオに、俺も笑って頷く。
効率を重視して艦内で完結するよりも、みんなで作業した方が楽しいかもな。
他にも色々と種があったし、それもみんなで撒いてみるか。
あと、家畜を飼うのも良いかもしれない。
そうすれば、狩りをしなくても肉を食べられるし、乳や卵も得られる。
食は生きる上で一番の楽しみだ。
美味しい食べ物をいつでも食べられるようにするってのは、良い考えである。
よし、決めた!
ここは一つ、このトヨクモの背中に、みんなの農場を作ってみるかな!