16.キート、聖龍王に認められる。
「双方止めなさい」
荘厳さを感じる声が響き、ヒビの中から、新たなグランホーリー・ドラゴンが現れた。しかも、イスラフィルより一回りもでかい。
その龍に向かって、イスラフィルは驚くべきことを口にした。
「母上! なにゆえ、ここに!?」
「は、ははうえ~っ!?」
たしかに、二頭の間には親子ほどもの差があるが、まさか本当に親子だとは。
「あなた方のやり取りは、異空間の向こうから見させて頂きました。まったく、なんと見苦しい争いだったことでしょう」
イスラフィルの母は、侮蔑も露わに言って、大きなため息を吐いた。
「争いからは何も生まれません。互いに怒りを収めなさい」
「ですが、母上! この人間は!」
「イスラフィル、私の言葉が聞けないのですか?」
「い、いえ、そういうわけでは……」
すごい! あのイスラフィルが一喝されただけで萎んでしまった!
驚き感心する俺へ、イスラフィルの母が視線を向けてくる。
「さて、人間よ。あなたの願いも、私は聞きました。他者のために自らを省みない。それは素晴らしい自己犠牲と博愛の精神です」
「は、はあ、どうも」
「ですから、あなたの願いを聞き入れ、イスラフィルの逆鱗を譲りましょう」
「ほ、ほんとうですか!?」「嘘でしょ、母上!?」
やったぜ! どうなることかと思ったら、まさかこんな話のわかる相手が出てくるなんて! やっぱり、人間は正直に生きるべきだな!
「ありがとうございます! あの、お名前は?」
「私はイスラフィルの母、聖龍王ガブリエルと言います」
「ガブリエルさん、本当にありがとうございます!」
喜ぶ俺とは対照的に、イスラフィルの方はショックを隠せない様子だった。
「母上! 仮に譲るとしても、なぜ我の逆鱗なのですか!? そこは母上の逆鱗を渡すべきでしょ! 納得できません!」
「この者は、あなたの逆鱗を求めてきたのです。ですから、あなたのを渡すべきです。なのに、私の逆鱗を渡す理由は無いでしょう?」
「どういう理屈ですか!?」
「ともかく、あなたの逆鱗をさっさと渡しなさい」
「嫌です! 絶対に嫌です!」
「往生際の悪い。あくまで逆らうというならば……」
瞬間、ガブリエルの腕が、ぐわっとイスラフィルの首元に伸びた。
そして、ぶちぃっという音が響く。
「いぎゃああああああっ!」
ガブリエルの爪の先には、イスラフィルの逆鱗が挟まれていた。
逆鱗を剥がれたイスラフィルは、よほど痛いのか泣き叫んでいる。
うおお……強硬手段か……。イスラフィルの母ちゃん怖えぇ……。
「さて、キートよ。望みの品です。受け取りなさい」
ガブリエルは爪で摘まんだ逆鱗を俺の前に持ってきた。
「感謝します。なんと、お礼を言っていいのか……」
「かまいませんよ。人間であるあなたが獣人を助けようとしているのです。なら、聖龍である私も、慈悲の心を示さなければいけません」
「……知っているんですか?」
「ふふふ。キート、私はあなたのことをずっと見ていましたよ。古代のクジラと融合してからのあなたを、我が千里をも見通す龍眼によって」
「そうだったんですか。でも、どうして?」
「あれだけの遺物を手にしたあなたを危険視するのは当然ではありませんか?」
「……なるほど。たしかに」
「ですが、あなたは実に優しい心を持っています。迷いもあるようですが、それでも善を成せるのは、その心の本質が正しいからこそですよ」
「……ガブリエルさん」
俺は胸が熱くなるのを感じた。別に、誰かに褒められたくて、誰かを助けようとしているわけじゃない。
それでも、やっていることを認められるのは嬉しいものだ。しかも、相手は偉大な聖龍なのだから、なおのことである。
だが、イスラフィルはそんなやり取りが気に食わないようで……
†
「ちっ、偽善者が……」
と吐き捨てたのだった。
こいつ、まじで性根が腐ってやがるな……。聖龍じゃなくて邪龍なんじゃねえの? 気に食わないなら黙っていればいいのに、なんで悪態つくかねぇ……。
もちろん、イスラフィルの態度に腹を立てたのは、俺だけではなく、母親であるガブリエルも同じだった。
「イスラフィル、何ですか、その態度は?」
「……別に」
イスラフィルが投げ槍に応えた時、ビキっと何かがひび割れる音がした。
たぶん、それはガブリエルがブチ切れた音だったのだろう。
その怒りを表すように、ガブリエルの身体から黄金色の炎が燃え盛り始める。
「そう、そうですか。それが、あなたの答えなのですね、イスラフィル。あなたはそこまで堕落してしまったのですか。……母は、悲しい」
悲しいという言葉に反して、ガブリエルに憂いは無く、怒気しか感じない。
流石のイスラフィルも事態を察したのか、狼狽した様子となっていた。
「ま、まってください、母上! 今のは悪意があったわけでは!」
「言い訳は結構。私は母として、聖龍の長として、あなたに罰を与えなければいけません。それも、あなたが最も苦しむことになる罰を」
「ば、ばつ? まさか!? い、いやです! あれだけは、許してください!」
だが、ガブリエルはイスラフィルの懇願を、ばっさりと切り捨てた。
「駄目です。公爵イスラフィルよ、我が王権により汝の爵位を剥奪し、龍族から追放します。以後、汝は寄る辺無きさまよう者として生きよ」
無慈悲な宣言が下され、そして強烈な光がイスラフィルを包む。
その光が苦しみを与えるのか、イスラフィルはのたうち回った。
「うぎゃああああああああああっ!」
これは、いったい何が起こっているんだ?
尋常じゃないイスラフィルの苦しみ方は、爵位を奪われ追放されただけでは説明がつかない。それとも、そのこと自体に、何か大きな意味があるのだろうか?
「その通りですよ、キート」
俺の心を読んだように、ガブリエルが言った。
「我ら龍族は、摂理を支配するが故に、摂理に縛られる存在。だからこそ、種族を王に追放されると、存在そのものを保てなくなるんです」
「そんな! じゃあ、死ぬんですか!?」
いくらなんでも、悪態の一つでそれはやり過ぎだ。
俺はガブリエルに向き直り、助命を嘆願することにした。
「偉大なる蒼穹の王、ガブリエル様。陛下が下した罰に進言することをお許しください。たしかに、イスラフィルは王に不敬を働きました。ですが、だからといって命を奪うのはあまりにも無慈悲です。何卒、お考え直しを」
俺が膝を突き頭を下げると、ガブリエルは声を出して笑った。
「あなたは、このイスラフィルにも慈悲を与えるのですね。それは何故です?」
「此度の問題は、元はといえば私が起こしたようなもの。そのせいで、誰かの命が奪われるのは耐えられません」
「ですが、あなたはイスラフィルに二度殺意を向けられましたね? 以前に冒険者に襲われた時は殺すことで対応したのに、なぜイスラフィルは許すのです?」
「あの者たちには、命を冒涜しようとする悪意がありました。ですが、イスラフィルにそれはありません。だからです」
「なぜ、そう言い切れるのです? 何を根拠としているのですか?」
「根拠はありません。ただ、私がそう信じたからです」
「思い込みだけで善悪を決めるのですか? それは傲慢に過ぎませんか?」
「ガブリエル様、そもそも善悪の価値観は個が決められるものではありません。時代や文化や種族によって大きく異なるものです。ならば、我々は各々が信じる善によって判断するしかありません」
なるほど、とガブリエルは頷き、その顔を俺へと寄せる。
「では尋ねます。キート、あなたの信じる善とはなんです?」
「私が信じる善は、助けられる者は助ける、それだけです。それが正しいか否かは、各々が自らの善に基づき判断してくれるでしょう」
「……よくわかりました。私は、あなたの信念を尊重します」
「では、イスラフィルへの罰を撤回してくれるのですね?」
「いいえ。これは王である私が決めたこと。余人の進言で罰を撤回することはありえません。その意味は、あなたにもわかりますね?」
俺は頷くことしかできなかった。龍族には龍族の法と価値観がある。そこに俺がこれ以上介入することは許されない。
やはり、助命は諦めるしかないのか……。
俺が無力さに肩を落とすと、ガブリエルは微笑むように目を細めた。
「そんな悲しい顔をしないでください。面白いので黙っていましたが、私は別にイスラフィルを殺める気は無いのですよ」
「え? じゃあ、いったい?」
「それは、これからわかります。よく御覧なさい」
ガブリエルに促されて、俺はイスラフィルへと視線を向ける。
そして、何かがおかしいと気がついた。
「……どういう……ことだ?」
なんと、苦痛で七転八倒していたイスラフィルの身体が、徐々に縮み始めているのだ。しかも、その姿形も根本から変わっていく。
変化は緩やかに、だが次第に加速し、とうとう完全なものとなる。
そこに、俺は信じられないものを見た。
「……嘘だろ。まじかよ」
巨体を誇った聖龍イスラフィルは、もうどこにも存在しない。
代わりに、長い金髪の小さな少女がいた。
それが、イスラフィルが変わり果ててしまった姿なのである。