NHKスペシャル 平成史 第7回「自衛隊 変貌の30年~幹部たちの告白~」平成の時代、姿を大きく変えた自衛隊。変貌の内幕… New!
出典:『NHKスペシャル 平成史 第7回「自衛隊 変貌の30年~幹部たちの告白~」』の番組情報(EPGから引用)
NHKスペシャル 平成史 第7回「自衛隊 変貌の30年~幹部たちの告白~」[字]
平成の時代、姿を大きく変えた自衛隊。変貌の内幕を語る膨大な証言と記録を入手した。次の時代私たちは自衛隊に何を託すのか。知られざる歩みから未来を読み解く。
詳細情報
番組内容
「平成史スクープドキュメント」第7回は、この30年任務を拡大していった自衛隊の秘史に迫る。今回NHKは自衛隊が姿を変える大きな転機となった「朝鮮半島危機」「アメリカ同時多発テロ」などに関する膨大な証言と未公開記録を独自に入手。“変貌の分岐点”の内実が明らかになってきた。戦後、“専守防衛”の下で活動してきた自衛隊に、次の時代私たちは何を託すのか。知られざる歩みから未来を読み解く。
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自衛隊史上初めて
事実上の空母に改修される護衛艦がある。
全長248メートル。
海上自衛隊最大の護衛艦 かが。
今回 この「かが」への単独取材が許された。
発足以来
必要最小限度の実力組織として
国土の防衛に徹してきた自衛隊。
この飛行甲板から
強力な攻撃力を持つ
戦闘機の発着が 可能となった。
平成の30年。
自衛隊は その姿を大きく変えた。
今回 その内幕を語る
膨大な証言と記録を入手した。
自衛隊変貌の分岐点に何があったのか。
間もなく幕を閉じることになる平成。
平成は 私たちにとって
どのような時代だったのか。
新たな証言や新発見の資料から
激動の30年を見つめるシリーズ
「平成史スクープドキュメント」。
戦争で甚大な犠牲を出した昭和のあと
一度も戦火にさらされることがなかった
平成の日本。
しかし この30年 自衛隊は
想定外の事態に相次いで直面し
その度に変化を求められてきた。
冷戦終結後に顕在化した
北朝鮮の軍事的挑発。
そのさなか
不審船事件が発生し
海上自衛隊は初めて
武器を使用する局面に立った。
緊迫の舞台裏を記した
未公開資料を入手した。
戦闘が続く中で実施された
イラク派遣。
自衛隊は自ら
戦死を想定する組織へと
変貌を遂げていたことが分かった。
先の大戦を教訓に
専守防衛の下で活動してきた自衛隊。
平和を享受してきた私たちは
次の時代 自衛隊に何を求めるのか。
30年の知られざる歩みから
未来を読み解く。
サマーワの宿営地から運び出された物資は
国境を越えて…。
<私が防衛担当記者として
自衛隊の取材を始めたのは 20年ほど前。
海外派遣やアメリカ軍の支援など
自衛隊が その任務を
拡大していった時期と
重なります>
<そして 自衛隊の活動を広げるための
法整備も進みました>
<それまでの憲法解釈では
許されてこなかった
集団的自衛権の行使
つまり 同盟国への攻撃に
武力で対処することも可能になりました>
<この間 日本を取り巻く
安全保障環境が大きく変化し
脅威を感じる人も増えています>
<今月1日 退任した
自衛隊トップの統合幕僚長は
24万の隊員に向けて こう語りました>
<任務の拡大が続いた平成の自衛隊。
私たちは
その意味を本当に理解しているのか>
<改めて
その内実を取材することにしました>
1989年。
平成は 東西冷戦が終結した
まさに その年に始まった。
世界各地で勃発した紛争。
日本が初めて
国際情勢の変化に直面したのが
いわゆる 朝鮮半島危機だった。
北朝鮮が ひそかに核やミサイルを
開発していたことが表面化。
朝鮮半島でアメリカ軍が
軍事行動を起こす可能性が高まったのだ。
98年には 日本の上空を越える
弾道ミサイルを発射。
北朝鮮に対する警戒が急速に強まった。
それは自衛隊にとって
抑止力として
存在すればよかった時代から
実際に武器を使用する時代への
転換を意味していた。
今回 私たちは
海上自衛隊が初めて
武器の使用を命じられた
ある事件に関する記録を入手した。
1999年3月 能登半島沖不審船事件。
能登半島沖と佐渡沖の日本海で
漁船の形をした
不審な2隻の船が相次いで見つかり
防衛庁と海上保安庁では
護衛艦や巡視船艇を出して
逃げている船を追跡しています。
事件は 2隻の北朝鮮の不審船が
日本の領海内に侵入したことから
始まった。
船には ロケットランチャーなどで
武装した工作員が
乗っていることが疑われた。
(射撃音)
本来 不審船に対応するのは 海上保安庁。
威嚇射撃を行った。
しかし 不審船は猛スピードで逃走。
海上保安庁の船を引き離した。
対応できるのは共に追尾していた
自衛隊の護衛艦だけとなった。
記録を残した
当時の海上幕僚長 山本安正。
防衛庁長官室で指揮に当たった
緊迫の舞台裏を書き留めていた。
「何もせず逃げられたのでは大問題」。
「顔を見合わせる」。
深夜 政府は自衛隊に対し
不審船を停止させるため
史上初の海上警備行動を発令。
海上警備行動は
もともと ソビエトを念頭に
戦争の一歩手前で
部隊が出動するような
大がかりなものが想定されていた。
初めての武器使用は
不審船の周囲への警告射撃。
山本が強く意識したのが
自衛隊に対する
国民の視線だった。
「どの程度 射撃をしたら
国民が納得するのか」。
「シビルに聞く」。
「12~13回の射撃で
いいのではないか」とのこと。
(砲声)
12回の警告射撃。
北朝鮮の不審船が 止まることはなかった。
一歩 対応を誤れば
国と国との軍事的な衝突に
発展しかねない緊迫の事態。
山本が 最後まで許可しなかった
措置があった。
「最も強い措置は
砲による 船体に向けた実弾射撃」。
「これのみは最後まで禁止」。
専守防衛の下
軍隊とは 一線を画してきた自衛隊。
山本は 武器の使用は
抑制的であるべきだと律していた。
う~ん…。
記録には 積極的な対応を求める
防衛庁長官の発言も残されていた。
「ある幹部が 大臣に
『立ち入り検査危険』と進言したところ
大臣 怒る」。
「やらないで逃げられたと
国会で答弁できるか」。
それまで 海上自衛隊は 立ち入り検査を
具体的な任務として想定しておらず
防弾チョッキも積んでいなかった。
実施を強く主張したのは
当時の防衛庁長官 野呂田芳成だった。
すいません お忙しいところ
お時間ありがとうございます。
野呂田が
当時の判断について 初めて証言した。
この時 現場の指揮官として
不審船の追跡に当たった 吉川榮治。
政治の判断が
現場の吉川に重くのしかかっていた。
立ち入り検査に備えて
護衛艦の食堂に集めた
隊員20人の顔が 忘れられないという。
何と言いますかね…
結局 不審船は 北朝鮮へ逃走。
立ち入り検査も
実施されることはなかった。
事件のあと 海上自衛隊には
一部の国民から厳しい声が届いた。
「何故 逃がした」。
「税金泥棒」。
自衛隊に
強硬な対応を求める声があることに
山本は戸惑ったという。
不審船事件があらわにした
自衛隊に対する要求の変化。
事態をエスカレートさせないよう
自衛隊に 何をどこまで担わせるのか。
突きつけられたのは
その判断の重さだった。
<安全保障環境によって
その姿を変えていった自衛隊。
その背後で 常に大きく影響していたのが
同盟国 アメリカとの関係でした。
1991年の湾岸戦争で
日本は トラウマを抱えました>
<部隊派遣を見送ったことで
アメリカから 激しい非難を浴びたのです>
<朝鮮半島で 有事が起こった場合
どうするのか。
アメリカ軍は直接支援するよう
日本に強く求めるようになります>
<自衛隊と アメリカ軍との間で
極秘の交渉も行われていました。
その窓口となっていた
陸上自衛隊の元幹部が
取材に応じました>
<アメリカの求めに応じ
同盟国への支援の方法を根本から変える
周辺事態法が成立。
日本が
直接攻撃されていない場合でも
自衛隊は アメリカ軍の作戦に
協力することが可能とされたのです>
<そして 2000年代。
自衛隊は 憲法に抵触しかねない任務まで
行うようになっていきました>
<きっかけは アメリカ同時多発テロ。
同盟国の中枢が攻撃されたことでした>
<テロとの戦いに乗り出すため
横須賀を緊急出港した
アメリカ軍の空母 キティホーク。
海上自衛隊が この時行ったのは
その護衛でした>
<キティホークが攻撃された場合に
自衛隊が対処すれば
集団的自衛権の行使にあたるとして
批判の声が上がりました>
<しかし 政府は
通常行っている警戒・監視活動だとして
あくまで護衛ではないと説明しました>
<今回 その内実が
初めて明らかになりました。
作戦を中心になって進めた
香田洋二さん>
<アメリカ軍から直接依頼され
事実上の護衛を決断していました>
はあ~… と思ってね。
<この時 自衛隊幹部が
最悪の事態として想定していたのが
9.11と同様のケース。
羽田空港を飛び立った
燃料満載の旅客機がハイジャックされ
キティホークに突っ込んでくる事態でした>
<当時の防衛事務次官も
すぐに同意していたことを
明かしました>
<戦争経験のある元閣僚から
抗議を受けましたが
それでも アメリカ軍の作戦に
主体的に貢献することを
重視したといいます>
<しかし
現場の自衛官にとって 護衛とは
人に危害を加える武器使用をも含む
任務を意味していました>
<旅客機がハイジャックされた場合
そこには 多くの日本人が乗っています>
<日米同盟の堅持のため 旅客機を撃墜し
自ら国民の命を奪うのか。
かつては想定しなかった判断を
迫られていたのです>
やはり… あの…
繰り返しになりますけども…。
<自衛隊に支援を依頼した
アメリカ軍の元幹部が
取材に応じました>
ハロー。 ナイス トゥ ミート ユー。
<当時の在日アメリカ海軍
ロバート・チャプリン司令官>
<自衛隊の行動が 憲法で制約されることを
知っていた元司令官は
海上自衛隊の行動を
高く評価していました>
同盟国の海上自衛隊が
そのような決心をしたことを
どう受け止めましたか?
<同盟国を守るための究極の決断。
アメリカ軍との一体化によって
自衛隊は
専守防衛の内実を揺るがしかねない
任務をも負うことになったのです>
両案は 可決されました。
<それから 14年後
安全保障関連法が成立し
アメリカ軍の艦艇などの防護は
平時から可能とされました>
<この3年間で 18件。 年々 増えています>
大きく変わった安全保障環境。
日米同盟の深まり。
その変化が 自衛隊にもたらしたのは
事実上の戦場にまで
活動の領域を広げることだった。
分岐点となったのは 2004年
陸上自衛隊のイラク派遣だった。
(発射音)
イラクが
大量破壊兵器を保有しているとして
戦争に踏み切ったアメリカ。
ドイツやフランスなどが反対する中
日本は再び
率先して アメリカへの支持を表明した。
質疑は 終局したものと認めます。
開戦から 4か月後には
特別に法律が作られ
復興支援のため
自衛隊のイラク派遣が決まった。
当時の官房長官 福田康夫。
しかし 大規模戦闘が終結したとされた
イラクでは 各地でテロが頻発。
むしろ
死者が増え続ける状況となっていた。
戦闘地域への派遣は
憲法に抵触するおそれがあるため
政府は 自衛隊が行くのは
あくまで 非戦闘地域だと説明した。
今回 私たちは
部隊の派遣が正式に決まる前に
準備のため イラクに入った
ある自衛隊員の日記を入手した。
隊員は そこで
日本人が襲撃される事件に遭遇。
日記には
「非戦闘地域」という言葉とは裏腹に
戦死への備えを迫られていく過程が
記されていた。
「ここで ニュースをお伝えします。
イラクのティクリット付近で
日本人 2人が乗った車両が襲撃を受け
2人とも死亡しました」。
外務省から派遣されていた
2人の外交官が
車で移動中に銃撃された。
「あまりのことに
実感として理解できない」。
「ご遺族が対面する。
変わり果てた姿を目にし
耐えがたい悲しみに震えた声が聞こえる」。
「唸るような悲痛な泣き声が
テントをおおう」。
遺族の対応に当たることになった隊員。
アメリカ軍からは
戦場で犠牲が出た場合
遺体の搬送は
その国の軍隊が行うものだと知らされた。
「米軍の少佐からの電話である。
戦場における後送調整については
私の仕事だと認識しているようだ」。
「大使館員の携帯電話にかける」。
結局 隊員は 2人の外交官への対応を
アメリカ軍に頼ることになった。
今後 非戦闘地域とされた場所で
犠牲者が出ることに
備えなければならない。
自衛隊のイラク派兵 反対!
自衛隊は
その矛盾に直面していた。
今回 この隊員の報告のあとに
自衛隊内部で まとめられていた
「R」と呼ばれる計画の
内部資料を入手した。
自衛隊史上 初めて
戦死を想定した
詳細な計画を立てていたことが
明らかになった。
遺体を イラクから日本まで輸送する手順。
そして 棺を安置する台は
12 用意するとされた。
当時の陸上幕僚長 先崎 一が
「R」の存在を初めて認めた。
あの 要するに 非戦闘地域と…。
2年半にわたった陸上自衛隊の活動で
派遣された隊員は 5, 600人に上った。
2004年7月から
イラクで部隊を率いた田浦正人。
現在は 陸将となった田浦が
取材に応じた。
当時のメモですね。
ああ はい。
当時の活動を記したメモには
現地の生々しい実態が残されていた。
活動期間中 宿営地には
迫撃砲などによる 14回の攻撃が行われた。
1発目 発見を連絡 頼む。
(爆発音)
田浦が派遣されていた半年間。
7回の攻撃を受けるなど
最も厳しい時期だった。
共に活動していた オランダ軍の兵士が
銃撃戦で死亡するなど
田浦にとって
緊張を強いられる日々が続いていた。
イラクだよ! 全員集合~!
(一同)うお~!
日本に向けた ビデオレター。
安心して待ってて下さい。
一人の犠牲も出してはならないと
田浦は 重圧を感じていた。
国が 法律で
非戦闘地域と定めた場所での任務。
政治の決定に従って 任務を行う以上
その説明と矛盾しない結果が求められると
強く感じていたという。
当時 イラクの多国籍軍を率いた
アメリカ軍の司令官 ジョージ・ケーシー。
イラクで目にした自衛隊は
紛れもなく
軍事作戦を行う組織だったと語る。
(拍手)
陸上自衛隊のイラク派遣は
結果として 一人の犠牲者も出すことなく
活動を終えた。
ごめんね。
しかし 田浦は 危険な任務の内実が
共有されていないのではないかと
複雑な思いを抱き続けてきた。
<自衛隊の大きな分岐点となった
イラク派遣。
現地で取材に当たった私は その変化を
まさに目の当たりにしました。
しかし その任務の最も厳しい現実は
広く国民に知らされず
検証されることもありませんでした。
その後も 海外への派遣は続きます。
2012年から派遣された
南スーダンPKO。
宿営地近くで 大規模な武力衝突が起き
遺書をしたためた
隊員もいたほど
かつてない
苛烈な任務を経験します。
しかし 政府は 「法的な意味での
戦闘行為はなかった」と説明。
更に 現地の実態を記録した
「日報」が隠蔽され
国民は 意図的に
その内実から遠ざけられました>
<この4月まで
歴代最長4年5か月にわたって
自衛隊のトップ
統合幕僚長を務めた
河野克俊さんです>
<この30年の変貌の渦中に
身を置いた河野さんに
これからの自衛隊は
どうあるべきか問いました>
ここのところは よく あの…
次の時代の自衛官の方に
伝えたい言葉というのは
いかがでしょうか?
今日は ありがとうございます。
よろしくお願いします。
<小泉内閣の官房長官として
自衛隊の転機となった
イラク派遣などの
安全保障政策に携わった
福田康夫さんです。
平成の時代
自衛隊に任務拡大を求める中
政治は
その責任を果たしてきたのか問いました>
<自衛隊の活動が
大きく様変わりした平成の30年。
その統制に当たる政治の責任が
より問われることになりました。
安全保障環境の変化で 自衛隊の運用は
これまでになく
難しくなろうとしています>
<政治の責任の重み そして
政治に参加する私たちの声の重みが
ますます増していると
今回の取材で強く感じました>
♬~
冷戦終結後 北朝鮮の不審船事件など
時代の変化に
いち早く直面した海上自衛隊。
その広報室だ。
海上自衛隊は 去年末
公式ツイッターに ある投稿を行った。
韓国軍に レーダー照射された
P1哨戒機の写真。
日本と韓国の対立が深まる中での
投稿に対し
あおるようなコメントも
少なくなかった。
今 自衛隊は 各地で新たな任務に向けた
訓練に取り組んでいる。
その指揮に当たっていたのは
イラクに派遣された 田浦正人。
専守防衛の原則が変わらない一方で
装備の拡充は続けられている。
はい!
はい。
時速100キロで移動できる車両に
戦車の砲身を載せた 新型の機動戦闘車。
航空機で輸送し
どこにでも展開することが可能になった。
自衛隊は 今
その戦闘能力を高め続けている。
かっこいいじゃん。 将来 自衛隊だな。
戦後70年余り
平和国家として歩んできた日本。
撃て~!
自衛隊は 専守防衛の組織として
この国の一つの姿を表してきた。
その理念を どう受け継いでいくのか。
令和の時代が始まろうとしている。
♬~
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