東日流外三郡誌偽造事件は歴史を捏造する人の目的と、それを利用する人の目的が端的に分かる事件であった上に、偽造が証明されている歴史資料でもありますから、ここで歴史捏造の見本として紹介させてもらいます。
東日流外三郡誌は1970年代に世に現れました。古代の津軽に大和朝廷とは別の古代文明があったという荒唐無稽なもので、一読すれば現代人の知識で書かれていることが分かる代物でしたが、それを史実であると言い出す学者が出て来て世間の注目を集める真贋論争になります。
発見者は和田喜八郎という人で、定職に就かず、古物を探し出してきては自分で由緒書きを捏造して付けて販売するようなことをしていましたが、騙される人は限定されていて生活は困窮していたと聞きます。それが自分が発見した東日流外三郡誌が世に出た途端に、印税やら講演料やらで大儲けすることになります。
昭和初年に建てられた家から、江戸期の文書を明治に再書したものが出て来て公開され、江戸期の文書も存在しているというのですから、初めから怪しさ満載でしたが、信じる学者が現れます。
昭和薬科大学の古田武彦氏で、この人は大和とは別に九州に独立王朝があって、中国や韓国の史書に出てくる倭は九州の王朝のことを指すのだ、といった説を唱えていたので、津軽にも独立王朝があったという話は、自説の補強になって都合が良いので、怪しさを無視して書いてあることは事実であると主張するのです。
和田喜八郎氏の死後、家宅の創作が行われ、古文書が入れてあったと本人が主張していた長持などなく、二階の隠し部屋から紙に古色を付けるための使用したと思われる、小便を長期保管した液体が発見され、本人の偽作であることが証明されました。偽史でここまで明快に、偽造の証拠が出てることはとても珍しいことです。
この経緯を見ていると、歴史を偽造する人は金儲けが目的であり、それを利用する人は金儲けよりも、自分の説や考え方を正当化するために利用したいという思惑で動いていることがはっきりと分かります。
歴史の偽造者は金儲け、利用者は自説の正当化の為という図式は、ネットのなかで行なわれていることでも同じであるといえます。