最近の日本おける歴史捏造は甚だしいものがあります。捏造をやっている人たちは、今までの歴史が間違っていたのでありこれこそが真実だと言うのがふつうですが、過去の膨大な歴史研究の成果をひとつの思い付きでひっくり返すことなど絶対にできません。

 

 戦後皇国史観から解き放たれて以後、現存資料の研究は殆ど終わっていて、新資料が出ても書簡などが数通古民家から発見される程度で、ひとつの参考資料にはなっても歴史を書き換えるような、全く新しい資料が纏まって出現する可能性もありません。

 

 資料や研究の水準からして、部分的な修正はあっても内容が正反対になるような、全面的な歴史の書き換えなどはもはや起こり得ない状態になっています。物理学の世界で相対性理論がひっくり返らないのと同じなのですが、物理学の世界にも、自分は相対性理論が誤っていることを発見した、自分の新理論でこそ宇宙の原理は説明できるのだと主張している人がいますが、こちらの方は影響力が無く、珍理論を書いた書籍がトンデモ本として取り上げられて、笑いものにされるくらいのことです。

 

 ところが歴史の世界では、捏造された歴史が社会的に影響力を持つようになってきて、政治や外交が捏造された歴史を根拠に語られるようになってきています。

 

 今までの説を基本から覆すような新たな資料が体系的に出現することはあり得ないので、現在の説を否定して歴史を捏造したい人たちは、資料を自分で捏造するか、なんの根拠も証拠も示さないままに勝手に言うかのいずれかの方法をとります。

 

 ちょっと考えると、自分で捏造した資料など世間に相手にされるはずがない、なんの根拠も証拠もなしに言っていることなど社会に受け入れられるはずもないと思えてくるのですが、捏造だろうが根拠なしの提示だろうが、自分の考え方を正当化するのに都合が良ければ、資料の怪しさや根拠の無さなどを見ないふりをして、今までの定説を覆す素晴らしい発見であるとして持ち上げて、新事実と騒ぎ立てる人たちが今の日本は多数いるのです。次回から、そういう例を少しだけ紹介してみたいと思います。

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