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「立っていて腕が飛ばされるとな、
人間って体の重心がくるって、
体が独楽(こま)みたいにクルクルまわるんだ。
おもしろかったぞ。
それでな、立ち上がるときには
ニッと笑うんだ。
それが男だ」
(画像はクリックすると、お借りした当該画像の元ページに飛ぶようにしています。
画像は単なるイメージで本編とは関係のないものです。)「人のものを盗むな」、「人の悪口を言うな」などといったことは、戦前の日本人にとっては、ごくあたりまえの常識でした。
すくなくとも昭和30年代くらいまでは、一般的社会風潮として、日本社会に色濃く残っていたように思います。
うちの実家は市内の街中にありましたが、クルマ好きで自営業を営む父が、家族全員を連れて泊りがけで社員旅行に出かけるときも、家の玄関に鍵などかけなかったし、そもそもその鍵自体が、玄関についていませんでした。
それが昭和40年代になって、なんとわが家も一人前に泥棒さんが入ってくれて、警察官がやってきて「家の玄関に鍵をかけない方が悪い」などといわれ、そこで初めて「家の鍵」などという立派なもの(笑)が取り付けられました。
もっともその鍵を持ち歩くという習慣がなかったから、その鍵は玄関のかもいの上に置きっぱなしになっていました。
子供でも手が届くところに鍵があるのですから、大人が見れば、ちょうど目の高さくらいに堂々とその鍵が置かれていたわけで、いま思えば、「あれはいったい何だったのだろうか」と、思わず笑えてきます。
もっとも、入った泥棒さんのほうも家内に侵入したは良いけれど、盗むものが何もなくて(本当に家の中には何もなかった)、盗まれたのは壁にかけてあった木製の般若のお面だけ(結構高価なものでしたが)という具合でした。
日本は、それくらい治安が良かったわけですが、以前にもご紹介しましたけれども、江戸時代までさかのぼると、これがもっとすごくて、路上に大量の現金が置きっぱなしになっていても、どんなに生活が苦しかろうが、誰もそれを盗もうなどは思いもよらないものでした。
というのは、いまでは現金を送金するときは、銀行のATMを使いますが、江戸時代にも現金の送金は頻繁に行われていました。
どうやっていたかというと、金飛脚(かねびきゃく)と呼ばれる人たちが、街道をエッホエッホと走って全国にお金の配送をしていたわけです。
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ではその金飛脚に、どうやって現金輸送を依頼したのかというと、これは加瀬英明先生から教えていただいたことですが、たとえば江戸から地方にある実家に現金を送金するときには、江戸の日本橋(いま日本橋三越のあたり)に、みんなが送金するお金を持参していました。
そこに現金の送金所があったのです。
お江戸日本橋は、東海道、日光街道、甲州街道、奥州街道、中山道の五街道の出発点であり、到着点です。
ですからそこは、いまの新宿や渋谷の歩行者天国みたいに往来の華やかなところであり、しかも、いわゆる「よそもの」さんたちが往来するところだったわけです。
その日本橋の、橋のたもとに、馬小屋のような屋根の着いた建物があり、その屋根の下に数段の棚があって、そこに竹編みのザルがいくつも置いてありました。
ザルには、全国の各藩の名前を書いた紙が貼ってありました。
現金送金する人は、自分が現金を送りたい先の藩の名前が書いてあるザルに、宛先を書いた紙にくるんだ現金を、ただ置くだけでした。
送金手数料は、各地ごとにいくらいくらと書かれた箱が脇にあって、これまた誰も見ていないところで、送金を依頼する人が、指定された手数料を入れるだけです。
いまでも地方の農道などで、小さな小屋に野菜を並べ、欲しい人はお金を箱に入れて勝手に野菜を持って行くという、無人の農産物販売所がありますが、あれと同じ仕組みです。
見張りも、立会人もいません。
当時250万の人口を持ち、世界最大の都市であった江戸です。
その江戸から全国への送金となれば、おそらくそこには、合計すれば何千両といった大金が毎日、いわば野天のような状態のところに置かれていたわけです。
ところが江戸260年を通じて、日本橋のその現金送金所が、泥棒被害に遭ったということが一度も発生していないのです。
それが日本です。
そういえば、同じく加瀬先生から教えていただいたのですが、江戸時代の享保(きょうほう)年間といえば、テレビの時代劇の「暴れん坊将軍」で有名な将軍吉宗の治世ですけれど、これがちょうど29年続いたわけです。
その29年間に、江戸の小伝馬町の牢屋に収監された犯罪者の数は、いったい何人いたかというと、これがなんと「0人」です。
牢屋に入れられるような犯罪を犯す者自体がいなかったのです。
奉行所が仕事をしないでサボっていたから、牢屋がカラだったのではありません。
奉行所が、犯罪が起きないように一生懸命働いたから、結果として収監される犯罪者の数が「0人」だったのです。
悪口についても、厳しかったことを覚えています。
狭くてウエットな日本ですから、人のうわさ話はよくありましたが、悪口は言わない。
言わなくても「察する」という文化が、そこにあったわけです。
そしてその「察する」という文化の源泉となっていたのが、たった31文字で万感の思いを伝える和歌であったということは、当ブログの百人一首の解説の中で、たびたび書かせていただいていることです。
そういえば、私が子供の頃に死んだ親父がよく言っていたことに、
「喧嘩をするなら、自分より強いやつとやれ」
というものがありました。
子供だって腹の立つことはあるわけです。
男の子だから、当然喧嘩をします。
とっくみあいや殴り合いで生傷が絶えないのが男の子です。
それも自分よりも強い者としか喧嘩しちゃいけないというのですから、これはたいへんで、ですから喧嘩をしたら、負けばかりでした。
負けて鼻血を流して半べそをかきながら、
「今日はこのへんで勘弁しといてやらあ」
気持ちだけは負けてない(笑)
勝負に勝つとか負けるということが問題ではなかったのです。
たとえ負けてもいいから、卑怯な真似をせずに正々堂々と挑む。
それが男の子だと教えられました。
けれど、そうした負けを何度も繰り返しているうちに、子供ながら一計を思いつきます。
単独で喧嘩をするから負けるのです。
強きを挫き弱きを助けるのが男の子だと教わりました。
勝ち負けが問題ではないのです。
正々堂々と正義を貫いたかどうかが問題なのです。
そのために怪我をしても
「体の傷は、三日もすれば治る。
けれど卑怯な真似をしたという心の傷は
一生治らん。
それどころか家名の恥だ」
と教わりました。
その怪我ですが、昔は塗り薬といえば、ヨードチンキです。
これは傷口にとても滲(し)みて、塗るととても痛いものでした。
それで痛がると、
「武士や兵隊さんは、
戦いの最中に手足が飛ばされても
声も立てないで我慢するのです。
たかがこれくらいの傷に
大げさに騒ぎ立てるものではない」
と言われました。
実際、親戚に、戦時中に爆風で左腕を肩から飛ばされた叔父がいて、その叔父が
「立っていて腕が飛ばされるとな、
人間って体の重心がくるって、
体が独楽(こま)みたいにクルクルまわるんだ。
おもしろかったぞ。
それでな、立ち上がるときには
ニッと笑うんだ。
それが男だ」
なんて言うものだから、少々の怪我で「痛い痛い」などとは言えない。
殴られたり怪我をして痛かったら、べそをかきながらでも、顔だけは笑えと言われたものです。
考えてみると、そういう教育を受けた日本人だからこそ、20倍もの敵と戦うことができたのであろうと思います。
そしてそのおかげで、いまのわたしたちがあるし、いまの有色人種を含む世界の人種の平等があります。
どこかの国が反日をあおることで、立場の保全を図るのは、日本男児は肚のつくりが違うのです。
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六月五日
あんまり緑が美しい
今日これから死に行くことすら忘れてしまひさうだ
真っ青な空
ぽかんと浮かぶ白い雲
六月の知覧はもうセミの声がして夏を思はせる
「小鳥の声が楽しさう
俺も今度は小鳥になるよ」
日のあたる草の上にねころんで
杉本がこんなことを云ってゐる
笑わせるな
本日14時55分
いよいよ知覧を離陸する
なつかしの祖國よ
さらば
使ひなれた万年筆を「かたみ」に送ります。
陸軍大尉 枝 幹二 命
第六航空軍司令部
昭和二十年六月六日 沖縄方面にて戦死
富山県出身 二十三歳===========
お気づきと思いますが、枝幹二陸軍大尉の遺書にある「笑わせるな」は、在日Koreanが人を罵(ののし)るときに使う
「笑わせんじゃねえよ。バッカヤロ−」の「笑わせるな」ではありません。
戦友であり同僚であり、親しい友人の杉本(陸軍大尉?)に最大の愛情を込めた「笑わせるな」です。
日本は、古代の昔から「豈国(あにくに)」、つまり「よろこびあふれる楽しいクニ」を希求してきた国です。
共にその祖国を護(まも)るために、これから死に行こうとするときに、「あいつは俺と同じ気持ちでいてくれて、いつもうまいことを言う。いいヤツだぜ」という、心の底に澄みきった青空のような爽心があって、その澄んだ心を基底にして、「笑わせな」と遺書に書いています。
いまの若者たちの間にも、そうした親愛の情と明るさは、しっかりと息づいています。
その日本人の明るさが目覚めるとき、日本は大きく変わります。
お読みいただき、ありがとうございました。
※この記事は2014年4月の記事のリニューアルです。

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